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ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

映画「戦場にながれる歌」〜北支の”愛国行進曲”

2020-01-13 | 映画

陸軍戸山学校時代の団伊玖磨と芥川也寸志が肩を組んでいる写真を見つけ、
絵を書かせていただきました。

カコミはそれぞれの約10年後といった感じでしょうか。
お互い第一線の作曲家として活躍していた頃とはいえ、
このヨレヨレの服にメガネの少年のその後とは思えない洗練ぶりですね。

 

作曲家団伊玖磨の随筆をもとに書かれているこの脚本ですが、
それは昨日までの戸山学校でのた訓練生活までで、団も同級生の芥川も
昭和20年の6月に教育期間を終え、そのあとは終戦まで内地にいたため、
映画のように戦地に出ることなく上等兵とかせしての生活を終わっています。

4月には戸山学校が空襲で全焼したため、浅草に移転したあとは、
団も芥川も演奏ではなく吹奏楽の編曲ばかりをやらされていました。

二人は作曲科でしたので、これはありがたいばかりか、
大変やり甲斐のある楽しい軍楽兵生活だったのではないかと思われます。
演奏がなければ殴られることも少ないわけですしね。

東京中が空襲で焼け野原になり、音楽どころではなくなってくると、
皆は畑を作り、東京湾で貝を取かり、千葉方面に闇の買い出し、
というのが陸軍軍楽隊の任務になり、練習場はあたかも
集団農場のようになっていきました。

そして畑がもう少しで収穫できるという直前、戦争は終わりました。

 

つまり、この映画の次のパート「軍楽兵の見た戦争」の内容は、
団伊玖磨の体験ではないことをまずお断りしておきましょう。

 

♩ 軽騎兵序曲

パート練習していた「軽騎兵序曲」がやっと形になりました。

演奏シーンにはほとんどが実際の奏者がエキストラで出演しているようで、
そのところどころに俳優が混じっている状態。

撮影にあたっては、俳優のほとんどが楽器は未経験だったそうですが、
撮影1ヶ月前からNHK交響楽団の団員に指導を仰ぎ、
各自がそれらしく見えるように猛練習をして臨んだということです。

このシーンでも、一瞬だけとはいえ、指などの動きは完璧にシンクロしてます。
児玉清のスネアドラムもぴったり本職と揃っていました。

 

♪ 陸軍分列行進曲

ここまでが、「立ったまま演奏する練習」。
ここからは、行進しながら演奏をする段階です。
最初なので、楽器がくわえられなかったりつまづいたり、
楽器を隣の人に当てたり(トロンボーン)とトラブル発生。

「陸軍分列行進曲」を演奏しながら歩く隊員たちのシーンですが、
真ん中で二人話しながら立っている人、隊長と中隊長は一体何を・・・?

山本音楽隊長を演じるのは加東大介。

「アブラゲはね、焼いて大根つけて食べるのがこれ一番旨いよ」

「そらうまそうですね。今晩やってみましょう」(大真面目)

全体的にシリアスな展開の映画で謎のシーンです。

訓練期間の8ヶ月が終了しました。
本来なら2年かかる教育を短縮し、楽器を持つところからなんとか、
行進しつつ音楽を奏でるレベルにこぎつけたのです。

「諸君は恒例により全教官と共に九段の靖国神社より市内の繁華街を通り、
宮城前へ向かって大演奏行進を行う!」

♬ 行進曲「青年」

「この行進は諸君の技術・学術の総決算であるばかりでなく、
市民の士気を高揚する重大な任務を持つものである」

靖国神社の拝殿から出発。

チューバのはずがいつの間にかスーザフォンに変わっている青田。

山門を出たところで転びますが、俳優さんは結構怖かったと思います。

相撲部屋から親方と弟子たちも応援に来ているよ。

「あいつ番付に乗ったんだな!」

靖国の参道両側を埋め尽くす割烹着と日本の旗の波。

ドラムメジャーは加東大介ですが、歩くだけで何もしていません。

大村益次郎の像をバックに。
この大村益次郎像は双眼鏡を持ち、自分が指揮をとって彰義隊と戦い、
これを鎮圧した上野公園の方角を見るように立っています。

人波の中を、太鼓を叩く婚約者三条を追いかけて走っていく美津子。
藤山陽子が演じています。

海底軍艦で神宮寺大佐の娘をやってた人ですよね。

音楽隊が行進する街にはなぜか紙吹雪が舞い、窓窓には標語が・・・。
幾ら何でもこんな大仰なイベントだったんでしょうか。

5月27日の海軍行進は風物詩として都民に親しまれていたそうですが。

この行進が行われたのは、19年10月に入隊した団伊玖磨の回想録によれば、
20年の2月で、「分列行進曲」ができるようになったのは1月ごろでした。

陸軍戸山音楽隊は、3月10日の東京大空襲の翌日、都民の士気を鼓舞すべく、
焼け跡を演奏行進したそうですが、それを聴いて心が慰められた人よりも
苛立った人の方が多かったらしく、市民からはレンガを投げつけられたそうです。

