後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

風炎

2015年04月29日 | Weblog
風炎と書いてなんと読むか
普通に読めば「ふうえん」だろうが
ちょっとひねってある
日本の風の名前としては異色である
アルプスで吹くFöhn現象がその所以
ドイツ語の発音煮合わせて漢字を充てたものが「風炎」というわけだ

フェーン現象で北陸から関東北海道が暑いようだ
4月始めの2週間ほど続いた降雨の帳尻合わせだろうか
晴天が続く
土ぼこりが激しくたつので耕運機の使用を控えている


オダマキも堪らずに咲いてしまった


わが庭に一本あるキリシマツヅシ゛
燃えるように紅色でその存在を主張している


白と薄紫のタツナミソウ
不思議おじさんが好む野草のひとつだ
可憐な花姿だか意外に生命力が強い
鹿児島の城山公園や和歌山下津の山でいくらでも見かけた

春蘭
白と紫を合わせ植えた


葉ボタンも咲き乱れている
幼いころ観た故郷の風景が原形だ


シャガは山間に咲く花だが
生育に厳しい我が家でも頑張って咲いてくれる


カラーなんて花も
忘れていたころに芽を出して花を咲かせる

この一週間いろいろと私事に時間を割いて
畑に行くことも億劫になって放置していた
久しぶりに草を抜く気持ちになり行ったところ
畑仲間から叱られたものである
「もうええかげんに抜かんと青が入るでぇ」
除草もそこそこに90本の玉ねぎを収穫
地主や近隣の方々に無理やりお届けした
お届けすること自体が幸せな行為である
(届けられた方は迷惑かも知れないが…)

早生玉ねぎは日持ちしない
サラダでいただいた
残った30玉くらいはベランダに干した
茎を括って洗濯物干しざおに掛けた

中生の玉ねぎは200個を作付している
とても自家消費できない

ご所望の方は是非ご連絡いただきたい
eudiq402@ican.zaq.ne.jp



光風

2015年04月26日 | Weblog

近くの田んぼの畦にサギゴケが群生している

ものの50mも歩くと 畑にはコサギゴケがこれまた群がって咲いている
宝石鑑定にも使える10倍のルーペが
夢のような別世界に導いてくれる
花屋で買えばとても高価な蘭だが
何も花屋に行く必要はない
ルーペひとつあれば
田んぼや畑のあぜ道の豪華で可憐な花に出会える


家の前を通る方々から 何の花ですか? と問われる
悪い気分ではない 
もちろん褒めてくださるからだ
不思議おじさんのことではない 
花を である
ナニワノイバラが満開近くになってきた
大小さまざまな蜂類の羽音が聞こえる
挿し木するから枝を分けてほしいという方もいる

「光風」 高橋順子さんの解説では以下のとおり
うららかな春日和に気持ちよく吹き寄せる風のこと
あるいは雨上がりのキラキラした日差しを浴びて吹く風のこと

桜の花を見る人の思いは様々であるという
心に翳りを持った人が見上げる満開の桜花
同じように心に蟠りを持った人が感じる光風
日本には、風に名をつけて呼ぶことが多い
俳句の季語には欠かせない

ところで風の名をいくつ言えますか…ムムム

なんと2145もの風が日本には吹いているそうな
(関口武著『風の事典』」


一週間のうち3日間は民謡に割いている
本日は大正区の大阪沖縄会館へ

ある会の民謡発表会に出演してきた
お昼のお弁当付きで一曲唄う
この類の発表会への参加費は5000円~1万円
尺八や三味線をお願いすると謝礼も欠かせない
交通費も含めると結構な物入りである
ゲストが3人 そのうちの一人が先日触れた佐藤美貴(2代目桃仙)さん
いまや様々な世界でプロとアマの境界が判りにくくなっているが
圧倒的な歌唱力、表現力、声量はアマの追随を許さない
津軽三味線の2代目山口光月さん、長谷川一義さん
この世のものとは思えない技に打ちのめされた
芸とはこのようにレベルにまで達することができるのだと
改めて感じ入ったものである

