後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

肉を食べる文化

2008年01月31日 | Weblog
従業員に新製品提案を募る
徳島県は金時豆の消費が一番だそうだ
しかしさすがに豚肉と金時豆を材料にした製品化案はまだ無い

徳島といえば
偽装が最近問題になった鳴門わかめ
酢橘〈スダチ〉は酸がソーセージの邪魔をする
鳴門金時は、いけるかもしれない

ところで話題になったのが「金時」
金時人参、鳴門金時、金時豆、宇治金時…
語源は?
そりゃあ 坂上田村麻呂やろ と言ったら大当たり
金太郎さんのお顔が赤かったとのことから
赤い食べ物に「金時」という名がついたらしい

さてもさても 肉を食ってきた日本人なのに
日本仏教の偏狭な教えによって食文化の広がりが妨げられた
仏教は、肉食を必ずしも禁じていない
それに坊主どもはウサギを鳥だと称して「羽」で数えたりしている
堂々と肉を食えなかったおかげで 食文化がほとんど残っていない

不思議おじさんが手にしているのは
会社の製造部長手造りの豚モモジャーキー
わずか2日間で作れる。
ちょっとガーリックを効かせすぎだが
食べ始めたら止められない!

作り方はいたって簡単
ソーセージだって
もともとは毎日家庭で作るもの

ついでに言えば、餃子だって毎日作るもの

テレビが生協・餃子・生協・餃子・生協…とうるさい
生協も、ついに農協を追い越して形骸化の極地にきたか!

生産手段を持たない消費者 なんていう奴は信用できない
ソーセージを作るのも ジャーキーを作るのも
餃子を手作りするのも、生産行為以外の何者だというのか
テレビに映る河北省の工場を見るがいい
あそこが「生産工場」なら
家庭での生産行為を否定できまいて!

他国の安価な労働を金で買うよりも
もっと自分ができることがあるはず

なんて「辛口」になったのは
今夜のお酒の名前のせいにしておこう

自爆?

2008年01月30日 | Weblog
不思議おじさんの会社に瑕疵がないのに
この3月に大きな取引が停止になる
大打撃で、会社の存続には大きな努力が必要だ

「男の論理」などというような言い方は好ましいと思わないが
論理一貫しないと、それはダメだという考え方が
有史以来、権力を握ってきたオトコ社会の中に育まれてきたことは確かだろう
〈女の論理は一貫性を欠くとは思ってもいないし考えてもいない…念のため〉

しかしそもそも人間の存在や社会の在り方は〈つまり文明は〉
論理の一貫性を至高と考えるだけで終わりだろうか
混沌して解決が困難な現実に対して
それを整理・区分して仕分ける能力がないものだから
一つの論理だけを物差しにして押し通しているだけである

+と-だけの世界ではない 曖昧な部分 金芝河さんの「隙間」
オモテの裏はウラではない もっと多元的な世界
論理の一貫性なんてチャラクサイお飾りではないか

そんなわけで、「論理の一貫性」の前に
不思議おじさんの関係する真面目な生産の取り組みは
いきなり苦境に立たされることになった
手を拱いていたわけではないが
不思議おじさんも「論理の一貫性」の世界に生きている人間
自己破壊してアピールしても切ないことだ

というわけで 秋田県の「自爆」を飲んでいるわけではない
このお酒は頂き物だ
山名さんの一升びん2本はすでに水と炭酸ガスに分解され
次は野条穂で作った2本が月曜に届くはず

お皿の料理は珍物の極み
不思議おじさんのこの頃の料理研究は
プレーンヨーグルトの活用である。
ほうれん草をオリーブ油で軽く炒め
ヨーグルトをたっぷり加えて塩・醤油で味付けする
これは3分で出来上がる。奥薗先生に十分勝てる。
写真は、牛肉の余りを塩・コショウして軽く焼き
冷蔵庫に余っていた豆腐を加え
さらにプレーンヨーグルトをたっぷり加えて炒めた物
どんな味だったかって?
そんなことは他者に聞かずに自分で確かめるというのが
不思議おじさんの生き方である

