後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

年金暮しには辛いねぇ

2014年08月22日 | Weblog
小宅から徒歩で20分 信太山の湿地
50年ほど前までは水田だったが 自然保護公園となった
トルテ君と朝の散歩に立ち寄った


ナガホノワレモコウ 希少種である
この湿地にわずかに残っている

自衛隊演習地に立ち入れなくなったので
普通のワレモコウもツリガネニンジンも
ヒヨドリソウやリンドウの群落も見られない
やっぱり 寂しい


これは自衛隊の通信アンテナ基地敷地に咲く野生のキキョウ
かっては自由に立ち入れた信太山丘陵でもあまり咲いていない
散歩途中に金網越しに見つけた
野生のものはこの地では今頃に咲く


ヘクソカズラでさえ 貴重な植物に思える


久しぶりに畑の手入れに
右側は82歳の地主さんがゴマを植えている
お礼の意味を込めて除草した

根を広く地中に張っている草を取るには
ノコギリ鎌が役に立つ
力の入れ具合からか 縄切鎌が便利だ

因みに反対側はというと 雑草の海だ
南瓜やスイカのも整理した

雨続きだったのでほったらかしにしていたら
南瓜10個ほどが腐ったりカラスに食べられたりしていた

朝晩 それぞれ1時間ほど歩いている

大野池 対岸の低い建物は
不思議おじさんもそのうち一泊する予定だ
葬儀場も兼ねた火葬場

大野池から河内長野 橋本市方面を望む

和泉市にもクマが出る
写真を撮っていた公園にはこんな看板があつた

一日に2回 朝晩にトルテ君と散歩
それぞれ約1時間 それなりの距離を歩く
なんとか散歩の躾ができるようになって
不思議おじさんのペースで歩いてくれる
廃棄物処理場緩衝緑地帯公園では綱を解いている
朝の7時前 どなたも見かけたことが無い
お蔭で安心して後ろ歩きができるというわけだ

最近に計った不思議おじさんの体重は62.2kg
十年ほど前は70kgを超えていた
ほとんどのズボンがユルユルになってしまった
拳が二個は入る
糖尿病の悪化が原因かとも疑ってはいるが
A1cは今のところ明らかに改善している
血圧までも10~15ほど下がっている
病気が原因とも思えないのだが…

というわけで穿くズボンが無くなりつつある
ダボタボなのだ
痩せれば痩せたでいろいろ物入りだねぇ

 

友来たり 鷺草とビール

2014年08月17日 | Weblog

内庭に置いたのでまだ咲いていない
先日 高校時代の友がウォーキングで届けてくれた
不思議おじさんも何回か求めて咲かそうとしたが
なにせほったらかしでいつも失敗していた
今回は楽しませていただこう


今日はまたお盆で御奥様の故郷に帰ったとのこと
非お土産に加熱大山ビール ピルスナーを頂いた
さっぱりしたのど越し 堪えられないなぁ
うーーーーん うまい ありがとう
骨抜き手羽先とエコシュリンプの空揚げ
自家栽培の南瓜と市販の茄、オクラの天麩羅
温度加減が大事て160度なら失敗が無い

お返しは何もなく 先回もお持ちした南瓜
山形のぶんども少し残っていたのでお持ち帰りいただいた
今年作ったウッドデッキで 静かな時間が流れていく
彼とは 高校時代も 浪人時代も仲良しだった
特に張り合うこともなく ゆったりとした時間を共有していた


信太山盆踊りだ
JRなら一駅 バイクなら10分
いつもの民謡の練習場からすぐ近く
この地に住んで40年にもなろうというのに
いまだに行ったことが無かった
お盆だということもあり 里帰りしていたり…
とても歴史あるお盆の行事
http://sp.walkerplus.com/spring/detail_e/ar0727e65444/

櫓の上で唄っているのは 我が会主
三味線を引く女性方も顔なじみばかり

なぁーーーんだ ごく身近なお祭りだったのだ
毎月一回 練習会があると聞く
来年は この櫓の上 ???


台風による大木ポプラの処理には3日間かかった
それでも根はそのまま放置されている
我が家でもいまだに経験していることだが
木の根を掘り起こすことは至難の業である
できるだけ下で切って 後は放置するしかない
数十年すれば 微生物が分解してくれるだろう


高校野球の季節
テレビ中継で何とか時間を食い潰している

こんなことでよいのか

いまは 時間の過ぎ行くままに だ



台風で起こされました

2014年08月10日 | Weblog

いよいよ台風が四国に上陸かという日
早朝にトルテの散歩を済ませた
風邪気味だったこともあり 朝から薬を飲んで寝た
トルテが足元で添い寝してくれている

ドーンという音で起こされた
何かが家にぶつかったような気がした
雨と風がまだ激しい中 家の周囲を見回った
特に異常は見当たらない
小妻が 2階ベランダ物干し場の雨樋が外れて飛んでいるという
うーーん そうか その音だったのか

