後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

現実世界との接点

2015年06月30日 | Weblog

高島屋泉北店のイベント最終日
催しは「近江の味めぐり」
知り合いのお二人が出店されている
顔を見せてなにがしかを求めて賑わいの一端を担うことにした

鮒寿司や湖魚の煮物で名を馳せている「魚治」さん
琵琶湖最北端 マキノ町の風情を愛した遠藤周作氏が
「魚治」さんの離れを愛して長く逗留した
そこは一日一組だけの旅館となっている
周作氏がその宿に名付けた「湖里庵」は 
今は商品のブランド名にもなっているようだ
店主の左嵜さんは、不思議おじさんの高校時代の友人の息子さん

彼といつも一緒にイベント参加しているのが石津さん
彼のお父さんは保育園から中学校まで一年下の知り合い
というより、産直提携の取り組みを30年近く前に始めた仲間
すでに代替わりし、ご長男が農業を引き継いでおられる
久しぶりにお会いしたが、
山形県高畠町の農業団体の親分(失礼!!)KRさんのことをはじめ
彼の口から懐かしい名前が飛び出してきた

石津さんは不思議おじさんの故郷の人だが
その町に喫茶店ができたらしく
そこで無添加のハム・ソーセージを使っているとのこと
それは不思議おじさんが責任者だった会社の製品らしい
経営者は不思議おじさんのことを全く知らなかったようだが
周囲が気付いてちょっとした話題になったらしい
とのお話もお伺いした が 
もう過ぎ去ったことである

不思議おじさんはその世界から離れてもう7年近くなる
懐かしいとの思いはある が、
その現実の息を吸っていないとも改めて認識する


昨日の葛城山・水越峠・金剛山
毎朝、小高い鶴の山古墳公園から眺める光景だ
あの山の向こうは古の都 明日香につながる

先の職場で一緒に働いていた男性が結婚することになった
仲人ではないが、主賓として挨拶せよとのこと
もう現実世界から離れて1年半
歯も抜け、発音もままならぬ義歯で
何をもごもご言ったらよいのだろうか

なんというか
現実世界との僅かな接点が
逆にその距離を肌で感じてしまうことになっている



寡黙だった百姓の親父を追憶しつつ

2015年06月29日 | Weblog

さてこれはなんであろうか
これを見てわかるのは相当な農作物のプロだろう
と思うのは、ジャガイモ作付初体験故だろうか

畑に這いつくばって草を取ること一週間
塩入のペットボトル500mlは瞬く間に空になる
2本を持っていかないと熱中症が心配だ

様々な草の間に見たこともない緑の小玉が時々見つかる
「これはなんじゃ???」
カラスが何処かから持ってきたのかと思っていた

なんと ジャガイモの実であった
地主さんが「ジャガイモの花を咲かしてはダメだ」と言っていたが
なるほど、このように養分を盗られてしまうということだったのだ

今日でジャガイモをすべて収穫した
写真をクリックして大きな写真を見てください

収穫前の畑の様子
葉や茎が萎れ、枯れてくると収穫時だ


鎌で茎と葉を除去する
それらは畑の栄養として利用する


この品種は「紅あかり」だ
初めての作付にもかかわらず
その収穫量は予想をはるかに超えて大豊作
皮はほのかに紅いが実は白い
湯掻きあがるのも早く、煮崩れしやすいのが難点だ


これはご存じ「メークイン」 煮物向きだ
写真はたくさん実をつけた株だが、2個しか収穫できない株もあった
畝が割れ、陽が当たって表面が青くなってしまったものもある

この畑(元は荒地)をお借りして一年半
豚糞や牛糞が原料のの完熟堆肥を相当量入れ込んだ
その成果だろうか ジャガイモを掘るとき、一杯見つけた!!!
それは「ミミズ」である
掘るたびにミミズが光る身体をうねらせていた
充実感がこみ上げる
ジャガイモの出来なんかより
ミミズが育つ土になったことが
素人百(十)姓の心を満たしてくれる


