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「頭右、コクピットに敬礼!」~自衛隊派遣部隊の帰還

2013-02-19 | 自衛隊

               

五百籏頭真前防衛大学学長の講演を聴きに行き、この人物の口から

「当時の学者の世界は左翼が多かったので」とか、
「あの悪名高い民主党の仕分けで」とか、

とても本人がその思想信条立ち居振る舞いゆえ防大OB有志の会から
罷免を要求されているとは思えない他人事感満載のセリフをききました。

なぜ罷免を要求されていたかと言うとその理由はその左翼的言動で、なかでも

「侵略戦争を行ったうえ敗北した日本に対する不信は、
世界に、とりわけアジアに根深かった」

と堂々と在任中に表明したと言いますから何をかいわんやです。
この人物を自衛隊幹部を養成する防大の校長に据えたのは
親中で民主党政権ができるまでは「売国奴」扱いされていた福田政権でした。
(そののち鳩山―菅―野田の黄金反日トリオの出現で、国民の大半は
こんなレベルを売国奴などと呼ぶのは失礼、という認識に至ったわけですが)

五百籏頭氏はまた、在任中に日本で行われた世界華僑大会
(正式名は失念)の開催に際し、華僑組織の戦略委員を務めたり、
学生に堂々と「国の首長を守るというような意義では広い視野を失う」
などといって「天皇と国体を守る」=「戦前の軍国主義」という刷り込みをしたり、
つまり典型的な団塊お花畑左翼がよりによって防大校長になったというわけです。

これもそのとき書きましたが一般出席者が「クレマンソーの文民統制について」などと、
最もこの手の人物が喜びそうなおべんちゃら質疑をし、またその通り
嬉々としてこの「軍事の素人」が
「戦争は軍人がするにはあまりにも困難である」という言葉を繰り返すのを、
わたしは思わず冷やかな目で見てしまったのですけど、それより
この日の五百籏頭発言の中でわたしが個人的に「そりゃ違うだろ」と言いたかったのが、

「昔は諸君の先輩が駅で唾を掛けられたというようなこともあったが、
東日本大震災で自衛隊は実によくやったので、国民の見る目が初めて変わった」

と言ったことでした。

「初めて」?

東日本大震災が、

自衛隊が国民に認められた

最初の災害活動?

いったい何を言っているんだこのオヤジは。
災害があるたびにあるときは命をすり減らしてまで現場で活動していた
これまでの自衛隊に国民が感謝していなかったとでも言うのか。

阪神大震災で駐留を終え撤退する自衛隊の部隊長と現地住民代表が、
抱き合って泣いていたのを知らないのか。
戦後日本の周りに散らばる魚雷を掃海した海自のことを、
ときとして彼らが「特攻作戦」まで取ってそれを完遂したことを。

紛争地に海外派遣され、その地でどこの国の軍隊よりも頼りにされ、
現地の住民に「帰らないでくれ」とデモされたことがあるのを。

日航機墜落のあとは?北海道の津波のときは?


五百籏頭氏がおそらくそうであるように、
「自衛隊を蔑む」人々には、「穢れを嫌う」というある独特の深層心理が働いている、
という説を最近どこかで目にしました。

一般人が尻込みするような修羅場に任務とはいえ淡々と分け入り、
土と汗にまみれて生きているかどうかもわからない人間を捜索し、遺体を収容する。
これらの尊い任務を「穢れ」と言い捨てることからしてわたしには全く理解できませんが、
とくに官僚や政治、五百籏頭氏のような学者の世界には、
この「自衛隊蔑視」の傾向はこの心理を基として実に根深いものなのかもしれません。

しかし、彼らがどう思おうと、声の大きなものがそれを肯定しようと、
大多数の普通の日本人は、自衛隊に感謝の気持ちを持っているとわたしは信じます。

以下は、元産経新聞記者、ジャーナリストの高山正之氏が、
昨年週刊新潮のコラム「変幻自在」で上梓した記事の抜粋です。



90年代半ば、ルワンダ内戦で難民が出ると外務省は
その救済に自衛隊員派遣を言い立てた。
難民キャンプにも武装ゲリラが出没する。エイズは流行る。
危険千万で、内戦に責任のある西欧諸国も尻込みしていた。
で、米国が安保理常任理事国入りを餌に日本に派遣を要請してきた。


