後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

昔のお話と「道」

2014年07月19日 | Weblog
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道」という漢字は しんにょうと首
白川漢字学によればその成り立ちの概略は下記の如し
【しんにょうは、足が、ある方向へ進むさまをあらわしている
 その上にある「首」という字は、
 目のくぼみもあらわな人の頭と、そこにまとわりつく髪の毛の様子
 いにしえの中国では もともとそこに住む氏族のたたりや邪悪な霊が
 その地を訪れたよそ者に災いをもたらすとされていた
 そこで、強い霊力をもった「人の首」を携えて歩き、
 未踏の地を祓い清め、新たな「道」をきりひらいていった】

人の首を持ち歩くことはおぞましい想像を必要とするが
よく考えれば 日本でもつい200年ほど前まであったことだ
江戸時代でも敵討ちや脱藩者の討ち取りなど
証拠品として首を塩漬けにした持ち帰ったらしい
戦国時代も敵の首を掻きとって殊勲のしるしとした

もともと自宅周辺 半径5kmについては
もう35年以上徘徊していきた 
古い集落の迷路のような細い路地道
田んぼや畑の中の畦道
時間を持て余すこの頃はさらに徘徊に磨きがかかる
人の首を持ち歩く代わりに犬の首を輪で繋いで だ

さて冒頭の写真は毎日の散歩道の一つ 小栗海道
この道は高野山にお参りするための古い街道の一つ


和泉市の特産 ガラス細工工房なども街道沿いにある

これはネットから拝借した写真

ところで「小栗海道」という道の名付けは少し珍しい
15世紀ころに浄瑠璃や歌舞伎で広まった「小栗判官」に因む

相模の国で10人の部下とともに殺された小栗満重は
閻魔大王によってこの世に戻されたが
餓鬼阿弥の姿で、癩病にかかっており、歩くこともままならない
僧侶や結婚を約束していた照手姫の助けを借り、
地車に乗せられて東海道を西進する
高野山の湯の峰温泉のつぼ湯に入って元の体に戻り
照手姫と結婚し、判官に任じられたというお話



物語では高野山に参るときにこの道を通ったことになっている
照手姫が腰かけた松が小栗街道際にあるとされている
照手姫は滋賀県大津までしか来ていないはずだがご愛嬌


小栗海道からわずか300m 鏡池が団地の外れにある
これも有名な「葛の葉伝説」の主舞台になっている

白狐が傷を負ってネズミに姿を変えて逃げているのを安倍保名が助けた
白狐は姿を娘に変え、葛の葉と名乗って保名と結婚し子を授かった
数年後、我が子にうっかり自分が狐であるのを見られ次の歌を残して森に消えた
「恋しくば、尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」
保名とその子は懸命に探したところ、鏡池に白狐が現れた
水面に映る姿は母 葛の葉の姿だった
その子とは後の陰陽師 安倍清明 
母子はこの池で最後の別れをした


35年前は聖神社を半周取り囲んでいた鏡池は
この30年ほどで駐車場や住宅地になってしまい
面積は3分の1ほどに縮まって昔の面影を残すのみ
これでは白狐もどこに現れたらよいのか迷うだろう
因みに信太丘陵から狐はもういなくなった
大半が自衛隊の敷地なのだが 
餌となる小動物がいなくなったせいだろう
人間を頂点とする雑食性の生き物が生き残る


200億円を投じた廃棄物焼却場の裏側
毎朝、7時前にここ度犬を遊ばせている
屋根の上や廂にスカベンジャーがいる
雑食性動物の代表のひとつ
この動物も、結婚すると夫婦2羽でなわばりを持つのだが
結婚前の若者が青年団を組んで世間を騒がしている
この写真にも6羽が映っている
クマ仙人さんは先日これを獲られたようだが
すでに喰らわれたのだろうか

ものの本によれば 食べられるが美味しいとは言えないらしい
まぁ 料理方法にも左右されるだろうが…

「自立」は錯覚だ その1

2014年07月16日 | Weblog
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強者どもが夢の跡 である
13年前、フランスから上陸したカルフール
和泉市の光明池に第1号店を開店した
若い店員がローラースケートで店内を走り回り
パン、チーズ、ワインなどの品揃えで話題になった

