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モニュメンツ・メンとシュレーゲル中佐・ナチスの美術品略奪〜ウィーン軍事史博物館

2020-04-30 | 歴史

2019年4月に公開された映画「ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ」
をご覧になった方はおられるでしょうか。

ヒトラー対ピカソとはまたなんとセンスのないタイトルだろうと思ったら
原題は

HITLER VERSUS PICASSO AND THE OTHERS.

で、原題通りでしたすみません、と言いたいところですが、
「AND THE OTHERS.」を付けていないのでわたし的にはアウトです。
むしろ映画では「そのほか」がヒトラーと対峙する構造が描かれているわけですから、
前半だけ書き出しても原題の意図に添っているとは言い難いと思います。

語尾の「.」も決して無自覚に付けられたものではないでしょう。

あえてそのまま訳せば

映画「ヒトラーv.sピカソそしてその他の人々。」


映画を見れば、「その他」がピカソ以外の画家たちであるという
簡単な話ではないことがお分かりいただけると思います。

予告編

 

タイトルのピカソの名を出してきたのは、彼が、ヒトラーのナチスドイツに
退廃芸術と名指しされた一連のモダンアート(当時の)の作者の一人であり、
映画の最後に、

「芸術家はこの世の悲劇や喜びに敏感な政治家であるべきだ。
無関心では許されない。
絵は壁の飾りではなく敵を攻撃し防御するための手段なのだから」

という彼の言葉をいわば「決め台詞」として使用したからだと思われます。

わたしも、自分の作品と自分自身を政治勢力により迫害されたピカソが、
そのように考えるようになったのは当然だと考えますが、だからといって
政治に無関心な芸術家の作品の価値の有無についてはピカソと意見が異なります。

たとえばアナーキズムから共産主義に転向、はてはフランコ政権に擦り寄った
政治的に無節操なダリの作品は
ダメなんでしょうか。

つましい地方官吏に一生甘んじた小市民、マグリットの作品には価値がないでしょうか。

そのほとんどが権力者のパトロンを持ち、彼らの肖像を描くことで
その活動の場を得てきたルネッサンス期やバロックの作品は・・・?

ピカソに言わせればたとえば権力者がパトロンとなることで生まれた芸術は
全て失格ということになりますが、わたしはその考えには与しません。

 

それはともかく、この映画は、予告編からもお分かりのように、
ヒトラーとナチスドイツが政権をとっていた時代、ロスチャイルド家や
ユダヤ系から、あるいは美術館から略奪された美術品とその行方、
して自らの美的思想を取り入れた理想的な国家建設を行うために
彼らがやらかした迫害と、それに立ち向かう人々を描いたドキュメンタリー風作品です。

 

第一次世界大戦後のヨーロッパの美術界にとっての不幸は、
敗戦国ドイツを率いるカリスマ的独裁者が、美術と美術界に対し
アンビバレンツな一種の執着を持っていたことでした。

有名な話ですが、アドルフ・ヒトラーは若い頃画家志望で、
ウィーン美術アカデミーを受験し失敗しており、このトラウマが
その後政治で権力を握ったときに歪な形で発散されることになります。

自らが芸術の庇護者であるという傲慢な自己肯定の下に、ヨーロッパ中の、
ことに迫害したユダヤ系の所蔵美術品を略奪という形で収集したのです。

ウィーン旅行した時に泊まったヒルトンホテルの横に
美術学校があり、ここでもご紹介したのですが、ウィーンを去ってから、

「あそこヒトラーが受けて落ちた学校だよ」

とMKに教えられました。

この学校が、多少下手でも大目にに見てこの受験生を入学させておけば、
(残されている作品を見る限り、建物は描けるが生物がダメだったらしい)
凡庸な画家が一人生まれる代わりに独裁者は誕生しなかったと思うと胸熱です。

 

またやっかいなことに、ヒトラーだけでなく、ヒトラーの右腕ゲッベルスも
(それでヒトラーとの関係が
険悪になったというくらい)争うように
芸術に執着し、手段を問わずに美術品蒐集を行っていました。

その強欲さはヒトラーを上回ったといいます。

略奪した「獲物」はまず国家に「上納」され、そこから分配が行われました。
主にロスチャイルド家から没収した
美術品から、ヒトラーはフェルメールなど、
40点を受け取りましたが、
ゲーリングはその残り、700点を自分のものにしました。
彼の所有するコレクションは今の1800万ユーロ、21億円強相当額に上りました。

