後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

想像力

2011年03月29日 | Weblog
死者が1万人を超えた
行方不明者を合わせると3万名に及ぶ

この事実に中部以西の日本人は現実感がない
毎日、500人の「死者が増えている」ということは
瓦礫や土砂の下から
変わり果てた死体が掘り出されているということだ

津波の映像からも死者の姿は一切ない
CNNではかなりの「現実の映像」が報道されたらしい
「報道とは何か!」
なぜ死者の姿を含む現実を知らしめないのか?!
マスコミ関係者に問いたい
マスコミは何を伝えたいのか?
「ありのままの現実」を超える言葉と映像を
マスコミは持っているのか?

大学では、卒業生からの大学への寄付を
卒業式で義捐金として贈られることが拍手で確認された
近々、朝日新聞の記事になるはずだ
それ以外では、
N先生がこの被災をテーマにした公開講座開設の意向を示された
春休みなので動向は不確かだが
ただならぬ、新たな文明の創造が必要とされるこの時期に
のんべんだらりとした教育の継続は許されないと不思議おじさんは思う

人間は時代が作る
明治維新前後 坂本竜馬をはじめとする人材の輩出は
時代が求めていたものだ
敗戦後もそうであったのだろう
そして阪神大震災でも身近に有為な人々が生まれた

東北関東大震災の被災は
直接的には東北の各地に
そして日本の社会、経済、文化に影響を及ぼし
「これまででいいの?」と問いかけてくる
従来の価値観では対応できない事態に直面している

新たな人材が輩出する
そのことの確信に満ちてはいるが
それまでの間 誰がどうするかだ

I氏に電話した
NHKテレビで取り上げ続けられた福田氏が
神戸に帰ってきたので先ほどまで話していたとのこと
I氏は尼崎市長の隠れシンクタンクである

不思議おじさんの問いかけは
「自転車の寄贈は役に立たないだろうか」とのもの
家も家財道具も車も流されて避難所にいる人たち
半年以内に仮設住宅が用意されるだろう
その人たちに必要なものは何なのか

不思議おじさんが考え付いたのは「自転車」である
燃料も無く、車を買い替えるお金も無い人たちが
少しでも生活の自由を得る手段は「自転車」ではないのか
行動範囲は飛躍的に広がるはずだ
行動の自由の獲得は、元気の源の一つになるはず
しかも堺市は自転車産業が売り物

「日本赤十字社」への寄付が一般的ではあるが
率直に言って、トラブルや失敗の報告がない団体は信用できない。
つまり、正直な団体とは思っていない。

どこの、だれに、なにをサポートするのか
より明快な寄り添いを実現したいものだ。

かといって
不思議おじさんは
社会的実行力を持っている職にはもはや就いていない
忸怩たる思いである

被災者の身になって想像してみる
自分の今いる場所、立場を考える
「助ける」ではなく
「未来に向かう出立」をお手伝いする
そんなことができないかと考えている

明日にでも堺市の自転車工業会に電話するつもりである
職場では無く、元の職場でもなく
今の立場でできることを模索するつもりである
ドラマの想定地を走る路面電車である


人材

2011年03月27日 | Weblog
日曜日の朝日新聞 
特集版は藤井絢子さんだった
35年来の同志と言ったら怒られるだろうか
昨年に「せんぼく菜の花プロジェクト」が立ち上がった
http://senboku7087.com/
不思議おじさんももちろん発起人だ
藤井さんの新しい本が出ると聞いて
まだ実績も赤ちゃん並みなのに載せていただいた

その新聞を読みながらNHKのテレビを見ていたら
なんとなんと被災地NGO恊働センターの村井さんが出ている
ヤギのようなひげを蓄えていた
センターも随分古びて襤褸っちくみえた
もちろんお金がないのだろう

番組では山形の米沢に入ったメンバーを追っている
活躍していたのは福田さん
阪神大震災では不思議おじさんも現地救援本部で
事務長の役割を果たし、その後にその団体は
NPOとなって被災活動や福祉活動を行っている
福田さんはI氏の後を継いで事務長だ
米沢で迎え入れたのは井上氏
阪神淡路の時はパンでいち早く駆けつけてくれた
重度身体障害者施設に車を寄贈してくれた
NPOの監事となって支え続けてくれた