暫くすると雨も弱まってきた
ちょっと早いがトルテの夕方の散歩に出ることにした
家から50mの道の角に黄色の小型トラック
立ち入り禁止ガードとガードマンのおじさん

小学校裏と古墳公園(山の公園)の間の遊歩道
いつもトルテが大小をする小路 彼にとってはマイエリア
なんと樹が倒れて通れない


なるほど 不思議おじさんを布団から引きはがした音は
2本の大木が根こそぎ倒れた音だったのだ
よく見ると 法面にある桜ではない
校庭ポプラが法面の桜に覆いかぶさっている


校庭のポプラがフェンスを押し倒して倒れてきたのだ
ソフトボールチームが使用しているプレハブの用具庫も押し潰された
ドーンという音の原因はこれだったのだ


根は意外に小さく浅い
ガードマンのおじさんは徹夜で見張り番につくとのこと
いくら仕事とはいえ 蚊も多いのにと頭が下がる

仕事でご縁の多かった徳島や高知の各地の名称がニュースで出るたび
皆さんがご無事でありますようにと祈らずにはいられない

各地の農家の皆さんは作物に被害はなかったでしょうか
ご苦労の賜物を 自然の猛威に持っていかれるのは
ぶつける相手の無い口惜しさになってしまいます
何とか無事に収穫されることをお祈りします

暗いねぇ 

2014年08月09日 | Weblog
写真をクリックすると縦横を補正し、画像が拡大します

生命巡る水辺 針江大川が琵琶湖に注ぐ
舟は田中三五郎さんから石津さんに引き継がれている

比良山系から100年を経て湧き出た生水(しょうず)が
1㎞も待たず母なる湖に抱かれる
石津さんは農業を息子さんに任され
もともとの生業 湖の漁に専念されている
不思議おじさんより2歳年下
残念ながらお留守だったので 
クマ仙人様のぶんどをお届けしてきた

10日が集落単位の墓参りだが 台風直撃だ
そんなわけで8時過ぎに大阪を発ったが えらいこっちゃった
途中で引き返そうかと思うような土砂降り
ところがだ 京都南手前で渋滞に引っかかった

仏壇と2墓制なので雨中に参り墓で手を合わせた
家を継いでいる次兄にお願いして瓜の種を所望した

青瓜 糠漬けにすると絶品


なんと今年からバナナ瓜を作付して大好評とのこと
帰ってすぐに種を取って漬け込んだ


南瓜は不思議おじさんも30個ほど収穫したが

新種の岐阜南瓜を一個頂いた
味はまだ未確認(次兄も)


不思議おじさんの故郷は京都に近く
男は丁稚に、女は行儀見習いと称して奉公に
母も京都の毎日新聞社の長谷川さんという記者宅に奉公していた
そんなことと謂れがあるのだろう
丁稚羊羹が名物となっている
小豆 砂糖 小麦粉だけが原料だ
寒天などの凝固材料を使うものとは味が異なる
かってはわずか100軒前後の集落単位で店があった
味も微妙に異なるので 自分に慣れ親しんだもの以外は受け付けない
一年に一回行くか行かない小さな店(駄菓子屋を兼ねている)
残念ながら通常品は製造中なのでミニサイズしか手に入らなかった
それでお店の女性 
何も言わないのに「いつもおおきんな」
「お兄さんは同級生の中で一番お元気ですわ」
長兄の同級生なので74歳
不思議おじさんはまともにお話もしたこと無い
驚きというしかない

さてだ
理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)の
笹井さんの自殺だ
暗い!! 
自裁そのものが持つ先行きの無さもあるが
成果主義 新自由主主義の行き着いた世界を見た気がする

基礎生命科学の世界で生き抜けば彼は超一流の科学者だっただろう
しかしあまりにも優秀すぎたために 時代の潮流の先頭に立った
我々の時代は 競争に勝ち抜くことを究極まで求める
彼はその時代の犠牲者だともいえる
マスコミは理化学研究所を初めとする補助金行政
科学を取り巻く特許等に関する情報をあまり詳しく伝えない

小保方さんや笹井さんの「個人」に焦点を当て
興味本位に面白おかしく伝える

笹井氏は優秀であったゆえに時代の犠牲者となった
山中氏は必ずしも先頭を切らなかったので「科学者」でいることができた
そんな見方が可能なのではないかと思うが
科学を取り巻く(従ってこの日本を取り巻く)社会の構造が
ため息もつけないほど 暗い のだ

自分勝手で頑迷でしたり顔で渋い表情のオジサン
もっと口角を引き上げ 柔和に人と接することができないのか
お前さんだけが正しいのか

赦し合うことを忘れた社会
勝つことだけが至上とされる社会

笹井さんはそんな社会の中で死んでいったのだ

笹井さんに味方する気も 小保方さんに情を入れる気もないが

暗いねぇ