ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

鈴木貫太郎と安藤大尉

2012-04-25 | 陸軍



二・二六事件の一年後、その時に反乱の青年将校の襲撃を受け、重傷を負った侍従長、
予備役海軍大将の鈴木貫太郎が、海軍士官の会合で、事件を語りました。
そのとき語った内容は、当事者の事件への証言として、あらゆる書物に引用されています。

鈴木大将は当時侍従長。
尊王討奸を掲げる反乱将校たちが、天皇の大御心の発現を妨げる根源と考えていた
枢密顧問官の地位にいたことから襲撃対象にされました。
鈴木邸を襲った部隊の隊長は安藤輝三陸軍大尉
穏やかで静かなその人柄は部下に慕われ、事件に関しては最後まで慎重だったと言われます。


今日は、鈴木大将自ら証言した事件当夜の様子と、大将から見た安藤輝三大尉についてです。


二月二十六日の夜、鈴木邸の女中が
「兵隊さんがたくさん来ました」
と鈴木に将兵の来訪を取り次ぎます。
鈴木はもうそれだけで、五・一五事件を想起しただならぬ事態であることを直感しました。

床の間の白鞘の短刀を取って抜き、中をあらためるも、役に立ちそうにないと判じ、
鈴木は、納戸にダンビラを取りにいきます。
しかし、いくら探してもそれは見つかりません。
泥棒でも入ったときに物騒だと言うので、鈴木の妻が、事件の数日前に風呂敷に包んで、
別の場所に移してしまったところだったのです。

刀を探しているうちに、兵隊がたくさん入ってきた様子を察知した鈴木は、
八畳間に再び戻り、明かりをつけました。
これは、納戸などでごそごそやっているときにもしやられてしまったら、
まるで吉良上野介のようで、まことに具合が悪い(かっこ悪い?)と考えたためだそうです。

八畳間に佇む鈴木を侵入してきた兵が三方取り囲み、銃剣を構えました。
最早これまで、と無抵抗にじっと立ち尽くす鈴木の周りで、全員がしばらく無言のままでした。

「静かになさい。理由を話したまえ」
下士官らしい男が
「閣下でありますか」
と言いました。
「そうだ。まあ静かに・・。何か理由があるだろう。話したまえ」

しかし相手は何も言わず、
「簡単でよいから話したらどうか」
と三度聞いたところで、
「時間がありませんから撃ちます」
と言うや、ピストルを構えました。

「撃ってみろ―アアお撃ちなさい」
鈴木がこう言うや、

一弾  外れて唐紙を貫く
二弾  腰にあたる
三弾  胸にあたる

四、五弾は一つは肩をかすめ、一つは頭にあたりました。

至近距離でありながら命中率が低いのは、撃った下士官の極度の緊張のせいでしょうか。
鈴木が倒れると、緊張したその体は、しっかりとたたみに手を押しつけていたのですが、
下士官は自分の掌をたたみと体の間に無理やりこじ入れて脈を見ました。

「まだ脈があるからとどめを刺しましょうか」
下士官がこう尋ねると、一間(1、8メートル)離れて端坐し、全てを見ていた妻のたかが、
「とどめだけはやめてください」
と嘆願しましたが、これに返事する兵はいませんでした。
誰もこれに対してどうなすべきかを決めることのできない者たちだったのです。

映画では、鈴木襲撃のシーンで、斃れた鈴木にたかが覆いかぶさって命乞いをする様子が
多々描かれていますが、実際はたかは端坐していたその場所から動かず、
「とどめうんぬん」と周囲が言いだしたのでそれに対し声だけをかけたようです。

誰も答えられないので一人の兵が女中部屋に走って行くと、士官が来て
「とどめは残酷だからやめよ」
と言いました。
これが安藤輝三大尉であったと考えられます。

実は、鈴木の証言と、それを聞書きした人物の表現が実に曖昧で、
ここの前後関係が、この文書からはよくわからないのです。
鈴木が倒れてからすぐに「とどめはやめよ」と言った人物が安藤なのか、そして、
安藤はなぜ鈴木を撃ったときにそこにいなかったのか。
なぜ兵が女中部屋に安藤を呼びに行ったのか。安藤はそこで何をしていたのか。


ともかく、中隊長の安藤大尉の意向により、鈴木はとどめをされませんでした。
そして安藤大尉は
「閣下に敬礼!」
と号令をかけました。

二、三十人の兵隊が折り敷きの姿勢(右を立て左足を折る銃撃用の姿勢)で捧げ銃をしました。
鈴木は朦朧とした意識の中で、安藤が、妻のところへ行き、
何かを話していたのを認め、記憶にとどめています。

このときに安藤大尉はたかに向かってこう言ったのでした。

「我々は閣下に対し毫も恨みを持つものではありませんが、
躍進日本に対して意見を異に
するため余儀ない次第であります」
「それはまことに残念に存じます。なにとぞお名前を伺わしてください」

士官は容(かたち)を改めて
「安藤輝三」
と名前だけを称し、整列して引き揚げて行きました。


鈴木貫太郎は安藤大尉と面識がありました。
「政治の革新について御意見を伺いたい」
そういって鈴木に面談を求めてきた安藤に対し、鈴木は自分の意見を率直に語りました。

