後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

まぁ何とかなるとは思っているけどね…

2019年10月09日 | Weblog

昨年の台風21号で一部壊れた農作業小屋には
屋根の雨を受けて貯水する風呂桶(200㍑)1個と
コーナンで購入した大きな盥2個(100㍑×2)がある。
天気予報が当たらず、9月20日過ぎから10日間以上降雨がなかった。
雨の予報を頼りにして種を蒔いたが予報は外れ。
おかげて400㍑の水もほとんどなくなった。
10月4日、5日の雨で何とか息を継いだが
大根、かぶら、人参、菊菜の発芽が芳しくない


普段は牡蠣殻石灰を使用しているのだが
今回はよつ葉の有機石灰(粒状)なるものを購入した
写真は遠慮したが、何と!! 開封していた袋の中に
巨大なゴキブリが10数匹ひしめき合っていた。
殺虫剤で対応したが、ゴキブリの大好物であるとは知らなんだ!


10月3日・庭の写真だが、彼岸を過ぎて10日も経っている
植物は、開花時期を自己決定しているように見える。
外気温、地温、日照時間その他諸々の条件を勘案統合し
子孫繁栄にふさわしい時期を選んでいるのだろう


関西には大学野球連盟が5つ存在する。
関西学生野球連盟(関西大、関学大、京大、近代、同志社大、立命館大)
関西六大学(大阪学院大、竜谷大、神戸学院大、京産大、大経大、大商大)
この2つのリーグは6大学のみなのでメンバーが固定している。

阪神大学野球連盟には18の大学が加盟しており、3部まである。
大阪産業大学 大阪体育大学 関西外国語大学 関西国際大学 帝塚山大学 
天理大学 追手門学院大学 大阪経済法科大学 甲南大学 神戸国際大学
姫路獨協大学 桃山学院大学  大阪電気通信大学 関西福祉大学
摂南大学 兵庫大学 流通科学大学 宝塚医療大学

京滋大学野球連盟には12の大学が2部制で戦っている。
佛教大学 京都先端科学大学 大谷大学  花園大学 びわこ成蹊スポーツ大学
滋賀大学 京都教育大学 京都工芸繊維大学 京都外国語大学 滋賀県立大学
京都薬科大学 京都府立大学

そして近畿学生大学野球連盟には19もの大学が3部制で戦っている。
大阪市立大学 大阪大 神戸大 大阪府立大学 和歌山大 大阪教育大学
兵庫県立大学 奈良学園大学 阪南大学 大阪工業大学 奈良教育大学 太成学院大学
奈良大学 羽衣国際大学 神戸医療福祉大学 大阪薬科大学 大阪歯科大学
大阪大谷大学 大阪観光大学

どの大学がどの野球連盟に加入しているについてはいろいろと歴史がある(はずだ)
そこで不思議おじさんの母校が久しぶりに優勝したという記事がA新聞に載った
因みにS新聞は近畿学生野球結果報道に対して親切丁寧である。
A新聞だと 「大市大5-大府大3」という結果報道だが
S新聞は毎回の得点経過を普通に掲載している。
創立100周年を迎えて、関係者は大喜びだろうなぁ

ところでボーっとしている話を書こうと思ったが、
また次回に先送りする。
なにせ、お酒を飲んでポーッの2乗状態だから(笑)


















過ちは好むところにあり 浅い川も深く渡れ

2019年09月30日 | Weblog

大阪泉州地域のちょっと特色のある中堅スーパーが倒産した。
畑で仕事をしていたら、臨家の畑の師匠が教えてくれた。
普段利用する店は目と鼻の先だが、夕方に確認に行った。

このスーパーは市の第二都心に本格的な店を設けた。
市役所移転候補地だったが、住民投票の意に反して市議会が現状地建て替えを決めた。
その地に大型電気器具販売店や紳士服店とともに出店した。
しかし駅から歩いては少し遠い。
しかも駅には2つに比較的大きなスーパーがある。

