後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

「週」慣

2017年06月28日 | Weblog

ダリアを植えた
山形県川西町が栽培地として高名だ

久しぶりに道の駅「葉菜の森」まで出かけたが
一端は通り過ぎた
国道480号線に鍋谷トンネルが開通したことを知っていたから
一度は通ってみようととの思いつき

「葉菜の森」から約12キロ
快適な道路を通り過ぎたところに和歌山県側の道の駅があった
昔は、つづら折りの細い道が延々と続き
国道との響きはから程遠い山道だった

それほど通行量は多くは無いが
大阪南部と和歌山北部がつながった意味は大きいだろう
しかし大阪側は高速道路との接合が厳しい
都心部優先の政治の歪みだろう

「開通式」の模様を近所の自治会長に聞いた
府知事も出席したらしい
くす玉が割れて全員拍手
しかし皆が「あれっ」との顔になったらしい
くす玉から降りてきた垂れ幕が風に舞う
なんと 「鍋谷トンネル開通」の垂れ幕が
逆に吊るされていたとのこと


破竹を買い求めた
売り場でおばさまとお話して調理法を訪ねた
「えんどう豆との炊き合わせ」とのお話をたちまち試した
なるほど、
破竹のシャキシャキ感と、豆のわずかなねっとり感の
食べ合わせが絶妙である


雨が降り続くと夏の花が勢いづく
藤野先生から株分けして頂いたノウゼンカヅラ
藤野先生は魯迅が書いた「藤野先生」のお孫さん
不思議おじさんが通った大学の理学部教授
もうなくなられて10年以上になるだろうか
千里のご自宅を訪問した際
小学校低学年だった息子と娘が
お庭のメタセコイアに登り、降りられずに泣いたのを思い出す


清々しさのなかに人懐っこさのあるこのスカシユリ
20年前の家屋増築工事で危なく絶える所だったが
今年も花をつけている


山形のサクランボ
不思議おじさんは山形に知人が多いが
これは小妻の知人から届けられた
山形県の看護師で一番の「えらいさん」
娘の結婚式にも列席して頂いた
そんな経歴を言うとかえってお人柄がマイナスの印象になる
何んともふくよかでおおらかな女性である

今夜もまた サクランボが届いた
不思議おじさんが敬愛する農民詩人(作家)からである
お付き合開始は1986年だからもう30年くらいにになる
映画「おもひでポロポロ」の舞台がその地


先週の日曜日は民謡の発表会
今週の日曜もまた民謡発表会
ところがまた土曜日に飲み会が入った
67歳まで務めた大学の懐かしいメンバーからのお誘い
元の学長、副学長もお揃いだとのこと
彼の大学は、とある銀行OBが理事長になったので
職員も多くが入れ替わり、数字第一主義が闊歩しているらしい
確かに大ナタを振るわねばならない体質だったが
果たしていかがなりましょうか ネ

安倍首相との縁が無かったのが、
この大学の儚い運命だったというべきなのでしょうか??
「モリシーのひとりごと」様
飲み会で何かお伝えいたしましょうか?!

「週」慣のことである
この歳になると免許更新時に『今日は何日? 何曜日?』と聞かれるらしい
認知症者を発見する質問だとか

不思議おじさんは今は「曜日」が生活のリズムだ
今日が「〇月〇日」であるかはあまり重要ではない
従って、試験場で質問されると答えられないかもしれない。

例えばA民謡会は、第①、第③火曜日の午前が練習日だが
それが「〇月〇日」ほとんど気にしていない
それでも約束の日を違えたり時刻に遅れることは一回も無い

今週は第5週である
従って通常の ルーティンの行事はない
しかし太鼓の師匠は仰った
『2週間も間隔か空くと「身体も気も萎えてしまう」』とのこと
明日も練習である

2日ぶりに収穫したキュウリは
やはりこん棒状のものが2本あった
僅か2本のキュウリから、夥しい収穫がある
食べ続けることに一種の恐怖すら感じている毎日だ



雨の力

2017年06月24日 | Weblog

怪物級の胡瓜だ
火曜日夕方には、まだ収穫は早いと見送った
水曜日は丸一日目 雨が降り続いた 
慈雨だった
木曜日は午前中の太鼓の稽古がお休みなので畑に行った
そして収穫したのが、この巨大な胡瓜


