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「国旗降ろし方」〜海上自衛隊 日本国練習艦隊「かしま」艦上レセプション

2019-05-16 | 自衛隊

令和最初の練習艦隊、その横須賀での艦上レセプションに参加しました。

さすがは海上自衛隊、時間ぴったりに会の開始を告げる鐘が鳴り、
練習艦隊司令官、梶元大輔海将補があいさつを行いました。

前回のレセプションでもアナウンス台の後ろに、
雷神風神の暖簾がかけてありましたが、これは「かしま」ではなく、
今日もメザシ状態でパーティ会場になっている「いなづま」から
借りてきているのではないかと思っています。

この挨拶で梶元司令は、本日のパーティに出席している実習幹部は
全員ではなく、乗員共々上陸中であるというお断りを行いました。

こちら、一体どこから撮ったのという攻めの角度からのKさん写真。
(よこすか軍港めぐりの船の上からかしら)

岸壁に幹部、曹士が整列している様子が写っています。
防大や幹部候補生学校ではありませんから、上陸前の点検とかではないと思いますが、
まあこんな感じで訓示を受け、上陸していったのでしょう。

どうやって出席組か上陸組かを決めたのかあとで実習幹部に聞いてみると、

ローテーションなんですよ。
前回の泊地で出たら今回は上陸という感じで」

「そうなんですか。
じゃんけんで負けた人が出席してるんじゃないんだ」

これもレセプションに出席する来客が年々増えてきて、候補生全部では
どうしても会場が手狭になってしまうからなのでしょう。

それに今年はオリンピックの関係か、晴海寄港がなくなり、
レセプションが横須賀だけになってしまったため、仕方ありません。

しかしその配慮が大変功を奏し、何年か前の芋の子洗う状態ではなく、
少なすぎず多すぎず、ちょうどいい混雑具合だったことをご報告しておきます。

梶元司令のあいさつの後は、「かしま」「いなづま」艦長が紹介されました。
「やまゆき」の艦長のお姿が見られなかったのは大変残念です。

江田島での錨上がらない事件ではすっかり名を上げた(とわたしが思っているところの)
「かしま」艦長高梨一佐。

高梨一佐の艦歴について存じ上げているわけではありませんが、
これら一連の練習艦隊行事について話をしたわたしの知る範囲から、

「あの人はゴリゴリの艦乗り」

みたいな、もちろん賞賛の言葉を耳にして、なるほどと思った次第です。

 

また、前回少しお話ししたところの「東日本大震災当時の横須賀地方総監」
だった方にお会いした時、あまりこういう機会にお見かけしない方だったので、
珍しいですね、というようなことを言うと、

「いつもは来ないんですが、練習艦隊司令官の梶元海将補は、震災のとき
原子炉の冷却水のバージを曳いて搬入した部隊の指揮官だったんです」

震災発生後の3月24日、原子炉の冷却水が足りないという事態になったとき、
米海軍が提供した横須賀にあるバージ(鉄でできたはしけ)2隻を海上から
福島第一原発の岸壁に回航し、真水を補給するという、

真水作戦(オペレーション・アクア)

が横須賀地方隊から出された、という話はこの元海将の著書

「武人の本懐 FROM THE SEA 東日本大震災における海上自衛隊の活動記録」

で知っていましたが、もう一度確かめてみると、
最初に決定されたという概案にはちゃんと名前があります。

護衛・警戒部隊の指揮官には第11護衛艦隊司令・梶元大介一等海佐を充てる。

当時、ニュースを食い入るように見ていたわたしたちは、

「バージを牽引して冷却水を」「アメリカ軍が貸与」

といった断片的な情報とはいえ、このことを知っていました。
現在、作戦名で検索しても、当時のニュースと、このyoutube、

 米軍貸与のバージ船が福島第1原発に接岸=日米共同の「真水作戦」
 

5年後、参加した隊員が語った朝日新聞の記事しか出てきません。

作戦実行時には岸壁に横付けすることを「突入」といったそうですが、
朝日新聞の海自提供によるビデオを見ると、曳船艦橋にいる隊員は、
全員が背中に名前の書かれた防護スーツを身につけ、目だけ出した状態です。

突入する船には内側にタングステンを張り、被曝については最大限に留意して
隊員の健康の安全を図ったということですが、それでも
命令を下し、見送る指揮官の「私」の部分は、心で泣いていたに違いありません。