夢だったのだろうなぁ
こんな店を作りたいと思っていたんだろうなぁ

そんな想いは冷静な判断など吹っ飛ばしたんだろうなぁ


「第31回淡海節全国大会」に行ってきた。
昨年は寿年の部8位なので予選免除。2日間行く必要が亡くなった。

会場の隣はこんな施設もある。
日曜なので閉まっている。お蔭て存分に戸外で声出しできる。


作者の志賀廼家淡海さんは若くして両親を亡くし、
舞台背景にある商人宿「二階家」に引き取られて育った。
子どものころに見た堅田の漁師の風景を唄にしたものが淡海節

18番目の出場、出だしの音が採りにくいのでそこまでは慎重に
おお、今日は調子よく唄えてるやん!!
と思って唄っていたら、なんと歌詞が頭から消えてしまった、
1秒後に思い出したが、時すでに遅し 全てご破算である。
初めての経験。何百回も唄ってきた曲、今朝から10回も唄ってきた曲
がっくりでございました。
また来年は土曜日の予選からの再出発になりました。


今日は一日、畑の畝を立て種を蒔いて過ごした。
降雨の予報が外れて、一週間以上土が湿っていない
移植したイチゴの3分の一が枯れた。
お多福豆、水菜、菊菜、チンゲン菜、ほうれん草を蒔いた。


雑草を刈って乾かしていたものを畑で焼いた。
試し掘りしたサツマイモをその中に投入


半分は炭になってしまった。
疲れたぁ
もう寝る。


松尾芭蕉は水道工事屋さん

2019年09月28日 | Weblog

隔週の土曜日朝は老人会主催で近所の公園掃除に精を出す。
○○台第2号公園には男3人、女4人が集まった。
第3号公園にも恐らく10人弱が落葉掃きや側溝の清掃、除草などをする。
年間48回だが、昨年は一度も降雨がなかったので48回とも清掃した。


一回平均合計15人が1時間労働している。
年間合計720時間だ。
市から老人会に年間59,000円の清掃管理費をいただく。
老人会の貴重な財源の一つだ。
が、時間給に換算すると何んと82円である。
掃除用具費用や参加御礼のジュース代を差し引くと50円程度になってしまう。
何でもお金の話にしてしまうと、まぁこんな有様になってしまう。
関西電力の役員たちにも掃除に参加してほしいものだ。

さて「おくのほそ道」の作者の松尾芭蕉だが
その人物像については不明のことが少なくない。

謎の一つが「なぜ日本橋から深川に移り住んだのか」というその理由

専門馬鹿という言葉があるが、世間知らずの文学研究者に多い説は
「芭蕉は市中の喧騒を嫌い、不特定多数の顧客を相手にした俳諧師生活の俗臭に耐えられなかった。
また深川移住前後の芭蕉の言説に「侘び」「茶」があることから、
物質的乏しさの中に精神的充足感を求め、そこに新しい風雅を見出そうとする美意識を求めて
江戸の中心から遠く離れた深川に移り住んだ」という類の解説。
これは原因と結果を逆転させている。
ある理由で深川に住んだ芭蕉は、その結果、生き方を変えたのである。

芭蕉(当時は桃青と名乗っていた)は伊賀上野から江戸に下った。
江戸が都市機能を保つためには飲料水の確保が大前提の一つであり、
延宝4年には神田上水建築後50年を経て大規模な浚渫工事が始まっていた。
芭蕉は延宝5年から深川に移り住む8年までの4年間、この工事の請負人になっている。
請負人の業務は契約金の計算、進行表の作成管理、現場監督、作業人員確保、
日当の支払いなど幅広く、顔が効き、信用があり、
細心の注意力と人心の把握、さらになにより体力などを必要とした。
土木、水利技術に優れていた伊賀上野の藤堂藩は幕府から神田上水改修工事を請け負っており、
芭蕉は藤堂新七郎家から江戸に送り込まれた工事技術者であり
、彼は期待に応えてその任を果たし、賄いを得ていた。
藤堂家という後ろ盾を得て江戸に出て、一等地の日本橋に住み、
水道工事を指揮しながら俳諧の道でも才能を発揮して宗匠としても名が売れ始めていた。
家綱が亡くなり、後を継いだ五代将軍綱吉は自らの政治的な統率力強化確立のために、
それまで権力をほしいままにしてきた大老酒井忠清とその関係者に粛清の大鉈をふるった。
藤堂家も例外ではなく、その影響を受けたという説がある。