極普通のキュウリは平均的に150グラム前後ではないかと思う
この巨大胡瓜は580gもあり、長さは38cmを超えた
2日も経たないうちの急成長である
竹取物語の翁もビックリすることだろう
表面は柔らかく、中身も瑞々しい
雨の水は作物を成長させる
水道水とは同じにできない力がある


里芋は順調に育っている
日本人のルーツに諸説あるが
南方の民族が関係していることは間違いないだろう
それは里芋を等しく好む点にある
北海道は知らないが、九州から東北まで
田んぼの片隅に里芋を植えている
あのまったりしたネバネバ食感は日本人が好む共通の嗜好だ



西瓜食害事件に懲りて、トウモロコシにカラス対策を施した
種をもらって植えたトウモロコシが10本
果たして収穫に至るだろうか


いろんな種類のカボチャを植えている
不思議おじさんか子供のころ、
父母は牛(馬)小屋の前に植え、蔓は小屋の屋根に這わせていた
今だとニガウリなどで作る日陰作りを兼ねてのことだろう
牛は暑さに弱い
ちょっとだけ真似して、スナップエンドウの柵をそのまま利用した


サツマイモも90%以上が根付いた
枯れた数本の補充苗は、畑仲間のS津さんから分けていただいた


黄色マクワウリも順調に実をつけている
近所のおばさんは「自然に任せていてはダメだと力説した
カボチャもウリも、蜂がほとんどいないのだから
朝の8時前に人工授粉することが必要だ」と言う
雄花を雌花に擦り付けて受粉させるという
鹿児島弁おじさんは「そこまでしなくてもいい」という
観察していると、結構、蜂は飛んでいる
一応、自然に任せることにした


オクラだって元気に根付いた
こいつは収穫時に目を見放せない
一日採るのが遅れると巨大化するからだ


ナスビやキュウリは毎日の収穫
有難いことだ


落花生の成長について知りたいと希望される人が居る
いろいろ疑問があるようだ
種を蒔いたらすぐに発芽した

毎朝、7時20分に公園前を通るオジンがいる
このクソ野郎のことを「時計ジジイ」と密かに呼んでいる
その行動は時計のごとく正確である
茶色と言うか金色(糞色)の帽子を被り
前かがみで不愛想な顔で歩いていく

2年ほど前、トルテが吠えると
「ウルサイ!」と歩きながら捨て台詞を吐いた
数か月後にも同じようなことがあった
「ウルサイとはどういうこっちゃ!」と行き過ぎるオジンに
文句を投げかけたが、彼はそのまま行ってしまった
数週間後、彼は不思議おじさんがトルテを連れてくるのを待っていた
不思議おじさんは、彼を固く睨み付けながら通り過ぎた
彼は一言も発せず、ことはそのままになった

彼の行動経路と時間は把握できているので
トルテの散歩で彼と遭遇しないように配慮してきた
彼はほとんど経路を変更しないが、
一年前から小宅の前を通るようになった
そのため余計に注意して、あのクソオジンと会わないようにしてきた

今朝のことである
いつもの公園の散歩に出て、
ラジオ体操おばさんグループと歓談
彼女たちは公園掃除を毎朝してくれている
今朝は不思議おじさんも老人会の公園掃除なので
「いつもありがとう。お蔭で掃除が楽で助かってます」と礼を言う
「大きな犬のウンコが落ちているのはよろしくね」と頼まれる
黒のシュナウザーのパンちゃんも一緒だ
パンちゃんは11歳だが、トルテの倍以上神経質
パンちゃんが嬉しがって鳴いているところに
あの時計クソジジイが通った
「ウルサイ犬やのう」と大きな声の捨て台詞を吐いていく

ラジオ体操女性グループの反応が面白かった
「あのオッサン、前から挨拶してもよう返事せぇへんのや」
「道で会って2回ほど挨拶したけど、無視されたから
その後はこっちも無視したってんのや」云々
「パンが鳴いたら『ウルサイ!』と通りざまにどりよんねん」

そうか、皆それぞれうっとおしい体験をしてはるんやなぁ

「あれやったら、嫁ハンに逃げられてるやろなぁ」
「嫁をもらっていても 絶対に嫌がられるはずやわ」
「だれも相手にせえへんから、かわいそうな独り暮らしやろな」
「絶対に近所から煙たがられてるで」
などと勝手な推理を連発して楽しんでいる

