
今回の滞在は極端に短いだけでなく、毎日用事が入っていて、
いつものように、なんとなく行きたくなったところにふらりと行ってみる、
というようなことができないので、いつものところに滞在して
長年慣れ親しんだお店に立ち寄ったり、懐かしい道を通ってみたり、
そんなことをするだけで終わってしまいそうです。
それはいいのですが、毎年必ず一回はチェックしていた店が、
のぞいてみたら軒並み店じまいをしていたのはなかなかショックでした。
つまりこれは、アメリカでもオンラインが流通の形を変えてしまって、
皆わざわざ実店舗に行って買い物をしなくなってきたからだろうと思います。
買い物のついでにちょっとした世間話をするのを楽しみにしていた、
ウェルズリーのイタリア人のおじさんがやっていた小さなブティックも、
おじさんが引退してしまった(もしかしたら亡くなったかも)のか去年閉店、
東部中心に展開していた別のお気に入りの店も、この6月でやめてしまったとか。
ホームページにはネットを媒介とした流通形態が主流となってやっていけなくなった、
と閉店の理由が書かれていました。
一つの時代(つまりアナログの?)が終わった、という感があります。
さて、ある日の午前中、わたし一人で行動する時間ができたので、
思い切って?ボストンティーパーティ博物館に行ってみました。
住んでいた時からもうなんだかんだ13年以上はボストンに縁がありますが、
USS「コンスティチューション」もそうだったように、案外住んでいると
わざわざこんなお上りさんガイドブックに載っているようなところには行きません。
しかしまあ、今回佐久間さんにもお勧めいただいたことですし、
4時間で言って帰ってこれる見学としてはちょうど良かったのです。
ナビの充電が全く無くなっていて(携帯電話式なのに放置していた)
目的地を入れないまま適当に高速を降り、勘だけで車を走らせたら、
どんぴしゃりで博物館前に到着しました。
いわゆるサウスボストンという地域でウォーターフロントです。
二階建てのトロリーバスが走っています。
続いて来たのは真っ黒な「棺桶風」、「ゴースト&墓石ツァー」。
ボストンは全米でも有数の「出る街」なんだそうで、
その「出る」場所をツァーで回ってしまおうという企画。
歴史が長く古いものがたくさん残っている街ならではのイメージですね。
本当のお墓に行ってそこで怖い話を聞き、「出る」と折り紙つきのホテルを訪ね、
夜8時半にホテルで解散というものだそうですが、さすがに朝っぱらにはやらないらしく、
このバスには誰も乗っていませんでした。
気のせいか、運転手の姿もありません((((;゚Д゚))))
HP HOODというのはボストンの乳業会社です。
川沿いにミルク瓶の形のミルクスタンドがあります。
川沿いはデッキを張り出した市民の憩いの場所になっています。
ここはボストン・チルドレンズミュージアム。
子供が楽しく科学で遊べる体験型のミュージアムで、
住んでいた時に息子を連れて何度か遊びに来たものです。
川沿いに繋留してある帆船と国旗をかたどった垂れ幕が見えてきました。
後ろには近代的な高層ビルが林立するフィナンシャルディストリクト。
跳ね橋らしい橋を渡っていくと、な・なんともののけ姫のコダマさんが!
この裏側にももう一体描かれていましたが、これはプロの犯行・・・?
