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アメリカ独立記念日と序曲「1812年」

2013-07-05 | 音楽

昨日の閲覧履歴に上がってきた記事です。

ほとんど一年ぶりに自分の記事を読んだのですが、我ながらちゃんとしたことを書いているので、
感心(自画自賛)しついでに、現在アメリカでは7月4日の夕方で、
ジュライ・フォース真っ最中でもあるので、一部訂正してその記事を再掲することにします。



冒頭画像は息子の学校の道向かいにある独立戦争のときのキャノン砲。
7月4日が近づくと、いつもこのように周りに国旗が飾られます。
ここは街のタウンホール(市役所)の前なので、こういうものや地元出身の戦没者碑があり、
そこには勿論、通りにはこれでもかと星条旗がひるがえるのです。



夏の青空に三色のスターズ&ストライプス。
いつみても美しいなあと思います。(羨ましくもあります)



国民の祝日ですから、学校はお休み。
我々はいつもこの時期にはここにいるので、住んでいた時期も含めると10回以上は、
独立記念日をボストンで迎えていることになります。



なんといってもこの地域は「ニューイングランド」と言うくらいです。
独立のきっかけとなったボストン・ティーパーティー事件があり、独立戦争が始まったのは
レキシントン・コンコード。(以前住んでいた地域からはわりと近くです)
つまりアメリカ発祥の地と言うべき土地。

二年前の独立記念日にも確か書いたと思いますが、
ボストンに住んでいたときは、近くに「ここで当時戦闘が行われました」という一角がありました。
独立記念日には、そこで昔のコスプレ?をした人たちが、歴史に残る通りの戦闘を再現します。
いつもはTシャツと半ズボンのアメリカ人が当時の軍服を着ると、あら不思議、
あまりにも似合っており、迫真に迫った演技は映画を見ているような気分になったものです。

こういう衣装や銃、大砲って、普段はどこにしまってあるんだろうか、とふと疑問でした。

因みに、

「レキシントン」

「バンカーヒル」
「タイコンデロガ」

この時戦闘の行われたマサチューセッツ(最後はニューヨーク州側)の地名は、
そのままアメリカ軍の軍艦名になっています。
このブログの読者の方にはおなじみかもしれませんね。


そして、この日が近づくとラジオやテレビから「ハッピー・ジュライ・フォース」という言葉が聞かれ、
クラシックチャンネルではやたらチャイコフスキーの序曲「1812年」が流されます。

当日はチャールズ・リバーのほとりで花火の打ち上げを伴ったこの曲の演奏が行われます。
ボストン交響楽団の演奏、そして海軍の参加によるキャノン砲の伴奏に市民は酔いしれるのです。
首都ワシントンのポトマック川湖畔でも同じような趣向の演奏がされ、
ユーチューブで見ることができるので、ご存じの方もおられるでしょう。


すっかりアメリカの独立記念日の象徴になってしまったこの曲。
1812年、というのはナポレオンのロシア遠征が行われた年です。
もしかしたら勘違いしている方がおられるといけないので解説しておくと、
この音楽はロシア人によって書かれたものですから、ナポレオンのフランス軍は「悪役」です。


曲にはホルンによる「ラ・マルセイエーズ」がモチーフとして入ってくるので、何となく
「自由への戦い」を表わす効果のように思う人もいるかもしれませんが、
最初は元気の良かった「ラ・マルセイエーズ」は、だんだんと、ロシア民謡風のメロディを伴った
管楽器の咆哮にかき消され、切れ切れになっていきます。

この部分は、実際には「ラ・マルセイエーズ」のメロディを、単パートを転々をさせる形で、
「細々と貧弱に」聞えるように、さらにそれを管楽器を中心とした全楽器が凌駕するという方法で
「フランス軍が負けて駆逐されて行く様子」を表わしているのです。


これほど分かりやすい標題音楽でありながら、チャイコフスキー自身は
特に標題音楽であることを意識してもいなかったと言われています。

ロシアの勝利を心から寿ぐとか、我が軍を誇りにしてといった熱意も特になく、
それどころか、依頼に気乗りしなかったという理由で、仕事を放置していたそうです。

そして、依頼者にせっつかれたので、仕方なく、しかも一ヶ月くらいで仕上げた、という
(チャイコフスキーにしては)やっつけ的仕事ともいえる作品です。
にもかかわらずこういう名曲が書けてしまう、というのが、
だてに大作曲家ではないということでしょうか。



これもユーチューブでいくつでも出てくるので、もしご存じなかったら見ていただきたいのですが、
この音楽のクライマックスとフィナーレには、本物の大砲がよくつかわれます。
チャイコフスキー自身の指定で、楽譜に「大砲」と書いてあるためです。
しかし、チャイコフスキー本人は、どうも大砲によるバージョンを聴くことは無かったようです。


ホールで演奏するときには、この大砲発射音はバスドラムで代用されますが、
最近はシンセサイザーが使われることもあるようです。


そして、自衛隊ファンの方は、もしかしたら「富士総合火力演習」などの際、
これを大砲演習付きで(この場合は大砲が主役?)聴いたことがあるかもしれません。


旧日本軍では、日露戦争の頃はともかく、大東亜戦争中は
ロシアは敵国とされていなかったため、軍楽隊はこの曲を演奏したようです。
海軍軍楽隊の当時の演奏プログラムにはしばしばこの曲が見えます。

「戦意高揚」を煽るというのか、勇ましいことにおいては全くこの曲をこえるものはないでしょう。
軍楽隊が戦時に演奏するにはもってこいの曲であったとも言えます。



自衛隊も、勿論アメリカでも、大砲は空砲が使用されます。
しかし、自衛隊の「演奏」で、一発撃つたびに素早い動きで次の弾込めをしている様子は、
実戦さながらで、思わず食い入るように見入ってしまいます。