またまさにそのころ、芭蕉が伊賀上野から連れて来ていた甥の桃印が
あろうことか芭蕉の内妻と駆け落ちをしてしまった。
そのため藩の厳しい掟である5年に一度の帰藩を桃印に果たせることができず
兄と相談して桃印を死んだことにして藩に報告した。
死罪や牢舎につながれる嘘がばれることの無いよう
芭蕉を知る人も少ない江戸奉行管轄外の深川に移り住んだ、という説もある。

芭蕉の、古典文学や漢籍、仏教に関する深い知識が、
何時、どのようにして形成されたのかについてもよくわかっていない。

まぁ 人の行動の背景なんて、他者には容易に分からないもんだけどね。


おくのほそ道の誤記

2019年09月27日 | Weblog

朔日、梅田に出る前に芦原場で途中下車した
通常は天王寺で御堂筋線に、大国町で乗り換えて西梅田に行くので
JR環状線は少し回り道になる。
環状線で大阪(梅田)に行くときは、大学生のころから外回りに乗る。
華やかで人の多い街が多い内回りよりも、
工場街で下町の外周りがお好みであった
もっとも、最近は不思議おじさんがまだ足を踏み入れていないUSJなるものができ
少しずつ雰囲気も変わってきた
新今宮北側の広大な空き地に、星野リゾートのホテル建設も始まったようだ。
それはさておき、芦原橋駅前にある「太鼓正」に用事があった。


買い求めたのは太鼓の撥(ばち)である。
来週の日曜は、大阪市内の大きな民謡団体発表会で鳴り物伴奏を依頼されている。
撥は十数組あるが、ここは新しいもので臨むのが礼儀だと思った。
材質により重さは随分異なる。
結局は、練習で使っている重さに近い檜を選んだ。

さて本日のテーマは「おくのほそ道」における芭蕉の誤記についてだ。
誤記は主に開かなの使い方にある。
その数は夥しい。
ほんの数行の文章に次々誤記がでてくる。
墨染にさまをかえ ⇒正しくは「かへ」
草刈るむおのこに ⇒正しくは「をのこ」
うゐうゐ敷旅人  ⇒正しくは「うひうひしき」
ふみたがえん   ⇒正しくは「ふみたがへん」
ちいさき者ふたり ⇒正しくは「ちひさき者」

これは芭蕉の知識が低いことのあらわれだろうか。
しかし曾良も、清書した素龍も訂正していない。
ということは、この時代、平仮名の誤記はごく普通のことだったと考えるしかない。
朔日のブログに登場した大先輩いわく、
幕末の薩摩藩武士(西郷・大久保・五代など)の日記や手紙を多く読んだが
この類の誤記は当たり前のように使われているという。
研ぎ澄まされた名文の中にこのような誤記が多くあることに少し驚く


やっと白の彼岸花が咲いた


白の秀明菊(貴船菊)も花弁をほころばせ始めた








おくのほそ道

2019年09月26日 | Weblog

松尾芭蕉の自筆本である。
1996年にその存在が明らかになり岩波から出版された
それまでは蕉門の達筆家・素龍に清書させた芭蕉所持本や
同じく素龍清書と推定されている柿衛文庫蔵の別本が知られている。
また同行者の曾良が定稿になる前に芭蕉草稿から筆写した曾良本がある。
大半の研究書は素龍清書版をベースにしている。


月に一回、古典の原書を読む会に参加している。
わずか5人のささやかな勉強会。
国道2号線に面した梅田第2ビル6階に母校の施設があり、
そのロビーは無料で利用できる。

窓から外を見れば大阪を代表する歓楽街・北新地である。
ついこの間までは近松の曾根崎心中を読んでいたが
まさにこの場所が浄瑠璃の舞台であった。

さて「おくのほそ道」は芭蕉の紀行文であることは知られているが
読めば読むほどその平明にして簡潔な文体に驚かされる。
俳句は究極のそぎ落としの文学だが
文章そのものの魅力に改めて惹かれる
解説文よりも本文を読むほうがはるかに分かりやすい。

そもそも「おくのほそ道」は芭蕉46歳の3月に江戸を出て
8月下旬に大垣に至る旅を題材にしている。
旅から帰った芭蕉は、推敲に推敲を重ねて紀行文を書き上げた
刊行されたのは旅から5年経った彼の死後のことである。
その推敲ぶりは様々に検証されていて興味が尽きない