不思議おじさんも腹に据えかねているあのジジイ
女性陣は、いともたやすく叩きのめして凱旋を上げている
オトコどもが真面目な対応(例えば喧嘩?)をしようとするのとは異なり
貶して、笑い飛ばして解決している
女性の勝利である
あのクソジジイはこの女性たちによって叩きのめされている
それで良いのである

この程度のことをまともに解決しようとすれば
多大な労力と思いもしないトラブルを引き起こすことがある

世の中には、このように勝手に切って捨てて解決する
そのような対応のほうが良いこともある
女性陣の勝利でだと思う
クソジジイと下手にかかわって
さらに嫌な気分になるより数段ましというものだろう






齧られたぁ!!!

2017年06月22日 | Weblog

誰の仕業じゃ???!!!

もちろんカラスの黒兵衛である
昨夕には畑仲間に「防衛しないとね」と話していた矢先
次の日の早朝に襲われた
一本だけ試しに植えた西瓜
まだ甘くも何でもない小玉だ
こんなものが彼らの栄養になるとも思えない
悪ふざけである
くそったれ!!

元々農薬を使っていないので、
虫や鳥に一定のなりものを取られるのは止むを得ないと思っている
彼等だって、この世に生を受けて生きていかねばならない

しかし今回のカラスは別だ
面白半分にやっている
スカベンジャーである彼らにとって
この周辺で餌に困る状況はないと断言できる

齧られた西瓜の赤ちゃんは2玉
心まで齧られた気分である


この時期になると不思議おじさんのブログに必ず登場する
この花の名は「擬宝珠」 ギボシと読む
日本的な橋の欄干に被せてあるあれに似ているのが名の由来


薔薇の木も数えてみれば我が家に8本 
これでも少し減らした
四季咲きでもこれほど集まて咲いてくれると嬉しい


公園はジシバリの群落が勢いを増してきた
この花は太陽を浴びないと咲かない
曇りだと勢いがない
早朝にはまだ咲かず、夕方も早くに閉じる
それにしても「地縛り」とは何となくふさわしい名前だ


「ハルジオン」「ヒメジオン」論争については以前に書いたので省略
公園の管理が届かぬ荒地を花畑にしている


暇を見つけてウッドデッキに塗料を塗った
材木は最低品質のベイマツ(米松)
塗料で長持ちさせるしかない
手前3列は未塗装
それより奥は見事に新品同様に生まれ変わったと自画自賛

6月7日に雨が降って梅雨入りしたが、それから約2週間
一滴の雨も降らなかったので、バイクでの水運びは毎日の役務になっていた
その成果、そう、まさに成果! で胡瓜や茄子、唐辛子は毎日の食卓を彩っている

雨のお蔭で
貯まった本を一気に読んでいる

民謡は「川越舟唄」を覚えようかと思っている
小沢千月には到底敵わないが
唄ってみる価値のある唱だと思っている

息子が青瓦台(韓国大統領府)に採用された!!!

2017年06月14日 | Weblog

百姓仕事ではどうしても事故がつきものである
耕運機を扱うこともあるが、水運び中のバイク事故が一番心配だ
土曜日にねんざ・または骨にひびが入ったことによる痛みと腫れ
月曜日に整形外科でレントゲンを撮ったが、骨折は無し

『木口小平はシンデモ ラッパ ヲ クチカラ ハナシマセンデシタ』
という譬えをいってもタトエにならないほど時間が経った
日清戦争で出兵した歩兵の木口小平は、韓国仁川で清国と闘い被弾
進軍ラッパを吹きながら倒れ、それでもラッパを放さなかったという

この話は第二次世界大戦まで、戦争に刈り出された兵隊を
その精神性において支配する寓話として利用された

それでだ なぜケガをしたのかと言うと…
畑に水を引き入れる道具(堰止め)を決して手放さず
そのまま左足を溝の中に落とし、身体全体を道路に投げ出したのだ
身を挺して堰止めを守ったというか
堰止めのお蔭で何とか軽傷で済んだというか…
情けない話である

医師の診断は、どうやら ねん挫のようである
鎮痛剤と貼り薬を処方され「様子を見る」ことになった

さて昨夜は韓国、江原道、原州の協同組合の方々との交流会
出席するため早めに野菜たちに水を遣っているところに出席確認の電話
その場で胡瓜を収穫して、それを手土産に参加した


