後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

リトマス試験紙

2008年11月30日 | Weblog
賀川豊彦は徳島の出身
長命であったならノーベル賞は確実に受けていた
と、阿波の人は言うが
まぁ同意するしかない

キリスト者としての慈悲、救貧活動から始まり
労働組合、農業協同組合、生活協同組合の父となった
それは結果であって
要は「彼自身が変わった」ことが重要である
自己を変える力を持つ人は少ない

生協の本質は…
なんて難しいことを教えざるを得ない
新人教育である
しかし、実はいとも簡単である

お金の組織ではなく人の組織だという
本当にそうなっているのか?
「人」だっていろいろいる
組合員だっていろいろだ
役員も正規職員もパート職員も派遣社員もいる
生産者もいるし関係する人たちも多い

「教え合うこと」「伝えあうこと」
「それによって人が変われる組織であること」
生協の使命はこれしかない
リトマス試験紙でテストしてみてはどうだろう

新人社員にはそのように懸命に教えている
空しい気持もよぎらないわけではない…
しかし自分の職務に忠実であろうとすれば
40年間に蓄えた人としての声を伝えるしかない


「教え合うこと」「伝えあうこと」
まさに「教育」そのものだ
「共育」は一つの正解ではあろうが
逃げていないとも言えないだろう
蓄えたものを伝える
そのことのリアクション
リアクションの広がり
ドラマである

ドラマをちっほけな風に閉じ込める人がいる
まるでつまらない官僚の発想である
お笑い草である

喜びも悲しみも幾年月の岬から 
年末恒例の鮭が届いた
もう20年この方
鮭と格闘してイクラを取り出している

錦秋も未鑑定大吟醸も底を尽いた
明日はこの冬の新酒を注文せずばなるまいて






世代交代

2008年11月24日 | Weblog
生物は「種」の延命を第一とする
そのための工夫・努力は想像を絶する
植物や動物の様々な変化はご存知のとおり
ウイルスや細菌類はたちまち変化して対応する
すべては「種」の保存のためであり
「個」は種に飲み込まれて見えない

小魚は群れて大きな魚のように見えるようにする
その際にはみ出て食べられてしまった「個」の小魚は
それ自体は種にとって必然であり問題にならない
むしろ必然の死である

人間社会は必ずしも自然世界の掟どおりではない
社会科学が存在するだけの特殊な組織性がある
とはいっても世代交代はやむを得ない

東京の煎餅屋さんが引退する
来年の6月とのことだ
臨済宗の僧籍を持っている彼(S氏)は
もはや64歳である
娘2人を育て上げて仏門に入る

世代交代に恋々たる思いを遺すことは
いさぎの良くない生き様である
後世に今後を委ねる決断こそ
勢いのある段階で行うべきことだろう
そんな思いを東京の地で改めて強くした

時間を持て余して浜松町を当ても無く散策した
浜離宮恩賜庭園なるものに出くわした
徳川4代将軍家綱の弟(家重)が築き
その子が6代将軍家宣になったときに別邸となった

東京湾の潮を引き入れている海浜公園である
和歌山にも海水を引き入れた江戸時代の庭園がある
鹿児島にも浜離宮はある
東京の浜離宮は、今はビル群を借景としている
こんなところにこんな公園があるとは…
入場料は300円
一度は訪れても悪くない場所である

恩賜の意味は、昭和21年
つまり不思議おじさんが生まれた年に
宮内庁から東京都に下されたものだからである

そう言えば前日には京葉線から富士山が望めた
天皇から頂かなくても素晴らしい眺望を堪能できたものである




晩秋

2008年11月16日 | Weblog
濡れ衣騒ぎは不気味
アメリカのキリスト教原理主義が
新自由主義経済を招いたように
論理無用の単細胞日本人が
軍事クーデターを起こしかねない

あのような空幕長が輩出するのは
そもそも自民党にその根があるから
おのおの方 油断めさるな!!!!