要は、「おくのほそ道」は単なる俳句入り旅日記ではないということだある。
創作と思われる寓話も多く採りこまれている。
推敲の過程で創作された有名な俳句も多い。
旅から帰った彼は、曾良の書いた日記も参照しながら
全くの創作小説・紀行文としてこの文章を仕上げた。

不思議おじさんは「奥の細道」というふうに題名を学校で習ったが
いま学校では「おくのほそ道」という題名で教えている。
これは芭蕉真筆本が出現したからである。

まぁこんな道楽をするために月に一回は大都会に出て
北新地駅または西梅田駅周辺の居酒屋で飲んでいるわけだ。

因みにその5人のうちの一人は、まもなく「新五代友厚伝」を著す。
大学100周年事業の記念出版である。
不思議おじさんとは55年にわたる付き合いで
マージャンに釣りに飲み会でとよくもまぁ飽きずに続いたものだ。


呑み明かした帰り道は、泉州地方の秋祭りの提灯が路地を照らす。

さて日曜日は「淡海節全国大会」で堅田へ。
今年は予選免除なので有難いことである。




何となく再開

2019年09月25日 | Weblog

朝日新聞の天声人語によれば今年の彼岸花の開花は遅れ気味だとか。
山形置賜地方では季節通りに咲いているとある方のブログで拝見した

庭に植えている白花の彼岸花はまだ固い蕾だ

確かに例年は暦通りに咲いていたような気がするが、今年は遅い
暑さが続いているせいだと思える


イチゴの苗の仮植え遅ればせながらなんとかやりました
2カ月遅れの作業
ランナーを伸ばすための場所は設えていたが草は伸び放題
子株、孫株、ひ孫株を仮植えしておいて11月ごろ本植えする。
ところが隣の先生役のお百姓さんは仮植えが酷暑で全滅したとかで
不思議おじさんの、サボっていた畑から株を持って行っていただいた。
ケガの功名である。

畑を続けるかどうかは大いに迷った。 
今もである。
一反(300坪)の草の管理をするのは容易ではない。
刈ったと思ったら、2週間後には呆れるほど伸びている。
草刈り機での作業は炎暑の中で並大抵ではない。
500mlの塩入ペットボトル4本は2時間で空になる。
腰の湿布薬も欠かせない。
回転刃の費用だって少なくはない。

自前の畑で作る農産物は、スーパーの10倍程度の費用が必要である。
要は道楽である。
道楽で体を傷めつけているのだから薬の付けようもない。

とはいえここ数日は毎日平均5時間の作業をして
大根、かぶら、人参、白菜、分葱、ニンニク、白菜、キャベツ、ブロッコリーなどを植え付けた。
晩秋収穫のジャガイモも作付けしたが、まだ芽が出ない。

なにはともあれ、生きておりますとのメッセージとして
このブログを再開いたします。
よろしくお願いいたします。



やれる範囲で、とは思うものの…

2019年02月02日 | Weblog

昨年の夏から秋に使った畑地を耕運した
10日ほど前に耕運機を入れたが、土が固くて掘り起こせない
一昨日にまとまった雨が降った
ここぞとばかりに土を掘り返して柔らかくしというわけだ


これは桜の落葉である
不思議おじさんの家の前は小学校
そこから落ちてくるさくらの葉の量は中途半端ではない
大沢もビックリの量だ
溝にたまり、台風時には溝から水を溢れさせる
それを浚えて袋に詰め、保存しておいたもの


畑一面に撒いた
これで少しは土が柔らかくなり、
ミミズも棲みやすくなるだろう

ここでカメラの電源が切れてしまった

ジャガイモ作付を予定する場所にはには牡蠣殻石灰
夏向けの畑地には苦土石灰を撒いて耕運
作付時期との関係で選択している
一応、畝も立てたが、体力的にもう限界

20羽近いカラス
セグロセキレイやムクドリも虫をついばみに来る

畑地が変形で、畝もカーブしているのを直線にしようとした
これがまた難しい
大半の人は「俺の根性が曲がっているからや」と自嘲気味につぶやく
真っ直ぐに畝が立てられる人を本当に尊敬する

