幹部候補生学校の卒業式が終了し、空港まで送っていただけることになりました。
江田島から2時間は見ておいたほうがいい、ということで、
旧海軍時代下士官クラブだった「海友舎」の見学は諦めたのですが、
「高田帽子店は今日営業しているそうです」
うーむ、どうしてわたしが高田帽子店に行きたがるタチの人であると知っているのだ。
去年の呉訪問の際、ホテルから歩いてここまできて、
定休日だったので写真だけ撮って帰ったのですが、今日はやっとお店に入れます。
たまたま検索していたら、あるブロガーが
「電話したら定休日だったけどわたしが行く時間だけ開けてくれた」
と書いておられるの見つけました。
わたしも電話して聞いていたらあの時開けてくれたのかも・・。
呉という街は決して都会ではありません。
いわゆる繁華街と思われる商店街ですら、昔ながらのお店が細々とアーケードに並び
地元の人たちが日常の買い物をしているという感じです。
だからと言って全く昔のままというわけでもなく、各々が適当に改装を重ね、
中途半端に新しかったりそれが古くなったりして統一性のない建物が雑然と立ち並んでいます。
高田帽子店もそんな街並みの一角にあります。
もしここがそういう歴史のある帽子店だと知らなければ、果たしてこれで
生業として成り立っているのだろうか、と他人事ながら心配になる、
「商店街の帽子屋さんの謎」(By探偵ナイトスクープ)に出てくるお店みたいですが、
ここが呉の「観光スポット」となっているのは、呉の観光資源が「海軍」だからであり、
また、旧海軍でずっと軍人たちの帽子を作り続けて来た歴史があるからです。
「ごめんください」
外に車を停めてもらい、わたしだけお店に入って行くと、カウンターには
店主とその奥様らしい二人がいて、ご主人は作業中でした。
ガラスケースの中の帽章や庇をつける前の帽子が目を引きます。
上の段は帝国海軍の士官用、下士官用、水兵用が並び、
略帽とともにこれらは自衛官でなくても買うことができます。
潜水艦隊基地があることから、
「もちしお」「たかしお」「ゆうしお」
そして「てつのくじら」になった「あきしお」のものもあります。
掃海艇「ゆりしま」もそうですし、つまり退役した自衛艦ばかり?
と思ったら、「やまゆき」があります。
わたしたった今、「やまゆき」が江田島から出港するのを見届けたばかりなんですが。
と思ったのですが、よく見ると艦番号は「DD-129」となっていました。
なるほど、「やまゆき」は練習艦に変更になったので、護衛艦「やまゆき」は
もう退役した艦と同じ扱いをしているってことなんですね。
わたしが前回来呉した時にはお店が閉まっていたことを告げ、
「卒業式に出席していたんですが、終わってから連れて来ていただきまして」
というと、奥さんはわたしのいでたちを改めて眺め、(コサージュ付きスーツ)
「今日は・・・どなたかがご卒業を?」
「いえ、ご招待いただきまして来賓としてお見送りさせていただきました」
奥さんは代々の呉地方総監についても名前もお顔もご存知の様子。
そこで何人か覚えているだけの呉勤務の幹部を知っているか聞いてみましたが、
「たとえお名前は覚えていなくても、お顔を見たらわかります」
ガラスケースの上にはこんな感じで帽子と庇がさりげなく置いてありました。
何をしていたのかはわかりませんでしたが、ご主人はわたしと奥さんが
会話している間一言も発せず黙々と作業を続けておられます。
「飾り付きとそうでない帽子のつばは素材が違うんですね」
考えたら庇に刺繍が施された一佐以上のものは布出て来ていて当たり前です。
だからといって飾りのない士官用帽子の庇がこんなにツルツルしていたとは
近くで見たことがなんどもあるのにほとんど気に留めませんでした。
この通称「カレー」ですが、全て刺繍は手で一つ一つ行うということです。
ガラスケースの中には体力賞や第一空挺団のマーク、
そして袖につける錨のマークが展示してあります。
さらにテーブルの上には海自の帽章がたくさん置いてありました。
あの、今改めて思ったのですが、これ海軍のと全く変わってませんよね?
