後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

一陽来復

2011年12月31日 | Weblog
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明けましておめでとうございます
本年もどうぞご贔屓頂きますようお願い申し上げます。

初春を前に 蝋梅(ろうばい)が咲き始めた
木の姿は今一つだが、その香りは随一

日本では珍しく冬に花をつける黄色亜麻
内庭で元気の源「黄色」の花をつけている

さてさて今年は揃目の66才
1,2,3…それぞれのぞろ目の年に何があったか?
そんなことは遥か彼方の出来事
前を向くしかない
何たって 過ぎたことはすぐに忘れるんだから
ムシャクシャしても一晩寝れば何とかなる
歳を取るとは 有難いことである

龍年である
新年恒例中国語研究会の呼びかけ文でも書いたが
「画龍点睛を欠く」とまで言えるほどの地点まで達せられるかどうか
「竜頭蛇尾」を批判できるほどまで、ダッシュ良く登り詰められるか
いずれにしても「龍」は海中に居て天に昇る

竜宮城では四季いずれの景色も見られるのに
それでも海から出るにはよほどのエネルギーが加わったに違いない
逆鱗に触れてはならない  
逆鱗と は「龍」の81枚の鱗のうち、
あごの 下に1枚だけ逆さに生えるとされる鱗のことだが
ホモサピエンスの限りのない欲望に満ち満ちたこの星で
逆鱗は1枚だけとは限らないだろう

人が人を殺すことが益々日常的風景になっている
原爆、化学兵器、生物兵器といった戦争だけのことではない
原発、遺伝子組み換え作物等の偽善の諸物

地球温暖化の原因をめぐっての議論
抜け落ちているのはその変化のスピードを巡る議論である
変化の速度が上がってきている
これこそが命取りになりかねない現象である

幸いにも 月が地球から遠ざかる速度は
地球が太陽に飲み込まれるより遅いらしい
そうでなければ地球の地軸はぶれてふらふらに…
「ゆっくり」といことは何につけても有難いことである

今年日本国憲法誕生65年目となる
憲法前文を各地の方言にしたものがある
大阪弁、広島弁、吉里吉里弁…
それぞれ「自分の言葉」としたいからに違いない
前文を歌にしたものまであるが、これはいかがか?!

人のお役に立つ
生きている証である
人の役に立つために生きるのではない
結果的に人のお役にたてる
自らの使命を果たし尽くすこと
なんて言っているが、いつも年末の自己評価は
点数をつけられたものではない
まぁしょうがない
毎日、ザラザラとした砂を噛む日が続くとしても
今年も、とにかく一歩を踏み出すしかない
皆さまのご指導を乞うばかりである



年の瀬

2011年12月31日 | Weblog


安倍清明神社そして安倍清明像である
パワースポットの雰囲気を
年末にあたり皆様にお届けします

今年と言う年

地球の身震い
天空からの大涙
46億年をさかのぼるまでも無く
この星の歴史をほんの少し遡れば
今年の大災害をもたらした自然現象は
特筆するような規模では多分無い

人間と人間に従属させられている動植物が
大災害によって受けた被害がここまで大きくなったのは
人間自身が作り出したモノに因っている

不思議おじさんが子どもだったころ
世界の人口は30億人だった
それが今年は70億人にまで増えたという

不思議おじさんがまだ子どもだったころの
戦後間もない、モノの無い時代に較べれば
これ以上、何が要るといのだろうか
ブータンのGNH(Gross National Happiness)が
国王・王妃の来日で脚光を浴びた
識字率の低いせいだ
他人の庭の芝の青さを知らないからだ
その可能性は否定しないが
知ったかぶりで評論している人間の卑しい顔
そんなしたり顔に苦虫をつぶしていたら
NHK土曜川柳が気分を晴らしてくれた
「ブータンを 見習え家(うち)の ブータンよ」

あちこち「順調に歳をとっている」が
左眼の一件はちょっと衝撃だった
昨日、新しい眼鏡を2つ作った
車用とパソコン・本用である
眼の状態が落ち着いた寛解(かんかい)の証である


年末に飲み干してしまった
山名酒造のにごり酒
「届いたその日に王冠を取り替えろ」との注意書き
以前作っていた自家製濁酒の味を
少しだけ上品にした野性味の残るお酒

それでは皆さま
佳い年をお迎えください

竹内(たけのうち)街道その2

2011年12月21日 | Weblog
「その2はいつになったら書くんや!」とまたまた叱られました。


南河内郡太子町の下水道の蓋の銘板である
「和を持って貴しと為す」と記されている(「尊し」ではない)
「和」は多様な意味を持ち、日本をも意味する。
いつもの白川静大先生による漢字「和」の成り立ちは
「禾」を、穀物ではなく軍門にたてる標木の字とし、
禾+口の会意で軍門のことをいい、
さらに講和の意を持つようになったとしている とのこと。
血で血を洗うような権力闘争の只中にいればこその言葉だろうか