そんなことで、夕方には腰と膝が悲鳴を上げた

明日にはどうなっていることやら

うーーーーん 畑を続けようか 止めようか

2019年01月28日 | Weblog

家人がインフルエンザで倒れた
(小妻と以前は称していたが、ある方から違和感があると指摘された
 かといって、適当な言葉が見つからない。
 山の神が相応しいような気もするが、小生に違和感が残る。
 同義語に事欠かないが、感性に合うものが無い
 嬶 ・ おかみさん ・ 嚊 ・ 婦人 ・ 夫人 ・ 室 ・ 女 ・ 令    閨 ・ 奥様 ・ ご内室 ・ ワイフ ・ 女房 ・ 刀自 ・ 室家 ・ おっ母 ・ 上さん ・ 細  君 ・ 妻 ・ 嫁はん ・ 愚妻 ・ 令室 ・ ご内儀 ・ 上様 ・ 御内儀 ・ お方 ・ 妻    室 ・ 亭主もち ・ 亭主持 ・ お上さん ・ 嬢子 ・ 裏方 ・ 御っ母 ・ 嫁 ・ 家桜 ・   嚊左衛門 ・ 御上さん ・ 御内 ・ 家妻 ・ 亭主持ち ・ 令夫人 ・ お上 ・ フラウ ・   奥さん ・ 女性 ・ 女君 ・ 人妻 ・ 御内室 ・ ご新造 ・ 御上 ・ ミセス ・ 妻女 ・   嫁さん
 会話では「うちの嫁ハン」を最も多く用いているような気がする
 文章上ではそうもいくまい
 仕方なく、「同居人」に近似しているという気持ちで「家人」を用いる)
  
インフルエンザはA型だそうだ
同時期におじさんも調子が悪かったので、翌日に受診した
おじさんは感染していなかった が…
感染の危険性が「大」とのことで、自分で選択してタミフルを服用することにした
ベッドも居間に特設した
ところが、トルテ君がそのベッドを占有している
ベッドの幅が狭いので、一緒には寝られない
家人も全快していることなので
予防的タミフル投与は10日間だが、6日間で止めることにした

ということで、グダグダと1週間を過ごした
詰まらんことの多い1週間であった
ケツの穴がチッサイ男どもとは付き合う気もしない
欠の穴は大きくなくてはならない
大きなウンコができなければ、人は寛容になれない


雨は全く降らないが、玉ねぎは少しずつ大きくなってきた


スナップエンドウとエンドウ豆は、畑の隅で水不足のせいか全く育っていない
それでも茎を支えるネット張りを行わねばならない
10日ほど前にちょっと頑張って杭を打ってキュウリネットを張った


種から育てた白菜がようやく葉を巻き始めた


春キャベツも、虫の攻撃に耐えて何とか形になってきた


お多福豆は、2度も種豆をまいて芽を出させて、何とか育っている

ジャガイモ作付のため、5時間ほど耕運機と格闘したが
そののち、右の膝が痛み出した
腰も不安定だ
このままでは歩行も困難になるかもしれない
身体を壊してまで畑をすることもない
かといって、畑を手放すのも惜しい

うーーーん どうしようかなぁ

メジロが家族だ 近景その2

2019年01月18日 | Weblog

手作りの鳥寄せ棒 
ミカンを置くための棒だが
昨秋の台風21号で臨家の屋根材が畳一畳分降ってきた
幸いなことに海棠桜の枝一本が折れてしまい
この鳥寄せ棒がなぎ倒されただけで済んだ

いくら親しい人でもその心は測りがたい
その人の沸点が何度なのかは測りがたい
トルテ君なら、彼の限度はわきまえているつもりだが
人間というものは難しい
難儀なことである

メジロは極めて用心深い
鳥寄せ棒で蜜柑をつつくときも
もう一羽が近くに枝にとまって周囲を警戒している

この時期の鳥たちの中では多分弱者であろう
都市部においても、カラスはもちろん
ヒヨドリがメジロにとっては最も厄介な鳥だろう
ムクドリが電線に群がっていたり
セグロセキレイが道路で遊んでいたり
ホオジロが高い木にとまって鳴いていたり
モズが虫を木に刺していたとしても
メジロにはさして迷惑であるとは思わないだろう が
ヒヨドリだけは別である
ヒヨドリは横暴にもメジロの食事を邪魔して追い出してしまう


