後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

淡海節(馬子唄入り)

2015年03月31日 | Weblog

3月の最終日曜日は恒例の和泉市民謡連合会発表会
不思議おじさんは10回から参加している
今年で34回大会になるとのこと


トルテ君もプログラムを見ている
伴奏の鳴り物の欄に不思議おじさんの名が載った
プログラム編集は昨年末 氏名掲載をお願いした
自らにプレッシャーをかけるため
まぁ当日はいくつかの間違いはあったが
大過なく伴奏をあい努めることができた


一日で100曲を超える発表会だが
わが師匠(80歳)が過半の曲の伴奏を務められた
赤い毛氈に座っているのがわが師匠である
不思議おじさんも6曲の伴奏をした

唄ったのは「淡海節(馬子唄入り)」
滋賀県出身の不思議おじさんの地元の唄である
お座敷唄ではあるがなかなかに難しい曲だ
馬子唄は「小諸馬子唄」の2番の歌詞

手綱緩めて花の路 帰りゃ
鈴に浮かれて 勇む駒(馬のこと)
ドウ ドドドドウ
青よ 鳴くなよ もう家ゃ近い
森の中から 灯が見える

花が散る 里の夕暮れ

舞台には魔物が住んでいる
太鼓の楽譜では間違ったページを開いてしまった
打ち始めれば途中でめくることができない
唄では「花が咲く」とやってしまった
調子が良かったのが災いした
うっかりである

サンケイホール、厚生年金ホールなど
大阪の大きな舞台で唄ってきた不思議おじさんだが
まだまだ新人である



春はタラの芽から

2015年03月30日 | Weblog

不思議おじさんの住まいから直線で150m
用水路の土手に一本のタラの木
枯らさないよう毎年少しずつ頂いている
2番芽まで採ると木は息絶える

天麩羅にすると勿体ない
さっと湯がいて味噌で和える
お酒の肴にもってこいだ

タラは荒地にいち早く生える
台風で杉がなぎ倒された奈良の山で
一面タラの気で覆われた光景を見たこともある

もう30年前だがこの時期は毎年採取に出掛けた
場所は大阪と和歌山を隔てる和泉葛城山
一目でタラの木と分かる眼力を養った
ここ10年は四国の阿讃山脈に通っている
標高450mの山奥


海棠桜が咲き始めた
毎年参加している海棠の会は2週間後
西行終焉の地で国内で最も古木とされる海棠を愛でる
裏山で持参のお昼を頂き 麓の街で暫しの宴会を楽しむ
去年はスタップ細胞の話で持ち切りだった
一年のが経つ速さを改めて実感する


イトスイセンが満開だ
別名ニオイスイセンまたは黄水仙とも呼ばれる
雑然としたわが庭に似つかわしくなく
高貴な香りを密かに漂わす
皆様にもむぜひ育てて頂きたい花の一種である


枝垂れ桜も花をつけ始めた

近くの公園のソメイヨシノも3部咲き

昨年も書いたが 4弁の花を探す
意外と容易に見つけることができる

「よくできました」との桜のハンコは5弁の花
しかしすべての桜の花は5弁ではない
クローバーにも4つ葉、5つつ葉…がある
松の葉にも3鈷(こ)…3葉がある

思い込みは他者を傷つける武器になる
思い込んだ人が権力を持つと危ない

そういうことだってあるんだ
いろんなことがこの世にはあるんだ
それは事実としてあるんだ

そういうことを許したくない人たちもいる
怖いねぇ

桜咲く枝をよーーく見つめてください
きっと4弁の花を見つけることができるはず

新しい花の楽しみ方になるかもしれません




白楽天に寄り沿う

2015年03月24日 | Weblog

いきなりの漢詩である
高校時代は授業を通して随分親しんだものだ
ところがそれ以降は疎遠になっていた

ある契機から岩波新書の「白楽天」を探し求めた
現在販売されているのは河合氏によるもの
「白楽天-官と隠のはざまで」である
不思議おじさんが求めたかったのは片山哲氏の著書
「大衆詩人 白楽天」である
結局 隣の堺市のの図書館で借りた
この書には郭沫若氏が長文の推薦の序を寄せている
(郭沫若学会を日本で立ち上げられたのは
 我が大先輩の岩佐先生である)