ところで特別純米「自爆」であるが
よく見ると「白爆」ではないか!
白神山地の水を使ったお酒

「自爆」の方が、
不思議おじさんにはしっくりくるんだけどなぁ


冷や水

2008年01月28日 | Weblog
昨日の無理がだんだんと身にしみてくる
朝には問題なかった歩行も、夕方にはきつくなる
齢を重ねた筋肉の、遅れ気味の順調な反応

年寄りの「冷や水」でふっと考える
「冷や水を浴びせる」という言い回しの影響からか
「年寄りの冷や水」が誤解されている向きがある
つまり、冷たい水を浴びるというふうに。

もちろん、寒風摩擦よろしく
冬に冷たい水風呂に入るのはキツイ
しかしこれは間違い

江戸時代の日本の人口は3000万人
その暮らしぶりはサスティナブルな生活の象徴
天然痘が多発した中世ヨーロッパと比して
清潔な生活ぶりもまた評価が高い

とはいえ、江戸は当時世界で最も人口が多かった
100万人を超えていたらしい
飲み水の確保はそうは簡単ではなかったみたいだ
特に海岸近くは井戸を掘っても塩水が出る
そのために「水売り」が商売になった

「川の中ほどの水が旨い」と誰かに聞いたことがあるが
まさにその水を汲んで売っていたらしい
夏に氷を入れて売っていたとの説もあるが怪しい
氷はまさに貴重品であり、そんなものがあるはずがない

冷や水とは、沸かして冷ました水の反対語ではないかと思う
つまり湯冷ましではなく、汲み上げた水そのもののこと。
100万人の都市に流れる川は当然ながら微生物だらけ
井戸にも便所の汚水が流れ込む
〈小学校の頃に自宅の井戸水検査があり
 相当数の家庭から大腸菌が検出されたのを思い出す〉

若い者なら多少の大腸菌にも腹を壊さないが
年寄りは、大事をとって湯冷ましを飲め!
ということだと考える

と考えても、不思議おじさんの痛みはひかない
時間に委ねるしかないかと諦めて
また今夜も酩酊の世界だ

それにしても山名さん
丁子屋の鴨料理で先を越されるとは
やられましたなぁ
この店の前は高校時代に通っていても
食べに行ったことはないんですよねぇ

森総理と小泉総理が二人で来たって!
許せんなぁ


へとへと

2008年01月27日 | Weblog
久しぶりの休みが休みにならなかった!

朝の10時15分にアパートを出発
JR石井駅をかすめて農業大学校へ
桜並木とツバキ園が有名だがまだ咲いていない
山の麓につくまで40分

老体に鞭打って 自分を励まして
なんとか稜線までたどり着く
およそ標高200メートル

そこから右に折れて尾根を縦走
木漏れ日がハイキングコースに溢れて
小春日和の快適な道行

四国電力の鉄塔をいくつもいくつも通る
そろそろ目的の前川公園に降りる道があるはず
いくつかそれらしい道もあったが、
標識がないので縦走を続ける

小さなアップダウンが続く
春にはモチツツジが美しいだろう
タラノメも何本か見つけた
クロモジを探すが見つからない

いくら行っても右に降りる道がない
寒くなってきた
少し焦る
行けども行けども
下に降りられない

もう精も根も尽き果てたころ
なんとか林道に出た
そこから人里まで30分もかかった

さらにアパートまでは1時間30分
もう足も上がらない
全行程5時間の草臥れ儲けであった

ほんの100年前までの人は
旅といえば歩くことであった
これでは、旅どころではない
それでも20kmは確実に歩いた
山道込みだから 良しとしよう

風呂に入ってビールを飲んで
少し休んで買い物に出たのは良いが
両手に袋を提げて歩道を歩いていたら
ほんの少しの段差に躓いて
見事に前に倒れてしまった

手足にかすり傷
膝もしたたか打った
年寄りの冷や水とはこのことか






上には上が

2008年01月25日 | Weblog
琵琶湖特産の魚の話ついでに
こっそりと絶品の魚〈?〉をご紹介する

琵琶湖は以前にも書いたが
世界で第3番目である
何が?
大陸移動で海底がエベレストになるような
地球の大変動にもかかわらず
海水と混ざらずに淡水湖として生き続けた長さである
従って動植物に固有種が多い

といっても、不思議おじさんが子供のころに
にわかに激増した農薬によって
そのほとんどは絶滅してしまった
不思議おじさんの農薬嫌いは徹底している
おかげで、徳島の小さな畑は無残な収穫である

