後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

一年

2010年02月28日 | Weblog
サクランボが開花した
まだ2月だというのに
確かにこの木は早く咲く
それにしても早すぎないか?
不思議おじさん宅には2本の桜がある
一本は毎年、甘い実をつけるこの木
もう一本は4年前に購入したしだれ桜
娘の名も孫娘の名も「桜」に因んでいる

さて 明日から3月だ
一年経った
新たな職場での日々

昔の衣を脱ぎ捨てたつもりだったが
自尊心は容易に剥ぎ取れない
今まで作ってきた鎧で身を守ろうと
そんな思いは無くてもついそうしてしまう

まっさらな自分でいること
「今」の自分でやりきること
過去の自分を頼りにしないこと
それでこその「実力」というものだろう

100枚の花の写真を
一年間に載せようと思ったが
ちょっと忙しすぎた
心がくたくたに疲れる仕事
それに長時間の拘束
年寄りにはちょっと辛い

そんな不思議おじさんを
庭の木や草花が刺激する
おいおい ゆっくりしてると
写真を撮り逃すよ!

今日は5種類も撮ったが
まずは桜前線の話題が第一だろう

確定申告したら
お金を取られることになった
トホホホホ





杓子定規

2010年02月20日 | Weblog
ある大学の職員からぼやかれた

学生のアルバイトには交通費を払わないという
定期等で交通費は払っているとの前提である

では夏休みや春休みはどうするのか
交通費既払いは当然のことながら前提とできない

他大学学生をアルバイト採用すれば
時期を問わず交通費は支給対象となる

従って、どこの大学生であろうと
交通費の二重払いにならない限りは
交通費を支払うのが当然であると考えられる
当たり「前田のクラッカー」である

ところが「学生には交通費を支給しない」という原則が
どんな場合にも優先適用されるということになれば
これは杓子定規というものだろう
前田製菓㈱は大阪府堺市の企業だが
あんかけの時次郎もびっくりである
その職員が憤るのも肯ける

それにしても杓子定規という意味は
すべてに一つの基準や感覚を当てはめ
判断処理しようとする応用や融通の利かないやり方のこと
曲がっている杓子を定規の代わりに使うということが
何でもかんでも一つの基準で計るという意味に
どうやったら転用されるようになったかは不明である。

ところで藤田まことさんが亡くなった
彼は、「大阪の生まれである」
と書けば、間違いの指摘を受けるだろう
ところが本当は、
不思議おじさんが住んでいるところで生まれたのだ

お堂のなかから白木実とともに飛び出した彼は
いきなり啖呵を切る
「泉州は信太の生まれ、あんかけの時次郎」と
苦労人が永久の眠りに就いた














自分物語

2010年02月14日 | Weblog
不思議おじさんが勤める大学には
朝日新聞のOBの教員が7名いる
常勤2名、非常勤5名
元総編集局長や海外・国内の支局長を務めた人たち
共通点は、人に対する無限の優しい目
人生と文章の達人たちである

正課の授業とは別に
不思議おじさんのセンターが始めた講座
「自分物語」
もともとは日本語のリメディア(補習)講座の位置づけ

ところがこれは補習講座ではない

学力不足に業を煮やしたありきたりの先生方は
ごく簡単な語彙力、読解力、作文力を学生に求める
その結果、彼らの手法は
基礎的な日本語ドリルをヤレ!
という、学生を見下した手法にしか行きつかない

元朝日新聞の教員は異なる
たとえ学力が劣った学生であっても
学生を人間としての原石とみる
磨けば必ず光る石

「自分物語」では
学生の自らの経験(心の湖)に深く潜り
「忘れられない先生」「私が涙を流したとき」など
自分史を綴る

心の病を持った学生も多い
引きこもりの学生もいる
そんな彼らは、時として授業に出てこない
昨年秋、不思議おじさんはそんな彼ら約70人と面談した

そのうちの約10名ほどが
「自分物語」講座に出てくる
自分しか知らない経験を
文章で表現する
教員が経験を共有し
もっともふさわしい表現を一緒に考えてくれる

日本語のリメディアル講座を超えて
自己の出発点を確かめる講座である
自己肯定することで生きる原動力を養う

そのリーダーN教授と話していたら
「自分物語」が唄になってヒットしているという
N教授は噂だけでまだ聞いたことがないという

パソコンがからしき駄目なN教授は完全なアナログ派
ワード、エクセルはもちろんのこと、メールもされない
唯一、携帯電話だけは使用される
大学職員にとってはちょっと厄介な教員
すべて紙ベースで連絡しなければならない

