後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

このバランス感覚 絶妙だねぇ

2018年02月12日 | Weblog

昨日2月11日は『建国記念「の」日』であった
不思議おじさんが生まれる前は、紀元節と言っていたらしい
BC660年1月1日に神武天皇が即位した日を日本国建国の日として祝っていた
第2次世界大戦の敗戦後、紀元節は廃止されたが
1966年に、2月11日を「建国記念の日」として祝日とすることが定められた
「の」が入ったのは、史実として建国が確認されないとの主張が通ったからだ

そもそも日本という土地にホモ・サピエンスが入り込んだのは
どう遡っても3万年前であろう
「古さ」を競っても仕方ないだろうに
戦前は日本国の歴史の長さを何とか誇ろうと
紀元2600年祭なども催されたらしい
中国への対抗心だろうか…
企てそのものが浅はかなことである

戦後の日本において、国旗と国歌は
様々な場面で極めて政治的色彩を帯びた議論の対象となった
学校教育の現場では、それは踏み絵となった
教育力よりも国家という得体のしれないモノへの忠誠心が問われた

さて、である
もうずいぶん前に気づいていたことだが
祝日に日章旗(国旗)を掲げている家は皆無に近い
元旦をはじめ、仔細にチェックしてきたが
1000軒に一軒を見つけることはできない
国会選挙では自民党圧勝の現世である
憲法改正(悪)が現実のこととしてまな板に上っている現代にあってのこと
そのギャップに驚くほかはない

日章旗を掲げていないという現実について
いかなる新聞、週刊誌、評論誌、テレビも取り上げていない
これが日本のマスコミの現実である
「掲げよ」と言うか、「掲げなくていい」と言うか
「掲げていない現実の日本の分析」を書くというか
中身はとにかく、これほどの「異常ともいえる」現象について
偉そうなことをの賜って金を儲けている評論家諸氏も
気付いていないのか、知っていても口をつぐんでいるのか
口の端にも上らないのである

「古典を読む会」メンバーにS新聞元編集委員がおられる
元編集委員の知識豊かで判断力の奥深さに常々敬服している
その方に提案してみた
S新聞購読者が、まずもって日章旗を掲げるように
日章旗と掲げるための金具を無償提供してはどうか と

新聞の販売戦争は熾烈を極めている
2年契約で新聞を新たに契約すると
カラーテレビ、電動自転車等がもらえるという
ある新聞を継続購読している方々は、その資金を提供しているわけだ
その資金の一部を日章旗無料配布に回してみてはどうか
それがS新聞の主張に敵う「正論」ではないのか と

誤解を招かないように言っておけば
不思議おじさんは日章旗を掲げる気持ちはない
それは気持ちであって、論陣を張るつもりはない
そんな気ははさらさらないということだ

周囲に一軒だけ日章旗を掲げていた家があった
大学では応援団に所属していたそうだ
自治会長を経て、校区の社福協会長などの要職についていらっしゃる
ところが彼もついに昨年から日章旗を掲げていない
旗が破れて使えなくなったのだろうか??

恐らくは日本全体で起きている現象だと思える
自民党圧勝が続くこの平成30年にあって
国旗を祝日に掲げる人がいないという現実
市民のバランス感覚と言おうか 
絶妙というほかはない0
見事である
感心するしかない

この現象について
しっかり分析してくれる学者がいない者ものろうか
このブログの読者は数人だろうが
皆さんはどう感じられるでしょうか??
因みに、日章旗は百貨店のどの売り場で販売されているでしょうか。
元編集委員にお伺いしました。
風呂敷売り場だそうです。

S新聞が日章旗配布を行うのは難しいのではないかとのこと
資金力のあるY新聞さんがやってくれたら…とのこと


雪が降った 家の前である


車も雪帽子を被った


トルテ君は戸惑い気味
なにせストーブの前で寝そべっているのが常なので
冷たい雪は多分苦手なのだろう
唱歌で、雪が降ると「犬は庭を駆け回り」との認識が根付いているようだが
それは事実に基づかない思い込みによる決め付けである
対手が犬あまり実害は発生しないように思うが
無意識の決め付けは、他者を苦しめることが多い

自省しなければならない













遺された想いを受け継ぐ

2018年02月11日 | Weblog

行政の「市民文化事業支援」の空々しさに呆れている
不思議おじさんの住まいする和泉市にも、
誠に見事な文化行政大綱や市長の方針声明がある
不思議おじさんにとっては虚ろにしか聞こえない

思ってもいないこと
とてもできそうにないことは
外に向けて 言うな !!!!!!!!
もっと自分に正直になってほしい

和泉市が市民に提供している文化事業推進施設では
和泉市生涯学習サポート館を除いて、
全ての施設が民謡など「音の出るサークル」の使用を拒否している
民謡練習のできる唯一の公的施設もこの春から料金制度改悪が予定されている