さてさて琵琶湖の旨いものベストワンは
いう必要もないだろうが鮒寿しである
その複雑な味は、どんなに高級なブルーチーズの
おそらくは100倍の繊細さを持つ
一言で言うなら、 比較にならない

次は氷魚
そしてウナギではなかろうか
静岡のうなぎは形は一緒だが
とてもウナギとは言える代物ではない
琵琶湖のウナギを食べてから
それでも自信があるならウナギと言ってほしい

珍品はナマズである
不思議おじさんの家では
小さな池を2つほど持っていた
水の入り口を塞ぎ、
木桶やバケツの両端に縄を結わえて
兄と二人で池の水を掻い出す
さまざまな小魚が獲れた
ほとんど水が無くなったころ
池の周囲を囲った竹組みから
次々とナマズが這い出る

母はナマズを他の小魚とともに
梅干しを入れて醤油で炊いた
箸で解すと真っ白な身が目に染みいる

そういえば、東京は新大久保にナマズ専門店がある
この店には秋篠宮が妃紀子さんと共に
婚前に食事デートした場所とのこと
〈紀子さんの旧姓は不思議おじさんと同じだが
 どうも親せき筋ではないようだ
この店ではナマズのフルコースを出してくれるが
仕方のないことだが、どれも
小さいころに食べた醤油炊きのナマズには及ばなかった

いずれにせよ
琵琶湖のウナギは最高峰
求めて確かめられることをお勧めする


450km

2008年01月24日 | Weblog
良知さんとは、不思議おじさんの従兄弟のお名前である
4歳年上だが、銀行の支店長を早期退職され
琵琶湖特産の鮎などの加工販売会社で活躍されている

そういえば、今日の出張に同行していただいた
JA全農とくしまの部長さんには
「魚冶」のパンフレットを帰り際にお渡しした
琵琶湖はいま、鮎の稚魚・氷魚〈ひうお〉漁の最盛期
釜茹でした氷魚に生姜醤油をかけて
熱々のご飯で頂けば 至福の極みというものである
氷魚くらいの大きさの飴炊きが欲しいとのことだった
「魚冶」は不思議おじさんの高校の同級生の経営だった
遠藤周作氏が好んで泊まったが、彼は10年ほど前に亡くなった
今は京都で修業した息子さんが継いでいる
ちなみに「魚冶」の鮒寿しも絶品である

話は横にそれたが
良知さんの名は「至良知」から採っている
言わずと知れた近江聖人・中江藤樹である

陽明学は、大半の人にとって知識でしかない
研究者にとっても学問でしかないだろう
しかし不思議おじさんには身に染みついている
次のような逸話を繰り返し聞かされて育った

藤樹さんのお母さんは年老いて目が見えなくなった
ご飯を炊いてお櫃〈おひつ〉に移し替えるとき
うっかり間違えてお丸〈移動式の小便器〉にご飯を移した
それを見た藤樹さんは何も言わず
真ん中のご飯をお母さんに、汚れた縁のご飯を自分で食べた

自己犠牲によって他者を傷つけない
そうすることが善であると教えられてきた
こんなことが不思議おじさんにできるかどうかは分からない
しかし不思議おじさんの行動規範としてあることは事実だ
藤樹さんの弟子の浅見絅斎(けいさい)さんの逸話も同様で
鼻紙を繰り返し使った話を何度も聞いてきた
今でいえば、モッタイナイの元祖的存在だ
不思議おじさんはバスタオルを使うのに抵抗がある
普通のタオルで十分だと思ってしまう
そんなことまで影響しているかどうかは分からない

今日は愛媛県の大洲市〈おおずし〉まで行った
隣の県とは言え、往復で450km
高速道路の縁には雪が残り
粉雪が所々で舞った

大洲市といえば?
多くの人は「お花はん」
…どんな物語だったかなぁ

不思議おじさんにとっては中江藤樹だった
祖父の養子となった藤樹が武士として仕えた場所
しかし藤樹さんは脱藩して故郷に帰り
農民に戻って年老いた母の介護をして暮らした