片山さんは不思議おじさんがまだ赤ちゃんだったころの首相
初代日本社会党の党首で首相となったが
GHQ管理下でもあり、社会主義を理想的に実践しようとして
現実と理想のはざまで失脚した
つい先日の民主党政権の先駆けみたいなものか

陶淵明にならう16篇の12番目の詩むから
片山氏は次の4行を抜き出して
まえがきで「まことに愉快だ」と紹介している

愛酒不愛名  酒を愛して名を愛さず
憂寒不憂寒  醒むるを憂えて寒さを憂えず

人間榮興利  人間社会の栄と利
擺落如泥塵  そんなものは払い落しても平気である

我が家の庭も賑やかになってきた

深紅の椿が物思いに耽って首を擡げている

白の椿は誇らしげに天を向いている
しかし間もなく茶褐色に衰え花は地に落ちる

幸及身健日  幸いにもまだ体は健康だ
當歌一樽前  まさにお酒一樽を前にして
何必待人勸  なんで必ずしも人の勧めを待つことがあろうか
持此自爲歓  これをもって(酒を飲むことで)自ら喜びとなそう

これは自堕落と言えば自堕落
達観と言えば達観
ところが白楽天は酒は弱かったようである
字句のままに受け取ると 危うい


海棠桜も間もなく咲きそうだ
江戸時代は特に愛でられた花のようだ


サクランボの下を日々草が敷きつめるように生えている
青い花が密かに庭に宝石を散らす


クリスマスローズの右横には黄色のイトスイセン
素晴らしい香りを放つ


自慢のナニワノイバラも花をつけ始めた

今年の春は早い

白楽天の詩は尽きること無く続く
時の政治を風刺し 
戦争に駆り立てられる人々に寄り沿う
重税にあえぐ人たちや
戦争に夫を盗られた女性の心をうたい
世間 世事から離れた悠々自適の心境まで
迷い迷いながら生きてきた様がうかがえる

「大衆詩人」なのかどうかには異論があるが
共感する(共感したい)詩が多彩に埋め込まれている

共感して自らを慰めるという行為には
拒否感を持ちつつではあるが…







ぼちぼち いきまひょか

2015年03月23日 | Weblog

昨日は久しぶりの民謡コンクールに出た
発表会は年に何回もあるがコンクールにはあまり出ない

何十年も同じ経験をしても
舞台への出番を待つ緊張感は半端ではない
琴奨菊並に胸を反らして深呼吸

コンクール名は「奈良県の民謡全国大会」

奈良県の代表的な民謡5曲のいずれかにエントリーする
奈良県の民謡??
普通の人は多分一曲もご存じないだろう
①吉野筏流し唄…67名
②元唄吉野木挽唄…15名
③奈良子守唄…31名
④初瀬追分…14名
⑤吉野木挽唄…50名
それに少年少女の部に17名
総勢177名によるコンクールだ

場所は天理市民会館の「やまのべホール」
不思議おじさんの自宅(和泉市)から高速経由で50分
山の辺の道の起点、石上神宮のわきを通り
天理教本部と天理大学・高校の間を通ればすぐだ
この日は天理大学の卒業式だったようで
女性の晴れやかな卒業服(ほぼ100%貸衣装)が街に溢れていた
不思議おじさんの最後の職場が大学だった
秋になれば女性用の卒業衣装は
貸衣装屋さんが校内で常設展示・予約受付を行っている
あの衣装も悪くはないが
風潮に流されず、自分らしさを表現して
卒業にふさわしい衣装もあるのではないかとも思う

さて不思議おじさんは「吉野木挽唄」で挑戦
白状すれば 大いに自信があった
入賞はもちろんのこと、決勝にも残れると思っていた
衣装も着替えずに待っていた
(こう見えても一人で角帯も締められる
しかし審査結果の放送では名前を呼ばれなかった