顔馴染の方々が3分の一はいらっしゃる
一番右が、原州の協同組合陣営をリードしてきた崔さん


ホテルの一室での2次会も大変な盛り上がりであった
なんとか終電車で帰宅したありさまだった

不思議おじさんには韓国に二人の「息子」がいる
肝胆相照らす交流の中で、互いに「韓国の息子」「日本のお父さん」と認めることになった
そのことは折に触れてこのブログでも書いてきた
一人は我が家に寄宿しながら生協運動を学んだ河(ハ)さん
彼はその後も徳島で無添加ハムソーセージ作りを実践的に学んだ

もう一人の「息子」のことは
韓国の生協とのお付き合いが始まった1997年にさかのぼる
様々な経緯はすでにこのブログでも紹介したので省略する

簡単に言えば…
軍事政権によって不当な扱いで在日韓国人の優秀な学者の卵がいた
彼は韓国の大学院で勉強中、スパイの疑いを受け拷問にあった
極めて優秀な語学力があったことから、警察から拷問時の通訳をさせられた
彼はすきを見て、妻子を連れて日本に逃げ帰った
軍事政権は、パスポート発給停止処分を下した
つまり日本に閉じ込めておくという罰を与えたのだった

学者の卵は失意の日々を14年も送った
縁があって不思議おじさんが始めた「ふれあい共生塾」の
ハングル講師を引き受けていただいた
そんなことからある日、以上の事情を聴く機会があった
塾生である市民が署名運動を始めた
不思議おじさんが金大中大統領に手紙を書いた
結果、その処分は取り消され、彼の自由は回復された
そのことは韓国はもちろん、日本のマスコミでも大きく取り上げられた

韓国でも大きく報道された
報道に接した韓国の協同組合から、
不思議おじさんの属する生協に交流申し込みが殺到した
沢山の生協が来られたが、20年を経過して、
今でもお付き合いしている生協は多くは無い
その中で、江原道原州の協同組合運動は 
不思議おじさんを惹きつける魅力を多く有していた
原州と言う人口30万人の町に、様々な協同組合があり
それらが連携して街作りを行っていた

そのリーダーがさきほどの崔さんであり、
その息子さんが不思議おじさんの「息子」だ

左が本当のお父さん(崔さん)
日本でも、韓国でも、もう20回ほどお会いしている仲である
東京でも、北海道でも協同組合の集まりで会っては酒を飲んだ

不思議おじさんが持参した胡瓜を旨そうに食べてくれている

「息子」はなにせ誠実である
理想を有している
現実的に物事を把握して判断できる
優しい
彼の写真は、過去のブログに多分アップしているとは思うが
そのお付き合いは20年近くになるので忘れてしまった

写真をそのままアップできない時代
ましてや共謀罪が可決されようとしている日本である
悲しい時代、怖い時代、息苦しい時代になったものだ

20年前、「息子」は身分的にも経済的にも遇されていない若者であった
いつ潰れるかわからない小さな町の医療協同組合のリーダーだった

結婚しようとする娘さんとも会ったことがある
ソウルにある高名なミュージカル劇団の女優だった
才気があり魅力的だった
崔さんの実家(食堂)でであったことがある
韓国民なら知らない人がいない歌手、作曲家のミンギさんの紹介だった
しかしその結婚は実らず、その後、別の女性と結ばれ今は2人の娘がいる

一昨年の不思議おじさんの訪韓時も、娘を連れわざわざ会いに来てくれた
その時、彼は様々な経緯を経て江原道の協同組合担当の役人になっていた

さて昨日は遅くまで懇親会だった
今日は、繁茂しすぎたナニワノイバラの剪定をするため
梯子に登ってチョキチョキしていた
鋭い棘を避けるために重装備して脚立に登っての作業
そこに携帯電話が鳴った

なんと 韓国の「息子」が
青瓦台(韓国大統領府)に呼ばれて、協同組合担当の役人に採用されたとの報せ
何ということだろうか!!!
脚立から落ちて、また手首をねん挫しそうになったものである

わかんないねぇ 人生は


そういえば、昨夜の交流会で崔さんは
「どうだい、息子はちゃんと仕事してるかい」
「孫はできたかい」
「外孫はダメだよ、内孫のことだよ」
などと言いながら、不思議おじさんの作った胡瓜をぼりぼりと齧っていた

彼の息子、すなわち不思議おじさんの「息子」が
青瓦台に採用されることはほぼ分かっていたらしいが
正式決定ではなかったので、昨夜は言うのを控えていたらしい

不思議おじさんが「ところで「息子」はどうしてますかねぇ」と問っていれば
恐らくこの話が出たのだろうが
不思議おじさんの気が回らなかったのである

今度韓国に行くときは、
不思議おじさんは、青瓦台を訪ねることになるのだろうか??!!

