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無資格手術と「ネプチューンの法廷」〜潜水艦シルバーサイズ

2022-09-03 | 軍艦

ミシガン州マスキーゴンに係留展示されている「ガトー」級潜水艦、
「シルバーサイズ」の哨戒を順に語ってきました。

進水以来日本近海と太平洋で日本と戦ってきた「シルバーサイズ」。
最初の哨戒での銃撃戦で戦死者を出し、
哨戒途中に盲腸患者の緊急手術を行ったかと思うと、
敵に見つかり極限の深度まで沈んで敵をやり過ごして
助かったと思ったら今度は魚雷が管に詰まってさあ大変。

これでもかというほどの危機を乗り越えて4回の哨戒を終えました。

ところで、4回目の哨戒で行われた盲腸の手術ですが、
別の記述が見つかりましたので写真と共に挙げます。


■第4回パトロール:無許可の手術

哨戒に出て四日目、クリスマスの二日前のことです。
我々の消防士の一人、ジョージ・プラッターが腹痛を訴え始めました。

「ドク」トーマス・ムーアは、彼が虫垂炎であることに気づき、
すぐさま手術室の設備のある大型艦に彼を移すか、あるいは
どこかに上陸して陸上で手当を受けさせるべきだと考えました。

問題は行くにしても戻るにしても、その100マイルの航路上、
周りに敵しかいないということでした。

ムーアは戦前に受けた医療訓練の過程で手術を何十回も見ていましたが、
もちろん自分ではやったことは一度もなく、というか
医師ではない彼には手術をする資格はありません。

しかし、プラッターは虫垂切除しないと死んでしまいますので、
艦長と本人の同意を得た上で手術を決行することにしたのです。

そこで我々は「シルバーサイズ」を潜航させ、
海中に止まることで動揺しない手術室を彼らに提供しました。

虫垂を切除する手術のために士官用ワードルームが用意され、
テーブルが手術台になりました。

ムーアは手術に必要な器具を全て持っていなかったので、
リトラクター(開創器)の代理としてスプーンを二つ曲げて代用しました。

海軍は、こういうことが起こることを全く想定していなかったのです。



我らが副長、ロイ・ダベンポートがプラッターを眠らせるため
エーテルを管理し始めた時から、オペレーションの写真を撮りました。

このことは、軍法会議が行われていたら関係者に不利をもたらしたでしょう。
(ばっちり証拠写真となるからですねわかります)

幸運なことに手術はうまくいき、プラッターは無事に回復し、
6日後には任務に復帰することができました。

わたしたちが持っている写真はこの時のものだけですが、後から聞いたところ、
「違法手術」は、この後2回、潜水艦内で行われたのだそうです。

*「ドク」ムーアはファーマシスト・メイトでした。

一般的に潜水艦任務は医師や看護師など、高度な技術を持つ人を配置するには
危険すぎるとされ、
(それだけ生還の可能性を低く見られていたということ)
衛生兵と同様の訓練を受けたファーマシスト・メイトが乗務しました。

彼らの仕事は、医療援助ができるようになるまで、
とにかく乗員を生かしておくこととされました。

手術以外にプラッターを生かしておく方法が何かあれば、
ムーアはそれを選択したでしょうが、虫垂炎の場合は、それは
手術という方法しかなかったということです。

もちろん無資格なので建前上彼は手術をするべきではありませんでしたが、
結果が良かったのと、場合が場合なのとを考慮され、
ムーアはお咎めなしだっただけでなく、ファーマシストメイトの
チーフに昇進したということです。

「ドク」というあだ名は、最初からついていたのではなく、
プラッターの手術後、乗員がそう呼び出したのに違いありません。



おそらくダベンポート副長が撮影したに違いない、
このときの「手術クルー」(患者含む)の記念写真が残されています。
説明がありませんが、「ドク」ムーアは帽子に手をやっている人でしょう。

手術で命を助けられたプラッターは左から2番目。
彼が抱えているのは、ホームメイドの彼専用おまるなんだとか。

おそらく手術後の安静時に彼のために仲間が制作してやったのでしょう。

( ;∀;) イイハナシダナー

■5回目の哨戒




4回目の哨戒は虚実ないまぜに(笑)戦果も盛りだくさんだったのですが、
5回目の哨戒では旭日ペイントは一つだけです。


「シルバーサイズ」第5次哨戒は5月17日から開始され、
哨戒範囲はソロモン諸島地域、第一の任務は機雷敷設であり、
敷設場所はニューアイルランド島沖となっていました。