そうそう世阿弥は様々な芸の極致について
その書「花伝書」で「風」に例えた
閑花風・正花風・強細風・妙花風・達風
是風・皮風・骨風・肉風…

不思議おじさんの名取名は「楽風」
「楽」は会の名称から採っている
楽山・楽優・楽宝・楽鶴・楽翠・楽一…
不思議おじさんは「風」を選んだ


「風の名前」高橋順子著
和泉市の図書館には蔵書されていない
例のごとく、堺市立西図書館で借りてきた

二千年の間、日本人の心に吹いた風を
光風に包まれてながら楽しんでいる

「ひとりぼっち」との想い

2015年04月15日 | Weblog

朝永振一郎氏は若いころドイツに留学していた
異郷の地で心を通わせる人もなく
当時は心に鬱屈したものを抱えていたので
いつも一人ぼっちの気分でいた
散歩の途中 
堆肥の臭いでふと故郷を思い出したそうだ
「いいではないか いいではないか
一人ぼっちでもなんであろうが
あるがままに受け容れればいいではないか」
朝永氏は心を縛っていた紐を解いたそうだ

臨済宗の老師・山田無文氏は
若いころ結核に罹り体重が37キロまで減った
話し相手になってくれる人もなく
世間から見捨てられ もう死ぬしかないと思った
ある日 何とか縁側に出て庭を眺めていた
南天の葉が揺れ 風が吹いた
そのとき「風」つまり空気の存在に改めて気づいた
誰も周りにいないわけではない
一人ぼっちなどではない
空気が自分をずっと取り囲んでくれていた
お蔭で生きてこれたのだ
大自然の中で生きている
周囲の人のお蔭で生きている
その有難さを感じるうちに
無文氏は明るい気分を取り戻した

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
知人から故郷のお酒を頂いた
なんとも嬉しい心遣いに胸が詰まる
手持ちの中で一番好きな蕎麦猪口で頂いた
醸造元は不思議おじさんの実家からごく近い
玉江という珍しい酒米を使った特別純米酒


大阪は4月に入って雨ばかり
午前中は自宅で太鼓の練習
午後は畑で黙々と手で草抜き
ご褒美に早生の玉ねぎを少し持ち帰った
バターでステーキ風に焼き 醤油を少し掛けた
贅沢な料理に仕上がった
馬タンスモークもスライスして
今夜のお酒のあてに

毎晩 酔っぱらってブログを書くと
誤字脱字にとどまらず
論旨不明な文の多いこと
同じことをくどくどと繰り返している

なるほど
これではフォロワーが少ないはずだ


グュンタークラスが亡くなった

2015年04月14日 | Weblog

クローバーの5つ葉である
なにも驚くに当たらない
4つ葉も6つ葉も探せば必ず見つかる

無いと思うのは 探さないからである
ましてや無いと決めつけるのは
探す努力・忍耐の無い人の言である
この種の決めつけ人間の言は見抜かねばならない


土星の衛星エンセラダス
生命の存在の可能性が観測された

UFOの存在はまだどうにも言いようがないが
宇宙に生命体が満ち満ちていることはどうやら疑いが無い
その最も地球に近い場所がここだ

地球だけに生命が存在する
地球は特別な存在だ
などと言い張っていても
事実は隠しようもない
地動説にも似た主張である

地球だけが特別だ 
などという思い込みは偏狭というものだ
科学的事実を直視すべきである
宇宙は生命体に満ち満ちている
(はずである)

地球外生命体は
地球の生命体を直ちに脅かすものかもしれない
地球の生命体に福音を与えるものを持ているかもしれない

生命が地球にしか存在しないという認識は
根拠の薄い独りよがりな思い込みだ
そもそも地球上の生命体は
地球外の有機物がもたらした可能性が高い

人類の優位性をことさらに述べ立てる人が居る
そのホモ・サピエンスだって
たかだか700万年の歴史である
出アフリカはわずか5万年前である

ヘイトスピーチを声高く叫ぶ人が居る
IS国もイスラム教原理の正当性を謳う
どれほどの違いを見つけ出し
人を貶めたり人殺しを正当化できるというのか

何が人種の違いだ
何が宗教の違いだ
何が肌の色の違いだ
それもわずか5万年の簡に生じた
ほとんど取るに足らない時間の中での
わずかな揺らぎにしか過ぎない


産経民謡大賞の高石会場予選
このコンクールは関西では極めて高い関門である
関西各地で予選が開催される
予選を通っても 本予選が土曜日に 決勝は日曜日になる

不思議おじさんは自宅近くの高石会場で出場した
朝早くの控室に大輔さんがいらっしゃった
NHKの民謡番組で大阪で尺八を吹いているプロ
ご令室は民謡歌手の佐藤美貴さん
http://www.nhk.or.jp/minyo/meikan/1_satomiki.html