まぁ実力不足なのだが
さすがに気落ちして気分は良くない


寒さがぶり返してきたので今日は畑仕事もお休み
庭で摘んだ新芽が美味そうだ
ユキノシタ、ヨモギ、三つ葉
それに100円で買ったいわしを開いた
天麩羅を揚げながら早い夕食である
まぁ年金生活にふさわしい「一人前50円食堂」である
もちろんアルコールはしっかり楽しんでいる

写真右上にはトルテのおやつ
イワシの骨をフライパンで炒ったもの

生活臭が写真から臭ってくる

まぁ ぼちぼち いくしか しょうおまへんなぁ

米朝さんご逝去

2015年03月20日 | Weblog

ご近所の白木蓮が満開だ
電車通勤のころはいつもこの木の下を通った

米朝はんがお亡くなりになった
ある時期、約10年間ほど 毎年お会いした

ずっと前、勤め先で「米朝一門会」を企画した
地域文化企画の一端を担おうとの基本提案に
不思議おじさんが企画提案したのが落語
5年間ほどは企画、交渉、広報、運営を担当した

当初 700席の会場は満員が続いた
大きなニュータウンでの開催とはいえ
さすがに5年間ほど続くとマンネリ気味になる
福祉施設の皆さんをご招待もした
しかし結局は10年ほどで終了したかと思う

開演前の楽屋は緊張感で張り詰めている
若手の噺家は開演前も座席を歩き回り
ネタ繰りを繰り返して行っていた
あの雀三郎さんの人を寄せ付けない真剣な目つき
人の前で お金をもらって喋る
プロの姿をいつも見せてもらった

米朝さんは毎年必ず高座に上がってもらった
その他の噺家は年によって入れ替わった
楽屋には担当の女性がお茶やお菓子をお持ちした

ミーハーな不思議おじさんも 
さすがに張り詰めた緊張感漂う中では
楽屋の前は通るものの目礼だけで
話もせずに通り過ぎるしかなかった
10年ほどもお会いしていながら
サインの一枚も頂いていない

自殺された枝雀さんにももちろんお会いしている
電車で会場に来られていた
毛糸の帽子を被って何気なくおいでになったので
不意を突かれてびっくりした記憶がある

ある回のこと 米朝さんが高座に上がって話をはじめられた
暫くして当時の小米朝(5代目桂 米團治)さんが袖から舞台に
何んと 米朝さんが手拭いをお忘れになっていたのだ
翌日 何気なくラジオを(多分車で)聞いていると
「うちの親父が 手拭い忘れて高座に上がってしもたんや」と
世間に暴露されていた
懐かしい思い出話

ところで不思議おじさんは落語好きだ
もっとも好きなネタは6代目笑福亭松鶴の「らくだ」
1時間に及ぶがほぼ喋ることができる
もちろん落語にはなっていないが…
米朝さんの「らくだ」も悪くはない
悪くはないが、米朝さんには気品がありすぎて
酔っぱらって悪態をつく屑屋にはなり切れない
どちらのCDも繰り返して聞いたものだ



もう40年も通っている道なのに
不思議おじさんの家から600mくらいの場所なのに
こんな銅像が道際にあることに気づかなかった

石碑によれば「嶋田安治郎」とある
ウイッキでは「嶋田安二郎」になっている
明治から大正にかけての教育者とのこと
その孫が、高石市や大阪市で福祉事業を行っている

室町時代に鹿児島から高石に居を構え
農耕と油搾りで屈指の豪農となったようだ
御室(仁和寺)の門跡・法親王が嶋津家へ立ち寄る際
嶋津家から「とろす池)までの450mの道に
白布(恐らく絹)を敷き詰めて迎えたとの逸話があるそうだ
因みに「とろす池」は今はもう無い
先日もこのブログで触れたが
清少納言や藤原定家が立ち寄ったとの記録もある
しかし第2次世界大戦の食糧不足時に埋め立てられた