さて 何をお祝いに贈るのが良いのかなぁ

そういえば、もう一人の息子「河」さんは
原州のある生協の専務理事で2人のお子さんがいる
その生協の理事長が今回お越しになっていた
教養のある知性豊かに女性だった
河さんの依頼で、不思議おじさんの写真を撮って送れ、と言われていたとのこと
こんなジジイの写真を欲しいなんて若者が韓国に居る

それだけでも嬉しいなぁ
ありがとう









年金生活者だってマグロを喰らう

2017年06月10日 | Weblog

関西ではマグロと言えば
近畿大学が養殖に成功した「近大マグロ」が有名だ
梅田には専門店もあり、スーパーにも並ぶときがある
種類はクロマグロつまり本マグロだ
しかし高くて食べることは難しい

不思議おじさんの普段の好みは
経済的なこともありビンチョウマグロである
関西ではかなりの頻度で生が手に入る
しかし冷凍戻しも値段の割に旨い
もっちり、ねっとりしていて食べ応えがある
価格的にも求めやすい

今の時期だけ、関西出回るマグロがある
他の地域にもあるのかどうかは知らない

名前は「コシナガマグロ」である
市場魚介類図鑑の案内文は以下のとおり 

マグロ類のなかでももっとも入荷量の少ない種。
ほとんど知られていないマグロだ。
市場関係者もコシナガをはっきりと認識していないと思われる。
ただしマグロ専門店はしっかり区分して、ときに販売している。
小型で入荷量も少ないので、値段は安い。
たぶんスーパーなどにも置かれることはあると思うが、
単にメジマグロ(マグロの若魚)としてあるのでは、と考えられる。


片身はみりんと醤油に漬け込んで漬け丼にした


自宅庭に植えた万願寺唐辛子の初収穫
食感は乙女の柔肌のように優しい


サラダは自分で作った作物だけ
玉ねぎ、小ぶりのジャガイモ、そして胡瓜
お酒が進む


本日はこの地域の田に水を入れる日だ
大野池から地下を潜ってきた水が堰に向かって迸っている
信太山丘陵から流れ出た水が和泉、高石、堺の田を潤していく
綿密に高低差を計算した水路が張り巡らされている
高い水音が集落に響きわたる


不思議おじさんが玉ねぎ、ジャガイモ、お多福豆を育てた田も
みるみる水田に早変わりしていく
「山から流れ出た清冽な水」というわけにはいかない
それでも水には活力があるように思える
必ずしも死んだ水ではない
濃厚な、栄養を含んだ水のように思えた


明日の田植えを待つのみである


不思議おじさんの畑には道路わきの水路を堰き止めて水を入れる
ところが昨年、畑の前の田んぼが売却され
(例の、火事を出した塗料会社の物置になった)
その土地の元持ち主が不用になった堰き止め道具を廃棄していることが判明した
急遽、コーナンに走り材料をそろえた

鹿児島弁おじさんも手伝ってくれて堰止めを作った


乾き切った里芋畑


水が入ってホッと一息だ

こんな作業の途中 うっかり躓いた
新たに作った堰止めを持ったまま
用水路に片足を突っ込んで倒れた
まるでスローモーションを見ているような光景
踏ん張ろうとしても止められない
顔(頬)を道路に打ったが、外傷はなかった
しかし手首を軽く捻り、大腿部に打撲の痛みが残った
氷水で2時間ほど冷やした

若くないねぇ
踏ん張りが効かない
「日は残っているわけではない」ということだね




6時間のシアワセ

2017年06月05日 | Weblog

枝垂れ桜を切った前庭(西の庭)に百合が咲き始めた
次々に様々な色の百合の花が咲くはずだ

それにしても息つぐ暇もない
現役のころ、仕事が果たしてこれほど忙しかっただろうか?