ええっ プログラムをよく見れば
その大輔さんが不思議おじさんの次番に唄う
芸名は米谷大輔 本名は石原大輔だったので
プログラムを見ただけでは全く気が付かなかった

これって ちょっとなにかずっこいよなぁ

尺八はプロでも唄はそうではないからとのこと
でも 唄はうまい!!

さて写真で見てほしいのは舞台の太鼓
締太鼓は普段は不思議おじさんの自宅にあるもの
平太鼓は毎週練習で使っているもの
つまり 太鼓はわが師匠がお膳立てしているのだ


さくらは散った
まさに花筵と愛でる光景だ

ところがそのあとに残るのは

さくらの軸という萼(がく)
地面に落ちて6月まで残る
その上を歩く動物は
知らない間に萼の集塵機となる
その萼をトルテ君の足から取り除くのに15分はかかる

気を付けなければいけない
恐ろしいことは
もっともらしい言葉で包み込む
恐ろしいことを恐ろしいことと政治家は言わない
政治家にも恐ろしい週末は見えていない
しかし政治家は言わなければ政治家としての生命が終わる
それず正義たと信じている

包み込まれれば相手の思うままだ
やっかいなのは 彼らは正義だと思っていることだ
その潮流が大きくなれば
第2次世界大戦に似た国内の臨戦状態が高まるだろう

ギュンタークラス氏の警鐘を
どうやら日本人は聞こえないふりをしそうである
彼の講演を50年も前な大阪で聞いた
その時は彼の公園の意味が腑に落ち無かった゜

いやな時代の空気だねぇ

獣医師にとって「春のボーナス」と言われている
狂犬病の予防注射に行ってきた
3250円を支払った

日本ではもう半世紀以上も狂犬病の発生は無い
しかし今朝の朝日新聞では
インドネシア・バリ島での狂犬病について伝えている
「やらせ記事」のような気もする

注射は一瞬で終わり、本当に注射したのかどうかも疑わしい
儀式 お祭り 定例行事のようなものである
狂犬病予防などという緊張感は皆無と言って良い
ハイハイとお役人がお金を徴収していく

金儲けの手段は
どこにでもも転がっているのだ

しかしこんなノー天気な場所にこそ
ほころびが見えてくるというものだ
原子炉爆撃だけがテロの方法ではない
狂犬病菌゜バラマキだって十分に社会不安をもたらすだろう
(いわゆるウイルス・細菌・真菌・リケチャ・など
細菌兵器と言われるもののネタは無限にある)

関係保健所や獣医師諸姉のみなさん
「春のボーナス」などと浮かれていると
他国からのターゲットになりかねませんよ
もちろん たぶん さすがに
ここまでは日米安保では担保できていませんからねぇ





玉ねぎの初収穫

2015年04月14日 | Weblog

雨の合間に
ホンダのcc中古カブに跨って畑へ
不思議おじさんは株(カブ)主なのだ!!
ただしアベノミクスとは無縁である

早生の玉ねぎを抜いてきた
坊主のできているものもある
生で齧った
辛味やえぐ味はほとんどない

今年に初めて玉ねぎを作った
見様見真似である
親は居なくても子は育つ
主はサボっていても玉ねぎは太る


大学時代の友人夫婦の家庭では
不思議おじさんの名前を冠して
玉ねぎのサラダを「●●●●サラダ」と呼んでくださっているとか
貧乏学生だったころ
長居の古アパートに住んでいた
不思議おじさんは3畳の間に
彼ら二人は6畳の間に
そのころに玉ねぎサラダを伝授差し上げたらしい

薄くスライスした玉ねぎを水にさらし
軽く搾ってオリーブオイルを掛ける
鰹節に卵黄をを乗せて醤油で頂く
写真のオリーブオイルはパレスチナ産
平和への願いが込められた民衆交易品だ
http://altertrade.jp/olive
(残念ながら 忙しくて産地に行く機会を失した)