何と愛くるしい鳥であることよ
彼らが恐竜の子孫であるとしたら
ホモサピエンスの感性から見ての話だが
恐竜にも多分可愛い奴がいたことだろう

人との付き合いは難しい
しばらくはメジロを黙って見つめていることにしよう

近景その1

2019年01月16日 | Weblog
トルテ君は不思議おじさんの自宅を中心にして
半径500mの道を子細に承知している
人が通らないような裏道や田畑の畦道も熟知している
朝夕の各40分の散歩では、同じ道を通ることは無い
進路の選択はトルテ君任せだ

そんな道の一つに想像を掻き立てる路地がある



写真の地図、中央の道路を下辺から上に向かって歩いてみる と…

そこは花が咲き乱れ、樹が生い茂り
動物たちが生き生きと暮らしている
入り江から山に向かって谷が刻まれている
その川には橋が掛けられている
橋のたもとには豊かな杉の木が生い茂っている
その橋は高い所に掛けられている
暫く谷を登っていくと、原っぱに出た
そこには田んぼもあり、稲が作られている
おやっ ヤギが草を食んでいる
原っぱを流れる小川にはカメが遊んでいる
この谷には野草が豊富で花が咲き乱れている
おサルさんも群れて原っぱに出てきた
いや、待てよ、クマまで現れたぞ
空にはトキが茜色の羽を羽ばたかせている
そうか、こんな場所だから、天女伝説も生まれたのだろう
そうこうしているうちに山を越え、
濱に着いた
そこにはハマナスの花が咲いている


土岐(トキ)さんの飼い犬、ビーグルのモモちゃんとは仲良し
和泉の国の小さな小さな路地にも浪漫が秘められている

夢想もまた暇人の特権
誰を傷つけることもない
自らをも傷けない
密かな楽しみである

そんなことが
暮らしのあちこちに散りはめられている
面白いなぁ



近景・遠景

2019年01月05日 | Weblog
「遠くにある」とは 取り敢えずは問題が発生しないということ
物患いすることもまずは無いということ
「故郷は、遠きにありて想うもの」とは犀星の箴言
日本という国が、遠くアルゼンチン等と戦うことを想像するのは難しい

「近い」ということは、「隣にいる」ということである
人類の歴史をさかのぼっても、150人程度の集団は
常に隣の集団と緊張関係にあり、大半の場合において殺し合ってきた
それがホモ・サピエンスの宿命である

もし人類に英知のいうものがあるなら
「隣にいる」ことについて寛容の心を持つことができるのではないか
そんな話を韓国の生協の若手にしたことがあるが
果たして通じたのだろうか

昨今の日韓、日中の緊張関係は、あえて「作られている」と思わざるを得ない
双方からである
作られた国民感情操作に、易々と乗せられている様子を見るのは
何んとも傷ましく情けなく、諦めにも似た気持ちになる


大阪から見える山に 見上げるような山は無い
標高40メートルほどの道田池3号古墳跡の公園から四方を眺めても
地平に張り付くように山並みが見えるだけ
これは西方面、よく見れば左に淡路島の島影
右に須磨の山が霞んで見える
天気の良い日は明石大橋(300m)も見えるときがある


これは北西方面 泉北臨海工業地帯
かつては、羽衣や浜寺などの高級住宅地が広がっていたが
戦後の産業開発によって工業団地が埋立地に作られ
今は数多くの煙突から湯気や石油の炎が終夜絶えることが無い
遠くには西宮から神戸にかけての六甲の山並みが眺められる


目を東に転ずれば、大阪府最高峰の金剛山が拝める
その左側のクジラ型の山がツツジが紅く燃える葛城山である
その左に二上山があるのだが、巨大マンションが建設されて今は見えない
「見えない」という心の喪失感を誰が補償してくれるのか!!!


南は紀泉山脈である 大阪と和歌山を隔てる
よく見ると右に台形の高鍋山が見える
この山の中腹を「高鍋トンネル」が2年前に貫通した
和歌山、高野山が一段と近くなったが、通る人は少ない


近景の話はまた明日以降にして
取りあえずは友人から頂いた鮒寿し


酒と言えば丹波の山名酒造さんの銘酒
「奥丹波」が高名であるが、今夜は「醪」
うっかりすると炭酸が溢れだすので要注意である

年末年始はわが身体も心も酒浸り
このまま死ねば たちまちミイラとして保存できるくらいである

それでも来週からの民謡講座に向けて
資料の整理と印刷、念のための練習は怠らない
せめてもの緊張感でいのちを保持している

その2-2018年の初体験

2018年12月29日 | Weblog

大空を飛んだ
ハンググライダー
阿蘇の大地を眼下に
僅か15秒ほどを 2回
孫へのプレゼント企画におじさんも乗ったわけだ
中学生・高校生の孫のようにしなやかには離発着できなかったが
飛行中はまあまあのフォーム
ええ歳しての初体験