戦後海上警備隊が発足し、制服が決められたとき、帽章の抱き茗荷が抱いていたのは
桜ではなく鳩であったと聞いたことがあります。
その後自衛隊が発足するにあたって、帽章はおそらく確信的に、
しかしひっそりと、元の桜に戻されたのだとわたしは想像します。
外に車を待たせているのでゆっくりケースの中を見る時間がなかったのですが、
この写真にはサイドパイプがあるのが確認できます。
ガラスケースの上の帽子を指してわたしが
「これはなんの帽子ですか」
と聞くと、船員(一般の)の帽子だと教えてくれました。
これにもカレーがついているので、船長のものだったりするのでしょうか。
ご主人はそのとき、黙って帽章を乗せて見せてくれたのですが、
これはわたしにもわかる海上自衛隊用。
「?」
と思っていると・・・・・、
「こちらでした」
桜の代わりにコンパスがあしらわれています。
ちなみに、海保の帽章は真ん中に大きくコンパス、その上に鳩です。
つまり、海上警備隊の帽章にあしらわれていた鳩は海保に譲り、
自衛隊はかつての桜を選択したらしいことが(わたしの中で)判明しました。
艦船同志で交換される記念贈呈用の盾も多数。
実は、この盾に使う金属の金型を倉庫にずらりと保持していて、自衛隊から
注文があったら作る、ということをしている会社を見学に行ったことがあります。
これもおそらくその会社の金型でできているものだと思われます。
その倉庫にはもう退役したという艦船のものも全部保存されていて、
尋ねるとそういうのは絶対に破棄しないということです。
一部アップ。
「くろしお」 ってーと、日本国自衛隊が初めて所持した潜水艦では?
(ちなみにそれは米海軍のガトー級『ミンゴ』を貸与されたもの)
と思ったら、就航が昭和42年となっています。
ということは二代め「くろしお」の就役記念です。
Vサインをしている「キャプテンコッキー」のできが妙に素人っぽいですが、
やはりこういうのって多少稚拙でも初代乗員が作ることが多いんでしょうね。
お店の他の様子も撮らせていただきました。
海軍海自そして海事コーナーはお店の半分で、残り半分は普通の帽子です。
こちらも作っておられるのかどうかは聞き損ないました。
ショーウィンドウにはソンブレロもあったのですが、誰が買うんだろう・・。
高須克弥かな?(参考 // ダーリンは70歳 高須帝国の逆襲 )
「あきしお」がてつくじになる瞬間、そして「しらせ」の写真。
下の本棚には、軍艦の写真、兵学校の写真集、そして軍装図鑑などが並びます。
NHKでここをモデルにしたドラマが制作されたこともあります。
NHK広島放送局が開局80周年を記念して制作したテレビドラマで、主演は緒形拳。
広島の呉に、かつて山本五十六連合艦隊司令長官の軍帽を作った帽子店がある。
その店と帽子職人の誇りを父から受け継いだ春平であるが、
最近は注文が減り、物忘れも多く、警報ボタンで
警備員の若者・吾朗を呼びつける毎日である。
ある日、吾朗を捨てた母親が春平の幼なじみの世津で、末期のがんと知る。
春平は強引に吾朗を連れて東京に住む世津を訪ねる。
人間の誇りとは何かを問いかけるドラマ。(NHKアーカイブスより)
緒形拳が演じた主人公の春平が、高田帽子店(ドラマでは高山)の
主人、という設定で、山本五十六が中将時時代 (1934〜1940年)
帽子を作りに来たという実際のエピソードも盛り込まれています。
写真では闊達に笑っている緒形拳は、このときすでにガンの末期で、
放送から2か月後の2008年10月5日に死去しています。
同じ末期ガンで蝕まれる命をモチーフとしたこのストーリーを、
このときどんな気持ちで演じていたのでしょうか。
高田帽子店に連れて行ってもらえると知ったとき、わたしはせっかくだから
この日の記念にミニチュアの帽子を買って帰ろうという意思を固めていました。
卒業式だったから、新幹部にちなんで、やはり(一番安い)幹部用かな。
そんなことを考えつつ、