外務省は喜び、派遣部隊に被害が出ればより外交効果があると読んで、
装備は小銃のほか機関銃一丁とほとんど丸腰で放り出した。
自衛隊はそんな悪条件下でも任期を無事務め上げたうえ、
武装ゲリラに襲われたNGOの日本人医師の救出もやってのけた。

外務省には期待外れだった。

お前らだけが死ねばいいのに、なにを勝手をやるのか。
共同も朝日新聞も自国民救出など自衛隊の越権行為だと非難した。
期待に背いたことへの報復は陰険だった。

任務終了後、帰国には民間機を利用し、
その際は制服の着用は仰々しいので認めない。

各自私服で帰れと。
お前らは目立つことはないという意味だ。
誰しもましな着替えなど持っていない。

年の押し詰まった12月27日、
ロンドンから日航機に搭乗したとき
周囲の乗客はひどい身なりの集団にちょっと驚いた。 

それが異郷の地で頑張り抜いた自衛隊員と知るのは
機が公海上に出てからの機長アナウンスでだった。

「このたびは任務を終え帰国される自衛隊員の皆さま、
お国のために誠に有難うございました。
国民になり代わり機長より厚く御礼申し上げます。
当機は一路日本に向かっております。
皆さま故国でよいお年を迎えられますよう」

異形の集団を包むように客席から拍手が沸き、
その輪がやがて機内一杯に広がって行った。

機長は乗客リストを見て自衛隊員の帰国を知り
「日本人として当然のことをしただけ」と語る。


成田に着いたあと65人の隊員はコックピットの見える通路に整列し
機長に向かって敬礼した。

 

文中「被害が出ればより効果的だと考え」という部分ですが、
この「効果」とは何かと言うと、つまり
「危険な任務によってこれだけの被害が出た。やはり派遣は違憲である」
と言う護憲派の論拠を提供できるということではないかと思われます。

要するに、国際世論に迎合し米国の命令に違わず自衛隊を派遣すれば
国連安保理常任理事国というご褒美もいただけ、おまけに万が一、
自衛隊員が亡くなるか負傷でもすればそれを理由に予算を思いっきり削れる。
このような一石二鳥の意図を持っていたというのが高山氏の意見です。

ちなみに、外務省は安保理の常任理事国入りを(今も)悲願としています。
湾岸戦争の時「日本は金を出すが血を流さない」と非難されたので、
このような機会に「血を流させることも厭わない」ということを
アピールしようとしたのかもしれない、というのはわたしの考えですが、
実際は結局チャイナスクール(現防大校長もその一人ですが)の働きによって、
中国が常任理事国入りしてさらに日本はその座から遠のいてしまいましたね。
いやー、残念残念。(棒)


わたしはシカゴからボストンに向かう飛行機の中で、機長が
「本日の機には、イラクから帰国したどこどこ所属の何とか大尉たちが乗っています」
とアナウンスして、機内の全員がその数名に対し拍手した瞬間に立ち会ったことがあります。
アメリカでは、この機長のような行動はごくごく当たり前に見られるのです。

この日航機の機長は、おそらくこのような「自国を守るために戦う人々への敬意」
を普通に表す世界の基準というものに精通していたものと思われます。
翻って、危険な任務地に派遣しておきながら自衛隊員を民間機に乗せたうえ、
制服を着ることも許さない屈辱的な扱いをして恥じない日本政府に対し、
自分の権限でささやかな、しかし自衛隊員たちにとっては大きな意味を持つ
レジスタンスを行ったのでしょう。

「私たち国民の大半はそう思っていない」

彼らを貶め、その存在を疎むものがこの国の中枢にいてそう彼らを扱う限り、
この機長のように思う人間が黙っていないで声を上げるべきでしょう。

そしてささやかな力ながら、わたしもその一人になりたいと願っています。





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5 Comments

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読ませて頂いて涙が。。。。。 ()
2013-02-19 22:11:19
>そしてささやかな力ながら、わたしもその一人になりたいと願っています。

私が選択した路は、間違っていなかった!