台風21号の爪痕は今も深い
住まいの周辺の家々にもまだブルーシートが少なくない
修理を申し込んでも半年以上待たされるという
不思議おじさん宅も丸々2日間停電した
隣の堺市では停電はほんの少しの間だったようだ
まだまだ暑い中の停電だったので洗濯に困った
それで初めてのコインランドリーへ
使い方も分からないので洗剤(合成洗剤ではなく石けん)を持参
堺市のコインランドリーは周辺市の客で一杯
潜在持参と言ったら笑われてしまった
地震等に備えて、電池、ヘッドライトや懐中電灯、
電池発火の石油ストーブなどを追加購入した

ナニワノイバラも倒壊した

なんともスケスケの光景になった


新たな畑地を借りた
なんと 一昨日に銘菓が届いた
地主さんからだった
小作人が地主さんから歳暮を贈られるという珍事
作物が採れるたびに少しばかりお届けしてきたが
それは当たり前のこと
早速また大根や里芋、かって務めていた会社のソーセージなどをお返しした
いやぁ びっくりしたなぁ


この写真は単なる民謡発表会の一風景
昨年11月に立ち上げた民謡サークルは13人になった
チラシをコピーして小雪がちらつく住宅街に2千枚ほど配った
8万部発行のミニコミ紙にも大きく取り上げていただいた
しかし、仲間が増えたのは人から人への口伝だった
民謡衰退傾向の中で、2桁の受講生はオドロキである
公的(市の地域センター)主催の民謡講座講師にも招かれている
こちらも受講生は減少傾向
4年間修業してきた(毎週、10時間前後の現場伴奏を含む)民謡の鳴り物
師匠から卒業してよいとの言葉を頂いた
来年には、近隣の大きな民謡団体発表会から伴奏の依頼も受けている
コンクールにも出て「淡海節」全国大会壽年の部で8位に入賞した
昨年は予選落ちなので、大ジャンプの入賞である
準決勝では昨年度の優秀者19人が予選免除で加わり79名に
その中で11人が決勝に進出できる
大阪では2名が決勝進出したが、
台風接近で、結果確認もほどほどにして帰ったので
大坂で1位なのか2位なのかは不明のまま
来年は予選免除者となった


昼過ぎになるとついつい超安物チリ産赤ワインに手が出る年金生活
歯止めをかけるのは何らかの仕事を作るしかない
民謡や畑仕事は 酒浸り防止の一環である
畑では太陽の塔や仏手柑(ぶっしゅかん)のような大根が採れる
ニタニタ笑いながらの畑仕事
年末年始も玉ねぎの草取りが待っている

2018年を振り返ってーその1 「正直」

2018年12月26日 | Weblog
「正直であること」は
不思議おじさんが必ずしも本意でなかった人生で
骨の髄まで沁み込んでいる「生き方」である

「正直である」ことを貫くことは
その人の価値観を木っ端みじんに打ち壊す
その人がたどってきた人生や、家族、親兄弟はもちろん
所属する会社等の関係団体を根底から揺るがすことになる可能性が高い

「墓まで持っていく」ことが組織人としてのわきまえだと言われてきた
もし墓まで持っていかなければ、それまでの関係は瓦解する
生きるか死ぬかの決断を迫られる

それでも「正直である」ことを貫く心の強さ
精神心的なタフさ、強靭さが必要である

不思議おじさんは小さい組織とはいえ、責任の重い職を担ってきた
が、経済的には(いわゆる成功した)同級生たちの半分程度だ田
とはいえ、それを失うことは生活の困窮を賭けることになる

そんなもがきを抱えながら組織内人生を過ごしてきた
誰も経験することだろう
葛藤の連続である
そこで学んだことが「正直を貫くことが最良の解決策である」ということだ

2018年
「正直である」ことがこれほど軽んじられた一年があるだろうか
世界の政治は「嘘」で分厚く塗りこめられ
「正直」などは、どこを見渡しても見つけられない
「正直を貫く生き方」が死滅した
そう言っても良いような一年であった

