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目黒・防衛省~西郷従道の「いいかげん」

2013-09-25 | 海軍人物伝

およそ帝国海軍に興味を持つ者ならこの西郷従道の名を一度は見たことがあるでしょう。

西郷従道(さいごう・じゅうどう)。
天保14年、1843年、薩摩の国鹿児島の生まれ。
陸軍、海軍軍人、政治家、元老。
西郷隆盛を「大西郷」と呼び、こちらは「小西郷」と呼ぶ。

陸軍軍人だったり海軍大将だったり、こんなことがありうるのか?

とついこの経歴を見て思ってしまうわけですが、それもこれも西郷は
維新期に尊王攘夷に身を投じ、勤皇倒幕の志士から維新幕府の立役者、
という超大物で、軍制を渡欧して視察し、日本にその基礎を敷いた人物。
陸軍も海軍もその手で作ったようなものですから、当たり前と言えば当たり前なのです。


というわけでこの、幹部学校所蔵の西郷従道の揮毫です。

何が書いてあるのか全くと言ってほどわからんのですが(笑)
こんなこともあろうかと幹部学校によってつけられた説明を見てみると

「幾歴辛酸志始堅 丈夫玉碎愧甎全
      一家遺事人知否 不為兒孫買美田」 侯爵 西郷従湘 書

とあります。

ろくに筆も持てない者が言うことではないですが、この書・・・。
少々崩しすぎではないでしょうか。
闊達で自由自在な筆運びにはリズムがあり、実に芸術的であるということは
素人目にもはっきり理解できるのではありますが。

この書が、西郷従道という人物の、どこか人を食ったような、小事にこだわらない
「超大物ぶり」の片鱗を伝えているという気がするのは、この人物の
いろいろと「突き抜けた」逸話のせいでしょうか。


それはともかく、この書の意味です。

「甎全(せんぜん)」という意味が分かれば、だいたい理解できる内容ですね。
というわけで、幹部学校のHPによると、

甎全:何等世のため尽くすことなく生き長らえること。
瓦のようにつまらぬものとなって生命を全うする意。(瓦全)

つまり、実際の西郷従道の一生とは真逆です。


幾歴辛酸志始堅・・・・・幾度か辛酸を経て、志始めて堅し。

丈夫玉碎愧甎全 ・・・・丈夫玉砕して甎全(せんぜん)を恥ず。

一家遺事人知否・・・・・一家の遺事人知るや否や。

不為兒孫買美田・・・・・児孫(じそん)のために美田を買わず


最後の一文が有名なこの文は、従道のお兄さんである南洲公、西郷隆盛の
西郷南洲遺訓 五条 です。

人は幾度か人生の辛酸を嘗めて初めて、その志を堅くすることができる。
男子たる者は玉と砕けるを旨とすべきで、その辺の瓦のような生き方は恥とすべきである。
家への遺訓を人は知るかどうかはわからないが、
子孫のために巨額の遺産を残すようなことはすべきではない。

もう少し上手い訳もあると思いますが、とりあえずこんな感じでしょうか。

富というものは世界的な常識として子々孫々に受け継がれるべきものです。
しかし、武士道の言うところの「御家繁栄」は、決して資力資産のことではない、
ということがこの「児孫のために美田を買わず」という一言に集約されています。


こういう一文に触れると、改めて日本の武士道とは即ち求道の精神であり、
そんな精神を受け継ぐ日本人であることが誇らしく思えます。


ところで、話は変わりますが、横浜市中区に森林公園という広大な公園があります。
ここは昔根岸競馬場があったところで、今でも往時のスタンドの一部がツタに覆われて建っています。
そしてかつてレーストラックだった公園のその一角には、「馬の博物館」があります。

馬に関する歴史的な資料を公設、臨時と合わせて見ることができる博物館で、
少し前はここで余生を送っている馬に乗らせてもらったりするサービスもありました。

この史料館に飾られている一枚の「ポンチ画」をご覧ください。



馬に乗っているのが、本日主人公の西郷従道。

横浜には居留地があり、在留外国人のために文久年間から競馬が行われていたのですが、
1866年、ここ根岸に本格的な競馬場が作られました。
完成と同時に各国の公使館員や民間人が「レースクラブ」を結成し、
競馬が恒常的に行われるようになったのです。

外国人ばかりであったクラブに西郷は1875年(明治8年)、日本人として初めて
会員となり、また馬を4頭所有する「馬主」になります。
当時は馬主が騎手を兼ねることもしばしばだったのですが、なんと西郷従道、
何の酔狂か、ある日愛馬にのって800mのレースに出場し、見事優勝をさらってしまいました。

このころ西郷は陸軍中将になったばかり、とはいえ若干32歳の血気盛んな若者です。
ポンチ画にされるほど驚くことでもないような気もしますが、
やはり日本人がジョッキーを初めて務めた、というところにニュース性があったのでしょうか。