そして誇るべき選択をしたのだと、改めて気付かせて頂きました。

感謝を表す最高の言葉を知らない無知な我が身を恥じております。

ただ「ありがとうございます」としか言えません!
返信する
政治活動 (エリス中尉)
2013-02-20 10:23:47
我が家では「政治活動は禁止」というのが、夫から妻に厳命されたルールです。
ですから、どんなに応援したい政治家がいても献金は勿論、
その後援会やパーティに行くことはご法度です。


しかし、この国に住んでこの国を少しでも良くしていく小さな力になろうと思えば
政治に無関心でいるわけには行きません。

わたしが海軍に端を発する興味からとはいえ自衛隊の存在に深く関心を寄せるのは、
「その国の成熟度はその国がいかに自国を護ろうとするかに表れる」
「自国の歴史を否定することの上に正常な国家は成立しない」
つまり
「自国の軍隊に敬意を払わない国家は滅亡する」
と過去の歴史からそう考えているからでもあります。

少なくとも、アメリカでは当たり前のように目撃した日航機長のアナウンスが美談になるようではだめなのです。
「自分は国のために誇るべき選択をしたのだ」
とすべての自衛隊員が、現役にあっても、鷲さんのように自衛隊生活を退いたあとも自信を持って思える国に日本はなるべきだとわたしは思っていますし、
そのためにこんな小さなブログであっても役に立つことがあるなら、と言う思いで日々綴っています。

それはつまりわたしにできる「政治活動」でもあるのです。
返信する
彩雲 (Unknown)
2013-03-30 21:22:04
彼らを含む多くの日本人乗客を乗せた東京行きの日航機は、
ヒースロー空港を飛び立ち、国際線の飛行高度1万メートルに上昇しながら、
英国本土上空も過ぎ去りそろそろ公海上に差し掛かろうとしていた。
機内は、大晦日・正月を目前にしたこの時期の日本人乗客達の帰国で、
せわしなさを漂わせてはいるが、どことなく楽しそうな顔が多く見られる。

彼はそんな機内の様子に、そして久しぶりに聞く女性達が交わす日本語に、
平和な日本の中に、自分を含めた彼ら一団が近づきつつ有る事を感じてはいたが、
それとは別にどうしても、頭をもたげて来てしまう思いに悩みつつもあった。

俺達は、何事かをなして来たのだろうか?
この乗客達の様な平和な生活をおくる日本の人々に
それがどれだけの事だったのだろうか?と。

灼熱、飢餓、無秩序、虐殺、暴力、難民、破壊、
・・・極限状態の語句なら幾らでも当てはまるあのアフリカの国々・・・
そこへ遥々出て行って、あの短期間に何がどれだけ変わると言うのか? 
そして、挙句にはこの扱い方か!

彼は機窓に顔を向け、高度1万の澄み渡ってはいるが、酷寒の空を眺めつつ、
虚しい思いに捉われ悩んでいた。

彼の視界に、ポツンと点が映り始めた。
ぐんぐんとこちらへと、影を大きくしつつ接近して来る。
航空機の形はしている。
しかしビジネスジェット機や一般的な軍用ジェット機の様な後退翼を持つ形ではなかった。
セスナ機の様な昔ながらの直線形状の翼・エンジンの配置である。
機影は主翼の端の、すぐ脇くらいを並行始めた。

・・・彼は直ぐに隣の座席で、くたびれ切った様子で目を閉じて、
ヘッドホンを着け機内サービスの音楽を聴いているらしい仲間に教えた。

「おい!あれ!」

彼が指差す方向を見た仲間は、何の事だか判らないらしかった。
「なに?何だよ?・・UFOだ!てか。何も見えないよ。何処さ!」
「何処って、脇を飛んでいるだろう!」
「ウソ、だろ。あのねぇ~、俺は久々にお気に入りを聴いているんだから、邪魔するなよ!」
その仲間は言い終わるや又目を閉じて座席のヘッドレストに頭を押し付けた。