不思議おじさんは正会員
年間僅かに1万円を会費として納めている
NPOでは経済的にいつも苦しい
不思議おじさんは前職で会社のホームページ制作を依頼した
福田さんが製作してくれた http://www.wiener-club.com/
最近は内容更新されていないのが少し残念だ

これだけの激動が日本を襲っている
変化は「人」を産み出す
次の時代を担う人材が山ほど輩出しているはずだ
「人は時代が作り出す」 これは確信だ

不思議おじさんと言えば
3月の最終日曜日は恒例の和泉市の民謡大会だ
今年で30周年になるとのこと

関西で人が集まるのは良いことだ
この日も義捐金が3.5万円集まった
じいさん、ばあさんがどんどん出せばよい

日本の民謡は東北の唄が多くて味がある
精一杯唄って 歌声と心が届くことを願う

因みに不思議おじさんは北海道の唄
日本民謡の最高峰 江差追分
その前唄を2つの歌詞で唄った
風邪気味の1日は
多くの旧知と1年振りの出会いで閉じた
椿の花が満開である



ラジオ

2011年03月22日 | Weblog
N先生がS先生から貰われたと言うTwitter集のコピーを頂いた
「人間、捨てたもんじゃない!」というメッセージが溢れている
涙で声を詰まらせたNHKアナウンサーの話が出ている
天声人語でも触れられていたが、こんなアナウンサーが複数居たのだろうか

不思議おじさんが聞いたのは夜の10時過ぎのラジオ番組だった
ある鄙びた漁村の被災状況を伝えようとしたとき
過去に訪ねた記憶が彼の脳裏に押し寄せたのだろうか
「美味しい魚が獲れて、みんな慎ましく暮らしていて
 旅の人間にも優しくて、こんな目に逢わなければならないなんて…
 そんなことを何一つしていないような方々が暮らしていた村でしたのに…」
絶句して、ラジオは暫く無言のまま時が流れた。
「すみません。取り乱してしまいました。
 ちゃんとお伝えいたします。」
気を取り直して、まだ鼻声のアナウンサーは
被災状況の続きを読み始めた

テレビ報道を見ることに疲れ
風邪気味だったこともあり
ラジオを聴く機会が増えた

増田明美さんの1時間の講演
ユーモアたっぷりの軽快な話しぶりもさすがだったが
自己否定の中から立ち上がってきた彼女の逞しさが
今の優しさの原点であることがよく分った
良くない結果を周囲のせいにして
自己の正しさを主張することに専心した若き日の増田さん
だからこそ、周囲の批判・非難の目に耐えられずにアメリカへ
自己否定の地獄を潜り抜け、周囲の支えに感謝の念を覚え始め
人間として再びスタートラインにつくために走った大阪マラソンで
大阪城に入った27km地点で「増田!お前の時代は終わったんだ!」と
大阪のオッちゃんに大声で言われ
もう堪らなくて地下鉄に乗って誰もいない所へ逃れようと歩いた話
そんな彼女を励ました多くの市民ランナー
その後の永六輔さんとの交流などを通して
彼女は、自分の間違いを素直に受け容れられる人間に…
一時間はあっという間に過ぎた。

作家の林望さん(M先生に聞けばリンボーさんと愛称されているらしい)
幕末から明示に掛けて活躍した英国の外交官のアーネスト・サトウの話
サトウのことは、ずっと以前に朝日新聞に連載されていたので読んでいたが
かれが5万冊にも及ぶ本を日本で買い集めて
その全てを結果的には英国の大学に寄贈するいきさつについての話だった
リンボーさんのよどみの無い語り口の裏に
アーネスト・サトウへの敬愛がにじみ出ていた