ミュージアムの前にはボストンの歴史的遺跡が紹介されていました。
「バンカーヒル」は軍艦の名前にもなっているのでご存知でしょうか。
これらの遺跡は「フリーダム・トレイル」という道路に描かれている
赤いレンガの線の入った歩道を歩いていくと、ボストンコモンからバンカーヒル記念塔まで
16ヶ所全てを巡ることができるようになっています。
この次ボストンに来る時には歩いてみようかな。
ティーパーティのバックグラウンドを知るために、独立に繋がった出来事が
パネルに展示してあったりします。
1763年宣言とはフレンチ・インディアン戦争/七年戦争の終結に伴い、
領地を獲得したイギリスが1763年10月7日、国王ジョージ3世の名で発したもので、
宣言の目的は、
●イギリスの領土を組織化
●アパラチア山脈の西側での入植や土地の購入を禁止
●イギリス王室が先住民族から購入した土地を独占的に取引する権利
それでアメリカの入植人はイギリスに対し怒りを募らせていったわけです。
博物館には独立戦争時代のコスチュームをつけた女性がウェイトレスをしている
おしゃれなティールームがあるのですが、夜のパーティも行われているようです。
「HUZZAH!」
という感嘆詞は「ハザー!」と発音するのですが、当時の流行りの掛け声で、
「いえー!」とか「ヒッピヒップフレー!」みたいな感じでしょうか。
シェイクスピアの戯曲にも出て来るということなので、古い言い方には違いありません。
この時にはわかりませんでしたが、この後のツァーで、わたしは散々
周りのアメリカ人と一緒に「ハザー!」を言わされることになります。
アメリカでこういう人を見たらそれはジョンかサミュエルか、
何れにしてもアダムスという名前である可能性が高いです。
そういえばボストン(ハーバード)出身の音楽家ジョン・アダムスという人がいますが、
彼らの子孫なのかもしれません。
911のためのレクイエムや、原爆投下後の悩めるオッペンハイマーが主人公、
「ドクター・アトミック」というオペラも書いています。
というわけで、これはサミュエル・アダムス。
アメリカではビールの名前にもなっており、「独立の父」であり、
ボストン・ティーパーティの先導者でもあります。
おお、サミュエルの向こうを「昔の人」が歩いていく・・。
うわ〜・・・それらしい・・・。
アメリカ人がこういう格好をしていると、当たり前のようですが、
あまりに皆ナチュラルに似合うので、感心してしまいます。
ああ、本当に昔はこんな人たちがいたんだな、っていうか。
Tシャツに半パン、タンクトップにむき出しの腕や脚の現代の格好より、
この時代の姿のアメリカ人の方がはるかに美しく見える(特に女性)
と思うのはわたしだけでしょうか。
・・・あ、もしかしたら日本人も着物を着た人を見た
外国人に、同じようなことを思われているのかな。
「洋服なんかより着物の方が(特に女性)美しいのに」
って。
アメリカ独立宣言案を提出している有名なシーン。
この絵で脚を組んで座っている人の右側がアダムスだそうです。
アメリカの建築構造物はマジで独立戦争時代のものが
残っていたりするので、この街灯もそうかもしれません。
その時、頭上から女性の叫ぶ声がしました。
あっという間に終わり、見えるところに出ると引き上げるところでしたが、
どうやら我々観客は当時の「ティーパーティ参加者」として扱われるようです。
今から会議を行うので中に入れ、というようなことを言っていたような気がします。
チケットを見せてゲートを通ると、教会の椅子が左右に並べられた部屋に全員が通されました。
見学者は何人か単位のグループに分けられているようです。
入場するときに、鳥の羽を配られました。
独立のシンボルなのかなんなのかわかりませんが、これを
基本的には帽子につけてツァーに参加するように言われます。
ちなみにこの羽、返さずに持って帰ることができました。
先ほどバルコニーで叫んでいた女性が皆に何か配っています。
カードを渡しながら何か説明している模様。
今日は1773年12月16日
この何週間か、恐慌がボストンを吹き荒れた。
今日こそ幾千もの市民が集結し声をあげて暴掠と専制に抵抗する日だ。
目覚めた市民としてあなたはこの会議がもたらす深い結末に気付くだろう。
あなたはあなたの自由を守るために何かをなすつもりがあるか?