6月4日夜、予定通りニューハノーバーとニューアイルランド間にある
ステフェン海峡北口付近で機雷敷設を実施。

その後、「シルバーサイズ」が撃沈したと認識することになる
輸送船を発見することになります。

●輸送船 10,000トン

🇯🇵
6月10日
スコールの中で3隻からなる輸送船団、第2082船団を発見し、1日かけて追跡

6月11日
日付が変わった直後、北緯02度42分 東経152度00分、
トラックの南200海里の地点で浮上攻撃により魚雷を4本発射

特設運送船「日出丸」(栃木商事、5,256トン)
そのうち3本が命中したものと判断される

駆逐艦「朝凪」が発砲してきたので、
艦尾発射管から魚雷を1本発射して戦闘海域を離脱

この間に「日出丸」は沈没した


🇺🇸
6月10日から11日の夜、5,256トンの貨物船「日出丸」を沈めたが、
そのために激しい深度充電に耐えることを余儀なくされた。

栃木商事の特別運送船「日出丸」がトラックで雷撃により戦没したのは
記録にも残されており、撃沈の認識は正確だったことになります。

ただし、実際のトン数が5,256に対し1万トンとほぼ倍盛っていますが。


■ 世にも珍しい事件?(言うほどではない)

5月28日、哨戒中の「シルバーサイズ」で珍しい出来事が発生しました。
第5回戦争哨戒報告書には次のように記されています。

指定された位置に向かって海面を進んでいた28日、
敵のフリゲートバード(艦載機)が我々に高高度爆撃を行ったが、
それはOOD(Officer Of the Deck、甲板士官)であるビエニア中尉の

裸の頭(bare head)とひげに直撃(direct hit)

と記録された。

攻撃はレーダーによる表示はされなかった。


まず、この件で死者はもちろん怪我人も出なかったことから、
「直撃」というのは、髭と「裸の頭」をかすめたことを指すのでしょう。
髭はともかく裸の頭を直撃したらもうあかんのでは?と思いますが。


7月1日、シルバーサイズは44日間の行動を終えてブリスベンに帰投し、
7月16日からブリスベンで改装を行いました。


■ イニシエーション「ネプチューン王の法廷」

さて、この第五次哨戒は、初代艦長、バーリンゲーム少佐にとって
最後の勤務となり、この後、艦長は
ジョン・S ”ジャック”・コイに交代しますが、
バーリンゲーム艦長時代の「シルバーサイズ」のこんな逸話が
博物館の「シルバーサイズ」の写真に添えられているので最後に挙げます。

「水上艦であるティン・カン(駆逐艦)では、
新入りの水兵(polliwogs・オタマジャクシ)に
『ネプチューン王の法廷』なるイニシエーションが行われますが」

特にアメリカでは駆逐艦のことを「ティン・カン」(ブリキ缶)と呼びます。
新入り水兵のことをオタマジャクシと呼ぶのは初めて知りましたが、
これはそのうちカエルになると言うことで説明は要りませんね。

イニシエーションとは「通過儀礼」のことです。
しかし、

「我々の『シルバーサイズ』には
それをする場所がありません」

さて、それではこの「ネプチューン王の法廷」ってなんですか、
ってことなんですが、とりあえずこれを見てください。

King Neptune's court in session during Shellback Initiation ceremony aboard USS I...HD Stock Footage

こんな感じのイベント、どこかで見たことあるぞ、と思いませんか?
そう、帝国海軍でも行われていた「赤道祭り」です。

英語ではこの儀式を「ラインクロッシング」と呼びます。

一般に、海軍の伝統やそこで使われている言葉には、
受け継がれてきた神話が元になっているものがたくさんあります。

例えばオデッセイの「セイレーン」や海の怪物、
「ボースンズ・コール」と言う言葉もそうです。
海軍の伝統は何百年、何千年も前にその源流があるのです。

「ネプチューンの秩序」とも言われるライン・クロッシング・セレモニー。
いつ、どのようにして生まれたかは、よくわかっていません。

しかし、少なくとも400年以上前の西洋の航海術にさかのぼります。

わたしも、これまでは「赤道祭り」は赤道を越えた記念の儀式、
と言う認識しかなかったのですが、本来は、
「まだ赤道を越えたことがない」船乗りのオタマジャクシから、
ネプチューンの息子または娘とも呼ばれる信頼すべきシェルバック
(Shellback、ベテランの船乗り、赤道ごえを経験した水兵、
  シードッグ”Seadog”とかバーナクル”Barnacle”ともいう)
への変身を見守るという意味合いを持つ儀式なのです。

そしてこのイニシエーションは、船乗りが航海に耐えられるかどうか、
を試すために慣例的に行われるようになったのです。

上のビデオを見ていただくと、登場人物はネプチューン王、
そして、なにやら手を二人一組で繋がれた水兵さんがいて、
ネプチューンは艦長らしき人に法廷が開かれることを宣言しています。