ともかく、この練習艦隊司令があの作戦に参加していたと知ったこと、
それはこのレセプションにおける大きな収穫の一つでした。

しばらくして、「かしま」から両艦に渡されたラッタルを渡り、
「いなづま」に移動しました。

こちらには屋根はありませんが、この日は実に素晴らしい五月晴れで、
日が落ちてひんやりとした気持ちい風が吹き渡る甲板では
こちらの方が横須賀の夜景を楽しむことができるという状態です。

「いなづま」の甲板で歓談している(この写真に写っている)人々の中には、
かつて練習艦隊司令官だったという方の姿もお見受けします。

ちなみにこの日お話しするしないにかかわらず、艦上で見かけた
元練習艦隊司令官は、指折り数えてみたら5人になりました。
わたしが存じ上げないだけで、もっと多くの元司令官が来られていたのかもしれません。

わたしが「いなづま」に移動したのは、そろそろ自衛艦旗降下の時間だったからです。
この日の日没は1836。

まず最初に、当直の海士が位置に着きました。
飛行甲板の端に引かれていた紅白の幕がカーテンのように開けられたので、
わたしはここに立って降下を見守ることにしました。

オランダ坂の下、ここが乗員の喫煙場所になっているようです。
一服していた一佐ズは、いきなりカーテンが開いて注目の的に。

「自衛艦旗降ろし方五分前」

で、当直の海士もやってきてまずは互いに敬礼で挨拶。

それが終わると後ろに立っている幹部に敬礼をします。

飛行甲板の端に立っていたわたしは、当直士官より前に出ているのにこれで気づき、
慌てて後ろに下がりました。

ところが下がった場所(周りに人がいて身動きできず)は
ちょうどライトが当直海士に重なってしまう位置でした(´・ω・`)

前回教えていただいた通りに記述すると、この時当直士官は手をお尻の後ろに。
海曹と海士は片手で旗の索を持ち、右手は腰のあたりに維持しています。

幹部は「休め」、曹士は「整列休め」の状態で時間まで約5分待つのです。

今思ったのですが、これ、いかなる天候の時も同じやり方ですよね?
土砂降りでも、大風でも、身を切るような寒さでも・・・・。

東京の客は皆マナーがいいので、写メを持って当直士官の前に身を乗り出して、
注意されるというようなことは決して起こりません。

時間直前に、当直士官が左舷側に立っている二人の腕章をつけた士官と曹、
この二人に正対しました。

うーん、なんかこういうの初めて見るような気がするんですが。

見ているとまるでガンマンのように(笑)ほぼ同時敬礼。
女性士官は実習幹部で二尉は指導中とかかな?

階級に則って女性の方が一瞬早い敬礼です。

敬礼が終わると当直士官はまたもや待つ姿勢に。

艦橋からマイクで

「十秒前」

の声がかかり、で当直士官が「気を付け」します。
まだこの時には電飾は点灯されていません。

「じか〜ん」

でラッパ譜「君が代」が吹鳴され、「降ろせ」となります。
同時に電飾がパッと明るくなりました。

「君が代」終了と同時に降ろし終わって、「かかれ」(解散)。
解散するのに「かかれ」とはこれいかに。

旗をたたんでいるところに急ぎ足で近よる人影あり。

この後、二人で旗をたたむところも撮ろうとしていたら、
女性が近寄ってきて声をかけられました。

「『ネイビーブルーに・・』というブログされている方ですか?」

「・・・・!」

 

続く(笑)

 


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2 Comments

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実習幹部 (Unknown)
2019-05-16 06:25:54
艦旗降下の前に左舷から当直士官に敬礼しているのは実習幹部の当直士官(見習)です。当直士官がやることを一通りこなします。

艦旗降下(掲揚)の際、実際に降下(掲揚)する当直警衛海曹、当番(海士)も、普段は後部甲板に整列する乗員も、どんな天気でも、大湊でも、沖縄でも、ハワイでも、パプアニューギニアでも、同じように整列して、待機します。

神社でパンパンする時のように、清々しい気持ちになります。
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Unknown (tekkaojous)
2019-05-17 06:42:48
ゴリゴリの艦乗り、という表現が良いですね!(笑)
しかし、この時エリス中尉カメラ何を持っていらしたので?
ISO変えるの忘れてたのか、それともマニュアルフォーカスになってしまっていたのか?画荒いしピントも写りも甘々なんだけど……ごめんなさい、ケチつけるつもりは全くないけど、どしたの?
昨晩の某会での壮行会も、私がじかにお会いした限りで先々代までの練習艦隊司令官と、呉の元群司令と、何とミスター愚直たれ様がいらしてました!
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