そして昨夜は、五木寛之と加藤登紀子
共通点は朝鮮及び満州からの引き揚げ者であること
故郷喪失者 デラシネ
あるいは二つのアイデンティティを重ね持つ人

上手く書けないが
NHKの担当者達から
被災者へのメッセージが凝縮している

テレビ報道の何百倍も深く
何日も反芻できる 聞き応えのある中身
ラジオ好きの不思議おじさんである

思い あれこれ

2011年03月19日 | Weblog
勤め場所で、今日はハレの日
若者の出立
天気は穏やかだったが
彼らを迎える世間の風は冷たい



児童文学者 庄野潤二を師と仰ぐH先生は中国人
文革に関係されて
人を信じられなくなるほどの苦しみを味わわれたと聞いている
勤め先の小冊子に「星の牧場」の中国語翻訳を掲載され
その前文にモラエスについて触れておられた

モラエスは以前にも書いたが
人生の最後は「西洋乞食」と蔑まれながら
異郷の日本 徳島は眉山の麓に暮らした
その山懐に「瀧の茶屋」があり
冬になるとキイロアマが咲き乱れる

キイロアマは黄色亜麻
我家でも 春の近づきとともに
さすがの黄色も褪せてきた


被災地NGO恊働センターの村井さん
通勤途中にNHKテレビで拝顔
相変わらずのボソボソ口調
あなたの出番がまたまた来てしまいました
支援を怠らないようにと考えています

自分に何ができるのか?

2011年03月17日 | Weblog
山折哲雄さんの言葉
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残念なことですが、
私たちの力ではみなさんの悲しみを取り除くことはできません。
悲しみを完全に共有することはできないのです。
でも、みなさんに寄り添うことはできる。
悲しみを抱えたまま立ち直っていくことはできるのです。
それは、みなさんと「無常」を受け止めていくことだと思います。



山の仙人さんの言葉
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核というのは、火に例えると、人間の手で制御できない火である。
火は、消せるからこそ、人間の道具になりえて、
人類をこれほどまでに進化させ、文明を発展させた。
核とは、ある条件の下においてのみ管理できた火である。

原子力安全研究会とかの某が、
チェルノブイリやスリーマイルとは全く規模が違う。
今回のは大した事ないですよ、全然大した事ない、なんて言ってる。
チェルノブイリは核融合中の事故で、
制御できなくなり暴走しているが、今回はそうではない、
とにかく水で冷やせば何とかなるさ・・・・。みたいな。

そんな事は分ってるよ、日本人は馬鹿じゃない。
何度も言うが、「嘘」に問題がある。
奴らは、危険だが、最善の策を持ち、慎重に原発を管理するのだ、なんて絶対言わない。
安全ですって言うんだ。
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(山の仙人さんの怒り、苦しみ、悶え、格闘は
「山の仙人になりてぇ」にアクセスを)
…勝手に宣伝してしまいゴメンナサイ



もう20年以上も年末に生鮭を一本求め
黄金色に輝くイクラを取り出し、
熊が涎を垂らしそうな美味しい魚を頂いている。
鮭を獲って注文に応じてくれていたのは
本州最東端にある重茂(おもえ)漁協
岩手県宮古市の東南部
「喜びも悲しみも幾年月」の岬にある

最も早く津波が到達したはずであり
過去にも津波で大被害を受けている
新聞に情報は全くなかったが
どうやら漁協職員の皆さんはご無事だったようだが
住民の方々50人ほどの行方が分らないらしい

春休み中で姿を見ることの少ない学生たちだが
やって来ている学生も「何ができるのか」と自問自答している
まずは、自らにそう問いかけること
すでにそこには「心」が芽生え始めている
「心」は自分の中にあるのではない
相手との間に生まれるものである

「心」から何かが始まる

東日本大地震

2011年03月13日 | Weblog
夢であれば目を覚ましたい
現実とは思えない光景を
遠く離れた我が家の薄っぺらな四角い膜が
繰り返し繰り返し映し出す

圧倒的な津波の力
人家は土煙を上げながら
玩具のように持ち去られていく
中に人は残っていないのだろうか?