数年でカルフールは撤退
イオンが後を継いだ

仕事が無くなった不思議おじさん
この数か月の買物はもっぱらこのお店だった
理由その1 いつ来ても空いている 客が少ない
理由その2 生協のお店に近い
理由その3 駐車場が屋内にある 犬が何とか耐えて待ってくれる条件

人混みが嫌な不思議おじさんには好適な店だった
来る度、小妻に言っていた 「間もなく潰れるよ」
そして時間をおかず その予測は当たり8月末に完全閉店となる
小売店激戦地区で、地の利に最も恵まれないこのお店
スーパーが勝ち抜ける条件を考えるとき参考になる


不思議おじさんの第1号の西瓜はかくのごとく満点だった
甘みも充分だ
これは孫の家で包丁を入れたが なんと孫が喜ばない
「瓜」系統は好みではないとノタマウ
不思議おじさんが今年作ったものは瓜類が主体
「西瓜」「南瓜」「真桑瓜」
折角 神戸までもっていってやったのに(涙)
自己満足もほどほどにとの神のご宣託


都賀川の河口 灘浜
都賀川は何年か前に鉄砲水で子どもが亡くなった悲しい記憶もある
灘浜は江戸以前には御影石や灘の生一本の出港地
ここから江戸にお酒を届けていたということだ
六甲山から流れる川の水車を利用して菜種油も絞っていた
大阪の俳人 与謝蕪村がその光景を有名な俳句にして詠んでいる


カメラを反対に回すと神戸港

左は神戸製鋼 今は鉄ではなく電気を作っている
ここに子供が遊べる無料の施設がある
根強い人気のスポット


朝起きて思い立ち、高野山に行ってきた
近くだが行ったことが無い 行く機会が無かった
不思議おじさんの実家は曹洞宗
全く不熱心な檀家の三男坊なので宗派は関係ないように見えるが
それでも真宗には馴染が持ちにくい気分がある
それも一因かもしれない(かといって永平寺にも行ったことはないが)
お参りされている方々の般若心経の唱え方にも違和感を持った


トルテが一緒なので大伽藍地区を遠慮がちに歩いて終わり

たっぷりの時間を浪費している
そんな中で「自立」について考えている
同義だが「弱者」「敗者」「被害者」について考えていると言って良い

今日は「その1」なので そのサワリだけ…

大学に入ってしばらくして「自助協同」との言葉に出会った
その後、その言葉を冠した産直米を先導して多くの人に食べてもらった
忸怩たる思いである

「自助協同」という言葉には多くの嫌な臭いを感じていた
何かが違うという気がしていた 
それが何かは長い間わからなかった

そこにまず臭うのは「驕り」である
勝組の感性である
社会的に恵まれている人たちの言葉である
その組に入れば心地よいのだろうが
何となくそれを拒む気分を持ち続けていた

「自助」して初めて「協同」が可能である
そのように聞こえる
「自助」できない者は、
協同できる人として失格であると言っているように聞こえる
今は「自助協同」などという言葉はマヤカシであると思っている

不思議おじさんは15年ほど前にある「問い」に出会った
それは龍谷大学経済学部の中村尚司先生から投げかけられた
「赤ちゃんに自立はあるか」
「寝たきりの高齢者に自立はあるか」

この命題を考え抜くと
この世の中がなんとなく見えてくる
混迷の世を解く一つの物差しが手に入る気がする

例えばTPPをどう考えればよいのか
日韓・日中のお付き合いを原則的にはどう考えればよいのか

20世紀から21世紀の日本で いろいろあったにせよ
経済的にも社会的にもほぼ満足して生きてきて
まぁ満足な一生であったと総括して一生を終えたお人について
不思議おじさんは異を唱えるつもりはない
「お疲れ様 ご同胞」と瞑するのみである