ただしちょっと微笑ましいことに?彼はドイツ人特有の几帳面さから、
自分のコレクションの全てを細かく目録にし、作者、来歴、説明、日付、
画商まで事細かに記録していたため、戦後これがニュールンベルグ裁判での
彼の起訴をたやすくしたといわれています。

 

ところで彼らがこのように美術収集に血眼になった理由はなんでしょうか。

それは一種の貴族コンプレックスからきたものと言われています。
いかに政権を握り権勢を誇っても、ヒトラー以下ナチス高官は
出自の点からいって所詮成り上がりにすぎません。
ゲーリングなどはそれを払拭するため、ドイツ貴族の娘を娶っていました。

そんな彼らも、広大な古城を本物の美術品で飾り立て、
狩をして音楽を楽しむというドイツ貴族のような生活をすることで、
自分もその同じ地位に登った気になれたということなのでしょう。

かれらは戦争中、略奪した蒐集品を廃坑などに隠していました。
フェルメールの「天文学者」も、ヒトラーの隠し場所から見つかっています。

そこでふとわたしは「ナチスの略奪」の持つ二律背反に気付きました。

略奪は、組織的にそれらを秘匿することで、連合軍の爆撃から、
結果的に人類の宝を守ったという面もあるのではないか。

 

ザルツブルグにいったとき、観光で訪れた大聖堂で、かつて連合軍が
熾烈で情け容赦のない無差別爆撃を行なったことをわたしは
知りました。

アメリカ軍の爆撃で壊滅したというこの大聖堂を案内してくれたガイドは、
わたしが、

「同じキリスト教徒なのに、教会に爆弾を落とせるものなんですかね」

というと、

「アメリカ人はみな教養が低いから」

みたいに言い捨てましたが、これは偏見というものでしょう。
もちろんアメリカ人には

「どうせこいつらみんなナチなんだろ?いやっほーい」

とばかりに爆弾を無差別に落とすバカもいっぱいいそうですが、
彼の国の美点は、どんな状況でも時局を俯瞰し、人類の未来を見据える者が
封じられることなく声を上げることができるというその自由さにあります。

第二次世界大戦中、戦火から芸術品が失われるのを守るために
戦地で命をかけて活動を行なったアメリカ軍の部隊がありました。

映画「モニュメンツ・メン」(邦題”ミケランジェロ・プロジェクト”)

で描かれた「美術品を戦火から守れチーム」は、アメリカ軍に実在した部隊、

MFAA( Monuments, Fine Arts, and Archives)

のことで、美術館のディレクター、キュレーター、美術史家、
志願者で構成され、
ハーヴァードやイエール、プリンストン、ニューヨーク大学などの
名門大学の教授も400名のメンバーに含まれていました。

MFAAは1943年に結成され、ヨーロッパ戦線に部隊として赴き、
美術品を
見つけて救出、保護を行うという任務にあたっていました。

冒頭映画によると、歴史的に重要な美術品のある場所を地図で特定し、それを
爆撃機のパイロットに渡して爆撃を避けるようにという指示も行ったそうです。

「天文学者」を含むヒトラーの宝を炭鉱から見つけ出したのもMFAAでした。

 

しかしながら、物事には何事にも二面性があります。

ことに戦争というのは、つまるところ利益の相反する国家同士の争いなので、
一つの事象に対し双方からの見方があって、どちらが正しいとは言えないはずですが、
歴史上何が正義かを決めてきたのは戦争に勝った側であることはご存知の通りです。

況や戦後戦勝国によって絶対悪とされたナチスの関わることにおいてをや。

 というわけで「ナチスの成した善」などという言葉は、戦勝国が決めた戦後価値観では
ありえない(あるいはあってはならない)こととされているのですが、
わたしの見学したウィーン軍事史博物館には、敢えてそのあり得ないことを
ひっそりと後世に伝える、こんな展示物が存在します。

ウィーン軍事史博物館の一隅でわたしが対面したこのデスマスクは、
ドイツ国民党のユリウス・シュレーゲル中佐(1895−1958)のものです。

第一次世界大戦時代から様々な戦地を転戦してきたシュレーゲルは、
装甲師団「ヘルマン・ゲーリング」の修理部門の指揮官として、
1943年秋にモンテカッシーノの戦いに参加することになりました。

