後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

何処の世界でも繰り返されること

2012年11月20日 | Weblog
もちろん行ってきました 日曜の朝早く
そしてもちろん コウノトリの姿は見えず
トボトボと引き返したのであります

ところでクマ仙人さま
http://samidare.jp/jo7uuc2/
毎日の命がけの狩猟
それこそが人類の最高の頭脳を作ったと
今夜の朝日新聞の夕刊の載っていますよ
狩りで生きていたヒトは
6000年前が知性の最高点に達し
農耕文化以降は後退していると
スタンフォード大学の先生が言っているそうです


この人はドイツの神父さんだ
名前はマルティン・ニーメラー
あちこちで引用されている詩の作者だ
詩の名前は「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」
彼はユダヤ人に対して消極的差別者であったと言われている
いろんな訳があるが、もっとも一般的なものは以下の通り

ナチ党が共産主義を攻撃したとき、
私は自分が多少不安だったが、
共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。
私は前よりも不安だったが、
社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。
私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
ナチ党はついに教会を攻撃した。
私は牧師だったから行動した―
しかし、それは遅すぎた。

誰かが不当に攻撃されているとき
それは問題だ、理不尽だと思っていても
直接被害が自分に及ばないないとき
多くの人は動くことはしない
ましてや自分が攻撃の標的になるかもしれない時は
見ぬふりをしてやり過ごす

強圧的な権力や暴力がふるわれるとき
何処にでもある風景である
尼崎のけったいな連続殺人事件でも
連合赤軍の総括でも
橋下大阪市長(元府知事)の政治でも
同様の原理が働いている

TPPも、原発も、憲法改正も
あらゆる政治的課題もそうである

身近には、世間知らずの蒙昧・愚劣な小権力者が
したり顔で闊歩している

うっとおしい限りである


葛城の一言主神社は紅葉真っ盛り
「天声人語」を13年間書き続けた辰濃和男氏曰く
神様にお参りするときは、願い事をするのではなく
感謝の言葉を口にすればよいと
お願い事はせいぜい一つに


参道も紅葉に染まっていた


至福の像と言うものもあった


三輪神社(大神神社)にもお参りしてきた
お酒の神様である
もちろん明日香の里、卑弥呼伝説の神社
七五三でごった返していた

山名さんは今年の酒造りの無事をお祈りされたそうだが
不思議おじさんは勝手に呑み助を代表して
今年も美味しい酒が飲めますようにと
よだれを垂らしながら少ないお賽銭を差し上げた
罰あたり者の権化であろう








迂闊にも

2012年11月17日 | Weblog

昨日、新聞各紙を飾った写真
真ん中の小さな鳥はゴイサギだ
コイでもフナでもナマズでも呑み込んでしまう
その両側の背の高い7羽はコウノトリ
なんと兵庫県豊岡市から飛来してきた

撮影場所は大野池
不思議おじさんの自宅から直線距離なら500メートル

つい先日の夕方のことだ
高さが20メートル以上もある大野池の堤を這い上がり
薄暗がりの中で水を抜いた池の底を眺めながら
思いっきり「秋田馬方節(あべや)」の練習をした

近所に人家はないため誰にも聞こえていないと思っていたが
コウノトリに聞かれていたかもしれない
迂闊だった


いろんな人の訃報に接する機会が増えた
この方がお分かりになるだろうか
元防衛大学学長の猪木正道氏
不思議おじさんが18歳のとき
京都で朝日新聞の配達をしていた
北白川の住宅地に猪木氏(当時は京大の教授)宅があり
品の良い女性(たぶん猪木氏の母)がよく挨拶してくださった
因みにお隣はフランス文学者の矢内原伊作氏宅であった
ほぼ50年前の話である


純白のバラも


東の庭に咲くホトトギスも
秋の深まりとともに勢いが萎え始めている


卑弥呼(?)の墓

2012年11月14日 | Weblog

奈良県南部地方へは車で1時間圏内だ
南阪奈高速道路ができてとりわけ便利になった
明日香も庭のようなものである
写真は箸墓古墳と遠くに三輪山

手前の赤いものはなんでしょうか?
近くで写真を撮ってみると…

金魚の大群です
ご存じのとおり奈良県郡山市は金魚の一大産地
その養魚池になっているのでしょうかね
鳥除けのテグスが張り巡らされています

この地はご存じ纏向(まきむく)地区
邪馬台国奈良県説の正に中心地
歩いて30分圏内に6つの古墳がある
最大規模が卑弥呼の墓と言われる箸墓古墳

これは近所にあるホケノ山超えに見た箸墓古墳

なぜ「箸墓」なのか?
日本書紀や古事記に起源がある
なかなかにおぞましい記述なので
皆様にお調べ願いたい


東田大塚古墳(ひがいだおおつかこふん)だ
箸墓古墳より古い
うっかり写真を撮り忘れたが
どうやら個人の所有物のようだ
古墳を切り崩して柑橘類、茶、野菜か栽培されている