物を「価値」で測ろうとする考え方がある
かなりまっとうな考え方だとは思うが肯首出来ない
価値はどちら側で測るのか
消費物の場合、生産の価値、流通の価値、消費の価値は異なることが多い
一方的な押し付けは力の論理に過ぎない

雑草を取る作業は果たして物の価値に組み入れられているのか
野菜を収穫するには、草取りをはじめとする前後の膨大な労働があって成り立つ
それが市場の価値(流通の論理)で木っ端みじんになっているとは言えないだろうか

せめて3時間でいいから
梅雨前の日差しの中で、畝に這いつくばって
雑草を取る経験をしてから物事を考えてほしい
それは「モノ」でも「コト」でもなく
人として「イキル」価値に通じているのかもしれない

余りの汗に
経口補水液を自前で作っている
生協で求めた有機ルイボスティを沸かし
適量の塩と沖縄の砂糖を加えている
半日で500mlを軽く2本は飲み干す
OS-1は値段が高い
まだ明治製薬の方が少しは安いが中身は似たり寄ったりだ
自前で作った方が安心できる


2本植えた胡瓜の初収穫だ

包丁の面(横面)で叩き潰して塩を降りかけていただく
包丁で切ると、胡瓜の美味しさが半減する
「切る」のではなく、軽く「叩き潰す」のである
跡は軽く塩を振るだけ


畑地交換をするため、135株のイチゴを撤去し、20株だけ移植する
イチゴは親株を連続栽培すると収穫が減る
子株、孫株、ひ孫株を次年度に向けて取っておく


鹿児島弁おじさんに引き渡すため、イチゴを撤去して整地した


移植したイチゴはすでに大株になっているので
この雨が降らない時期に定着しているかどうか心配である
万一枯れてしまっても、周囲の畑仲間が助けを保証してくれている
「お互い様」である
「協同」するには程遠いが、温かい心が通っている


刈り取ったイチゴ株の葉は「押切」で切って新たな畑地に散布した
「押切」については以前にも書いたが、中学生のころに右手中指の爪を完全切断した
指を落とさなかったが、相当に怖い農機具である

イチゴの葉や茎、玉ねぎ・ジャガイモの葉
インゲンやお多福豆の鞘など
畑地に還元して肥料にしている


カボチャも4種類、7株ほど植えている

すでに実をつけている株もある


里芋は故郷の兄から種芋をもらって3年目だ
今年は半量を逆さ植えにした
芽の出ている方を下にして植え、収量を上げる作戦だ
芽が出るか心配していたが、
少し遅れたが全ての株から芽が出た


これは畝間を土止めしている様子

この地域では、6月10日の土曜日に田に水が入る

はるか葛城山、金剛山系から春木川を経て
光明池、大野池を潜って農業用水型に放たれる
壮大な光景である

行基が作った狭山池は、大阪市長居あたりまでの田を潤していた
この辺りでも、綿密に整備された水路が張り巡らされている
1000年の時を経てもその水路は活かされ水を田に運んでいる
巨大なマンションとマンションの間にも、往時の水路に水がほとばしる

不思議おじさんの畑地にも水が入るが すでに水田ではない
里芋、ナスビ、キュウリなどの畝にだけ水が入るように仕事が必要である
今朝から昼まで、土嚢を作って畑地の整備を行った


畑地は乾き切っているがサツマイモを作付けした
安納芋と鳴門金時を15株ずつ
サツマイモばかり食べるわけではないが
安納芋は孫のお気に入りである
作らないということは無い


畑仲間からもらった種でトウモロコシも植えてみた
遅れ気味だが、半数ほどが発芽した
初めての作付だ
落花生は自宅でポット苗栽培を行ったが芽が出ない
そのため、昨日、畑に直播してみた
果たして間に合うだろうか 
2週間遅れではある

ほぼ毎日、6時間以上は畑にいる
「仕事」には事欠かない
やらねばならないことが山積している毎日だ
こんな「老後」は想定していなかった
現役時代よりも、待ったなしの仕事に追われている
何んやかやと考える暇もない
それがシアワセというものかもしれない

誰にも(小妻以外!!!)迷惑をかけているわけではない

まあ そのうち ばったりと倒れるのだろうがね

民謡教室は、市の男女共同参画センターの講座も引き受けることになった

人と人の輪の繋がりである
意外なご縁から 話は展開する

まぁ それも世の常である

考えているより
外に出て
人と会って
怒ったり
笑ったり
そんなことの方が
まだいろいろ可能性が広がるということ