それにしても、この西郷の顔、なんでこんな風に描かれているのだと思います?
新聞のタイトルは

「Mikan wins!」

つまり、西郷のこの時に騎乗した愛馬の名前が「ミカン」であったということから、
外国人絵師が面白がってこのようなポンチを制作したのです。

この、眉毛の太い、くっきりした顔立ちの特徴をよく捉えていますね。


ところで、西郷従道、本名は隆興(りゅうこう)です。
昔の人は名前を変えるのが通例だったとはいえ、どうして成人名を変えることになったのか。

西郷は維新後、明治維新政府の太政官(国会議員のようなもの)に名前を登録することになり、
登記係に「りゅうこう」と口頭で告げました。
しかし、お国訛りの薩摩弁のアクセントのせいか「じゅうどう」と係員は聴きとったのです。

ここからが問題です。

登記係はそのとき「じゅうどう」に「従道」という漢字を当てはめ、西郷も
「なら従道でいいや」
と言って、それ以降自分の名を「従道」にしてしまったというのです。

どういう漢字を書くのか聞きもしないで勝手に人の名前を書いてしまう係も係ですが、
また書かれた間違いをそのまま自分の名前に採用してしまう西郷も西郷です。

思わず眉に唾をつけてしまいそうなこの話の真偽は、もはや正すべくもありませんが。


この頃は、大層な紙に大層な筆でこう言った名簿を作成していたので、

「え?間違い?困るなあ~。他の人の名前も書いてある名簿なのに、朱墨いれるわけにいかんでしょ~」

みたいなプレッシャーを与えられ、

「あ、それならもうそれでいいです。ってか、結構気に入ったからこの名前で行きます」

と弱々しく応えてしまったとか・・・・・この人に限ってそれはないかな。
むしろ、この話からは小事に拘らない(拘らなすぎる?)西郷のおおらかさというか、
いい加減さが垣間見えます。


西郷は、最初にも言ったように少し人を食ったようなところがあったようです。

ある会議で閣僚の一人がわかりきったことをくだくだとしゃべるので場は行き詰まり、
皆がうんざりしていたとき、その隣にいた西郷は、件の閣僚が腰かけようとしたときに
椅子を引き、尻餅をつかせてしまいました。
一同笑いに包まれ、尻餅をつかされた閣僚も苦笑いして空気はすっかり変わったということでした。

こんな小学生のようなことを、いいおっさん、しかも国家指導者がするというのも驚きですが、
逆に言うとこのようなことをされても怒る気になれない、西郷にはそんな憎めなさがあったのでしょう。

大西郷である兄の西郷隆盛が人格の器の大きい人物であったことは知られるところですが、
小西郷の従道も、上に立つ人間としては非常に鷹揚で「人に任せる」ということを知っており、
たとえば山本権兵衛を信頼したらとことんすべてを任せ口は出さず、
それがあって山本は日清日露戦争でその腕を振るい海軍の基礎を強固にすることができた、
と言われています。

山本権兵衛の甥にあたる山本英輔(海軍大将)は、

「あんな悍馬(かんば、暴れ馬、山本権兵衛のこと)を乗りこなす大臣はめったにいないからね」と、

西郷の「手綱さばき」を称賛していたということです。

「人を使う」ことにも、西郷はいい意味の「いいかげん」を発揮したのでしょう。
これはと思った人物に全てを任せ、任せたらあとは自分の眼力を信じて好きにさせる。
山本権兵衛という暴れ馬を(ミカンのように)乗りこなし、西郷は日露戦争というレースに勝つことができたのです。


その日露戦争を勝利に導いた旗艦「三笠」ですが、まさに日清戦争後、ロシアの脅威に備える形で
「六六艦隊計画」の一環としてイギリスに発注されたものでした。

請け負ったのはヴィッカーズ社です。
ところが発注の段階で海軍の予算が尽き、ヴィッカーズからは手付金を払わないと発注を取り消す、
と催促してきたという経緯がありました。

そのとき困った山本権兵衛が西郷に相談したところ、西郷と樺山資紀は一緒になって、

「別の予算を流用して三笠を造れ。咎められたら三人で腹を切ればいい」

と、いいかげんなことを言いだしたということです。
いつの間に俺まで腹を切る仲間にしてんだよ、と山本は内心思ったに違いありません。

それはともかく、このいい加減な対処を本当にやってしまった結果、三笠は
日露戦争に間に合い、旗艦として日本海大戦を勝利に導いたのは皆さまもよく知るところです。


西郷のように「自分を捨石とする覚悟を持つ者」は、ある意味「怖いものなし」です。
幕末から維新の時期に、為政の中枢にいて、偉大な兄の遺志を継ぎ日本を作ってきた男。
己を捨て、富を求めず、なにかを為す人生を常に全力で追い求めた男。

そのような人間の「いいかげん」はしばしば「良い加減」となって
本人も思わぬ結果を生むものかもしれません。














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