「今日は士官用のミニチュアの帽子をいただいて帰りたいのですが」
というと、奥さんは
「それでしたらやっぱり刺繍の入ったものがお勧めです」
と高額商品をさりげなくプッシュして来られます。
「何と言ってもこの手刺繍がうちの自慢なんですよ」
確かに手刺繍で縫い込まれた桜葉はそれだけでたいしたものです。
そ、それでは刺繍入りの一佐以上のを・・・。
「刺繍の細かさならこちらです。(将官用のこと)
やはり装飾用に買われる方は、皆さんこれをお求めになります」
いや、突っ込むわけではないですが、このミニチュアの帽子は
どの階級のものであっても装飾にしかならないと思うんです。
しかし、この流れにおいて
「いや、刺繍なしのを」
と言い放つ勇気を、美しい日本の気の弱いわたしは持ち合わせません。
「では・・・将官用のを」
「これだとお値段が他のより高くなりますがよろしいですか」
「もちろんです!」
なぜか力強くこう言ってしまうわたしでした。
お代金は、ちなみに2017年3月現在で8900円なり。
こんなレトロな感じの紙袋に入れていただきました。
本物の帽子の縮尺で全く手を抜かずに作られているのがすごい。
特に将官用は本物の庇よりも細かい刺繍が必要になるので手間がかかるでしょう。
帽子には折りたたみ式の飾りケースがついています。
見れば見るほど手がかかっているのがわかり、家に帰ってから
しみじみとこれにしてよかったと思いました。
まあ、今回はこの帽子をかぶった幹部の方のお招きだったということで。
ところで、お店で聞いた話で、奥さんがこんなことをおっしゃっていました。
わたしが
「海自の集まりで帽子置きにずらっと並んだ帽子を見ると、個体差があって
刺繍の形とか色とかが少しずつ違うんですよね」
とかねてから感じていた通りにいうと、
「わたしどもは写真とか遠くから見ただけでも、うちのかどうかわかりますよ」
「やっぱりそうなんですか!何かが違う・・・?」
「どこがどう違うと口では言えないんですけど、なんかわかってしまいます」
後、山本大将の写真など、先代は白黒の古い写真を見ただけで
これはうちで作った、ということがわかった、とおっしゃっていました。
海自の帽子に個体差があったのはこういうわけだったのです。
いくつかのお店があるし、そもそも官品とは全く違うでしょうしね。
ところで帰りの車の中で大尉殿にその話をして、制服についても
官品ではなく自分で注文する方がいるそうですね、というと、
「わたしのも私物ですが、全く官品とは素材が違います」
彼は運転しながら左腕をよく見せるようにこちらに向けました。
おお、大尉殿はこだわりの私物派でしたか。
「官品も一応受け取るのでしょう?」
「受け取ります」
「スペアにしておいてクリーニングが間に合わないとか、
非常時(海に落ちたとか)にそちらを着るということはないんですか」
「着ませんね。受け取ってから一度も箱から出さないままです」
他の私物派の方からも全く同じことを聞いたことがあります。
着るものに対しては個人の考え方があるので、どちらがどうとは言いませんが、
もしわたしが自衛官ならもちろん私物派で、こだわりまくることだけは確かです。
生地はゼニア?ロロピアーナ?それともヴァレンティノ・ガラヴァーニ?
とか(笑)
帽子の中には型崩れしないように厚紙が入れられておりどこまでも丁寧です。
この日の良い記念になったと思いました。
というわけで、幹部候補生学校の卒業式参加シリーズ、終了です。
最後になりましたが今回の参加に際してご配慮いただきました
呉地方総監部の皆様方に、心から感謝を申し上げます。
みなさま、どうもありがとうございました。
*おまけ*
外猫にかぶせようとしたら全く近寄って来なかったので
仕方なくうちにあった唯一のぬいぐるみ(バムとケロのカエルの方)
にかぶせてみました。
終わり
素敵です😊
私は、いつか息子がカレーライス付きの帽子になった時、同じデザインのものを作って貰いたいです。
そんな日は、くるかしら?