で、わたしは「ナサニエル・ブラッドリー」という大工となりました。
偶然ですが、ボストンに住んでいた頃、わたしはよくパスワードに
『NATHANIEL』を使っていました。
どうやら参加者には全員に、ティーパーティに参加し、船から紅茶を放り込んだ、
実際にわかっている「パトリオット」の名前が書かれたカードが渡されるらしいです。
つまり、一つのグループの最大人数は、ティーパーティ参加者の数ってことですね。
まず、ルーシーなんとかと名乗るこの女性が、自分の身の上と
彼女らが置かれた苦しい現状を皆に訴えます。
「子供ば5人いてもうすぐ6人目が生まれるのに、生活が苦しくて・・」
「それもこれもイギリスからの輸入品が関税なしで入ってくるからだ!
イギリスからの輸入品はボイコットするべきだ!」
「ハザー!」
これ以外にも「Hssss」みたいなのとか「ブー」とか、前もって
「仕込み」をされているので、皆張り切って叫び声をあげます。
そこになんとサミュエル・アダムスご本人が登場。
いかにも本物の若いときという感じの人を採用しております。
当時、東インド会社が関税なしででアメリカに茶を輸出することを認める、
「茶法」というのがありましたが、アダムスはそれに反対しており、
イギリスからやって着た紅茶を関税を払わず送り返そうという決議がなされました。
決議は満場一致で「送り返す」に決定。
「ハザー!」
そこに知らせを持って駆け込んでくる先ほどの女性。
「なに?イギリス海軍が紅茶の貨物船の警戒に着いただと?」
集会ではいつしか
「今夜ボストン港をティーポットに!」
という声が昂まってきました。(という設定)
そして、我々は、ボストン港をティーポットにするために、船に乗り込むことになりました。
ただし、このあと船に乗り込んでみたら、肝心のアダムスはいませんでした。
アダムス、煽動するだけして、次のパーティに演説しに行ってしまったようです(笑)
続く。
洋服にしても和服にしても、長い歳月にその民族の骨格体型や美意識に最適化したものですから、違う民族が着ればまさしく「借り着」になってしまうわけですね。先日、東京蔵前のゲストハウスから浴衣を着て外出しようとしたら、居合わせた金髪のフランス人のマダムが、ニコニコしながら近寄ってきて散々眺めて「いいわねぇ~♪」たまに浅草で欧米系の女の子が借りた浴衣で歩いてますが、背は高い胸お尻ありすぎ赤毛や金髪では、派手な柄着たらもう……。
アダムス、アジるだけアジって消えるとか(笑)で、海に紅茶放り込み体験はさせて頂けたのか?続きが楽しみww
東洋系の外国人が寒いからってんで下にセーターやブーツ着用で着物を着て
八坂神社界隈をぞろぞろ歩いたりして。
そこまで行かずとも日本人でない人が着物を着ると、
何か違和感があるものだなあとあの京都での群れを見て思います。
鉄火お嬢さんに声をかけてきたようなマダムはおそらく目が肥えているので、
京都にいってあの奇怪な着物軍団を見たら、おそらく眉をしかめるのではないでしょうか。
そこでふと思い出したのですが、昔鳩山由紀夫が首相をしていた時、
鳩山夫人の幸さんがいかにも高価そうな着物を着て公の場に出たことがありました。
そのときなんと、彼女の伊達締めが帯から解けて垂れ下がった状態なのに、
彼女が全く御構い無しに写真に写りまくっていたのに軽く眩暈を覚えたものです。
日本人なら良家の育ちとまでいかずとも決して見せない恥ずかしい着物姿を
世界に発信したことに、彼女が日本人ではないという噂は本当だったのかと思いました。
最近では高価であっても正式の場にはタブーという常識を知らずに、
新年の初国会に総絞りの着物を着て登場した蓮舫議員が、よりによって議員バッジを
絞りの着物のえりに穴を開けて付けていた、
ということがあり、日本人でもないのに
アピールのために着物を着ようとしたしっぺ返しだなと意地悪く見ていました。
アダムスですが、本人は茶会事件には参加していない可能性があるそうです。
つまり、アジるだけアジって、パーティを組織し、あとは見ていたという説が・・・。
このアトラクションでもそれを再現したのかもしれません(爆)