その頃には彼にはそれが何か判って来た。
後部を斜めにそぎ落とした様な垂直尾翼、長い三座席の鳥篭の様な枠だらけの風防、
細いスマートな胴体、濃緑色の機体塗装、日の丸、
・・・・それは旧海軍の偵察機「彩雲」の形をしていた。

それは、全く信じられない事だった。
アメリカ国内では大戦機をレストアして飛ばせているというが、
そのアメリカでも「彩雲」が飛んだというニュースは、飛行機好きの彼も聞いた覚えは無い。
ましてやこんな大西洋上の国際線の空を飛んでいる機が在る筈は無い。
幾ら駿足を誇ったとは言え、大戦機の「彩雲」に速度・高度とも
このB747に並行出来る筈は無い、のである。

彼は機内をざっと見渡して見たが、窓の外を見て騒いでいる乗客は
他には彼の仲間達も含めて見当たらなかった。
陳腐な「夢の中」と言う言葉が頭をよぎる。

「彩雲」のコクピットに見える三名の搭乗員は、全員が旧海軍の搭乗員らしい飛行服で、
物々しく酸素マスクを着けている様だった。
こちらを見ているのだが、マスクの為に表情・顔つきは良くわからなかった。
中間の席から光が発せられた。それが発光信号である事に気付くまでに少し時間がかかった。

「キタイノ ニンムカンスイヲ イワウ ヨクヤッタ」

キタイ、きたいって貴隊か?!俺達の事を言っているのか?

「マコトニ ゴクロウナコトデアッタ ルワンダハ カナラズフッコウスル シンパイスルナ シンジロ」

「ソンナニナヤムナ ニンムヲヤリトゲ ブジ カエルコトガデキル 
ソレデジュウブンデハナイカ 」
「ツイシン アフリカハ オレノ アシガアルトキニモ イキタカッタゾ 
イマハ スグニモイケルガ ナ 」
 
発光信号が終ると、「彩雲」は小刻みなバンクを始めた。
乗員全員がこちらへ向け敬礼をしている。
信号を読み取っているうちにある記憶が蘇ってきて、
彼は尾翼の部隊記号に目を移してハッとした。

それは戦死した、彼の祖母の兄、つまり大伯父が所属していた航空隊のものだった。
予備学生出身の士官搭乗員だった大叔父は、
大戦末期にウルシー方面へ米機動部隊の索敵偵察に向い、
「敵空母見ユ」の電文を発したものの未帰還となってしまったのである。

大伯父は大学では人類学を専攻していて、
何時かは様々な国に学術調査に出かけて行きたいと言っていた。
そんな話を祖母から聴かされたことを思い出した。

「彩雲」はバンクから大きく翼を翻すと、
彼の視界からどんどんと遠ざかって行き、直ぐに見えなくなった。

・・・数分間くらいの事と感じられたが、腕時計を見るとそうでもないらしかった。
いや、呆然としてしまい未だに何だったのか解らない気持ちだった。

その機影が消えて間もなくの事であった。
機長からのアナウンスが機内に流れ始めたのは。

「このたびは任務を終え・・・」

・・機内の乗客達からの拍手を受け、どこかしら強張っていた顔の筋肉の緊張が解け始める。
今回任務についてから初めての充実感と安堵感が体中に広がっていくのを、彼は感じていた。

さぁ、帰ろう。日本へ。そしてありがとう、大伯父さん。

――ん!? いや、待てよ。俺、発光信号なんていつ覚えたんだ?

~ 完 ~
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ミッドウエー島上空の360°旋回! (あんのうんな奴)
2013-04-05 23:43:57
ご無沙汰しております。
今回の件の日航機の機長さん、もう引退されているそうですが、現役時は「大空のサムライ」だった方の様です。
下記のブログをご覧下されば・・。 http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/211569242.html
「彩雲」の士官搭乗員の方の話、楽しみにしております。
返信する
侍機長ですね。 (エリス中尉)
2013-04-06 00:03:49
その話も高山氏の記事で存じていましたが、
また別の機会にお話ししようと温存していました。

彩雲の方ですが、まさにあんのうんさんの「彩雲」に語られたパイロットのような状況だったみたいです。
いつになるかわかりませんが、気長にお待ちください。
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