 

モンテカッシーノの修道院には、貴重な芸術のコレクションが収蔵されていました。

盲人の寓話

その中には、ラファエッロの「聖母子像」、ブリューゲル(父)の「盲人の寓話」
ティツィアーノの「ダナエ」パルミジャニーノの「アンテア」なども含まれます。

その他、イタリアの芸術家の油絵と水彩画、70000冊以上の書物。
千年の歴史を持つ図書館には1200の手書きの歴史的文書が所蔵されていました。

 

特筆すべきは、シュレーゲル中佐が美術史家でカトリック教徒だったことです。
つまりモンテカッシーノ修道院の歴史的および宗教的価値についても、

非常に専門的な知識を持っていたということになります。

彼はモンテカッシーノ修道院とその所蔵物が、予想される同盟軍の攻撃波に
損傷なしで生き残れないことを察知し、いちはやく行動を起こしました。

1943年10月14日。

二人のドイツ人将校がモンテカッシーノ修道院を訪れました。
一人はシュレーゲル中佐、そしてもう一人は軍医のベッカー中佐です。

彼らは修道院長に、連合軍がわずか1ヶ月前にすでにサレルノに上陸し、
ローマに侵攻していること、そして彼らの目標までの行動予定線上に
ここモンテカッシーノがあるため、そうなれば爆撃は避けられない、
美術品をここから運び出し避難させるべきだと説得しました。

しかし、ナチスの悪行についてすでに聞き及んでいた修道院長は、
彼らも偽の情報を餌におためごかしに美術品を略奪するのだろうと疑い、
彼らを慇懃に追い返してしまいました。

シュレーゲルが去った数日後、連合国の空襲が始まりました。
修道院僧たちは彼の言ったことが嘘ではなかったことに気付いたのです。

すぐにシュレーゲルに連絡が取られ、所蔵品の避難が始まりました。
写真は修道院長とシュレーゲルです。

そして2ヶ月後の1944年1月11日、シュレーゲルの最悪の予想は的中しました。

修道院の真上で第96爆撃機飛行隊(通称レッドデビル)が、文字通り
赤い悪魔となって地獄への門を開き、B-17フライングフォートレス
世界最古と言われる修道院を爆撃で完全に破壊しつくしました。

まったく我らがモニュメンツメーンは何をしていたんでしょうか(嫌味)

このときの連合軍は4ヶ月にわたって全くドイツ軍がいない地を攻め続け、
その結果おびただしい町村の壊滅と10万人の死者を生みました。
ドレスデンの空襲とともに、モンテカッシーノは連合軍の汚点ともなっています。

 

さて、モンテカッシーノ修道院は、恩人シュレーゲル中佐に
なんとかして謝礼をしたいと申し出ましたが、彼は当然のことながら
金銭など全く要らぬとそれを断りました。

そこで修道院は、ラテン語で彼の善行を記した巻物を贈ることを決め、
彼はそれを心から喜んで受け取ったのです。

戦後、彼が戦犯裁判で裁かれることになったとき、この巻物と
モンテカッシーノ修道院の僧侶たちの証言が彼を助けることになりました。

めでたしめでたし。

 

さて。

しかしながら、わたしはまたしても余計な発見をしてしまいました。
この美談を大変後味の悪い話で締めることになりますがご容赦ください。

 

映画「ヒトラーv.s.ピカソ」作品中、こんなナレーションがあります。

「オーストリアの山間部にあるアルトアウスゼー岩塩坑
1945年5月 米軍はここでヒトラーの財宝を発見した

6500点の絵画 彫像 硬貨 武器 古書 及び家具である

ミケランジェロの聖母子像もあった
ファンアイク兄弟による「ヘントの祭壇画」もだ
ベルギーの大聖堂から持ち去られていた

中にはヒトラーが切望した絵も
フェルメールの「天文学者」だ
フランス系ロスチャイルド家から略奪した

ヒトラーの貯蔵品の他にゲーリングが集めた作品もあった

今はナポリの美術館にあるが
以前はモンテカッシーノ修道院にあった

ゲーリング師団所属の車がそれを盗み
ゲーリングの51歳の誕生日にベルリンへ運んだのだ

 

「ゲーリング師団」ってもしかして(もしかしなくても)
シュレーゲル中佐の部隊のことですかい。

シュレーゲルはモンテカッシーノから運び出した美術品を
空爆から守るフリをして実は全部ベルリンに送ってたってことだったんですか?

