山形のクマ仙人さまから芋煮がクール便で届いた
仙人さまが9月22日に作られたもの
その様子は以下のブログを参照ください
http://samidare.jp/jo7uuc2/note?p=log&lid=419167
そこにも書かれているようにこの熊さんは
昨年12月24日に仙人さまが山の神から授かられたもの
その様子も仙人サマノ゛ログに詳しく書かれている
http://blogs.yahoo.co.jp/kumayamadori/20581521.html
有難いことにおすそ分けをいただくことができた
早速白ネギと平茸を買い求めてひと煮炊き
風呂を浴びて純米酒を買い求める間に味を馴染ませる
奥行きのある柔らかくてしかも力強い汁が
病み上がりの5体に行き渡る
濃厚にしてしかししつこくない
力がだんだんと漲ってくる気がする
小妻も熊肉の柔らかさに驚く
不思議おじさんが熊肉を煮るのとはまた違う
やはりプロのジビエ料理なのだ
山の神への感謝がこの味を作り上げているのだろう
病気で散々な8月、9月だったが
これで健康回復といきたいものだ
いつの間にやら彼岸も過ぎた
彼岸花を鉢植えして玄関に飾る家も少なかろう
綿と合わせて紅白である
ちなみに白花彼岸花は庭には植えてある
ナニワノイバラのシュートの勢いは凄まじい
7月にも一度丸坊主にしたのにこの有様
体の不調で畑仕事はもちろん庭仕事もしていなかったが
さすがにこれは放置できない
金曜午後と土曜午前を使ってやっと選定した
針が矢鱈と多くてしかも鋭いことこの上なく
千円を超える豚皮の手袋が無くては作業できない
古典を読む会に参加させてもらっている
井原西鶴の世間胸算用
先日は巻3を学んだ
本筋とは関係のない部分で
貧乏人は赤米を食べるとの記述があった
もう30年ほど前、借りた田んぼで赤米を栽培したことがある
確か総社種だったと思う
古代の米が神饌米として種子島、対馬、総社の神社に残っていたものだ
赤飯は赤米を食べていた名残だとの説もある
その赤米は江戸時代に貧乏人の食い物だって!!!???
調べてみて仰天した
知ったかぶりはできないものですなぁ
なんと江戸時代には新田開発が盛んにおこなわれたが
そこで栽培された品種に赤米が選ばれていた
近代の夜明けともいうべき江戸時代の食料を支えるのに
その赤米が一役買っていたというのだ
ただしその赤米とは11世紀以降に伝わったインディカ種の赤米
湿田や涼冷地でもよく育ったという
味はもう一つだが炊き増えするので貧乏人向きだというわけだ
年貢米に入れることを禁止されることもあったらしい
この赤米は、明治期になると一気に排除されたので
そのような赤米があったことは全く忘れ去られたらしい
因みに長野県ではトウコンという赤米の撲滅に手を焼いたとのこと
クマ仙人さまは聞き及ばれたことがありますでしょうか
さて巻4は不思議おじさんの担当
まだ読み通せていないが冒頭部分で深入りしてしまった
西鶴さんは大晦日の過ごし方は全国様々だと紹介する
その中に丹波の山里では大晦日に婚礼をする習わしがあると書かれている
早速、丹波の酒造の主に尋ねたところ
確かに昔は氷上郡でそのような習慣があったとの返事
主の70歳代の知人は、世間胸算用を読んでいて
大晦日とはいかなかったものの12月28日に結婚式を挙げたとか
300年後にこんな影響を受けた人が居るとは
さすがの西鶴さんも仰天されていることだろう