長くなりついでに不思議おじさんの高校の校歌を紹介する
2番に中江藤樹が登場する

1.竹生島山 影みえて 今ぞ明けゆく 琵琶の湖
 郷土の望み 負いてたつ 若き力の 湧くところ
 ああ我らの 高島高校
2.近江聖人の 植えおきし 藤の大樹を 仰ぎつつ
 真理に根ざす 日本の 文化の花を 咲かすもの
 ああ我らの 高島高校

最近 地元の人たちによって
中江藤樹の映画を作製したらしい
写真はその映像である

あぁ 氷魚を食べたいなぁ

今夜は鳴門わかめを入れた煮物を作った
「生」なので、ホンモノであろうとは思っているが…





ホッとしました

2008年01月22日 | Weblog
船場吉兆が民事再生法の適用を受けて
再建に取り掛かるとのこと

不思議おじさんが知っている人が
吉兆で大事な役割をしているとは聞いていたものの
どのお店・系列なのかは良く判らなかった
例の騒ぎのときに ご本人に聞くのも何なので
周囲に聞いたところ「船場吉兆」とのことだった
愕然とした

年明け以降の多事多難が続き
ご訂正報告とお詫びが遅れていたが
ご本人から年賀状を頂戴し
「本吉兆」であることが判りました。

しかし船場吉兆の影響を受けていること。

本吉兆を利用させていただく機会はほとんどありませんが
みなさま よろしくお引き立てのほどお願いします。



ぐるぐる

2008年01月18日 | Weblog
Of Human Bondageという小説は
イギリスのサマーセット・モームの作だ
大学1年の時の英語の教材だったが
M教授はCクラスだったから教材が違うかな?

日本語訳は「人間の絆」
しかし「絆」という言葉に
不思議おじさんは実感がなかった
生意気にも孤高でもなかろうに独りよがりで
自分を頼りにしていた人間にとって
分かろうはずもない言葉であった

絆は、糸で馬の脚をまいてしまうことに語源がある
攪拌の「拌」も同列の言葉で、
ぐるぐる回す、巻くという意味だ

自分は自分であって自分ではない
自分は、種としての人間の多様性の一部として
この世に生れてきたのであって
自分のという中身は、
大半は時代と環境によって作られている
そんなことにやっと気付いた時は
ずいぶんと年を重ねてしまっていた

「自分の考え」の大半は、実は自分のものでは無い
だからこそ、いつの間にか作られた自分を破壊して
自分が新しい自分を少しでも作らねばならない

絆という言葉を今日は2回意識した
ひとつは公式文書に記した
もう一つは、阪神大震災のテレビ番組で聴いた
同世代に生きるからこそ、絆という言葉に血が通う
過去の人間の生き様に共感はできても
糸でぐるぐる巻きにして一緒には生きられない

今朝は徳島も横殴りの雪で明けた
吹雪といっても少しも過言ではない時間があった
仕方なく自動車で2分の出勤

1時間ほどで雪は止んだ
この地では、どんなにたくさん雪が降ろうと
畑が少し白くなってすぐ溶ける

どうしてだか お教えしましょうか
この地ではどんな豪雪も
淡雪にしかならないからです。

えっ 分からないって?
お酒が足りないんじゃないですか?

阿波に降る雪です ヨ!

ぐるぐるとお酒が回る夜です。

4と9

2008年01月17日 | Weblog
飲み疲れない旨い酒
麹の香りをほのかに残しながら
キレは慄然として立っている
山名さんの銘酒 奥丹波
お陰で疲れが溶けていく

山名さんは仕込みの最中だというのに
日曜日に阿波の里に来てくださるという
http://www.okutamba.co.jp/
不思議おじさんもHPで注文している

心地よくなった夜は読書で過ごしている
完全に読み終えたと思った藤沢周平に
「決闘の辻」という文庫本があった
(しかし一回読んだかもしれないと気もするが…)
この文庫の最後の小説は「飛ぶ猿」
主人公は波四郎である

ご承知のとおり藤沢周平は
小説に夥しい人名を登場させている
(酒の話で山名さんが出たからというわけでもないが…)
誰もが気づくのは「●四郎」という名の多さ
ネットで調べると54名にも上るという
http://www.j-real.com/ta-san/fjsw/