一般的に、船が赤道を越えると、ネプチューン王が乗り込んできて、
おたまじゃくし、ポリーウォッグが船乗りを装っているだけで、
海の神にきちんと敬意を表していないという罪を裁く、
というのがこの儀式のあらすじとなります。

船の中でも地位の高い者や「シェルバック」歴の長い者は、
凝った衣装を身にまとい、それぞれがネプチューン王の宮廷人を演じます。

軍艦ではあまり見たことはありませんが、民間船では
船長がネプチューン王を演じることもあるのだとか。

目的は、お祭りを通じて、乗組員同士の親睦と団結を深めることです。


帽子の形から、1900年〜1920年頃でしょうか。
ネプチューンとその付き人を演じる3人の階級が知りたい(笑)

おそらく右で腰に手を当てている人が艦長でしょう。



文字通りの「ティン・カン・セイラー」駆逐艦乗りのポリウォークが
赤道を越えた時の「法廷」の様子です。

駆逐艦なのであまり凝った衣装が用意できなかったのか、
とりあえずな感じが否めませんが。

この写真のDD401 USS「モーリー」は、写真が撮られた42年5月は、
珊瑚海海戦にて「ヨークタウン」と「レキシントン」を支援した後、
その後ミッドウェー海戦に参加しています。


■ライン・クロッシングの儀式を行う方法

船ごとに伝統やニュアンスは異なるかもしれないが、
基本的な構成は次のようなものとなります。

赤道通過の前夜、ネプチューン王と王妃、デイヴィ・ジョーンズ、
王室の赤ん坊、その他の高官たちが船に到着します。


ネプチューン王(左)とその王妃(右)

ここからが問題です。

ポリーウォッグはタレントショーで王室をもてなさなくてはなりません。
ダンス、歌、寸劇、詩など、盛りだくさんの内容ですが、
自分たちへの裁きを甘くしてもらおうという懐柔策です。


ショーが終わると、おたまじゃくしたちは、デイビー・ジョーンズから
法廷への召喚状を受け取るのです。


思い出してください。これは「法廷」の前夜祭ですよ。

召喚場を受け取ったおたまじゃくしたちは、翌日法廷に立ち、
シェルバック(ベテラン)の告発に答えなければなりません。

そして当日の朝、なぜか彼らは食べられないくらい辛い朝食をとり、
ネプチューン王の前に出て、裁きを受けることになります。

これに対してポリウォグたちはこれも伝統のパフォーマンス、
服を裏返しに着たり、甲板を這ったり、
食べられない朝食を取り除くなど、色々とやって見せなくてはいけません。

これは一説によると、祭りの1ヶ月前からポリウォーグは
シェルバックから散々馬鹿にされ続けるので、
頭に来て反乱を起こすということの表現なのだそうです。

次に、ポリウォグたちは王の前にひざまずき、
油で覆われた王室の赤ん坊のお腹(意味不明)にキスをします。


そして最後に海水を張ったプールで入浴し、そこで初めて
シェルバックになったことを宣言され、その証書を受け取るのです。


大海原ではこの時のネプチューン王の権威は絶大で、艦長はもちろん、
たとえ大国の指導者であっても例外は認められません。

1936年、フランクリン・D・ルーズベルト大統領もまた、
海神の前に出頭し、敬意を表するよう召喚されています。

その時の罪状は以下の通り。

海の伝統を無視したこと。
ネプトゥヌス・レックス陛下の魚類を勝手にに扱ったこと。

ネプトゥヌス=ネプチューンになったのがレックスという人だったのかな。
それにしても一体何をやったルーズベルト。



現代の「ネプチューンの法廷」
おそらくロイヤルネイビーのみなさん


■「シルバーサイズ」の”ネプチューンの法廷”

さて、潜水艦「シルバーサイズ」ではこの儀式をする場所がない、
と言うところまでお話ししました。

「しかし、バーリンゲーム艦長が、わたしたちを楽しませることを
決して止めるはずがありませんでした

お、・・・おお?

「艦長はポリウォグたちに、1日中食べ物を手で食べるように命じ、
その上で夕食にはチャプスイを作らせました」

チャプスイと言うのは、アメリカ人の考えるところのチャイニーズ料理で、
広東料理、炒雜碎(チャーウチャプスイ)が語源です。

モツまたは豚肉や鶏肉、野菜を炒めてスープを加え煮た後、
水溶き片栗粉でとろみをつけ、主菜としてそのまま、
あるいは白飯や中華麺に掛けて食すものですが、
流石にこれを手で食べるのは、手掴み上等のインド人でも辛かろう。

しかしこれ、「ネプチューンの法廷」となんか関連あるか?