収穫してすぐの玉ねぎの葉は食べることができる

冷蔵庫にありあわせの薄揚げ、コンニャクなどと煮合わせた

こんなのばかり作って
春のお酒を頂いている


弘川寺の宴

2015年04月13日 | Weblog
『春ごとの花に心をなぐさめて 六十(むそぢ)あまりの年を経にける』
(思えば60年余り、春ごとに桜に心を慰められてきたんだなぁ)
西行法師の歌である


大阪と奈良の県境近くに弘川寺がある
西行終焉の地だ
江戸時代に僧・似雲(じうん)によって墓が見つかった
似雲もまたこの寺に庵を結んで住んだ


樹齢350年という海棠桜
今年も見事な花をつけたが
大阪では冷たい雨が続いているので
花は少し縮こまっていた


弘川寺裏山での宴 
手弁当 ビール お酒
まだ現役の人も一人いるが
「仕事」を終えた人たちだ
某新聞論説委員や大学の元副学長
それに文系・理系の教授たちだが
気の置けない楽しい会である
なにより相手の言うことを聞くことに長けている
某新聞はいわゆる右寄りと言われているが
相手の言うことはしっかり受け止めてくれる
相手を指弾、糾弾してやり込めることに
快哉を上げるようなことはしない

昨年の話題はスタップ細胞だった
一年という月日の速さに改めて驚く






春の目覚め

2015年04月10日 | Weblog

「インカノメザメ」が目覚めた
畝の地を割り、己が茎を大気に放った
「目覚め」にふさわしい勢いである


早生の玉ねぎだ
もう収穫できるものもある
5月初頭まで待つことにしているが
このまま煮物にすることも可能
早生は葉も食べられる
ムフフフフ 
初めての収穫だ

大阪は4月に入って10日間で9日間も雨が降った
わずかな曇りの合間に草取りをした
道具を使わず
軍手で誠に細かい草まで手で摘んだ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一生作す(なす)に慵懶し(ものうし)
重きを憎み ただ軽さを便とす
他家は事業を学べど
余は一巻の経を持す

何をするにも億劫だし 面倒だし
怠けて暮らすのが一番さ
地位とか名誉とか重責とか財産とか
そういう重たいものは大嫌いだし
重いものを背負っていくような生き方は真っ平だ
背の荷物は軽い方がよい
よその人たちは商売や
他のもろもろの仕事に一生懸命になっているけれども
私は一巻のお経があればいい
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
唐代の僧 寒山の詩とのこと

「仕事」がもたらす幸福感
さまざまな責務を背負い 
厳しい状況 競争 逆境を撥ね退け
与えられた任務を全うする
大小を問わず達成感が生きがいにつながる
時として名誉も与えられ
経済的にも遇せられる

そんな世界から離れて1年
駆け抜けた40年間は一体何だったのか

そしていま生きている空間と時間
どのように息を吸って
どのように足を伸ばせばよいのか

『ぼんやりの時間』辰濃和男著(岩浪新書)
以前もご紹介したが 
毎日のように頁を繰っている


テレビで紹介されていた大阪の馬肉屋さん
老人性カイカイ病で皮膚科を受信後
雨中に和泉市の店舗(支店)を訪ねた
すでに赤身の馬肉は売り切れていた
ちょっとお高いが刺身用霜降り肉と
馬タンのスモーク求めた
写真は馬タンスモークと
不思議おじさんが以前に役員をしていた会社の4元豚焼き肉スライス
二十日大根の葉を塩レモンで揉み
株をスライスして今夜の肴にした

株価が2万円を超えたらしいが
不思議おじさんとは無縁の世界である
自ら額に汗することなく富を手にする
そんな行為に手を染めることは無い
不思議おじさんに関係するのは
野菜のカブだけである