ご近所にお住いのお知り合いに「新鮮さ」だけをお届けした


イチゴ畑も一応除草した
茎が伸び、親から孫、ひ孫と株が伸びていく
来年に使えるのはひ孫から先の株だそうだ


カボチャも勢いよく茎をのばし始めた
芽を摘んで横に枝を伸ばす方法を学んだ


次兄からもらった大好物のサトイモ 2種類
作付時期を焦って早めにしたので心配したが
何とか芽を出してくれた
芽の出なかったところには2つ芽が出たもの分けて植えた
水分が必要な作物だが、この畑は乾燥気味
取った草やジャガイモの茎・葉を根元に巻いた
明日以降の雨の後、マルチをして保湿するつもり


ウリ類も大きく育っている
青くて初々しい実が3つなっているのを確認した
昨年に次兄からもらったマクワウリの種を撒き
育てた苗も遅まきながら植えている
さて収穫できるかどうか


自宅庭のトマト4本も一段目が赤くなってきた


長茄はもうかなり収穫した
が 美味しくない!!
品種の選択を間違ったようだ
畑仲間のSさんに報告すると
「よい勉強したやないか」と鹿児島訛りで言ってくれた


友人から頂いたフウセンカヅラも伸びてきた
門内だけではなく、道路沿いにもプランターを出してみた


同じく道路沿いの鉢プランター「綿」である
種苗店に特別に注文し、10粒300円で購入した
臨家、友人宅、娘の家にも苗をお分けした

ド素人のにわか百姓が
寡黙だった親父の風貌や汗のにおいを思い出しながら
畑に這いつくばっている



曇天除草 爽風微睡

2015年06月23日 | Weblog

2度咲きの薔薇と奥には紫陽花
狭い庭だが、薔薇は9本、紫陽花も9本

毎年御馴染の斑入り擬宝珠(ぎぼし)

まだ6月だというのに桔梗が咲きだした

蒸し暑いねえ
年寄りは熱中症に必要以上に注意が肝心
ちょっと動くときは塩入のペットボトルを必携している

夕方はトルテの散歩を済ませ
17時になれば畑に出勤
とにかくひたすら一途に草取りである
2時間ほど黙々と草を取っても何ほどのこともない
もう3日間・合計10時間余り畑に這いつくばっている
それでもすべての草を取り除くことができない

お隣のSさんは、どんな日も9時から18時まで畑でお仕事
どの畝も床の間のようにピカピカ 草一本も無い

インカノメザメは作付本数が少なく、
ピンポンより小さな珠ばかりだったので
美味だがお裾分けするほどの収量が無かった
来年は作付本数を増やすつもりだ


糠漬けの準備は終わった
市販の「糠漬けの素」のような商品は一切使用していない
昨年は冷蔵庫の野菜室の中でタッパーに入れて漬けた
残念ながら乳酸菌が不活性になり今一つだった
今年は味噌甕で常温で漬けている
なかかに塩梅が良い

胡瓜なら3時間で美味しく漬け上がる
ご飯にはもちろん晩酌に糠漬けは欠かせない
腸内細菌を育てる「エサ」としても適しているだろう
そんな訳で毎日、糠味噌を手で掻きまわしている

日本民謡の太鼓は習い始めて8か月が経った
師匠は美鵬駒三郎氏の直弟子 80歳
「10人ほど弟子をとったが
あんたが一番覚えが早い」などとくすぐられ
その気になって上機嫌で習っている

不思議おじさんが属する民謡の会だけでは
太鼓を覚えるには曲数が少ない
地元老人会民謡クラブ、市内の2つの民謡の会にも出張

7月からは週に4つの会の例会の伴奏を務める
もちろん太鼓だけではない
拍子木、鈴、鉦、舟漕ぎ音など様々だ
曲想を理解し、三味線や尺八のリードを尊重し
歌い手を引き立てるために最大の努力を払う