漢字もまともに読めない首相をいただくとは
極右派の連中も情けない思いだろう
ましてや「濡れ衣」の語源だって
きっと知らずに使っているだろう

そもそもが哀れな話である
かの単細胞空幕長の小汚いあの顔には
まったくもってふさわしくない言葉だ

継母がいた
先妻の娘が申し分ない
可愛い上に心根も良い
継母は妬いた
そして娘の枕もとに濡れた衣を置いた
濡れた衣は漁師の証
それを見つけた父親は激怒した
密かに漁師と情を交わしたと思って
娘を殺してしまった
これが「濡れ衣」の語源として有力だ
この父こそが空幕長であるというなら納得だ

「濡れ衣」という言葉には
悲しみの尽きない恨みがこもっている
単純な犯人取り違え、思い間違いということではない

さてさて秋である
近畿ではせいぜいがハゼ、漆の赤が目立つ程度
紅葉には程遠い
それでも桜の葉の紅葉は千変万化で
遠くで見るより一枚一枚をよく見ると
それぞれが生きてきた証のように美しい

四国徳島では間もなく
和三盆の原料 
サトウキビの収穫が始まる
奥に見える岡田製糖所前の畑である
虎屋の羊羹はこの製糖所の砂糖のみ

秋もさまざまである


一,二,三…

2008年11月07日 | Weblog
アサンがやって来て二週間
日本語を夕方に教えている
平仮名は本国で覚えてきている
しかしあやふやなので改めて教える
小学一年生のドリルが教材だが練習問題で困った
会社の人間に問いを解いてもらったが正解はすぐに出ない
皆さんはどうだろうか
問題は濁音である
濁音を一字ずつ□に入れなさい、という問題
『□かける』が問いなら答えは『で』である
では次の問題はどうだろうか?
□□をかく  
小学一年生のドリルである
二つの□とも濁音である
不思議おじさんは五分かかった

カタカナの学習に続いて
今週は漢字を教え始めたが
昨年の韓国の河さん(ハーさん)と違うのは
漢字文化に全く不慣れなこと
漢字ドリルの最初は一,二,三…から始まる
これが難関である

一晩中 は「ひと」ばんじゅうである
一日中 は「いち」にちじゅうである
この区別をリーズナブルに説明できるか?
まるで不思議おじさんの国語力を試すかのようである
しかも英語で説明をしなければならない

1本、2本、3本、4本…
1匹、2匹、3匹、四匹…
この読み方の変化は覚えてもらうしかない
対象ごとに数字の接尾語が変わることについては
日本人でも怪しいものがあるくらいだ

まあ そんなこんなで
楽しい夕方を過ごしている

快笑

2008年11月03日 | Weblog
桂米朝一門会
10年ほど続いたかなぁ

不思議おじさんが言い出しっぺで
大阪堺市で生協主催の落語会を開催した
開演前の楽屋は緊張感が漲り
とてもご挨拶などできるものではない

3時間ほど前には演者が到着し
客席を歩き回りながら
当日のネタを繰る
あの雀三郎さんもその一人で
早めに会場の準備をしていた
不思議おじさんの脳裏に刻まれている
自殺した桂枝雀さんにも何度もお会いし
ご挨拶は交わしたがそれだけであった
何となく惜しい気もする

もちろん米朝さんにご挨拶はしたが
役得は一切無かった
従って色紙の一枚も手許にない

有る年、米朝さんが
手拭いを忘れて高座に立った
演じるうちに手拭いが無いことが分かった
仕方がないので息子の小米朝が持って行った
異例のことである
翌日、朝日放送ラジオに出演していた小米朝さんは
早速にその話題に触れた
知っている者だけの含み笑いである

さてテレビのBSで襲名披露を見た
一人で大笑いである
南光さんの司会が抜群の冴え
大笑いするしかない

そのあとの祇園の女子衆の芸も
分かる人には分かるレベルの高さ

人々の心底に潜んでいる芸は
なかなかにシブトイ
そう簡単に根絶やしできない

不思議おじさんはドイツ文学を学んだが
フモールどころではない奥深い笑いが
わが民族にあることを改めて心に落とす

不思議おじさんの人生が何度もあるとしたら
10度のうちの一度は落語家になっていても不思議ではない

先週の土曜日には
四国の生協のギフト説明会に出た
10分余りの説明を12回繰り返した
オームや九官鳥の気持ちが分かった
アクセルを2時間も踏みっ放し
気持ちが冷めるまで3時間かかった

喋るのが習性の不思議おじさんにも
かなりハードな仕事ではあった