かといって
その人たちも不思議おじさんの思考を止めることはできない

あなたの ほどほどのシアワセな人生は
この時代があなたを包み込んだ幻想のたまものだと

あなたの努力、決断、能力、実行力など自信の数々は
そのご仁が受けた果実から見れば何ほどの役にも立っていない
あえて言えば あなたのシアワセは
この世の仕組みがもたらしたものである
そのことを知り尽くしたあなたの勝利であることに間違いはない

この時代(社会構造)がそのご仁をシアワセにした
そのご仁が「他人の厄介にならずに自立して生きてきた」と思っているなら
(大半の人がそうであると思うが)
誠に御目出度く 静かにご冥福をお祈りするだけである
人間は社会的な動物であり、時代(社会)と切り離すことはできない

人は「自分」だけでは自立できない
赤ちゃん然り、高齢の寝たきり老人然り
フクシマの原発によるさまざまな被害者然り
時代を戻して言えば、江戸時代の農民などの社会的弱者に
「自助協同」などの言葉を投げかけられるのか
この言葉の持つ驕りの構造が明らかになってくる

その2 以降に続く

初もの

2014年07月10日 | Weblog

台風が来ぬ前に、バイクを走らせて畑に行った
コーナンで買い求めたコンテナ一杯に
南瓜、西瓜、真桑瓜を収穫した
全て「瓜」の名がつく
こう言っては多分驕りの言葉になるのだろうが
農業の端っこを齧った初心者にも
地の恵は思い以上の「重さ」として実感できた


この南瓜の重さは想像を超えた
2.4kg  直径22㎝ 周囲の長さ70cm


この南瓜は750g 
外皮に粉を吹いて熟しているように見える
切ってみたら まだ若い

うーーーーん 難しい
それでも小妻が美味しく煮付けてくれた
完食!!



真桑瓜は650gと550g 
熟し具合は明日のお楽しみ


西瓜は1.8kg 1.7kg 1.5kg
台風が近づく雨模様では切る気にもなれない
これも明日のお楽しみ

相変わらず股関節・腰が痛い
トルテの散歩以外は安静にしている
家でじっとしていると 小学校の桜並木から
クマゼミの初鳴きが聞こえてきた(7/8)
台風の雨の晴れ間に何とか鳴いている
雨が降り出すとすぐにやんだ

4季のお蔭で
初めてでもないのに「初モノ」と言える

家にいることが多くなった(ほとんど自宅にいる)
クーラーなどほとんど使用しなかったが
家庭内熱中症も少なくない時節 ついつい使用する
ところがだ 
今まで使ってこなかったせいで リモコンが不調
購入後15年以上たっているのだから仕方がない
メーカーでは後発リモコンを販売していない
テレビでもそうだが、実は大半のメーカー共用可能なリモコンがある
2000円余で購入

老後の生活もいろいろと物入りである








時は移ろい…

2014年07月09日 | Weblog

その昔は梅田のサンケイホールがメイン会場だった
この写真は大阪は西九条の此花会館
綺麗な建物ではあるが、昔を知る人には都落ちの気分が濃い

近畿・大阪には日本民謡の会派がいくつか存在する
そのうちの一つはかって「日本民謡推進協会」と称し
コロムビアレコードとの縁を強く持って活動していた
コロムビア主催のコンクールも盛大に開催されていた
不思議おじさんも近畿地区大会6位を受賞したことがある
時代は移ろい 関わる人数も目に見て減った
コロムビア主催のコンクールは無くなった
各地の民謡の会は減り、協会も解散した
その後、近畿各地の有志が「関西民謡連合愛好会」を立ち上げ
コンクールではないものの、発表の機会を作った


どんな催しも裏方があって成立する
この日の不思議おじさんは進行係の責任者
出場10番前から参加を確認して並んでおいていただく
進行に合わせて練習場・音合わせ場などに声をかけ
出演者を途切れることなく次々に舞台に送り込む
日曜日の朝8時30分から夕方までそんなことをしていた
もちろん不思議おじさんも唄った 曲は「日光山唄」


月に3度の練習風景
我が会もかっては40人近くが所属し、5つの教室があった
30年を経た今は 僅か6人の会員にまで減少
先日、南大阪ではお囃子太鼓の名人として知られた方が亡くなった
年に何回かお会いする仲だが 20年前からの顔見知り
お通夜に参列した どんどんと知り合いが減っていく


紫色のカサブランカが蝋梅の葉間に顔を出した


白のカサブランカは枝垂れ桜の葉に隠れてよく見えない


今年の初物 
豆腐・卵を混ぜたチャンプルーに
時の移ろいを感じる気持ちが
苦みとなって腔中に広がった

喧騒を遠く離れられるか?