太子のお墓がある叡福寺である
このお寺の背後に整備された公園があり
まるでサークルストーンのように建てられた石柱が17本ある
それぞれに17か条の条文が刻まれている。
17条のすべてを言える人は多くはないだろう。
もちろん不思議おじさんだって初めて全てを読んでみた。

国を統治するための憲法であり、
官僚組織のあるべき姿と、仕官する者への心得を説いている。
まるで道徳か倫理の授業のようでもある。
権力者が何を恐れているのかがよくわかる。たとえば

五に曰く、饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁(さだ)めよ。→なんでも欲しがって贅沢するな!>
六に曰く、悪しきを懲らし善(ほまれ)を勧むるは、古の良き典(のり)なり。→勧善懲悪で政治を行え!>
七に曰く、人各(おのおの)任(よさ)有り。→それぞれの仕事をしろ!
八に曰く、群卿百寮、早朝晏(おそく)退でよ。→朝早く出勤し、遅くまで仕事しろ!
十二に曰く、(略) 国に二君非(な)く、民に両主無し、率土(くにのうち)の兆民(おおみたから)、王(きみ)を以て主と      為す →最高権力者は一人(天皇)だけだ! 
十三に曰く、諸の官に任せる者は、同じく職掌を知れ  →任官したら何の仕事をするか知っておけ!>
十四に曰く、群臣百寮、嫉み妬むこと有ること無かれ  →同じ役人同士で嫉妬するな!>
十五に曰く、私を背きて公に向くは、是臣が道なり  →滅私奉公だ!>

しかし中にはなぜ憲法に?と思う条文もある。
十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、
     人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。
     かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。
     →それぞれの考え方を尊重しよう!
十七に曰く、夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。
     →独断専行せず、みんなでよく議論せよ!


これは聖徳太子の父親、用明天皇の墓である


聖徳太子は、子供たちへの交通事故防止看板となって今でも活躍している


推古天皇陵の遠景
太平洋戦争前は自由に出入りできたそうだ


推古天皇陵のすぐ近くにある二子塚古墳
すぐ横の畑で仕事をしていた老農夫の話を聞いた

この塚はもともと私有地だったとのこと。
太平洋戦争後に新聞広告を使って売りに出されたことから
大阪府が慌てて購入したらしい。
ところが手入れをしないので草に覆われてしまったらしい
塚の周囲に畑地を持つこの老農夫は冬に草に火をつけて焼いたそうだ
驚いた大阪府はやめるように言ってきたらしいが
管理しないお前らが悪いと突っぱねたそうだ
そんなこともあって、最近は税金で草刈りをしているとのこと。
出入り自由であり、子供たちの遊び場になっている


竹内街道
太子町から当麻寺、石光寺(寒牡丹で有名)に抜ける



またまた叱られました

2011年12月13日 | Weblog

見事な銀杏の大樹 勤め場にある
イチョウはその葉の形が鴨の足に似ていることから
中国で鴨足と呼ばれた時の発音が伝わったものらしい
公孫樹と書くのは、実を食べられるのは孫の代になってからということらしい


皆既月食をご覧になっただろうか
まだ使いこなせていないキャノンの一眼レフ
先日、うっかりリュックから落として修理代が2万円余
直ってきて何とか写した映像がコレ 情けない!


知人の山形の「仙人」のブログでは
雪降る山里で熊と格闘する「仙人」が生きている
http://samidare.jp/jo7uuc/
大阪南部の泉州では もはや水仙が花盛りである


トリヨセ と言っても 取り寄せ ではない
鳥(特にメジロ)に着ていただくための道具である
近所の山から竹を切ってきて加工した
蜜柑を突き刺して、鳥に進呈するわけである
ヒヨドリがワサワサとやってきて
乱暴に喰い荒すので小妻はこの鳥が大嫌いだ
小心で用心深いメジロは無条件に可愛い
それを食卓に座って窓越しに見るための仕掛けである

ブログの更新はしない わ
忘年会の出欠の返事をしない わ
怒りっぽくなっている わ
いらいらしている わ
情けなくわめく わ
阿保らしくてやってらんと嘆く わ

ご迷惑をおかけして
すんまへん