少しだけ中のことを知っただけではありますが、その上で思うのは
海自って昇進の面で案外リベラルで、実力さえあれば
出身がどこであってもカレー付きになるチャンスはあるんじゃないかと思います。
いつかひまさんが高田帽子店にそのために足を向ける日が来ることを、
わたくしも心からお祈りしています。
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/45bdc37bfb405e7b131756cc71508357
前列の右の二つと後列の左端が高田の帽子だと思います。特徴は枠が真円(真ん丸)で水平面になっているのと、帽章の角度が深い(他のものより、より寝ている)ところです。
前列の左から二つ目や後列中央のものと比べると違いが分かります。枠は微妙に真円ではないし、水平面になっていないように見えませんか。
ピシッと見える高田の帽子が一番人気あると思います。
息子が防衛大に進むきっかけになったお店です。
そんな息子も毎学期訪れる留年の危機を乗り越え(要は成績不良)、いよいよ最終学年を迎えました。
帽子のひさしですが、防大の制帽もツルツルの樹脂製なのです。
てっきり皮だと思っていたので意外です。
エアラインの場合、副操縦士は袖に太い線3本、ひさしにカレーライスなし。
機長が4本、カレーライス付きです。
ひさしは樹脂製の台に薄い皮が貼ってあります。
カレーライスは皮に施してあります。
そう言えばと思い、古い帽子を引っ張り出したところ、接着剤の劣化とカビで、ひさしの皮がひどいことになっていました。
(以前は古くなった制服類は返却の必要がなかったのですが、オークションに出した馬鹿者CAがいて、全て不要なものは返却と成りました。)
常に潮風に晒されるので、樹脂とか布製の方が耐久性は高いかもしれません。
おお、息子さん無事に最終学年ですか。
息子さんも「あおざくら」みたいな青春を送られたんでしょうかねえ・・・。
海軍の軍帽は当然皮革製だったわけですが、最近は樹脂の品質が良くなったので
耐久性に優れた樹脂を使うようになったのでしょうね。
今回将官用のひさしも、樹脂に刺繍の部分をかぶせてあることが判明しました。
皮に直接刺繍をするのは大変だったでしょうね。
海軍でひさしに刺繍がなかったのもそのせいでしょう。
今回、ご同行くださった大尉殿の帽子の裏を着脱ごとに観察したところ、
裏側は汚れがつきにくいように透明の強化ビニールっぽい裏張りが、
頭頂の部分だけにされており、そこに名前が書かれていました。
あれ、夏暑いんじゃないかなあ・・・。
ハーロック三世さんの退職の時には記念で帽子と制服はもらえたんですね。
筆不精三等兵さん
あー・・・・・使ってましたね。エルクンバンチェロで。
さすがにあれは借り物だったと信じたいですが、
「毎年どこかで使うから高田帽子店で購入した」と言われてもあまり驚かないかも。
読んでますよ〜
結構、「あるある!」というところと、「そんなことあらへんやろぉ〜〜」という部分が入り乱れているようです。
ひさしの材質ですが、だんだん自信がなくなってきました。
ひょっとすると薄い合皮に機械刺繍だったかも・・・
白っぽく変色、ボロボロに劣化が始まって不気味だったので、そのまま奥に押し込んでしまいました。
帽子の頭頂部はやはりビニール張りです。小さなポケットが付いており、期と氏名を書く紙を入れるようになっています。
余り蒸れを意識した記憶はありません。
防大の帽子と決定的に違うのは、帽子の上の部分が外れないことです。
防大のものは夏には白いものに取り替えますが、エアラインのものは取り外せません。
夏でも黒いままです。
帽子を被って外に出るのは出発前の点検時くらいで、時間にして30分もないので真夏でも大丈夫です。
しかし艦艇勤務の海自は大変だと思います。
海軍時代、夏は冬用の帽子に白いカバーをかけていたらしいですね。
色はともかくあれじゃ暑かっただろうと思います。
「あおざくら」、第3巻出ましたね。
河野幕僚長がインタビューで防大時代の思い出を語っておられます。
昔はそうでした。この前、納会(卒業生追い出し会)の時に見たら、昔と制帽は変わっていなかったので、恐らく今も変わらず、夏はカバーを掛けていると思います。
過去にオークションに夏用制帽が出たこともあるようですが・・・
我が家で息子が帽子をバラバラにしていて、ひさしと周囲、頭頂部のみという状態にしていました。
一部のエアラインではやはり日覆いをつけるケースがあるので、日覆いをつけるのかと聞いたところ、違うと答えていました。
自身の使っていた制帽も同じように分解できるかと試しましたが、バラバラにはできませんでした。