そのための師匠の指導は並ではない
レッスンは緊張の連続であり90分はあっという間に終わる

全ての指導を録音にして録っている

単に民謡の指導だけではなく
生き方を教えてもらっているようにも感じる

インカノメザメ

2015年06月20日 | Weblog
先回、ヒメジョオンのことを書いた
その夜、BS/NHKの「こころ旅」を観ていた
この番組には比較的好感をもっている
だいぶ前のことだが、不思議おじさんの故郷にも「トウチャコ」してもらっている
この番組のテーマ音楽がイイネェ
池田綾子さんの声は時間を逆戻りさせてくれる
https://www.youtube.com/watch?v=tc3C6OxA1_g
(カラオケで唄おうなんてたくらみはご法度である)

それで今回は福島県は喜多方市の田んぼ
火野さんが座ったあぜ道にはヒメジョオンが揺れていた
http://www.nhk.or.jp/kokorotabi/route_2015spring/20150619/index.html

30年ほど前だろうか
黄色い花穂をつけたセイタカアワダチソウが
全国の空き地を席巻したとき大騒ぎになった
今でも残っているが、他の草花に押されれて勢いはない
耕作放棄田など新たな空き地には我一番に駆け付けるようだが
他の草がやって来ると意外にも勢力を衰えさせるようだ

150年ほど前にヒメジョオンが日本に上陸したとき
「古来からの原風景が壊れる」などと騒いだのであろうか

写真の上でクリックすると
縦横が修正され少し大きくなります


さて降り続く雨に不思議おじさんの畑は草に覆われてしまった

イチゴ畑、ジャガイモ畑の様子だ

朝から夕方6時まで、ペットに水2本
麦藁帽に塩飴、タオルをもって畑で草取り
8時間以上も作業を続けた
草取りというものは、やったからと言って何も残ろない
当たり前の光景が現れるだけで
草を取った人間の自己満足だけが残る
しかし草を取らずに放置すると
地主はもちろん、近隣の畑仲間の冷たい目にたじろぐことになる

畑には葉物や成毛のは植えていない
水が必ずしも十分ではなく
不思議おじさんも毎日は通えないからだ



カボチャやマクワウリ、バナナウリも順調に成長
昨年使った日除けの茣蓙を敷いている


サイマイモは今年は10株のみ
近所に配っても食べきれない


これは珍しい品種のコールラビ
キャベツのような葉だが、茎の付け根に球ができる
これはほのかに甘く、サラダや漬物にできる

それにしても全体に草が作物を襲っている
8時間、必死に草取りしても全体の70%しか取れなかった
夕方6時も過ぎ、夜は豪雨もあるとのことなので
ジャガイモを掘り上げることにした
3種植えているが、すでに茎が枯れていたインカノメザメ10株のみ


恥ずかしいほど小さな珠ばかり
ジャガイモづくりの下手くそのことを
「ピンポン玉作り」というそうだが
ピンポン玉よりも小さい
中には立派な大きさのものもあったが、10個程度

その小さなジャガイモを茹でた

黄色い果肉が皮からはじき出ている
ウーーーーーンマイ
もう普通のジャガイモが食えなくなるではないか

労働の後に風呂に入り体重計に乗る
10年前と比べて10kg減少している
内科医でなくとも「癌」を疑うような数字だ
3か月ほど前の検査では異常はなかったが…
穿くズボンが無くなりつつあり
これはこれで困ったものだ

小さくても旨いジャガイモでもたらふく食べて
少しは体重を増やしたいものだ




静かな争い

2015年06月19日 | Weblog

不思議おじさんの限られた行動範囲ではもちろん
TVニュースなど(例えば南港の公園に死体放棄発見!など)を見ても
公園草地や路側帯緑地のあらゆる空き地に
ヒメジョオン(姫女苑)が小さな白い花をつけて群生している
(一体、ニュース画像のぞこを見とるんじゃい!!)
この花は約150年前に外国から持ち込まれたとのこと
一株に47000個の種子をつけ、しかも種子は35年も生き続ける
在来の植物が一気に追いやられたのもうなづける