だが
まだ希望はあるのかもしれない
人間は嘘をつくが
自然、野菜、トルテ君は
嘘をつくことは無い


近松門左衛門と大坂(大阪ではない)市民

2018年12月09日 | Weblog

皇帝ダリアである 
冬空に君臨する高さと大きな紫色の花弁で他を圧倒する
庭に3本植えたが、全て台風に薙ぎ倒された
ところが、3本とも物凄い回復力で再生し
見事に花をつけた


ネリネという花だ
別名をダイヤモンドりりィという
球根で次世代を紡ぐ
枯れ葉舞い散る晩秋に、ショッキングピンクの花は異様である
以前に山野草に凝っていた不思議おじさんからすれば
この花を玄関に飾りまくり、何鉢も育てるなど考えられなかった
加齢には素直に応じるが、
花の趣味やや服装ぐらいは抗いたい


とはいっても、昔からの花が庭に咲く
白の、一重の、秀明菊(貴船菊)
まるで極楽の庭のような風情になる


そうそう、前回の掲載したナニワノイバラを切り取った跡だ
西の玄関の庭が一挙に明るくなった


長い間、ブログ更新をサボっていると
何から書いていいのやら戸惑うばかり
さらに老いという記憶喪失装置が十分に機能しているので
今朝食べたものも何かはわからない有様で
過去のことなど留めおくことも難しい

月に一回、古典の原典にあたってお勉強する会がある
不思議おじさんの出身大学のサテライト拠点が梅田にある
第2ビル6階なので、娘婿の働き場所の真ん前だ
日本書紀の28巻、29巻を勉強し終えて
折角この場所でやっているのだからと
近松の「曾根崎心中」を読み、作者の生い立ちや
作品の成立の背景などを報告し合う

不思議おじさんは大学時代に能楽(観世流)をやっていた
そのときの知見は、文楽を読むときにも大いに助けとなる

それにしても近松の義太夫を圧倒的な支持で観劇した大坂市民
何んという文化レベルの高さだと感服するしかない
古来の古典文学、和歌、能楽、歌舞伎を知り尽くさなければ
近松の諧謔や駄洒落、大阪流のギャグは判らないはず
ところが同じ演目で17カ月もロングラン公演をするほど
大坂の市民の知的レベルは高かったということになる

お初さんと徳兵衛が連理の木に首を吊って心中したという
この物語のすぐそばて物語を堪能するのも一興である
因みに、舞台となった蜆川の安女郎屋は今の北新地になっている
再開発予定の大阪駅北西部は当時5つあった焼き場(死体焼却場)である
時の流れは残酷ともいえるほど景色を変える

寒くなったなあ
畑仕事が辛いなぁ
腰と膝がガクガク、ヨロヨロ、ボロボロになっている
それでも明日は寒風の中、玉ねぎの除草に精を出す予定

何となく億劫だなあ

2018年11月24日 | Weblog

南部大坂を襲った台風の被害は予想を上回った
青少年期に経験したジェーン台風や第2室戸台風ほどのことは無かったが
新たに借りている畑の小屋の隣の小屋が全滅した
風の威力は、時に凄まじい


ナニワノイバラは、最盛期には数百から千以上の花をつけたが
ゆさゆさと煽られて倒れた
これを機会に、三日かけて切り倒した。
一種の「終活」である。
多少は体力の残っている私が倒れたら
庭の手入れは伴侶には厳しい
ナニワノイバラは樹勢が盛んで
年に2回は剪定しなければならないが
野生種なので棘が普通の薔薇の数倍あり
全身傷だらけにならないとできない。
しかも高い脚立に上っての作業だった
これも誰かのお告げと思って、処理した


冬が近づく庭には、皇帝ダリアが3本咲き乱れている


家の前の道路際や庭の鉢には
秋とは思えないショッキングピンクの花が咲き競っている
この花の名は「ネリネ」別名は「ダイヤモンドりりィ」

歳を重ねると服装も立ち居振る舞いも地味になる
だからこそ、明るい色の服を着て
庭の花も、渋い山野草から、明るい花に変えてみた

半年間に いろいろとあった
ぼちぼち お話することにしよう

それにしても
ブログを書くことがとても億劫になった
生命の灯が消えかかっているのだろうか

ねぇ どう思う???