軍人は政治に関与してはならぬ。
軍人は専心国防に任ずべきものである。
国防は敵国に対してなされるものである。
つまり、鈴木は今日でいうところの「シビリアン・コントロール」、政治と武力の分離を、
安藤に語ったと思われます。

「ヒトラー、ムッソリーニですら国防軍を私に政治に用いていないではないか」

このときに安藤が鈴木に語った主張と言うのは
「現下の日本は、荒木大将を総理大臣にせねば国はダメになる」。そして
「兵隊を多く出している農村であるが、これは今疲弊している。
兵が後顧の憂いを持たないように、軍隊の力で改良せねばならぬ」

これらの安藤大尉の主張に対して、鈴木の意見は
「後顧の憂いなどと言うことを考えるのは、民族として愧ずべきことではないか。
ましてや農村を軍隊の手で救わねばならぬという考えにおいておや」

鈴木は、フランス革命の際、列国は兵を以てこれを干渉しようとしたが、
フランスの軍隊は敢然と起って国境を防ぎ、敵を防いだことを引用しながら、
彼らが革命をあくまで国内の危急であり、国を滅ぼさんとするものではないと考え、
これゆえ外からの干渉を断固排除し、まずフランスを守ったことを安藤に話しました。

農村が疲弊しているから後顧の憂いがある、戦争に臨めないというのならば、
そういう民族は滅亡するのが当然である、日本はそんなものじゃない。
フランスにできて日本にできないことはない。

二時間を超す打ち解けた会話が終わり、安藤が家を辞するとき、
「非常に有益なことを伺いありがとうございました。
時々お伺いしてお話を承りとうございます」
「いつでもよろしい」
二人はこう言って別れました。

安藤大尉は鈴木の家を出てから、同行した二人(民間人)に、

「鈴木閣下は、話に聞いたのと会って見たのとでは、大変な違いだ。
今日は実に愉快に、頭がサッパリした。ちょうど風呂に入って出たときのようだ」
と話したとのことです。

安藤大尉はこの日の会話を通じて、鈴木大将に相当の尊敬の念を抱いていたのでしょう。
面会の数日後、人を通じて記念に何か字を書いてくれ、と頼んできたので、鈴木が
書を贈呈したところ、安藤はそれを事件の時まで自室に掛けていたそうです。

しかし、その話を仲間に語って、ある者からは裏切り者の如く言われたという話が示すように、
安藤大尉の置かれていた抜き差しならぬ立場では、いくら鈴木の話に共鳴したとしても、
皆を説得することは無論のこと、自分が転向することもすでに不可能だったのです。


侵入してきた兵に取り囲まれたとき、鈴木は旧知の安藤大尉を認めていません。
鈴木邸に侵入しながら、なぜ安藤大尉は鈴木と対峙することを避けたのでしょうか。
なぜ鈴木銃撃の瞬間その場にいず、女中部屋にいたのでしょうか。


襲撃した要人にとどめをさすことは、将校たちの間で規約として決まっていたそうです。
かつてその人柄に触れ、今なお親愛の情を持つ鈴木と、殺人者という立場で向き合い、
そして、鈴木がその目に自分を認め、何かを語りかけてくるであろうことが、
安藤大尉は怖かったのでしょうか。

鈴木に自ら手を下さず、下士官である部下に任せて、自分は別室でその銃声を聞いていた。
そう考えるのは、あまりに安藤大尉に甘い幻想を持ち過ぎているでしょうか。


この事件で襲撃された海軍軍人が三名(岡田啓介総理、斎藤實内大臣、鈴木)いたことから、
海軍は、すぐさま反乱軍への徹底抗戦を決めます。
陸戦隊を配備し、第一艦隊を出動、戦艦「長門」以下各艦の砲は、
全て陸上の反乱軍に向けられました。

「もしクーデターが成功したとしても、陸海軍間に深刻な対立の段階を迎えたことは必然である」
とウィキペディアは記します。


安藤大尉は鈴木邸を襲撃後去るとき、女中に向かって
「閣下を殺した以上は自分も自決する」と言い残しましたが、自ら喉元を撃ったにもかかわらず、
搬送された陸軍病院で、――裁判と処刑を受けるためだけの一命を取りとめました。

その後、7月26日、安藤照三大尉は他の反乱将校と共に刑死します。
刑までの数カ月の間に、かれは獄中で自分が止めを刺さなかった鈴木貫太郎が
命を存えたことを聞き知ったでしょう。


これも想像ですが―そのとき、安藤大尉は、ひそかに安堵したのではなかったでしょうか。







最新の画像もっと見る

1 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
訂正いたしました (エリス中尉)
2013-05-24 12:58:57
ご指摘ありがとうございます。
エントリ発表当時も結構な数の閲覧がありましたが、海軍関係には即座に指摘が入るこのブログ。
陸軍のことにはそうでもないのか、こんな重大な間違いなのに本日初めてのご指摘です。
即刻訂正いたしました。
お名前が実名でいらっしゃるようなので、いただいたコメントは非公開にさせていただきました。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。