というわけで
不思議おじさんのパソコンで
N教授にその「自分物語」の歌を聴いてもらった
8分を超える長い歌
N教授は画面を凝視し、耳を傾けていた
そしてそっと涙を拭ぐわれた
周りの職員が「先生、涙が出ていますよ!」と囃しても
動じることなく、感動されていた

植村花菜の「トイレの神様」
http://www.clearsky.co.jp/kana/toilet.html

皆様も一度お聞きくだハい
FM802でヒットし
近々にCDも出るとか

写真の花の名は
「アメリカ…」だが
忘れてしまった

つける薬が…

2010年02月11日 | Weblog
ゴイサギである 犯人は!

朝日新聞大阪版(近畿版?)に
昨年12月ごろ写真入りの記事があった
高槻市あたりの寺で
幅2メートルも無いプラスチック製の
人工池で飼っていた金魚が
心無い人に持ち去られたというもの

ご丁寧なことに
記事を読んだ近隣の人が金魚を沢山持ちより
池に金魚が復活したとの後日譚まで掲載されていた

一読して「事実誤認」であることは明白だ
ほとんど金銭価値のない金魚を
この寒い冬に、寺の小さな人工池から
誰が、どのような理由で持ち去ると言うのか
動機を考えられる人は申し出でほしい
あのクリスティでも無理というものだ

不思議おじさんの勤め場所には
かなり広い池がある
昨年6月頃に密かに15尾の金魚を放った
秋に池の掃除があり
作業者のご協力を得て一時避難させたとき
数えてみたら160尾を超えていた

僅か4センチほどだった金魚が
20センチを超えてずしりと重くなっていた
子供を産んで3つの世代を産み出していた
先祖返りで、黒や赤黒ブチも混じっていた

新聞記事に先立つこと2週間ほど前
一晩でほとんどの金魚が居なくなった
大きなゴイサギが朝晩の人気のないとき
池に飛来していることは判明していた
対策がとれなかった

それでも20尾ほどが生き残り
池の深みの底で息を殺して棲みついていた

今週明け、その金魚は完全に喰われてしまった
予測はできていたが、防ぐことができなかった

対策法は分かっている
ベランダに来るハトを退治する方法と同じだ
ベランダの場合は、手摺の10センチほど上に
一本の釣り糸を張るだけでよい
海上保安庁が、カモメの船への飛来を防ぐため
苦労して編み出した見事な工夫
鳥は飛び立つときに羽が異物に触れることを嫌う
それだけのことだ

分かっていたが ちょっと忙しすぎた

分かっていて 対策を取らない
不思議おじさんの職場では
そんな事例に事欠かない

つける薬がない 
情けなく
腹が立ち
やがて悲しく
呆れかえるばかりである

山茶花の季節も終わりに近づいた
さくらんぼの花芽が膨らんできた

まもなく「白」

2010年02月01日 | Weblog
明治45年といえば1912年
不思議おじさんの父親が健在なら100歳
従って 写真の松本さんは98歳
今年の8月16日で99歳になるという
「白寿」である。
一があれば百になるからだ
そんな数字上の呼び名より
「白」になるということが
なんとも清々しいではないか!

日本民謡「楽謡会」の新年おさらい会である
きちんとネクタイを着用されていた
足元は少しおぼつかないが
その発声に衰えは感じない
大正時代に生まれた新民謡「米節」を
完全に諳んじて、教本無しで謡われた
なお88歳が米寿であることは
漢字の「米」を分解したことによるが
この唄では「米を作るには88度の手が掛る」と
粗末にしないように戒めている

というわけで
日曜日は民謡漬け
忙中閑あり そのもの

及ぶべくもないが
98歳には恐れ入る
見習いたい気持ちは山々だが
とても節制ができそうにない
情けない気分半分の
お酒に浸る不思議おじさんではある