西南戦争時、薩摩藩の残党は徴用されるとの噂が全国に広まり
嶋津家は「嶋田」に姓を改めたとのこと

嶋田安治郎さんがこれほどまでに顕彰された理由
精励 恪勤 孝順…(あといろいろ書いてあったなぁ)
不思議おじさんの価値観とはちょっと違うみたいだが
他者に敬われるだけの人の厚みがあったのだろう

そう 
人との付き合いには
リスペクトが前提としてなくてはならない

他者を貶ることに快楽を感じる
それでは人との関係は結べない

トルテ君との散歩は地域発見
トルテ君との散歩は地域の人の観察


晴耕雨鼓

2015年03月17日 | Weblog

大阪では土が乾く暇なく断続的に雨が降った
やっと2日続きの晴だったので畑仕事
借り物の耕運機で畝を立てた
故郷の次兄から送られてきたサトイモ2種
水が少ない畑なので生育が心配だが
目出しせずに直植えした

余った畝に「十勝黄金」を植えた
最晩生の品種で長持ちする
結局メークインは畑が足りず(計算違い)
食用に回した


初めてマルチを買って草を取ってから張った
道向いの畑知人からもらったイチゴ16株
定植して2か月経った 
そろそろ花が咲くのでマルチをして保温
実を着け始めたらネットでカラスから守らねばならない
(ところでこの写真手前の緑のケース
 大昔にベルギービールChimayを飲んでいた時期があった
 今から考えれば身の程知らずの贅沢
 その名残が椅子替わりになっている)
 

早生の玉ねぎはほぼ順調に育っているが
立派なのやらヒョロヒョロの小さいものも…
雑草まみれだったので最後の1時間は草取りに
道の駅ではもう早生物が出回っているが
不思議おじさんの畑では5月中旬ころだろう

バイクで牛ふんを買い求めたのが今朝の9時半
ゼロ半の愛車も4袋を積むとハンドルがふらつく
耕運機にガソリンを入れて畝づくり
(携帯用ガソリン容器は高かった!!)
すでに石灰や元肥を入れてあるので畝を立てるだけでよい
この作業を昨年は備中と鍬でやって腰を痛めた

一連の作業が終了したのが3時半
その間 500ccの塩水いりペット2本のみ
6時間ほぼ休憩無し
下着とシャツの2枚のみだが汗が出る
我ながらよくやりますなぁ

何も考えることなく 
黙々と作業を続ける
心身に抱える情けなさも苦しさも
畑仕事をしているとすべては霧散する

畑仕事は自らに土をかけて地に埋め
密かに呼吸を整えさせてくれる
 ※果たして芽が出て実がなるのか??!!

さて様々な民謡大会が近づいてきた
明日の午後は雨
太鼓の練習に磨きを掛けなければならない
充分に練習してきたつもりだが
本格的な舞台で伴奏するは初めてのこと

「太鼓は叩きに行ってはならない
 太鼓は転がすように音を出すもの」
わが師匠の教えは見事に当を得ている
少しできるようになるとその意味が鮮やかに光り出す






落ち着かない気分だなぁ

2015年03月12日 | Weblog

氷魚(ひうお)を食べたいなぁ
炊立てのご飯 生姜醤油をかけた氷魚
不思議おじさんが子供のころは
何んということはない朝ご飯だった

氷魚(ひうお)とは鮎の稚魚のこと
釜揚げして食べる 日持ちはしない
そんな気持ちを何となく家を継ぐ次兄に伝えたら
兄嫂が氷魚を山椒で炊いて 豆の煮ものとともに送ってくれた
里芋の種芋(青芋・赤芋)
フキノトウも同梱されていた
フキノトウは天麩羅に
3個ほどは湯通しして微塵に切り、味噌に練りこんだ

天麩羅は確かに美味い が
持ち味を殺してしまう
タラの芽もそうだが味噌に練りこむと
風味が一段と高くなる


海棠桜も新芽が噴出した
そういえば ちょうど一年前のこの時期は
スタップ細胞のことで大騒ぎだったなぁ
その後
関係者が小妻の知り合いだったので
唖然として吃驚したものだった