纏向石塚古墳 この地域で最も古いらしい
ところが 太平洋戦争時に
高射砲設置のために円墳頭部が削られている
古墳の調査を拒む宮内庁のしぐさから見れば
笑止千万である

そういえば箸墓古墳も
土地の人が行き来する旧道から
ロープ一本で隔てられているだけで
つるはし一本を持っていけば
誰でも発掘可能な環境である

功名心の高い歴史学者等が
その気になればいつでも掘れる


ここは卑弥呼の宮殿跡と騒がれた場所
JR纏向駅のすぐ傍だ
ところが新築の家が建築中
なんともちぐはぐな光景

まぁ 僅か1700年前のことだが
分からんことだらけだ
分からないから面白い

古代の空気が少しだけだがまだ漂っている
奈良は不思議な土地柄である

因みに奈良は ハングルで「国」のことだ
大和言葉に「ナラ」を意味する言葉は無い

クマ・熊・くま・Kuma考

2012年11月03日 | Weblog
「クマ・熊・クマ・kuma…」から思いつくもの

ご存知くまのプーさん


リラックマは昨年の入院時にプレゼントで頂いた


テディベアは最近見ていないなぁ


これは露出度が高い クマモンだ


ちょっと昔に遡ると金太郎
坂田の金時(公時)さんは熊とお友達
「熊にまたがる人間」などは
猛獣を扱うサーカスでも見たことがない

熊は人間にはなつかない猛獣である
それがどうしてまたこんなに可愛いキャラクターばかりなのだろうか
宮崎さんの写真集を見ていると
少しは可愛い仕草も見られなくはないが
子どもの友だちになるほどとは思えない
しかも東西の文化の垣根を超えている


これは少しリアルだ
ツキノワグマでは無くヒグマである

そういえば地名にも「熊」が多い
熊本県がその代表だがこれは動物のクマでは無い
加藤清正が熊本城築城の際に
隈本から強そうな名前に変えたのだ

では熊野神社、熊野地方はどうか
世界遺産高野・熊野地域をはじめとして
熊野神社は全国いたるところにある

これは不思議おじさんの故郷の隣、安曇川町上古賀の熊野神社

これまた隣の今津町の熊野神社


何も隣町まで行く必要も無かった
不思議おじさんの出身小学校は饗庭小学校(旧名)
その所在地は高島市新旭町熊之本(高島郡饗庭村大字熊之本)
そこから最古の前方後円墳の一つが発掘されている

そういえば、大阪にも熊取町がある
関西空港の近くである

では地名(人名も含めて)になぜ「熊」がつくのか
古くは熊がそれほど人の暮らしに近い所に多数いたのだろうか

どうやら諸説あるらしい
少し紹介する

①「クマ」は古語で「カミ」を意味し、「神のいます所」の意とする説
②「クマ」は「こもる」の意で、「樹木が鬱蒼と隠りなす所」の意とする説
③「クマ」は「こもる」の意で、「神が隠る所」の意とする説
④「クマ」は「こもる」の意で、「死者の霊魂が隠る所」の意とする説
⑤「クマ」は「隅(くま=すみ)」の意で、都から見て「辺境の地」の意とする説
⑥「クマ」を「影」の意とする説
⑦「クマ」を「曲(くま)」の意とする説
⑧「クマ」は高句麗を意味する「コマ」から転じたとする説

ところで漢字の「熊」の由来を調べたが
あまり納得できるものはない

また古事記に出てくる「熊襲」も気になるところである
ある説によれば
【この場合の熊は動物のクマでは無いらしい
「熊」の原義は「能(よくする、よくできる)
プラス列火(れっか=火が並んだ状態)」で
「火を能くする」すなわち「火をコントロールし
火をものともせず使いこなす、火の盛んな」
という意味を持っているのである】とのことだ

いろいろ悩ましい「クマ・熊・クマ・kuma…」である