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「里帰り零戦」を見てきた

2014-11-26 | 航空機

読者の佳太郎さんから情報をいただき、さらにkyari3さんからも
公開の詳細を教えていただいた「里帰り零戦」を見に行ってきました。


前売りは教えていただいたように、どの時間枠も売り切れるどころか
最後まで「残り少ない△」にすらなっていなかったため、
わたしは最終日に安心して当日券で入ることにしたのですが、
やはり1時間見学するのに2500円、前売りでも2000円というのは
高いと考える人が多かったということでしょうか。

それなら「ファン」と言われる人であれば安い安くないに関わらず
何をおいても駆けつけたのか?
というと、その辺は微妙な「ファン心理」とでもいうのか、
必ずしもそうではなさそうだ、とわたしは感じました。

今回の見学はつまり、その理由について考えることでもあったのです。

お断りしておきますが、わたし自身は元々「零戦」そのものを、
当時の日本の技術力の象徴とか、
歴史的な航空機であり、
海軍の使用機であるという観点でのみ関心を持っている
と言ってよく、
決して「零戦ファン」
と呼べる範疇に自分がいないのを自覚しています。

それが証拠に?スペックや性能についての薀蓄を全く持ちませんし、
また、零戦の他の機体への優位性についての興味もあまりありません。 

 


今回わたしがわざわざ現場に行ったのは、むしろかつて
実在した「零式艦上戦闘機」と今回公開される「里帰り零戦」の間には
いわゆる「隔絶」があるらしいとその反響から察し、
それを確かめるためだったとも言えます。



さいたまアリーナというのは、都心から続く高速を降りてすぐのところにあり、
今までこの方向に車を走らせたことのなかったわたしは、今回
あまりの便利さに驚いたのですが、他のイベント(アイドルコンサート)
があるにもかかわらず、地下の駐車場に簡単に車を止めることができ、
見るつもりだった回の30分前には、チケットを買うことができました。

時間制で、予定の時間までは隣の部屋で展示物などを見ながら
待つという仕組みです。

まず、この零戦のかどうかはわかりませんが、動的展示できる
ゼロファイターのポスター、そして日本公開されなかった映画、
「レッドテイルズ」のポスターが貼ってありました。

「レッドテイルズ」は黒人だけの飛行部隊、「タスキーギ・エアメン」を
主人公にしたルーカス監督作品で、わたしもエントリに書いたことがあります。

タスキーギ・エアメン」と「レッドテイルズ」



ここにある零戦の復元前の写真がパネルで展示されています。



全く無塗装の零戦。
テスト飛行ということは塗装は一番最後に行うものなのですね。
しかし・・・ジュラルミンであたらしく成型された機体は

新品のようにピカピカです。(←伏線)



来場者は皆こういった写真を手持ちのカメラに収めていましたが、
これらの写真もすべて販売しており、一枚7,000円也だそうです。



ジュラルミンの機体主翼外板は、持ったり触ったりできます。
裏面には当時の工員が記した鉛筆の跡が確認できるそうです。
(が、写真を見て初めて知ったので確認してません)
厚みはなんと0.8ミリ。厚紙くらいしかありません。

本プロジェクトに協力した中村泰三という「計器板製作者」
の名前が記された紙があります。
この人の名前をググってみると、どうも「計器板研究家」のようです。



隔壁部分。
実際の機体から取り外された部品の数々が展示されています。



ステンシルの機体番号が書き込まれた部分には、
マジックインキで「Thank you」とか「Best wishes」などの
アメリカ人名による書き込みがあります。 
アメリカでレストアに関わった技術者たちでしょうか。 