時は移ろい
世の中は変わっていく

「変わらないのは
世の中は変わるものであるということ」
事あるごとにそう言っていたオッサンがいたなぁ
毎日テレビ某アナウンサーの父親だったが…

いまてもお変わりなくお元気だろうか



春の気配 息吹 足音はしているが

2015年03月09日 | Weblog

もう老木のように風格が出てきた我が家のサクランボの花が咲いた
この花が咲くと春の生温い雨が降る


大阪湾はその昔「茅渟(ちぬ)の海」と呼ばれていたとのこと
淡路島と大阪府の陸地に囲まれた海を指す
川が多く流れ込み栄養分が豊かなので魚が多く獲れた
その代表格が「黒鯛」 大阪ではこの魚をチヌと呼ぶ

この時期、明石海峡を越えて瀬戸内海に入ると
魚屋さん、スーパーの鮮魚コーナーはお祭り騒ぎになっている
「イカナゴ釘煮」のためのイカナゴが大量に販売されている
「釘煮」はイカナゴを醤油、みりん、砂糖、しょうがで煮込む
家庭ごとに味付けが微妙に違うらしい
掻き混ぜず、煮込み汁を掛けながら煮付ける
その結果、イカナゴは錆びた釘のように佃煮になる
ご近所、親類に配り歩くのが風習となっている
因みに「釘煮」は伍魚福さんの商標登録なので
他メーカーが迂闊に使用すると問題が起きる可能性がある

このお祭り騒ぎは近年、大阪南部にも伝染している
近所のスーパーを覗くと目立つところにイカナゴを置いている
季節感を出す商材として打って付けなのだろう

ご存じのとおり不思議おじさんは郷土愛・地元愛が強い
生まれ故郷の滋賀県西北部への郷愁はもちろんのこと
長年住んでいる大阪南部(泉州)は地元そのもの
学生下宿時も合算すれば40年以上も住んでいる

同じ近畿地方でも「イカナゴの釘煮」は神戸のもので
泉州のものではないとの意識がある

今日は、地元泉州の道の駅で魚類を求めた
左のパックが「ミミイカ」 細くて短い脚の吸盤が可愛い
丸のまま煮付けた スミが出て真っ黒になったが味にコクが出て旨い

右のパックが大阪では有名な「ガッチョ」
まだ小さいが、頭を取って空揚げにした

いずれも岸和田漁港で水揚げされたもの

話は横にそれるが 「唐揚げ」表示が罷り通ることが気に食わぬ
「日本唐揚協会」なる団体は公式に「唐揚げ」との表示を支持している
歴史上では「唐揚げ」が古いとされるいるようだが
あの「読売新聞」でさえ「空揚げ」表示だ

古書に出る「唐揚」は揚げて煮た別物の食い物
現在の「から揚げ」とは似て非なるもの
「唐揚げ」との表示が罷り通る背景には、
舶来のものは全て中国(唐)からとの錯覚が齎している

不思議おじさんが30歳を過ぎて食べ物にかかわる仕事をしたとき
河野友美さんの「台所の科学」を熟読した
食べ物の油・脂が水分に置き換えられる
だから「空揚げ」なのだとその本で教えられた
※改めて調べると河野先生は
 不思議おじさん出身の大学で教鞭をとられていたようだ
 どこかでお会いしていたかもしれない
 不思議なご縁に思いを致した


クリスマスローズを地植えしていたら満開になった
クリスマスでもないのに咲くのはいかがか
実はこの花 「ヘレボルス・オリエンタリス」の一種
ハルザキクリスマスローズである
日本ではこれらもすべてクリスマスローズとされている
花と見えるのは萼片(がくへん) 茎や根に毒性を持つ

時の巡りは止められない
いつ踏みつぶされるかわからない小蟻には
時の移ろいも無常・無情の念を思い起こさせるのみ






日本民謡って何曲あるの???