そういえば、不思議おじさんの近所にも四郎さんはいた
「4」を少なくとも氏名で忌み嫌っていないことが読み取れる
「9」はどうだ
藤野厳九郎さんと言えば、魯迅が仙台で学んだときの恩師だ
魯迅は小説「藤野先生」を著わして師弟愛を詳述している
厳九郎さんのお孫さんに藤野明先生がいらっしゃる
不思議おじさんの大学の名誉教授だが
名著「銅の文化史」で高名を博されている
大学生協の理事長を長く務めて頂いた
年に一度は、5名程度で美味いものを頂く会を長年開催してきた
藤野明先生から、祖父の藤野厳九郎さんのことはミミタコで聴いてきた
厳九郎さんも「9」である
ちなみに九男ではない

不思議おじさんの祖父は「六郎兵衛」である
もちろん六男ではなく長男である

不思議おじさんの名は「三」がつくが
残念ながら三男である

「四」と「九」は「死」と「苦」に通じることから
現在では避けて通る数字になっている
不思議おじさんのアパートも「四」は無い

どうも江戸や明治時代には四と九が嫌われていなかったように思う
何時からこのような風習(?)が一般化したかはさすがに知らない。
6500円(?)払えば車のナンバーを選べるらしい。
4444や9999を見ることはまず無い
現代では「三」と「七」が好まれる
パチンコ全盛時代の反映か?
ちなみに弊社の社用車は1186であるが社長の趣味である
不思議おじさんは「良いハム」などと洒落るセンスは無い

なとど、数字についてあれこれ考えていたら
昨夜は寝つけずに朝になった

火事の日は「九」であった

教訓

2008年01月16日 | Weblog

昨年の10月不思議おじさんは会社で一つの指示を出した
消火器の配置場所を全員が知っていること
その使い方を全員が知っていること
ところが、養豚場で火災が発生するとは…

家庭における防火にも役立つこととして
トラッキングでもヒューズが落ちるブレーカーがあるとのこと
トラッキングとは、たとえば中途半端に差し込んだプラグの
プラスとマイナスの金具の間に火花が散る現象
そこに埃が溜まっていれば発火する
その場合でも既存のブレーカーはヒューズが落ちない
トラッキングが原因の火災は年間1000件を超えている
トラッキング対応のブレーカーに交換することをお勧めする
農場では、焼けた第一育成豚舎以外のブレーカーを交換する

 もうひとつ
プラスチック素材など燃える可能性のある断熱材を使用しないこと
代替品は、断熱ペンキである
発泡ウレタン10センチ以上の効果が得られる
火が出ても、燃えるものが無ければ良い
単純な話だが、現実にそうすることは難しい
しかし、北海道を除いてはじめて建てられた環境コントロール豚舎は
そのポリシーで再建される予定
断熱ペンキは、民家でも活用できる

滅多に鳴らなくなった携帯の着信音が鳴る
「市松ロケット」は、NHK衛星放送・加藤晴彦の番組テーマ曲だった
もちろんスカポンタスの代表曲
(以下のアドレスで購入できます)

http://vmd.jvcmusic.co.jp/-/TrackDownload/VICL-61259/4.html
しっかり音楽を聴いてから電話をつなぐ
韓国からであるエスコープ大阪のHPを見た河●㝢さんから心配の問い合わせ
と思ったら、東京の親しい方からもお電話を頂いた

京都の生協の皆様を農場にご案内した帰り道、
さまざまなお話の中で
年をとると涙もろくなることで話が一致
困ったものだが
順調に歳をとっている」との結論で一致した

夜の会議は製造計画がテーマ
後の対応についてはほとんど対応を終えたが
製造は原料豚の手当てで
今までにない複雑な見通し計算が必要
目頭など熱くしている場合ではない

みなさん、ありがとう


底冷え

2008年01月15日 | Weblog
今夜の冷え方は尋常ではない
しかし考えてみればチョロイものかもしれない
小学校への通学路には、子供のための雪囲いがあった
吹雪での遭難に備えて大人たちが毎年作った
降り積もった雪が昼に少し解け
夜にまた表面が凍るので
雪の上を歩くことができた

家の前を流れる小川は
家の中に取り込んでいた
「川端(かばた)」である
おじさんの家では、家の外にも川端があった
鯉が泳いでいた
鍋釜や野菜を洗った
小川を跨いで、雪囲いを父が作っていた
そこに洗った赤カブラなどを差していた
とにかく、今以上に寒く冷たかった