いつか、この大砲バージョンを自衛隊の実演で見てみたいなあ・・。
(と言っておけばまた叶うかもしれないので、ここで言ってみる)


ところで、こういう映像のユーチューブのコメントには、必ずと言っていいほど
「音楽で軍隊が実砲を撃つ」ということについて文句をいうものがあります。
アメリカの、今日画像のようなキャノンを使ったバージョンでさえそうなのですから、
自衛隊の「1812」には、なぜか日本人ではない英語のコメントが、(どこの国かわかりますが)
日本は過去の反省を云々とか、軍国主義がどうしたとかいう内容で入っています。

そもそも「士気高揚」「戦意高揚」として使われる曲ですから、
曲そのものに対してイチャモンをつける層はどこの世界にもいると思われます。



音楽に政治や思想を絡め出したら、確かに「これは禁止」「これはまずい」ということも、
国と政治形態によってはいくらでも起こってきます。

例えばこの曲は、「ロシアの勝利」を讃えるものですから、当然フランスでは、
どんなに勇壮でも、しかるべきセレモニーのときには絶対に演奏されない曲です。
何しろ、ラ・マルセイエーズがコテンパンにやられていくわけですから。
フランス人自身、やっていても聴いていても、どことなく面白くないでしょうし。


映画の「のだめ・カンタービレ」では、フランスのマルレという名のオーケストラで
主人公の指揮者千秋真一(玉木宏)がこの曲を振るシーンがあります。

余談ですが、この映像、やたら玉木くんの指揮ぶりが真に迫っています。
本人もかなり本物を見て研究したのではないでしょうか。

「おくりびと」の撮影のために指導を受けたら、ちょっとした曲は人前で弾けるようになってしまった、
というモッくんのチェロ並みに感心してしまったのですが、その話はさておき、
フランスのオケでは、基本この曲をやらない、と決めているところだってあるかもしれません。


日本の音楽界はある意味「ノンポリ」というか、ヨーロッパの歴史には無神経な立場でいられるので、
演奏に少なくとも「タブー」は存在しませんが、ヨーロッパのオケにはそれが多々存在します。

国家間のトラブルだったり、民族的な対立だったり、どういう理由かわかりませんが、
中村紘子さんの証言によると、中村氏が「ピアノ協奏曲三番をやりたい」というと
「うちではこれまでラフマニノフはやったことがないから」と渋ったオケもあったそうです。


実は、今でも、イスラエル・フィルハーモニーというユダヤ人ばかりのオーケストラは、
反ユダヤ主義でナチス帝国のテーマソングのようになっていたワーグナーを決して演奏しません。

常任指揮者であったインド人のズービン・メータ「トリスタンの愛の死」を演奏しようとしたら、
楽団員の拒否にあい、さらに演奏会では殴り合いが客席で発生する騒ぎになったそうです。

それではこの「1812年」は、ロシア人には無条件でOKなのかというとそうでもありません。
ロシア帝国を打倒したソビエト連邦時代には最後に出てくる「ロシア国歌」がタブーとされ、なんと、
「そこだけ違うメロディを挿入」という(勿論作曲者は死んでるので無許可で)
ご無体な編曲がなされたそうです。

こんなことをするなら、いっそ曲を演奏禁止にしてしまった方がましですね。


そこで、我らがアメリカ人に話を戻すと。

こういうこの曲のバックグラウンドを知ってしまうと、今さらながら、アメリカが
この曲を独立記念日のテーマにしてしまっていることは、
あまりにも無知で無神経なことに思えてきませんか。


アメリカの独立と言うのは、簡単に言うとイギリスと戦争して勝ち取ったものです。

フランスは当時それを義勇軍の派遣などでお手伝いしてくれていました。
そのフランスは、その後、この独立戦争に影響を受けて、

「アンシャン・レジームなんかもう古くね?アメリカみたいに今は革命がトレンドだし」

とかいう気運が高まった結果、フランス革命が起きたわけです。
だからこそ、アメリカはその後自由の女神をフランスからもらったりしているわけですよね?

いわばフランスは独立に関してはアメリカの協力者でお友達であったと。

そういう経緯があるのに、自分のところの独立記念日を祝うのに、よりによって
フランスがボコボコにされてめでたしめでたし、という内容の曲を使うアメリカ。

もしかしたらこいつらはそういうことを何も考えていないんじゃないか?



ただ考えられることは、

曲調が勇ましくて、アメリカ軍に大砲ガンガン撃たせれば、
またとない「パトリオティズム」の昂揚になるし、
自由への賛歌っぽいラ・マルセイエーズも入っていたりするし

ということだけを重視し、その曲の内容については

「細かいことはいいんだよ。昔のことだし」

という態度で、彼らは今日もこの曲を使い続けているのではないか、ということです。
そして、ほとんどのアメリカ人は、この曲の本当の内容を知らずに聴いているのでは?

(書いていてこの説が絶対正しいような気がしてきた)


全てにおいて、このように歴史におおざっぱすぎるアメリカ人もなんだかなあ、って感じですが、
フランスもロシアも全く関係ないここ日本で、自衛隊が大砲撃った!武器使用した!
というだけでヒステリックに文句を言う日本人というのも、これまたなんか違うような気がしますね。

そういうサヨな方にはこの一言を。

文句はチャイコフスキー自身に言ってくれ。

それでは、今年も恒例、「独立記念日ケーキ」画像を・・・。

 これは二年前撮った写真。

 カップケーキ。

独立記念日だから三色ケーキ。
国旗の色だから赤白青のクリーム。
食べ物にもおおざっぱなアメリカ人らしい考え方ですが、いずれにしても、まずそうです。








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