 

さて、映画ではこの演奏行進のあと、軍楽隊は北支戦線に出征することになりました。

 

北支に派遣された彼らが見たものは、中国人を暴虐のままに扱う
日本軍の姿でした。

駅で荷物を運んでいた苦力が日本兵が殴られ、線路に落ちて汽車に轢かれたり、
便衣兵か民間人かわからないが夜中に民間人の格好をした中国人を銃殺する、
というシーンがいきなり続き、それを見る軍楽兵たちはドン引きします。

銃殺シーンではご丁寧にも射殺される中国人に

「マ〜〜〜〜〜!(お母さん)」

と叫ばせております。

昭和40年作品であること、監督の松山善三が、当時の「流行」でもあった、
日本軍の中国大陸での「悪行」を暴く的な正義感で書いたことがよくわかり、
わたしはこの部分から、あの「戦争と人間」と同じ匂いを嗅ぎ取りました。

(NHKは最近でも『坂の上の雲』義和団事件や高陞号事件でやらかしてますが)

特に中国での日本軍の行いを無条件で悪、中国人は被害者、
という決めつけのもとに執拗に一定の方向性をもって描写する姿勢は、
あの大左翼映画「大日本帝国」「戦争と人間」に通じるものがあります。

松山善三監督は団伊玖磨と一つ違いですが、終戦時医学生だったので
全く軍隊経験がなく、当然ながら外地での日本軍の所業というのも、
戦後に喧伝された媒体から採用したことばかりであることは
この映画を観るうえで知っておいたほうがいいかもしれません。

この作品が、戸山学校の訓練部分とそれ以降とでは全く雰囲気が代わり、
取ってつけたようにいきなり日本軍批判をする爺さんが現れたりするのも、
つまりそこを境に語り手が別人に交代するからなのです。

わずか10ヶ月とはいえ陸軍に入隊した団と、全く知らない松山の語る部分は、
圧倒的に前半にリアリティがあり、後半は絵に描いたような日本の悪魔化。
監督本人がそこまでアレだったかどうかはわかりませんが、この後半からは、
当時の多くの映画人がそうだったところのDUPESの匂いがします。

山村を車で認知まで移動中、ピータンを食べてお腹を壊した隊員(青田と鷲尾)が
用足しに出かけると、そこで日本軍の小隊に出くわします。

主演クラスの俳優を脇役に豪勢に使っている本作品ですが、その一人、佐藤充
山中で匪賊を待ち受けていたのに、音楽隊の出現で邪魔をされたとお怒りです。

♪ 愛国行進曲

北支の小さな村に着いた彼らは、早速そこで演奏会を行っていました。
そこで演奏されているのが長い前奏を持つ吹奏楽アレンジの「愛国行進曲」。
中国の山村の農民にはちょっとどうかなという選曲です。

ところがここで急展開。

この村人の中に抗日の兄妹プラス一人がいて、演奏を聴いていた日本兵に
女が微笑みかけて注意を引くや、兄が後ろから刺殺してしまいました。

何回見てもこの中国人たちの意図がわかりません。
こんなところでこっそり一人日本兵を殺して何がしたかったのか。

それに意味もなく兵を殺されたら、当然日本軍としても犯人を制圧しようとしますよね?

というわけで兵隊の銃が火を噴き、中国人たちは逃げ惑いますが、
射殺されたのはきっちり刺殺犯の男性二人のみ。

これってすげー日本軍優秀ってことじゃね?