因みに約100年前に日本にやってきたハルジオン(春紫苑)は
名前だけではなく実際に花や茎の見かけがとても紛らわしい花だ
咲く時期が少しずれるのと、葉の付き方や
茎が空洞になっているか詰まっているかなどで見分ける
不思議おじさんは今回覚え間違いをしていたことに気づいた
今まで「お姫さんは空っぽ!」と思い込んでいた
実はヒメジョオンの茎は中身が詰まっていたのだ

さらにややこしいのは名前も
「ジオン」と「ジョオン」を使い分ける必要がある
これは名前のもとになった花の違いによる

毎日、朝夕2回のトルテとの散歩(徘徊)では
古墳のある小高い公園、小学校前の児童公園
大きな池のある志保池公園の3つの公園を必ず巡る
いずれの公園も樹木は植栽されているが花壇は無い
空き地には季節ごとに様々な花(世間でいうところの雑草)が咲く
路地道や田の畦道も好んで歩く

春一番、頬に風の冷たさを感じながら
オオイヌノフグリの宝石のような青い花を見ると
心は春を見つけた喜びに小躍りする

それからは、2~3週間を周期に次々に花が咲く
面白いことにそれらの花はほぼ同じ場所に咲くのだ
まるで咲く順番が厳格に決められているかのようだ
以前にも紹介したサキゴケやコサギゴケ
カンサイタンポポ(有難いことにセイヨウタンポポは少ない) 
ニワゼキショウ(この名前を思い出すのに3日間かかった
調べればすぐ判るのだが、意地でも自分で思い出そうとした
「イシ」が付くと思い込んでいたのは
「庭石菖」との漢字名が頭にこびりついていたせいだろう
ホントに、物の名が思い出せなくなったものだ

シロツメクサ
ジシバリ

そしてヒメジョオンである


一昨日には今年初めてネジバナを見つけた
別名をモジズリという
百人一首には源融の次の歌がある
「みちのくの しのぶもじずり誰ゆえに 乱れそめにし 我ならなくに」
昔の奥州信夫群で造られた高級な絹織物は色を撚り合わせたように反物だったので
ネジバナに寄せてシノブモジズリとの名がつけられたようだ
シノブは地名であると共に偲ぶにかけていることは言うまでもない

オオイヌノフグリと在来のイヌノフグリとの生存争いについて
興味深い記事を新聞で見た
種の残し方、種の移動方法、花の付け方…
創意と工夫で生き残りを探った経緯が研究で明らかになったとのこと

野に咲く花が、同じ場所で咲く時期の順番を決めているのも
静かで長い生き残り競争の結果がもたらしたものなのだろう

仕事が無いので、毎日を送るメリハリが乏しい
近所の空き地に咲く花の移り変わりで季節を感じている



鉄腕ダッシュ

2015年06月14日 | Weblog

米糠2kgを手に入れようとしたがなかなかに難しい
不思議おじさんは山形県高畠町から玄米を頂いている
コイン精米機で精米して美味しくいただいている
先回は朝早く行ったので糠が落ちてこなかった
仕方なく精米機設置の米屋さんに電話して4kg入手した
とりあえず使うの半分の2kg


今年はみそ造り用の甕を容器にした
戸外に置いていたのでよく洗って熱湯消毒した


半量を煎り、冷まして残りの生糠1kgとよく混ぜ合わせる


大根、人参などの皮や、キャベツの外葉を漬ける
これは乳酸菌を植えつけて増やすための作業
10日間ほどかかる 
毎日空気と触れ合わせるため掻き混ぜる
今日は桑の葉を10枚ほど加えてみた
良質な乳酸菌を増やす方法を試行錯誤している


庭に植えた3本の茄からもう初収穫があった
早く糠床を作らねば間に合わない


庭にノウゼンカズラが咲いてきた
グダグダしている間にもう初夏だ

無職の身には何の関係もないが、本日は日曜日
近所にできた地域センターのお披露目日だった
図書館もてきたのでありがたい話である
半日を費やしてお披露目関連の「お仕事」をしてきた
そのお話は後日に