この施設だけは「時間貸し」が認められてきた
通常は「区分貸し」であり、午後なら1時~5時までとなる
4時間も通しで借りる必要はない
そこで不思議おじさんは1時~3時までの2時間を借りている
1時間当たり700円なので一日当たり1400円。
月に3回なので4200円で借りることができる。

区分貸しなら6カ月前に予約可能だが
時間貸しなら3か月前の予約になる。
それでも部屋が空いていたので何とかなってきた

4月から制度が改悪される
サポート館だけが例外的に時間貸しをしてきたのだが
市の全施設で゜時間貸し」をする予定とのこと
ついては予約は「2週間前から」ということになりそうである

市の施設の有効利用が目的なのだろうか??
本当に、2週間前予約の時間貸しが、市の施設有効利用につながるのだろうか
もしそのまま実行されれば、不思議おじさんの教室は存続できない
市民文化事業潰しの思い付き政策であると思う
実態など何も知らない役人が考えそうなことである

さて民謡のお話だ
67歳ですべての仕事を辞め
浪曲でも習おうかと思ったが
縁あって民謡の太鼓を習い始めた

師匠は現在82歳
不思議おじさんは最後の弟子である
週1時間半の個人レッスンでは足りず
週に5,6ヵ所の民謡練習場で練習させていただき
平均では週に10時間ほど練習を重ねてきた

1月には師匠からすべての楽譜のコピーが認められた
昨年11月には、弟子をとるよう勧められている
つまり後継者がいないわけだ

民謡の太鼓伴奏については極めて認識が浅い
民謡関係者でも知識を有している人はほとんどいない

先日も、3年間練習をさせてもらっている会から
講師料提供の示唆を受けた
有難いことである
尺八と三味線は5000円だが、鳴り物は2000円であった
これがその会の会主の認識である

不思議おじさんは、押しかけて練習をさせていただいているので
講師料を受け取るつもりは一切無い
新年会等で美味しいお酒を頂くことで充分だとお断りした

本音は、2000円でその会の傘下に入ることなど
真っ平御免というわけである
ましてやどういう料簡で価格差を付けたのか
向こうが勝手に「講師料」を設定したのだから
そこには鳴り物に対する認識と思いが如実に表れている

その会主は
「締め太鼓だけでええんちゃうん」と申された
唖然である
すぐ横で3年間も伴奏しているのだから
締め太鼓と平太鼓がセットにっていることは
民謡太鼓の常識であると思うのだが
呆れて口が塞がらなかった

さて和泉市にも見事に太鼓を打つ達人がいた
不思議おじさんとほぼ同じ年だと思う
4年前に突然亡くなられた
ご自宅は不思議おじさん宅から見えるところにある

どうしようかなぁと逡巡しつつ
土曜日にご自宅をお訪ねした
4年か経過しているが、
奥様はまだご主人の死を受け容れられていないご様子だった

不思議おじさんが太鼓を習った経緯
それまでにご一緒した20年近い民謡人生
奥様もご存じの共通のお知り合いや出来事に話が咲いた
不躾を承知で、太鼓等の道具を譲っていただけないか申し出た
「ネットで売ろうか」
「誰か引き取ってくれる人かいればいいけど誰も知らないしなぁ」
それよりも、亡くなったご主人への想いが深く
全く手を付ける気にならなかったそうだ
息子さんや娘さんと相談して後日にとのことだった

そして翌日の今日の午後、携帯電話が鳴った
奥様からだった
「今から片付けるよーー」と亡くなったご主人に宣言し
倉庫を片付けられたとのこと。
亡くなった彼は民謡だけではなく幅広い分野で太鼓を追求されていたので
軽トラには乗らないような大きな太鼓もお持ちである

不思議おじさんは民謡に限定した鳴り物を芸としている
太鼓なら平太鼓と締太鼓だけである
撥も太鼓によって異なるので何でもいいというわけではない

奥様が軽トラで運んでくれた太鼓の数々

平太鼓が2つと上折台1脚
締太鼓が3つとブショウ台1脚
囃子太鼓3つと台1脚
鈴2種類
鉦と叩き棒5本
拍子木1対
金属棒(足尾石刀節など)使用するもの)1対
草履新品1対
等々である

彼の遺志を受け継ぎ
彼の道具を使って伴奏し
後継者にまたその道具を引き継ぐつもりである

堺事件

2018年02月10日 | Weblog

今年の大根はまさに「大」根が出来上がった
昨年は中根や小根ばかりだったが見違えるばかりだ
耐病性青首が半分、KRくらまが半分だったが
100本余全て育った
スーパーで大根の種類など表示していない。
生協でも表示していないのではないかと思われる
それは具合が悪い
野菜はすべからく品種表示をすべきである

