後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

ご心配をおかけして申し訳ありません

2014年10月28日 | Weblog

フジバカマだと山野草屋のおばさんは宣う
白花、赤花、ノコギリ葉の3株を買ったが
本当にフジバカマかどうかについては疑っている
とりわけ赤花はヒヨドリソウに見えて仕方がない

まぁしかし 信太山丘陵を自衛隊が鉄網で占有し
善良な市民(不思議おじさんのこと!!)は追い出されたので
もはやヒヨドリソウの群落を見ることもできない
その寂しさを鉢植えで紛らわすことで一件落着させている

信太山丘陵はもともと入会地だったのだから
住民の生活環境を一方的に奪ったことについて
国を相手に裁判の一つでも起こしてやる
そんな気も無くはないのだが…
腰の痛みに気が弱り、老いてきたせいかと 
そんなことが逆に気になる


股関節の痛みが 不思議おじさんの魂を抜いてしまったこの4か月
「痛みと仲良くなる」ことも対処法の一つだという人もいるが
普段から堪え性のない不思議おじさんには無理なこと
痛みは 不思議おじさんの「(やる)気」を見事に抜いてしまった

対症療法や 治療につながると思えることをいくつも試した
「漢方を参考にした」と謳うお高い煎じ薬も飲んでいる
理学療法士さんに 股関節が本来ある場所に戻てもらったり
整骨院の先生に習って歩き方を変えてみたり…
もちろんロキソニンも服用して痛みを抑えている
毎週2~3日は朝の8時からリハビリに通っている
病院仲間もたくさん増えた 皆さん70歳80歳代だ

そんなこんなで 何とか痛みは消えた
恐る恐るだが、日常生活を元に戻している
ほったらかしの畑にも出向くまで回復してきた

そんな間にも、庭に咲く花は季節を違えない
貴船菊(秀明菊)が南の庭に咲き乱れた
臨家が垣根にしていたカイヅカイブキを伐採したので
今年は日差しをたっぷり浴びて元気に咲いた


ホトトギスも同時期に咲く
日本には9種類ほどあるそうだ
不思議おじさんは3種類ほどしか見たことが無い

書きかけたブログもいくつかあったが
途中で「気を抜かれて」書いては消す繰り返し

歩くこと 動くこと 出かけること 何か作業をすること
予定を立てること 何かをしたいと思うこと
朝起きてやることがあること 
夜が来れば寝られること 
そんな当たり前の一つひとつができない経験をした

無職になって 新しい日常を作ろうとした矢先
出ばなをくじかれてしまった感がある

それでいいのだ それでいいのだと
バカボン赤塚先生が囁いている

もともと ええ加減にできている不思議おじさんのこと
ありのままの(流行言葉ですねぇ)現実を受け止める力を養って
ぼちぼち参ろうかと思っています

ご心配をおかけした諸兄姉には本当にありがとうございました
まずは久方ぶりのブログアップで御礼まで


『「正義」と「真実」のどちらかを選ぶとしたら』なんて、今更…

2014年10月01日 | Weblog

前々回の最後に「写真2葉」としていたが
1葉しかアップしていなかった
湖西線「新旭駅」から東(琵琶湖・長浜)方面を望む
安曇川が形作った三角州の中心
駅前だが、往時は寺の境内・畑・水田などが牧歌的な光景を形作っていた
小さな棚田や畝、小川が幼いころからの遊びステージだった
手前の木陰の向こうに父母の墓もある
不思議おじさんはこの墓地には入らない(入れない)

そういえばそろそろエンディングノートを書く必要がある
小妻が買い求めてくれている
琵琶湖(や河川)への散骨は法律で禁止されている
勝手に撒けばそれまでだ よね?

不思議おじさんの羅針盤の一人は高橋源一郎氏
5歳下 明治学院大学教授 お会いしたことはない
朝日新聞「論壇時評」を担当されている
それよりもNHK第一ラジオ番組「すっぴん」
金曜日の朝8時から12時前まで出演
絶妙のバランス感覚は 彼のせいではなく世の中の右傾化で 
いまや「左翼」と言われることになってしまっているかもしれない
多分、彼のせいではない
現代の日本が 本当に自由な言葉の表出を封殺しようとしているからだ

「正義」は権力が作り出したモンスター
昨日までは鬼畜米英で「人を殺す」ことが正義だった
敗戦のその日から、基本的人権に基づく民主主義が正義となつた
この「正義」に反すれば、「非国民」「アカ=共産主義者」と決めつけられ
殺されたり社会的に抹殺されたりした
アジア各地でそれぞれの国民を戦争(正義)の名のもとに殺した日本の精鋭は
戦後も長く口を閉ざし続け、自分のしたことを墓までもっていっている
朝鮮人を、中国人を、米英人を殺すことが疑いもない自分の使命だった人たちだ

蟻のように踏みつぶされても仕方のない私たちは
実際の場面では「正義」に従ってしまうことが多い
今も世界各地で「正義」の名のもとに鍛圧を受けている人たちが数多くいる

実際の場面になる前に「正義」を疑うことを身につけなければならない

源ちゃんは言う
「現代日本の愛国者」は「正義・国は正しい」ということを前提としている
しかし人はいつも正しいのか
あなたの愛する恋人や妻、友人や先輩や上司は間違えないのか
正しくないと愛せないのか 尊敬できないのか
「人はしょっちゅう間違う」
これは人間社会が持っている根本的な真実
人は間違うことがある
いや製造業(他の産業の多くもそうだろうが)に携わった人なら常識であるが
人が間違うことを前提にしなければ事業は成立しない
「人のミス」を「想定外」なんて言っている事業体は皆無のはずだ

さて朝日新聞のこと

斜め上からの目線
自分(朝日の主張)が正しいとの臭いが紙面からプンプン漂ってくる
ずっと胡散臭く思われていることを彼らは気づかないか気が付かないふりをしている

「自分の正しさ」に自らの立地を求めると足を掬われる
ミスをしたときに正直に振舞うことができない構造を持ち合わせている
正直に振舞うことがより重圧になる

自分の知っていることがマスメディアに取り上げられたある人なら
多分共通して感じていることがある
細部(地名・人名・日時・事実の経緯…)が間違っていることが多い

新聞に書かれていることが全て「真実」なんて誰も思っていない
「まぁ正しいだろう」と思ってもらえるには、
地道に「真実を積み上げるしかない」
それまでの「誤り」を苦渋のうちに自ら認めなければ
新たな記事を「事実」としてを記事にはできない
読者の信頼を勝ち得ることはできない

不思議おじさんも、仕事を通して
『墓まで持っていくしかない』との思いを何度したことだろう
大問題はやはり起きる!!
経済的にはもちろん、信用や信頼が一挙に瓦解しかねない
正直であろうとすれば身(立身出世・個人的名誉)の破滅を招くことにつながる
何とかこの大問題・ミスが表ざたにならずに済まないものだろうか
不祥事でテレビの前で首を垂れる重役や重責者もそんな思いがよぎったことだろう

正直に全てを明らかにしなければ、原因も対策も講じられない
ミス・問題はより大きな形で繰り返される

ところがだ!!
世の中は外に複雑にできていて
そんなきれいごとでは物事は進まない
別の正義をかざす人、自分の立場を守ろうとする人、妬み

脅迫状を自作自演と決めつけている人たちもいるようだが
多分そんなに単純な想像のもとに物事は展開していないように思う

源ちゃんの論壇時評「9/25・朝日新聞」は実に楽しい
それ以上に、ラジオの源ちゃんはもっと楽しい
腰のストレッチ、冷却を行いながら
にたっと笑う金曜午前だ