ところが兄を射殺された犯人の女が遺体に取りすがって泣きながら言うんですよ。

「神様!どうしてこんな酷い目に合わなければならないのですか?」

はあ?ちょっと待てよ。
どうしてってそりゃあんたらが罪もない日本兵を刺し殺したからだろうが。
死んだ日本兵のセリフだよそれは。

「坂の上の雲」もそうでしたが、こういう制作物に共通するのは、徹底した
「日本軍は悪」「かわいそうな中国人無罪」という印象操作です。

今急に思い出しましたが、当時のアメリカでは、まさに

「かわいそうな中国人」

がパワーワードになっていたようですね。
誰かも書いていましたが、アメリカ人が中国にある種の動物を可愛がる的な意味の
同情を寄せていて、日中戦争に介入していったのは、あの宋美齢が
皆の前で泣いたりして日本への「懲罰」を求めたからだという説があります。

そしてまた、戦後の自虐史観においても、共産主義を礼賛する確信的左翼や
松山監督のようなデュープスは、一様に

「純粋で無垢で日本人に虐げられたかわいそうな中国人」

のイメージを再生産しては日本人に罪悪感を与えたとわたしは思っています。

というわけでもうこの辺でウンザリしてしまったのですが、めげずに続きを見ました。

この映画のトリッキーなところは、音楽隊は軍隊の一部ではあるが、
戦闘を行う、つまり中国人にとって恐ろしい相手ではなかった、
ということを強調しているこんなシーンでしょう。

中国語が堪能な伍長の無害アピールに信じられないものを見るような中国人たち。

つまり、本作品では軍楽隊は中国で殺戮をしまくっている日本軍とは
全く違う存在であり、むしろこれに戸惑い反発する『良心』であり、
言い方を変えれば戦争に巻き込まれた被害者であった、という色付けです。

彼らが北支に向かう道中見たのは、ただの山村で行われたらしい大規模な銃撃戦の痕でした。

「戦争と人間」では、日本軍が総力を挙げて小さな村の人々を皆殺しにしていましたが、
日本兵が死んでいることから、これは八路軍との戦闘だったようです。

音楽隊御一行様はここで匪賊に襲われ、逃げ惑いますが、
さすがお金がかかっているせいか、この爆破シーンがやたら派手です。

燃え盛る川(なんで?)を大脱走するという派手な展開に。

もう全滅か?という時、友軍が到着しましたが、この激しかった戦闘で
何人もの戦死者が出ました。

もちろん軍楽隊員の中にもです。

 

 

続く。

 

 



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3 Comments

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昭和は遠くなりにけり (Unknown)
2020-01-13 16:29:53
反戦?ものの小説を読むと、主人公はいかにも「こりゃ、やられるわな」ということをやってるんですよ。漫画家の水木しげるさんなんか「身体虚弱で総員起床で起きられなかった」とおっしゃってます。そりゃ、やられますよ。さぼっているとしか見えません。

戦争で負けが込んで来て、平均的な体力がない人でも引っ張られる時代がなければ、これほど「軍隊=悪」という刷り込みもなかっただろうし、自衛隊もあんなにコテンパンにやられなかっただろうと思います。

段々そういうのもなくなりつつあるので、いろんな意味で昭和は遠くなりにけりですね。
返信する
これは酷い! (type99twin)
2020-01-15 01:04:46
余りの酷さに唖然とします。
サイパン島で「海ゆかば」を合唱しながら
突撃(民間人と共に)を彷彿させますね。
エリス中尉ならずとも義憤に駆り立てられます。
次回は救いがある事を切に願います!
返信する
みなさま (エリス中尉)
2020-01-15 14:17:41
unknownさん
同じように戦争に行っても、要領良く辛い目に合わなかった人もいますしね。
わたしの知り合いに、なぜか上官に気に入られて、皆が罰を受けるときには
なぜか「いつも用を言いつけられ」その場にいずにすんだしあまり辛いことはなかった、と自慢している人がいました。
逆に戦中必要以上に上からいじめられた人が軍隊を悪く言わないわけはないです(笑)
学徒動員されて兵学校、士官学校卒に虐められた予備士官なんかもそうですね。

松山監督のように戦争に行っていないのにこういう風になってしまう映画人は
非常に多かったと思います。
演劇界もそうですし、反戦を自己発現の手段に表現活動をするのが
昭和のイケてる文化人の流行りのようになっていたように思われます。
かたや三島由紀夫などもいたわけで、いずれにしても敗戦が日本人の精神形成に落とした影響は左右ともに多大でした。

type99twinさん
ああ、ありましたね。「大日本帝国」でしたっけ?
あれこそはわたしの選ぶ「最低最悪の戦争映画の1シーン」です。
しかしこの映画はあれほど酷くはならないのでどうぞご安心ください。
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