「くらま」は旨い
鯛のアラで煮付けたものは絶品である
勿論、ブリアラ、おでん、洋風煮込み何でもコイだ
自家用の消費はせいぜい10本程度
自家製の糠漬けにしても楽しんでいる
加えて「ねずみ大根」も夕食に彩を添えてくれる
お裾分け先は旧友、知人、民謡の新たな知り合いなど多様
大根が縁を繋いでくれる

今年は市場が高値でいいですねと言われることがあるが
別に売っているわけではなく、自家消費とお裾分けだけである
価格はほとんど関係のない話である
株の暴騰とか暴落と一緒である
なにせ株など持っていないのだから

不思議おじさんは
他者が汗水流した産物、益を横取りするようなことは死んでもしたくない
株式を買うなど、信条に反した行為そのものである
自分が生きていくために、それなりに汗水流し
無い時は互いに助け合い、
どうしたらより良く、より多く採れるか共に考え
協同することに人として生きる意味を最も感じている

ただしカブは所持している
畑に水を持っていくためのホンダ50ccのカブだ
一億台の中の中古一台である


今日は五代友厚展を見学するため
雨の中を堺筋本町、大阪起業家ミュージアムまで出かけた
実は民謡太鼓を新たに求めるため、
芦原橋の太鼓正に立ち寄ったついでである

50年を超える知己を得ている大兄がおられる
不思議おじさんより4歳年上だと思う。
今もって麻雀仲間であり、古典を読む会の師である
春にはタラの芽や山菜の女王と言われるコシアブラを一緒に採りに行く
海や川の釣りも共にしてきた
その大兄が、母校(大学)同窓会の命により
五代友厚の伝記を3年間の猶予の中で書かれることが決まった
命を下された方は元学長であり、
実は不思議おじさんの最後のお勤めの上司でもある


これは「妙国寺節」の三味線の替手の譜面である
歌詞にご注目いただきたい
慶応4年に堺で起きた堺市世間を題材にした廓(くるわ)唄である

幕末の動乱期、フランス兵が堺港に上陸した
勝手に民家に入ったり女子を鹹かったりした
警護に当たっていた土佐藩の軍旗を取って持ち帰ろうとした
土佐藩士が取り返そうと鳶職が追いかけ頭に鳶を突き立て取り戻した
逃げたフランス兵は渡しの船から銃を撃った
土佐藩士も撃ち返した
フランス兵11人が死亡した

フランス軍は、謝罪や遺族への賠償金を求め
さらに20人の斬首を求めた
上司の命令なく銃を発射したものは30名以上だったが
責任者以外はくじ引きで斬首されることになった

そのような交渉の当事者が、慶応4年2月に
大阪に赴任したばかりの五代友厚である
彼は堺の妙国寺で行われた処刑にも立ち会っている

処刑されるものは斬首ではなく、切腹を申し出て許された
また士分となることを許された
藩士のほとんどは身分の低い足軽だったということである
また身分を預かった藩(細川藩)からは
ご馳走の供与を受けている
処刑の前日には、自らの死体が入れられる甕に入って
出られなくなって引き上げられたなどのエピソードも残っている

切腹が行われた
はらわたを掴んで、フランスの軍人に叫ぶ人もいた
上手に首を切れずに3回も切った例もある
他方で見事に首が空を飛んだ人もいた
余りの凄惨さに、フランス人の責任者は
フランス兵死者と同数の11人で処刑を止めるよう申し出た

この事件はたちまち有名になり
大阪近郷から妙国寺や墓のある宝珠院に押し掛けた
観光地になったわけである
切腹した11人には「ご残念様」と参詣し、
生き残った九人には「ご命運様」として
死体を入れるはずであった大甕に入って
幸運にあやかる者が絶えなかったという

堺にあった3つの廓も賑わった
栄町、竜神町、乳守(ちもり)町である
芸妓衆がこの事件をたちまち唄にして客をもてなした
それが「妙国寺節」「竜神小唄」として今も残っている
因みに乳守は地名としても今は存在していない

「妙国寺蘇鉄 若い英士の血で染めた」とあるのは
まさに堺事件の最も凄惨な報復の死刑の場面である
死ぬに際して「士分」を頂いたとして何ほどのものなのか
それは今だから言える感慨だろうが…

五代友厚は、これらの経過を踏まえ
また土佐藩の武士道を体現する蛮勇を目の当たりにして何を思ったのだろうか
長崎で11年間にわたりヨーロッパの産業技術を学び
11カ月にわたりイギリスに留学した五代にとって
日本古来の武士道の限界を身に染みて確認したのではなかろうか
などと、彼の大兄のご意見を参考に考えてみる…

「妙国寺節」「竜神小唄」はほぼ知っているが
着実に唄い、太鼓伴奏できるようにしたいものである


太鼓正のカタログ
年金暮しの身にはお値段が…