 

しかし、もしそれが本当だったら、なぜ修道院はシュレーゲル中佐に巻物を贈り、
さらには戦後の戦犯裁判で彼のために証言したのでしょうか。

今となっては真実は闇ならぬ廃坑の中に埋もれたままです。

 

その上で、ナチスを絶対悪と喧伝する戦勝国の皆さん、いまだに
ナチスに奪われた美術品を探し求めている皆さんに聞いてみたいことがあります。

「10万もの作品がいまだに行方不明である」(`・ω・´)

とおっしゃいますが、なぜあなた方はその一部、半分、最悪ほとんどが
連合国の無差別爆撃など作為不作為で失われた可能性を毛ほども考えないのでしょうか。

 

 

 

 



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4 Comments

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VS (ウェップス)
2020-04-30 17:09:09
 この邦題は…やはり皆↓を連想しますよね('ω')

https://godzilla.store/shop/e/e103/

 中尉の芸術に関する見解に同意です。基本プロパガンダの旧社会主義国の作品にしても一定の芸術的価値が認められていますし。
 警備の都合で立ち入りを制限したり、政府自治体の補助金をちょっと減らしただけでわーわー言う「芸術家」の方々は、ピカソの言を己の信念にされているのでしょう。(だったらお上のカネに頼るなよ、というのが一連の騒動でほとんどの方が抱いた感想ではないでしょうか。)
返信する
う~ん (Unknown)
2020-04-30 20:02:02
ユダヤ人を石鹸にしたり、民間人を十万人も殺しても平気な人達が、敵味方で命のやり取りをしている最中に芸術を守るために身体を張るって、ちょっと理解出来ないなと思いました(汗)
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あらら (エリス中尉)
2020-05-01 09:40:32
アンノウンさんともあろう方が・・・それは読み違えてらっしゃいますよ。
まずわたしは
「敵味方で命のやり取りをしている最中に芸術を守るために身体を張った」
ナチスがいたなどという話をしておりません。
シュレーゲル中佐は第一次世界大戦でも戦ったドイツ軍人ですが、
所属は「ゲーリング師団」であり、ナチスに忠誠を誓う立場でした。
しかし彼が美術史家であったがゆえに人類の遺産を守ろうとしたのは事実です。

ただし、避難させた美術品が、映画のいう通り
ゲーリングの誕生日プレゼントにされたかどうかはわかりません。
わたしはシュレーゲル中佐の善意にそこまで期待?もしていないし、
本人のつもりとは別に避難場所の選定の段階でいつのまにかそれらが
ベルリンに運ばれていた可能性も大いにあったと考えています。

しかし、とにもかくにも修道院の美術品は戦災を免れました。
ただ、戦勝国の価値観によってこのことはシュレーゲル中佐の善行ではなく、
単に略奪の一環としか捉えられていません。

それは、シュレーゲル中佐がナチス率いる軍隊に所属していたからです。

アメリカも日本に原爆を落とし、東京空襲やドレスデンでは民間人を殺害しましたが、
それがアメリカのやったことの全てではないのはモニュメンツメンが示すとおり。
一つの組織にも人間の数だけ多層な面が存在し、戦争はそれらを浮き彫りにします。
ナチスもユダヤ人を石鹸にすることを是としていた軍人ばかりではないのです。

百歩譲っておっしゃる通りナチスは石鹸賛成派ばかりだったとしましょう。
しかし、本稿でも述べている通り、ナチス高官はヒトラーをはじめとして、
ユダヤ人の命が奪われることはなんとも思わなくても、
自分の資産となった美術品を守ることには熱心だったので、
「ユダヤ人を殺しながら芸術を守るナチス」は普通に成立するのではないでしょうか。

だからこそ、彼らは略奪した美術品を廃坑に隠し、そのことが結果的に
連合軍の無差別爆撃による損壊から人類の遺産を守ることになった、
という皮肉な事実についてお話ししているわけです。
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モヤモヤします(笑) (Unknown)
2020-05-02 18:37:13
絵を盗りに行くのは、軍人の本分じゃないと思うんですよ。だから、ドイツ軍、米軍共にモヤモヤします(笑)
返信する

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