地震が発生してすぐに車で自宅を目指し
途中で渋滞したので車を放棄して走りに走り
何とか自宅に戻りついて妻と2人の子を連れ出したが
途中で津波に飲み込まれた男性がインタビューを受けていた
本人は樹にしがみついたが、妻と2人の子の手は離れ
真黒な悪魔の液体に飲み込まれたそうだ
長女は別に居て助かったそうだが…

一人ひとりに凄まじいドラマが繰り広げられたことだろう
阪神淡路の時もそうだったが
死者・行方不明者の数は
報道の数倍になるかもしれない

人類の歴史は500~800万年と言われているが
自然の歴史からみれば一瞬にすぎない
有名な例えだが、地球の歴史を24時間とすれば
人類の誕生は2分前、農耕を始めたのは1秒前である
日本の歴史が文字で記されてまだ1500年
1000年に一度の地震の記録の詳細があるはずがない

遠く離れて
何の手助けもできない
忸怩たる思いで
じっとテレビを見続けている

どのように復旧させるのかと思う
教訓に学ぶということなら
津波の高さまで護岸を積み上げるのか
人家は全て20メートル以上の高さに建てることにするのか

生き残った人たちの生活を偲び
我が平安の生活を申し訳なく思う



らくだ

2011年03月10日 | Weblog
小妻の誕生日である
皆様は父上や母上のお誕生日なら答えられるかと思えます
すでに黄泉の国に召されている場合のご命日はどうでしょうか

昨日、お世話になっている英語の先生のご母堂が亡くなられた
人間が亡くなることの類語辞典を調べたら
そうだろうとは感じていたが、皆さんが想像を絶するほど多い
皆様はいくつ言えるだろうか?

息子はどうやら小妻の誕生日を忘れていたらしい
娘の子ども(孫)は電話を掛けてきたらしい
そんなことを聞いて夕食を頂いていたら
NHKのクイズ「クエスタ」が放映されていて
息子のバンドの曲が何気なく流れている

彼のバンドの曲はビクターから10枚ほどのCDとなった
ライブは大阪・神戸を中心に東京でも行われた
CDはビクターから10枚近く出た
バンド(10名)は7年後に解散し
今では息子のこの部分の年収は1万円に満たない
若者の音楽への情熱は限りなく商品化され収奪されていく

不思議おじさんは本日にCDをゲットした
いやぁ-懐かしい
家のどこかにはカセットテープがあるはずだが行方不明
昭和48年版 6代目の「らくだ」である
6代目と言えば松鶴である

確かに落語界の人間国宝は米朝さんである
米朝一門会を10年ほど主催した
そんなことから米朝さんとは多少なりとも顔見知りである。
亡くなった枝雀さんが、電車から毛糸帽子頭で
オッーとあいさつして現れたり
焼き肉ソングで有名になった雀三郎さんが
これ以上ない真剣に顔をして
栂文化会館の客席をある聞きながら
ネタ繰りをしていたのがついこの間のことだ

米朝さんのラクダも大したもんだが
大阪のラクダと言えば松鶴に及ばない
ましてや江戸もんは物真似の域を出ない

表の社会における人間社会の差別と非情
ほんとのところでの人間への限りない愛情
不思議おじさんが最も愛する落語である

さてさてサクランボが開花した


卒業式を迎えて大学の池も清掃され
避難していた金魚を池に戻した
もとはと言えば昨年の5月の連休に
小妻と二人で金魚掬い用の金魚を30匹放したもの
世代交代をして一時は160匹に増えたが
越冬した今は手のひら大に成長した

トイレに避難した時の写真だ

「歌」について白川静さんに教えられている
今少し反芻して皆様と話し合いたいものである

啓蟄どころか!

2011年03月07日 | Weblog
先週に孫を連れて近所の梅林へ


梅見もそこそこに大道芸に拍手を送る人垣


サクランボの花芽が膨らんできた
開花目前! なんと艶っぽい色であることよ
ただし咲いてしまうと、ピンク色はほとんど失せる


昨秋に植えた海棠桜の芽も膨らんできた
春が庭先に蠢いている

アッツ桜やパセリにロケット
それに塩水でも育つアイスプラントの苗や
2本の山紫陽花…
雨の降る前にと庭仕事をしていたら
なんと手が痒い!!
間違いなく蚊に刺された!
手の腫れ方から見ても間違いない

恐るべき温暖化
森昌子「越冬つばめ」も
「越冬蚊」…「越冬歌」に