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松尾芭蕉の自筆本である。
1996年にその存在が明らかになり岩波から出版された
それまでは蕉門の達筆家・素龍に清書させた芭蕉所持本や
同じく素龍清書と推定されている柿衛文庫蔵の別本が知られている。
また同行者の曾良が定稿になる前に芭蕉草稿から筆写した曾良本がある。
大半の研究書は素龍清書版をベースにしている。
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月に一回、古典の原書を読む会に参加している。
わずか5人のささやかな勉強会。
国道2号線に面した梅田第2ビル6階に母校の施設があり、
そのロビーは無料で利用できる。
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窓から外を見れば大阪を代表する歓楽街・北新地である。
ついこの間までは近松の曾根崎心中を読んでいたが
まさにこの場所が浄瑠璃の舞台であった。
さて「おくのほそ道」は芭蕉の紀行文であることは知られているが
読めば読むほどその平明にして簡潔な文体に驚かされる。
俳句は究極のそぎ落としの文学だが
文章そのものの魅力に改めて惹かれる
解説文よりも本文を読むほうがはるかに分かりやすい。
そもそも「おくのほそ道」は芭蕉46歳の3月に江戸を出て
8月下旬に大垣に至る旅を題材にしている。
旅から帰った芭蕉は、推敲に推敲を重ねて紀行文を書き上げた
刊行されたのは旅から5年経った彼の死後のことである。
その推敲ぶりは様々に検証されていて興味が尽きない
要は、「おくのほそ道」は単なる俳句入り旅日記ではないということだある。
創作と思われる寓話も多く採りこまれている。
推敲の過程で創作された有名な俳句も多い。
旅から帰った彼は、曾良の書いた日記も参照しながら
全くの創作小説・紀行文としてこの文章を仕上げた。
不思議おじさんは「奥の細道」というふうに題名を学校で習ったが
いま学校では「おくのほそ道」という題名で教えている。
これは芭蕉真筆本が出現したからである。
まぁこんな道楽をするために月に一回は大都会に出て
北新地駅または西梅田駅周辺の居酒屋で飲んでいるわけだ。
因みにその5人のうちの一人は、まもなく「新五代友厚伝」を著す。
大学100周年事業の記念出版である。
不思議おじさんとは55年にわたる付き合いで
マージャンに釣りに飲み会でとよくもまぁ飽きずに続いたものだ。
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呑み明かした帰り道は、泉州地方の秋祭りの提灯が路地を照らす。
さて日曜日は「淡海節全国大会」で堅田へ。
今年は予選免除なので有難いことである。
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