「何人かのポリウォグたちは頑張ってこれに耐えました。

そして新入のトム・キーガン中尉は、

24時間どこにいても命令をされました。

コニングタワーにいる艦長とダベンポート副長に
『コーヒーと砂糖』を持ってこい!と命令されましたが、
キーガン中尉はバーリンゲーム艦長には砂糖の代わりに塩が渡され、
ダベンポート副長はかろうじて『コーヒーと砂糖』を手に入れました。

ただし、
『コーヒーの粉と砂糖』のみ、お湯無しです。

キーガン中尉は、ダベンポート副長に、

『水を持ってくるようにという命令は受けていません』

と答えました」


水兵だけでなく、潜水艦勤務が初めてなら士官も
ポリウォグ扱いされたってことがわかりました。

しかし、重ね重ねこれって「ネプチューン」と無関係よね?
単なる「パワハラvsとんち」合戦になってないか?


続く。



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2 Comments

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医務衛生 (Unknown)
2022-09-03 08:00:17
自衛艦乗員服務規則を引っくり返して「医務衛生」を調べて見ました。

艦長

乗員の健康管理

第92条 艦長は、医務衛生のことを管理し、乗員の健康管理に注意し、不健康の疑いのある者は、速やかに衛生長(または、これに代わる者)の診療を受けさせ、特に感染症の予防に関し、遺漏のないように努めなければならない。

衛生長

入院加療等

第324条 衛生長は、乗員で入院加療を要する者又は危篤若しくは重態に陥った患者がある時は、速やかにこれを艦長に報告し、かつ、関係の分隊長に通知しなければならない。

衛生科員

衛生員

第468条 衛生員は、主として救護、医療事務等の実施、診療、その他の衛生に関する業務の補佐に従事する。

当たり前というか、至極当然なことしか書いていません。「シルバーサイズ」の状況だと、どんな艦長でも、衛生員に「手術が出来るか」と聞いて「出来る」と言われれば、やらせると思います。乗員を見殺しには出来ません。もし、規則違反を問われれば、艦長は自分の命令でやらせたとかぶれば済むことです。

いつぞや、他の回でも、米軍の赤道祭の紹介がありましたが、日本と違って、リクレーション的なノリではないですね。自衛隊は陸海空どこでも、宴会芸はかなりな準備をします。有事なら簡素に行く(脅威下でなければ、やると思います)と思いますが「シルバーサイズ」みたいに「笑えないシャレ」的なことは、まずしません。
返信する
駆逐艦「朝凪」 (お節介船屋)
2022-09-03 10:46:28
神風型9隻の8番艦大正12度計画で大正13年12月竣工、当初艦名第15号基地区間、藤永田造船所建造、昭和3年8月1日朝凪と改名
要目
基準排水量1,270t、全長102.57m、38,500馬力、速力37.25kt、兵装12㎝単装砲4基、53.3㎝魚雷発射管連装3基、魚雷8本、1号機雷16個、乗員154名
なお第四艦隊事件後性能改善工事で常備排水量1,784tとなり、速力も34ktに低下、6m通船1隻撤去

各艦とも太平洋戦争に参加、大砲や魚雷発射管を一部撤去、機銃、爆雷18基を装備しましたが、レーダーは未装備のままであったようです。7隻戦没うち4隻米潜による沈没
終戦時「神風」のみ存在、なお「春風」は艦尾切断の大破で行動不能状態

「朝凪」行動
昭和15年11月15日第4艦隊第6水雷戦隊第29駆逐隊、16年12月マキン攻略作戦従事、第2次ウエーキ島攻略作戦従事、17年1月ラバウル攻略作戦従事、2月スルミ攻略作戦従事、3月2サラモア攻略作戦従事、4月佐世保帰投、5月ラバウル出港、船団護衛中敵機と交戦、佐世保帰投、7月ラバウルで爆撃回避中、暗礁に接触、8月横須賀帰投修理、9~11月トラック方面で船団護衛、18年5月トラックラバウル間船団護衛、8月佐世保帰投改造修理、9月トラックラバウル間船団護衛、19年1月サイパン船団護衛、5月サイパン出港、横須賀へ船団護衛中、22日父島北西で米潜ポーラックの雷撃により沈没
「シルバーサイズ」からの雷撃での被害はありません。爆雷は18個しかなく、聴音機はあったでしょうが性能は悪く、探信儀、レーダーの装備はなかったでしょうし、友好な対潜戦が出来る装備ではなかったものと思います。対空戦も大砲は対空砲ではない艦砲であり4番砲を撤去して機銃を装備した艦がありますが朝凪は分かりません。
参照光人社「写真太平洋戦争第10巻駆逐艦Ⅰ」
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