22型用の第二隔壁部計器部分。
さすがは計器研究家のコレクションだけのことはあります。



中島62型用の計器盤。
木でできていることに注意。
金属の計器盤で計器の位置を確定する前の試作だそうです。



こちらが本番?の計器盤。

計器盤のコレクションには他に「雷電」のものが展示してありました。



水平衡目盛りがついていますが、車のハンドルのように
手を離せば真っ直ぐに戻るという機能はなかったのでしょうか。



尾翼部の外板。
下の写真で、ブルーの線で囲まれた部分です。



陸軍の97式戦闘機用のフラップだけが。
倉庫に未使用で保存されていたものだそうです。

さて、そうこうするうちに時間になり、待合室にいた客は
自室のホールに移動しました。



今回のエキシビジョンは「画期的かつ史上最初で最後」と主催者のいうところの
三分割展示が売りとなっていました。

冒頭写真は見学が始まってしばらくしたら今回の企画をした
会社の社長という人が零戦の上でマイクを握って
これまでの経緯と経過、ここまで来た苦労とこれからへの
支持を熱く訴えているところなのですが、その説明によると、
この零戦は非常に前から日本に里帰りさせ、日本の空を飛ばす、
という執念を持ったこの社長が「3億5千万の私財を投じて」
ここまでこぎつけたのこと。

しかし、リーマンショックに始まり東日本大震災と、実現も危ぶまれるほどの
アクシデントのせいで思ったようにことは進まず、
やっとのことで横浜に着いてからも手続きのいろいろで倉庫で3ヶ月間、
組み立て前の状況で留め置かれていたということでした。

ちなみに取得から今日までの間に7年間が費やされています。

「三分割で展示するということは初めての試みであり、
今後も決してないと思われますが、内部の様子を多くの人に
見ていただくためにはこの方法が一番いいと思いました」

と語っていましたが、わたしは組み立て前の状態でやってきたので、
組み立ててしまう前に一度展示会をするべきだと判断したのではないか、
と穿ったことを考えていました。 



というわけで、三分割のひとつはプロペラと発動機部分。



この零戦はパプアニューギニアで発見されたものだそうです。
ということは、ラバウル航空隊と称される海軍航空隊のうち

「251空」「204空」「261空」「582空」「201空」

のいずれかの所属ということになろうかと思われます。



これが発見当初機体に付いていた発動機とプロペラ。



まあ、戦後何十年もジャングルにあったエンジンが
そのまま作動させられるわけがないとはいえ、この零戦は
要するに「当時の機構で飛ぶわけではない」ということです。
残骸のほとんどを作り変え、痕跡だけを残して飛べるようにする、
ということなのです。



これをどう考えるかですね。

実は、当ブログに頂いた里帰り零戦への裏コメントの中には

「もう零戦は休ませてあげてもいいのではないかと思う」

といった意味の、この企画に対する否定的な意見もありました。

もし何から何まで発見時のまま、最小限のレストアで飛ばすつもりなら、
わたしはそれはそれで価値のあることだと思います。(無理だと思いますけど)
しかし、現場でこの外された栄型を見た瞬間にこのように感じました。

「中身を全部取り替え、外装も作り直して、形骸だけを飛ばしたとして、
それは果たして本当にかつての零戦が飛んだと言うのだろうか」


資産を投じてこの零戦を飛ばせるという一念でこの事業を立ち上げた
この方には大変冷たい言い方になるのかもしれませんが、
それはすでにかつての零戦ではなく、動物でいうと剥製みたいなものです。
零戦を零戦たらしめていた駆動部分がこうやって取り出されてしまった以上、
それは「飛ばせるべきもの」ではなく博物館に収められるべきものではないのか、と。



ただ、簡単に「博物館に収める」ということにならないのは理由があって、

この機体の維持費というのが、こうなってしまった以上常にかかってくるので、
こうやって展示をし、寄付を募り、「実際に飛ばす」という目標を設け、
関心を持ってもらうことを恒常的に続けなくてはならなくなっているようです。