道の整備のために2反ほどの田を掘り起こし
トロッコで土を運んでは道路にしていた
芥川龍之介の小説のように
毎日トロッコで遊んだ
10メートルも掘り起こした後の田に水が溜まり池になった
冬に表面が凍ったので近所のガキ共が載って遊んだ
もちろん不思議おじさんも一緒である
皆が一点に集まった途端、氷は裂けた
長方形の池なので短い縁に行けばよいのに
あるガキは、肘で氷を割りつつ長辺沿いに進んだ
もちろん(残念ながら)不思議おじさんではない
その後は、田に積んである藁を勝手に燃やして
暖をとりながら衣服を乾かした
(どうやって火をつけたのだろう?)

万葉時代には、琵琶湖の一部は凍ったらしい

毎日の通勤の後ろ歩きは寒い
陸上選手が着るような丈の長いコートを求めた
実は大阪はドブ池の萬●で買ってもらった
なんと3000円である
お陰で一日に2往復のひと時は暖かい
今朝は「変なおじさん」に出会った
早朝から詩吟を朗々と歌いながら歩いていた
まぁ不思議おじさんのほうが「変度」では勝ちである

10年以上も前だろうか
大阪と奈良県の境にある金剛山に
冬に一人登った
誰もいないと思っていたので
「津軽山唄」を思いきりの声で歌った
角を曲がったら、下山者に出会った
バツの悪いこと

遠方からもお見舞いのお客様がいらしてくださる
すでに復旧の鎚音が響いている
未曾有の大惨事は、写真でしかお見せできない
一様に、想像されていた以上の事態に驚かれる

支えてくださり、復興を期待していただいている皆様に
報いることができるのは、正直で真正面からのモノづくり
従業員全員で集まって確認した

非日常

2008年01月14日 | Weblog
火事について思い起こしてみる
小学校の頃に同級生の女子(名前は忘れた)の家が燃えた
藁屋根だったのを鮮明に覚えている

高校に入学して2週間目
陸上競技部に入部して練習を終えて帰宅していた
鳴り響くサイレン 黒い煙が北に見える
自転車を漕ぎ続けてたどり着いたのは わが高校
自衛隊の戦車が出動して講堂への渡り廊下を砕いた
夕闇せまる春の暮色に オレンジ色の記憶が重なる
おかげで講堂だけが焼け残り、ベニヤで仕切った部屋で一年間勉強した

大学に入学してすぐ、剣道部、相撲部(当時はあったのだ! )などの
武道棟が焼けた
結婚して住んだ団地近くで工場が全焼した
最近では、3年ほど前に自宅近くの民家が燃えた

阪神大震災による火事は 現場は見ていない
物見遊山は不謹慎との思いが強く
現場に入るのは遅れた

今夜は、わずかに三日月が空にあった
それだけの光では 
不思議おじさんの通勤路は
闇の中に沈んでいて判然としない
恐る恐る 腰を引いて一歩ずつ歩く 
携帯の光を頼りに 田畑への転落を防ぐ
後ろ歩きどころではない
前に歩くことさえ覚束無い
これほどの闇は 都会では味わえない

非常時である
日常が断絶し
いつもと違う課題が山積している

日常は愛すべき平安を約束する
非日常は、曖昧な関係性を明白にする

暗闇の真っただ中を家路につく
遠くの街灯や家のの明かりが
わずかに道を照らすのが頼りだ

ご心配をおかけしたが
当面の事業計画も見通しがつき
農場も再建のめどが付きました
お心を寄せていただいた皆様に
深く感謝申し上げます





希望

2008年01月10日 | Weblog
阪神淡路大震災の被災地の光景は
一生忘れられぬ凄まじさだった

そして今日のおぞましい場面場面も
生涯心の底に膿のように残り続けるだろう
タンパク質の焼け焦げ臭にわずかな死臭が入り混じり
独特の臭いが体にへばりついたまま取れない

40人以上の応援の方々が駆けつけてくれた
焼けた豚房から一頭ずつ廊下に引きずり出す
足にロープを掛けて外に出す
最大は110kg以上
4人がかりで引っ張らないと動かない
引き出した豚をユンボでトラックに載せる
4台のトラックが処理場まで往復する