2015年03月07日 | Weblog

いやぁ参ったなぁ
川柳を詠んでみたいとは思っていたが
これは川柳なのか 俳句なのか
「閑と忙 あいうらやみて 夜しみる」
大学、職場で少し時をずらした中国語専攻の同輩
今は毎日富士山を望む街で時を紡いでおられる
それで 不思議おじさんのことだ
他人様からみれば「閑」の権化のようなものだ

人のお役に立つ
恐らくは間違いなくこれが生きがいになる
しかしだ
「人」のお役ではなくても 「何か」のお役に立つこと
それが生きがい 生きることの支えになる
それは学問だったり、文学や歴史の追求だったりもする

改めて言う しかしだ
何も人は人のためにだけ生きているわけではない
植物や動物、石や菌類のことを念じて生きていることもある

不思議おじさんは生活時間の半分はトルテに捧げている
残った時間の3分の2は民謡太鼓の練習だ


今日も貝塚市まで太鼓の練習に出掛けた
大阪でも有数の民謡歌手であり津軽三味線の名手
もう25年来のお知り合いだが
「太鼓の楽譜はどうなっているのか見せてほしい」と言われた

すでに書いた通り不思議おじさんの太鼓の先生は80歳
美鵬駒三郎氏の直弟子である
間違いなく 不思議おじさんは最後の弟子である

ところで日本民謡はどれくらいの曲数があるのか
そもそもどんな曲が民謡と呼べるのか
答えは定かではない 
一説に曲数は58,000曲と言われている

民謡は「謡」だから 声を出して唄うものである
それを華やかにサポートする楽器がある
三味線がその一つ
これも津軽三味線と秋田三味線に分かれる

さらに尺八は独特の音色を添える

何かの折に民謡を唄うというと
手拍子を打たれて困ることがある
民謡の分類の一つに「手拍子の有無」がある
尺八唄は普通は手拍子を打たない

だからと言って「拍子」が関係ないわけでもない

これは師匠から預かっている拍子木

これは舟を漕ぐときに軋む櫓の音を出す道具
その他にも 鈴音、鉦音、槌音など多様な鳴物がある


太鼓の中でもっともポピュラーなのが「締太鼓」(しめたいこ)

このような道具に掛ける
胴の紐をきつく締めると高い音が出る

これが「平太鼓」(ひらだいこ)

平太鼓を乗せる器具は分解できるようになっている
家庭での練習は近所迷惑をおもんばかり
下に座布団、上にバスタオルを置いている

日本民謡を30年、40年やってきた人でも
日本民謡の太鼓について詳しく知っていることは少ない
ということかぜ最近分かってきた

太鼓をはじめとする鳴り物を通した日本民謡の理解
なかなかに興味をそそられている

まあボケ防止の道具の一つには違いない

太鼓の師匠は80歳
近所の民謡の師匠は88歳である

3月22日は「奈良県の民謡大会」天理市
3月29日は「和泉市民謡大会」
4月1日は地区の老人会総会における発表会
4月12日は「産経民謡大賞予選」
4月26日は「大阪楽謡会民謡発表会」

なかなかに忙しい
閑というへきか 忙というべきか




春など 別に来なくてもいいんだけどねぇ

2015年03月04日 | Weblog

和泉市はもともと柑橘類・温州みかんの産地であった
幟上げ音頭にも「横山みかん」が唄われている
低い丘陵が連なる山間地
それは「近代」が生み出したゴミの捨て場にも好適であった
日本の多くの里山・谷地が「近代」を陰で支えてきた
瀬戸内海の豊島などがその典型例だ
目を見開けば
身近にもいくらでも見出すことができる

リサイクル公園とは奇妙な名付け
蜜柑がたわわになっていた丘陵地の谷間を
(近代」の産業が排出したごみで埋め立てた
何も過去のことではない
いまもすぐ近くで埋め立ては進んでいる

埋立地の一部が埋め立て業者が運営する公園になっている
罪滅ぼしというのか 何か倒錯した気分になる

地場の野菜を求めに行くときこの公園の横を通る

造られた「自然」
何か空しい


遠くに金剛山を望む
今年はまだ登っていない
去年もだ
腰を痛めた身では
もう登山は適わないかもしれない
500gの重りを付けて
トルテと散歩に出る