で、帰って晩酌をやっていると
テレビに知り合いの農家が映っている
「鉄腕ダッシュ」だ
お米の食味コンクールで最優秀賞を何年も連続受賞している彼が
かの番組で「米の匠」として登場していた

前回のブログでご案内した星寛治氏のグループの一員
(だった)(現在もそのグループに属されているかどうかは知らない)
不思議おじさんは彼のお家に泊めていただいたことがある
提携活動の一環で、生協組合員をお連れし
田に這いつくばって彼と一緒に手取り除草もした
近くの丘から郭公が鳴いていたのをよく覚えている

山形県高畠町は「まほろばの郷」と呼ばれるにふさわしい場所だと思う
大規模農業など望むべくもない中山間地帯で
農薬空中散布の拒否をはじめ、近代農業の負の部分を克服し
「商品」ではなく
「人の食べ物」としてのお米作りを多くの情熱的な農家の方々が行っている
映画「おもひでぽろぽろ」にその一部が紹介されている

ところで だ
(こんな言い方は滅多にしないが…)
大事なことをはっきりと言っておく

当時、不思議おじさんは
消費者の協同組合の責任者として仕事をしていた
よく誤解されるのだが、
「美味しくて安全なお米」が欲しいから
高畠町の農家の皆さんとの提携を始めたわけではない
協同組合の本質はそんなところにはない
それは他の生産者とのお付き合い(提携)でも一貫している

高畠町には生産者のグループがいくつかあった(今でも)
星寛治氏が有機農業運動を「点から面」に展開されようとしたとき
「点」の時点では先進的な取り組みであったが、
生産者も少数ゆえに都市生活者との提携を強く結んでおられた
「面」…つまり、星さんがお住いの近くの農家と広く運動を進めようとされたとき
農薬の空中散布を拒否し、有機農業運動を広めようとされたとき
その生産物の量は生半可ではない
収穫物の引き受け手がなければその思いは実現できない
そんな極めて現実的な困難に直面されていた

不思議おじさんたちはそのころ地元(大阪)の農家との提携を考えていた
お米だけではなく、牛乳、卵、野菜など
食べ物をできるだけ自分の住まいの近くの方にお願いし
消費の責任を引き受けながら生産を委託することを追求していた
自分が作れない代わりに作ってもらう
生産者はその意思を受けて誠実に対応する
原初的な提携関係だ
大きな組織では難しいので
組織を2000人単位くらいに区分して運営を考えていた

ある日、大阪の小さな消費団体の代表(女性)がお見えになった
後から知ったことだが、
彼女はある有名企業経営者の奥様であり、売れっ子作家の母君だった
彼女とは奈良県で山地放牧酪農をしている生産者への訪問時に知り合った
「地元の牛乳を飲む(地産地消)」の想いは共通していた

彼女は星さんの有機農業(とりわけリンゴ)の熱心な消費者だった
星さんの新たな「面への展開」という課題を共有し
不思議おじさんを訪ねてこられた
不思議おじさんは近郊農業との提携を追求していたので
当然のことながらお断りした
しかし彼女は三顧の礼ではないが何度もお越しになり
「大阪の米だけで大阪府民は食べていけない
生産県の農民は都市部消費者に食べてもらわなければ
そもそも農産物の再生産ができない」などと熱心に語られた
生協組合員とともにとりあえず一度は訪ねるということなった

そのとき もちろんまだ「美味しくで安全」との折り紙付きのお米は無い
あったのは 中山間地帯の農業を守り抜くという農家の方々の熱くて強い意志であった
同時に、都市生活者を引き付ける独特の濃い匂いをかの地に感じた
それは「高畠病」と呼ばれるようになり、都市からの多くの移住者を生み出しだ
生きるエネルギーの源泉を掘り当てたような気持になった

いずれにせよ「モノの良さ」が欲しくてお付き合いしたわけではない
都市生活者として想いを共有して「共同参画」させていただけること
そのような機会を与えていただけることに価値を見出した