生協の小さな店舗で久しぶりに「豆匠」の絹ごしを求め
生協の野菜セットにあった白蕪を煮物にした一品

春は旨いものが出盛る


不思議おじさんが以前に鯉釣りをしていた池
雨が続き 溢れ出た水の浮かれた鮒が
堰の上で10匹ほど大往生していた

茨城県ではイルカが砂浜に打ち上げられている

生き続けるということはなかなかに難しい




旬は筍から

2015年04月06日 | Weblog

たけのこを「竹の子」と書く人が居る
ご勘弁願いたい
せめて平仮名で書いてほしい
「筍」がふさわしい漢字だと思う

「旬」という字に竹冠
「旬」はほぼ10日間を表す…上旬・中旬・下旬
一方で農作物についての「旬」は少し微妙
wikiでも次のように紹介している
旬は、次の3通りの違った意味で使われることがある。
1.季節を先取りするはしりと呼ばれるもの
2.収穫量がピークに当たる時期
3.素材がもっとも美味しい時期である。

筍はまさに「1」における旬であろう

泉州は筍の産地
生協でも注文はしているが待ちきれない
道の駅「愛菜ランド」で少し小ぶりなものを求めた
1時間の下茹をしてトルテの散歩に
筍は下茹でした後に冷ます時間が必要だ
それに混合削り節、だしじゃこ、昆布でじっくり出しを取った


新物の鳴門わかめと煮合わせて若竹煮に
出しに追い鰹をしてコクを出した
庭に根付いた山椒の若芽の香りが堪らない
幸せというものはこういうものを言うのだろう

なあーーーんにも世間に誇れるものは無いけれど
密かに春の味を楽しんでいる
もちろん美味しいお酒と古伊万里の蕎麦猪口がお伴だ


シャガが咲き始めた
花は白の中に紫となかなかに彩は良い
夏の乾燥にも強く
しぶとく強い山草である


変わり種のチューリップ
日々草に埋もれながらも
春の到来を告げる役割を見事に果たしている

ところで不思議おじさんは
どんな役割を??…


合点 庵点

2015年04月05日 | Weblog

不思議おじさんが毎日食事をとる椅子からの眺め
トルテ君も薄紅色の海棠桜を楽しんでいる
というのは人間の勝手な思い
犬の目では赤色系統は認識できないらしい


枝垂れ桜も今が盛り
道路の向かいは小学校の土手
桜見物には不自由しないが
それでもわが庭に咲く桜は格別だ

町内(320世帯余)の老人会の民謡クラブにお声がかかり
昨年秋から参加させてもらっていたら
今年から幹事役を引き受ける羽目になった
もちろん60歳代は2人のみで大半は70歳代後半以上
乗り掛かった舟なのでまぁ仕方がない

太鼓の習得にはできるだけ多くの曲を叩くことが必要
老人会民謡クラブに加えて他の会からもお声をかけてもらった
7月に近所に完成する立派なリージョンセンターで
毎週民謡クラブが企画されているらしいが
そのクラブ主催者からもお声掛けいただいた

民謡漬けの毎日
来週日曜日は産経民謡大賞の予選
前日土曜日夜は宴の予定
予選の順番は7番と朝早くに出番なのだが
それでも宴に参加するのは
不思議おじさんが根っからのお酒好きのせいだ

合点!!!  との声が聞こえる

ところで「合点」て何でしょうか?


民謡の歌詞の初めには記号がついている

フタコブラクダのような記号
これを庵点(いおり点)と呼ぶ
2か月前、歌詞をパソコンで作成する必要があり
この記号を打ち出す時に初めて知った
(ただしWordの「記号」には普通は入っていない)


これは観世流能楽百番集
大学時代は能楽研究会にも属していたので
本棚から埃を払いながら取り出した
「竹生島」はもちろん不思議おじさんの田舎が舞台だ
先輩から厳しく教えられた日が懐かしい

さてお気づきだろうが 謡の始まりや
謡い手(シテ、ワキ等)が替わるとき
文頭に鉤型の記号がついている
これが合点だ

「和歌・連歌・俳諧などを批評して
そのよいと思うものの肩につける鉤型の印」
「回状などを見終わり了承の意を表すために
自分の名前の肩に印をつけること」
などが恐らくは語源となり
「同意する、納得する、理解する」などの意になったようだ

知っているようで知らないことを改めて知ることは
何のご利益も無い 
が…
『教養』…今日する予定の用事
『教育』…今日 行く所
これを確認してボケ防止にすることにプラスして
小さな探検 発見をしたようで
まぁ退屈な毎日に細やかな彩を添えてはくれる