2014年07月02日 | Weblog

和泉市の横山地区はかって泉州みかんの産地だった
「幟(のぼり)あげ音頭」は大阪の代表的な民謡の一つ
西国三十三寺第4番札所の槇尾山施福寺の光景や
横山みかんが美味しいので皆売れてしまったことなどを唄っている
そんなみかん山は、もう20年前から産業廃棄物の処分場になっている
すざまじい量の廃棄物を埋め立て
その上に土を被せて緑化公園にしている
山際に開発された新興住宅地住民の反対運動もあった
埋立地のそこに何重かのシートを敷くので
汚染水は出ないとの説明だったが…

そのリサイクル公園の真下に「谷山池」がある
写真の右側だ
因みにやや左遠方の大きな建物は桃山学院大学


谷山池の由来を書いた看板
緑化公園の一番奥の端に設置してある
この場所ではまず気づく人はないだろうという立地
不思議おじさんはなぜ看板を見つけたのか
緑化公園は「犬を連れて入場不可」なので
柵の外側をぐるっと回って奥まで行ったので発見できた
看板の内容概略は以下の通り
【谷山池は今から約1000年前(平安時代末期)に、
東大寺大仏殿の再建に尽力した俊乗坊重源(1121年~1206年)が、
讃岐国(現在の香川県)の人達の協力を得て築いた池といわれている】



堺市南部の溜池に蓮の花が咲いた
ホンダの中古バイクで風を切って見に行った

不思議おじさんは4つ葉のクローバーを探す名人だ
いまNHKで放映中の村岡花子訳の「赤毛のアン」シリーズ
中学から高校生の間にすべて読んだ
そのなかに4つ葉のクローバーに関する叙述がある
4つ葉のクローバーは毎年同じところに出てくる
一つ見つければ近くにも必ず見つかる
確かに、田舎の家の前で毎年同じ場所で目にできた
爾来 クローバーがあると探す癖がついた
一睨みすると4つ葉のクローバーが浮かび上がってくる


犬を連れての散歩ではじっと目を凝らす余裕もないが
今日は時間を持て余していたので犬に待ってもらった


これは自宅の庭にでできたトマトとスモモ
かってはイチジク、ザクロ、グミなどの果樹も植えたが
子供達が食べないので他の木に植え替えた
今はサクランボ、キンカンとスモモのみ
自宅で獲れたものを口にするのは格別の味である

さて政治の世界は反吐が出るような酷い有様だ
さまざまな論評が新聞を賑わしている
何がどうなるのか どう受け止めればよいのか
朝日新聞主筆の大野さんの論に深く諭されるところがあった

わが師(不思議おじさんが勝手に私淑しているだけであるが)
池澤夏樹さんは、
この政治の惨状を激しく難じられている
下品で浅ましい争いごとに強い怒りを持っておられる
しかし池澤夏樹さんは
メッセージの回路を絶って黙すると言われる
興奮を静め感情高揚の呪縛から自分を放つ と

詳細は6月29日付朝日新聞「終わりと始まり」を参照いただきたい
不思議おじさんは、毎月一回のこの特集を貪るように読んでいる
この世の様々な事象のの受け止め方、考え方を学んでいる

さて今回はどう受け止めればよいのか
「自分の人格の中で政治にかかわる部分はそんなに大きくない。
本当なら人間というものを悠然と広く見る視点に立ちたい」
共感し理解できる しかし不思議おじさんは
果たしてそのような視座を得ることができるだろうか

少し腰がましになった
やはり金井先生の気功に敵うものはない
痛みが取れたと調子に乗って草取りをしたら
翌日に腰痛再発 
どっちにしても
喧騒を遠く離れて安静第一にしろということらしい