語れば長いが
鉄腕ダッシュに登場した彼が
だんだんとコンクールで金賞を取ることに価値を置くようになり
それを批判する意見が随分前から耳に届いていた
しかし不思議おじさんはもう10年近く前にその仕事を辞めている
いまはどうなっているかは知らない

大事なことは「金賞を取る」ことではない
そんなことはたぶん彼も分かっていると思う
地域の農業が再生産していけること
そのような自然環境、社会環境を地域に作り
消費者である都市生活者との繋がりを作る(協同)こと

ますます時代は閉塞しているが
それだけに本来の「協同」の持つ役割が大きくなっていると思える

安倍も 橋元も それらのシンパも
「協同する」ことの醍醐味を少しは味わってみたらどうだ
そこには あなたたちがが目を丸くするような新しい世界が待っている
(はず!)

ただし現在ある協同組合に多くは望めないのが悲しい

さあ 夜も更けた
騙された焼酎
(安い!!と思って買ったら20度だった!!)
でも煽って
今夜の年寄りの愚痴を終わらせるとするか…






急ぎのご案内

2015年06月06日 | Weblog
今夜のブログに写真はございません
本日は孫の小学校の運動会で王子公園近辺まで行ってきました
小学校にはワンちゃんは入れないので
ひたすら王子動物園周囲を徘徊しておりました

昨日の「天声人語」
私淑する賢人の一人 
高橋源一郎氏を取り上げていただいたのは有難いが
褒めすぎではないかと思う
甘い小豆の餡でも
少しの塩味が甘さを引き立てるというものだ

さて帰宅すると一通の手紙が届いていた
有機農業者にして日本を代表する農民詩人 星寛治さんからだった

明日6月7日(日)夜9時~10時
NHKラジオ第2放送「文化講演会」で
星さんが4月11日に講演された録音放送があるとのこと
講演はもう少し長いが60分に編集されている

星さんは昨年熱中症で倒れられ
去年の秋から今年の春まで加療・療養されていたとのこと
体調を整えてようやく東京での公演をなされたとか
以下はお手紙の一節
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(前略)
テーマは「我が人生の内なる師~宮沢賢治と浜田広介」です
東北の産んだ二人の天才の作品と精神世界の深井戸から
凡庸な百姓が何を汲み取り 生きる道筋を拓いてきたかを問い直す
得難い機会となりました
併せて若い仲間たちや価値を共有する消費者市民とともに
取り組んできた有機農業運動と提携活動の未来性について
考える場にしたいと願いつつ ボソボソと語りました
(後略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

星さんの著述は小学生の教科書にも載っています
またフランスのミレー博物館にも星さんの詩が掲げられています

都市市民が農業について考えることも多くは無いかと思いますが
不思議おじさんの半生に深く関わった方のご講演です
ラジオのスイッチを入れていただくことをお願いいたします

生きるためのインフラ

2015年06月01日 | Weblog

枝垂れ桜の枝の合間から真紅の花が見える
百合が突然に咲きだした

この狭い土地の持ち主がおろおろとして時を過ごしている間も
根を宿した草や木たち、こぼれ落ちた種から生えた花々は
そんなやわな人の心をあざ笑うかのように時を違えず咲く




ブログを長い間書かなかった
自分の生活や考え方を露出すれば
それなりにリアクションがあることは承知の上だ
まだ本格的な中傷を受けたことは無いので幸せだと思っている
しかし甘ちゃんでいれば傷がつく
そのフォローをすればその傷はより深くなる

歳をとれば穏やかな日々が待っているというのは真っ赤な嘘だ
様々な人との葛藤が渦巻く
直接的衝突を回避する技は心得ているが
それだけに心に蓄えられる思い(不満、恨み、怨念、怒り)は増幅する
マグマ堪りにどんどんマグマが補給されていく

怒りっぽくもなっている
煙草を吸っている中学生を路上で見つけると
例外なくどやしつける
そのあとやわらかに説得する場合もあれば
捨て台詞をはいて去っていく連中もいる