その光景を写真に収めたがとてもお見せできない
腹が割れて腸がはみ出した豚も少なくない
悪臭と重労働に耐えて 皆が黙々と働く

4時過ぎに全ての豚を出し終えた
農場長が「涙が出るくらい嬉しい」と
駆けつけてくださった皆んなに挨拶したとき
思わず目頭が熱くなってしまった
知らぬ顔で 皆んなの履物を揃えて誤魔化した

死んだ豚を出し終えたので
やっと生き残った豚に餌をやる通路が空いた
給餌ラインは焼けているため、袋詰めして運ぶしかない
豚君たちは、むさぼるように食べていた
生死を分けたのはわずかな差
生き残った豚君たちよ 元気に大きくなってほしい

難事に重労働を覚悟して駆けつけてくれた人たち
関西弁でいえば、ごっつうしんどい仕事を
悪環境を厭わずやり終えてくれた人たち
これを希望と言わずしてなんと言おうや

農場の後処理、当面の復旧策、恒久的対応
工場の原料豚確保の見通し 不足分への対応
いくつもの課題が短期間に重層的に押し寄せている

さまざまな思惑が交差する中で
信じてもらえる方々の存在こそ
新たな再開への意志の源泉となる

真正面を向いて歩いて行こう

写真は生き残って餌をねだる豚君


試練

2008年01月09日 | Weblog
年間出荷頭数約9000頭の
我が社グループの豚舎が火事になりました
約1000頭が死にました
ほとんどは断熱材ウレタンの燃焼による
有毒ガスを吸い込んだものです
もっともよく焼けたところでは
さすがに豚も真っ黒になっていました
これもウレタン燃焼の煤によるものが大半でした

お見舞いをいただいた皆様 ありがとうございます

幸いにも人の被災はありませんでした。
また風も無かったので、類焼・山火事もありませんでした。
被害は甚大ですが、母豚舎ではなかったので
豚自体の出荷回復は半年以内に可能です

生き残った豚への給水、給餌が緊喫の課題です
次には、母豚舎から出てくる子豚の受け入れ場所の確保です
そのために1000頭の死んだ豚を豚舎から出さねばなりません
豚舎を壊せないので、人力で引き出します
明日は大勢の方に助力をお願いしています。
想像を絶する厳しい作業になります

次には燃えた部分の撤去です
さらに給餌装置の修理とともに
豚舎の再建築が急がれます

さらにオリジナル豚の代替について
各方面にお願いしなければなりません
会社を潰すわけにはいきません
会社をつぶせば、再開もできません
多くの方の期待を背負って
何があっても頑張り抜かねばなりません
支えてくださる皆様の寛いお心にすがるしかありません

累々たる死んだ豚が
瞼を閉じても浮かんできます
ウレタン燃焼のガスを吸って
頭痛、吐き気もなかなか止まりません

会社のHPにブログ欄がないので
取り急ぎのご報告です
写真はたまたま豚のいなかった部屋の内部です
ご心配をかけて申し訳ありませんでした。





季節を花で感じる

2008年01月08日 | Weblog
動物園は多くの大人にとって退屈な場所である
ところが、ある方法を用いると
とても面白い場所に変わるという

例えば5頭のシマウマを漫然と見るのではなく
その中の1頭だけを見続けるのである
すると「種」としてしか見なかったシマウマの
生態の一端が見えてくるようになり
個性が浮かび出てきて、
シマウマにもいろんな性格があることが分かると言う

ところで「一番好きな花は?」と問われて
なかなかに即答はできるものではない
不思議おじさんの場合は 理由抜きでヤブツバキである
冬の山道で見かけるヤブツバキは
万物枯れて物静かな山に密かに灯っている

蕾が開きかけたその一枝を頂戴する
小さな古備前にでも挿せば最高だが
ありあわせの湯飲みでも結構
2,3日もすれば蕾が膨らみ開花する
さらに2,3日は机上を明るくしてくれる
一冬に一枝・一輪だけ頂いて楽しむ

徳島はもちろん、大阪の自宅でも水仙が香っている
枇杷の花が強烈な臭いを発している

不思議おじさんにとっての春告草は
オオイヌノフグリである
この暖冬だと
2月にも青い宝石が咲くかもしれない