こちらが現行の発動機部分、横から見たところ。




見たところパーツの一つとして元の零戦のものはありません。

当たり前ですね。



これが三分割の真ん中部分、主翼とコクピット。
わたしたちが入って行った時、誰かがコクピットに
乗らせてもらっていました。

周りの人たちが

「乗れるのこれ?」

と囁いていましたが、この時に乗ることができたのは
プロジェクトへの大口スポンサーだったようです。



翼の上には弱いところがあり、足を乗せるところが
決まっていて、そこにステップして乗り込んでいました。



石塚政秀さんというのが、この零戦のオーナーです。
現在、飛行可能な零戦を所有している唯一の日本人ということです。



どこからどこまでが本物でどこがレストアなのかわかりませんが、
隔壁やフットレバーはそのままであろうかと思われました。


長くなってしまったので明日に続けます。




 



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3 Comments

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おお、見に行かれましたか (佳太郎)
2014-11-27 00:03:32
たしかに値段が値段なので行きにくいですね…
ついでに室内展示…やはり航空機は屋外でみたいですね…
たしかにゼロ戦は休ませてあげてもいいかもしれないですね。たしかに部品も相当変えられているのでオリジナルとは言えないですしね…
でも個人的にこのゼロ戦が空を飛ぶのを見てみたいと思います。
やはり、今まで散々、いろいろな媒体で登場しているゼロ戦が実際に飛んでいる様子を見てみたいというのが理由ですね。それがオリジナルでないとしても似せて作られているものですので。うまくは伝えられないですが。
またTwitterを見ていましたら、ほかにもどこかで陸軍の九五式練習機を復活させるプロジェクトがあったり、雑誌で見ましたが九九艦爆を復元しようとしている海外の方もいるようです。
たぶん飛行機を復活させる活動の根本には実際に飛んでいるその飛行機を見たいという気持ちがあるのだと思います。
返信する
残念ながら (kyari3)
2014-11-27 07:44:50
私は当日2日前に急性腸炎になってしまい、観に行くことはできませんでした(T_T)

チケットを譲った上司も「ピカピカの零戦」についてエリス中尉と同じことを言っていました。

先日河口湖飛行館でみた零戦や陸攻も、「限りなくオリジナルパーツを使って修復」と説明がありましたが、こちらは飛ばないにせよ「限りなく」の解釈も色々ですよね。
飛行する目的では、エンジンはじめ可能な限りオリジナルパーツを使っては飛べないわけですし…

私自身、姿は同じでも「復刻版」的なものに魅力を感じないのですが、それはその「もの」のオーラによるものなのだと思います。
ピカピカで立派なレストア陸攻を見るよりも、ボロボロの計器や鉄板に想像力をかきたてられ、感じ入ってしまったり。

ですから、私も上司と同じように、「飛行可能」とはこういう事なんだなと大変失礼ですが少しがっかりしてしまったと思います。

。。。ただ、少しでも当時のパーツが使われた零戦がいつか日本上空を飛ぶ日がきたら、想像力を駆って当時の姿を重ね合わせて見てみたいと私も思います。
返信する
お二人とも (エリス中尉)
2014-11-28 08:48:14
「飛ぶ零戦」に対してはわたしと同じような考えをお持ちのようですね。
kyari3さんのおっしゃる「もののオーラ」は、時を経たもの、その空気に触れたものにしか宿らない
時代の「念」のことだと思います。
復元零戦からはそういう唯一性がきれいさっぱりなくなってしまうことが、
一部の人たちの失望の原因となったのでしょう。(わたしがそうであるように)
そして、

「少しでもその片鱗を乗せた機体が実際に空を飛ぶのを見て往時を偲びたい」

復元航空機に情熱を燃やす人々の動機は奇しくもお二人がおっしゃるここにあると思います。
後編でも述べていますが、わたしはこちらの考えも完璧に理解できます。
「元の形では飛ばないのだからせめて・・・」
ということですね。
そしてやっぱりそれが見られるならぜひ見たいと思っている自分がいます(笑)
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