一つの信号を待つ余裕が無く
抜け道をして我が家の前を通る車の運転手を睨み付ける
勝手の不思議おじさんかもしれないと思いつつ
30秒近回りして事故起こしたらどうすんネンと睨み付ける

表題に戻ろう
生きていくには様々な条件が必要なのは言うまでもない
周囲の大兄には重篤な癌から生還した先輩が2名いらっしゃる
癌は病気の最たるものの一つだが 病気は生きることを妨げる

それ以外にもインフラ問題がある
大半は平仮名「1文字」であらわされる
「毛」…不思議おじさんにはほとんど無い
    散歩のときに桜の木の枝にぶつかって頭が擦り切れる
「手」…40肩、50肩を味わい、手先も少し痛みを覚えるが
    百姓をしていた父ほどではない 有難いことだ
「目」…子供のころからの超近視。小1からメガネをかけ高2で京大病院でコンタクト
    45歳ころ両目白内障 ヒダリメガ年前に外れてレンズ無しに
    なんやかやあっても何とか見えている
「血」…糖尿病だ A1cは7.5⇒7.0⇒6.8と順調に減っている 
    もともと医師から処方された薬はもう10年以上飲んでいる
    「桑の葉の粉末」「ココナッツオイル」「秋ウコン粉末」のどれかが効いているらしい
    仕事を辞めたので運動量は減っている
    ストレスも減少しているが、地域暮らしにもストレスは充満している
「胃」…以前に胃潰瘍で入院した その後も逆流性食道炎で苦しんでいる
「歯」…上の前歯をインプラントを含めて9本連結して使用していた
    「行けるところまで使いましょう」との医師の方針のもと
    生まれ変わったかのように磨きつづれて約2年
    ある日のこと ビキッ と音がして
    翌朝 9本もの葉がごっそり抜けおちた
    さすがにその写真は悍ましくてお見せできない
    前歯は左奥から4本と右奥歯1本の5本となった
    下も部分入れ歯である
    小妻でさえ笑いを堪えられずに顔を観ようとはしない

これはダメージであった
物理的な問題がまず来た
硬いものは食べられない
応急的入れ歯が来るまでの10日間
ほとんど流動食 おじや ジュース…
外出はマスク着用
民謡の会なども唄わず話さず

応急入れ歯が入っても不具合は続く
「サシスセソ」の発音がとても難しい
声帯を失ったNさんのご苦労の100万分の一くらいだろうが
民謡を教え、民謡でコンクールに出ようとする者へのハンデは大きい


ヤマフジサイ 七段花、葵姫などのアジサイが咲いた


鉢には「綿」の苗
朝顔のように夏に花を次々につける
実を付ければ、秋に弾けて綿を吹きだす
これがまた鑑賞に堪える

玉ねぎを収穫し、ご近所の方々にお届けした
次はジャガイモの収穫だ
高齢の地主とのじめじめした葛藤も黙して飲み込み
反論せずに地に這って草を引いている

今のところ「2文字」のインフラは何とかなっている
「ミミ」「カオ」「クチ」「ノド」「ムネ」
「アシ」「コシ…ちょっと痛み気味だが」

「3文字や4文字それ以上」は自己判断がむつかしい
「アタマ」「チョウ」「カンゾウ」「スイゾウ」「ボウコウ」

自己嫌悪の苦い汁に毎日浸っている

怒りよりも感謝を見つけ出して…とは思っている
俺が俺がよりも(もうそんな場面は無いが)
帰依する自分(自分を委ねる)ことを大事にしている

真央ちゃんじゃないけど
いまは雌伏期間ではないかなぁとも思っている
体力は前述のとおりだが
別に気力が衰えているわけではない
このさきに何かが待っているような気もする

しかし同年代のご逝去の報も多く
そろそろなのかなぁと思わなくもない

ランクダウンしたいも焼酎を飲んで寝ます

これだけブランクが長かったから
フォロアーの方は皆無に近いだろうなぁ