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「ボブ・ホープと兵士たちに捧げる国民の敬礼」〜サンディエゴ・ミッドウェイ博物館

2020-04-11 | アメリカ

何年にもわたってでれでれとお送りしてきた「ミッドウェイ」シリーズ、
ようやく最終回にたどりつきました。

ハンガーデッキには体験型のアトラクション始め、空いたスペースに
実際の艦載機などのイジェクトシートに座れるコーナーなどもあります。

ヘリコプターや戦闘機のコクピットの部分だけを輪切りにして、
乗り降りのためのステップを設けて子供でも簡単に
操縦席に乗り込むことができるようにしてあったりとか。

国内最大級の空母型軍事博物館は、保存団体や企業、
もちろん海軍と国からの支援もふんだんにあるらしく、
いついっても保存状態がよく、最新の状態に保たれて
歴史を次世代に伝える証言者としての役目を十分に果たしていました。

ベテランや地元の有志からなるヴォランティアの働きによるところも大きいでしょう。

日本での任務を終え、ここに帰ってきたときには、まだ見られるのは一部分で
それから今日までの間、少しずつ展示を拡大していったそうですが、
その試みに終わりはなく、常に進化を続けている、それが
「ミッドウェイ博物館」なのです。

 

さて、3度目の来訪で満足いくまで艦内を見尽くしたわたしは、
「ミッドウェイ」が係留されているピアの隣に突き出した、
「ツナ・ワーフ」という名前の公園にいってみることにしました。

ここにはいくつかのウォー・メモリアルが設立されています。
前にご紹介できなかったこれはレイテ島海戦「タフィー3」の碑。

レイテ沖海戦で功績のあった、

クリフトン・スプレーグ中将

の胸像のまわりに、艦艇の名前がひとつづつ描かれた石が
まるで波の重なりのように並んでいます。

護衛空母

ホワイト・プレインズ」「カリーニン・ベイ」「キトカン・ベイ」

「ファンショー・ベイ」「セント・ロー」「ガンビア・ベイ」

駆逐艦

「ホーエル」「ジョンストン」「ヒーアマン」

護衛駆逐艦

「ジョン・C・バトラー」「レイモンド」

「デニス」「サミュエル・B・ロバーツ」

 

これらは「Taffy 3 」という愛称を持つタスクユニットの艦艇です。

レイテ沖海戦ではいろいろあって、「ジープ空母」といわれる小型空母と、
「ブリキ缶」と呼ばれる
駆逐艦からなるタフィー3は、栗田艦隊の

戦艦4隻(18インチ主砲大和含む )、6隻の重巡洋艦、2隻の軽巡洋艦、
11隻の駆逐艦

を迎え撃つことになってしまったのでした。

結果、「ホーエル」沈没。

「ジョンストン」沈没。

「ガンビア・ベイ」沈没。

「サミュエル・B・ロバーツ」沈没。

「セント・ロー」沈没。

しかし、彼らは返り血を浴びせるような戦いで栗田艦隊に
「鳥海」沈没を含む大損害を与え、スプレーグ中将は

その果敢な指揮ぶりを後世まで讃えられることになりました。

とくに、1時間にわたって戦艦「鳥海」に近づき、攻撃を加えて
傷を負わせ、最終的に沈没にいたらしめ、最後は、「雪風」ら
駆逐艦四隻に集中砲弾を受けて沈没した、

「サミュエル・B・ロバーツ」

は、

「戦艦のように戦った護衛駆逐艦」

という尊称を与えられています。

さて、そのあとは、巨大な「戦勝記念日のキス」が立っている
公園の先端に向かって歩いて行きました。

「ミッドウェイ」の左舷を眺めることができます。
日本なら海に落ちないように柵をつけてしまうところでしょう。

ついでに、「スケートボード禁止」「遊泳禁止」という看板が
変なイラスト入りで立てられるのはまずまちがいありません。
基本的にアメリカは、(ヨーロッパもそうですが)

「こんなところで落ちるのは落ちる奴が悪い」

という自己責任論が徹底しているので、誰が見ても危険なところに
危険と書くような
アホな注意喚起の類は一切行いません。

スケボーやってて海に飛び込んでも、こんなところでやったら
落ちるのは誰だってわかるよね?というのが「普通」の考えだからです。

訴訟大国ゆえ、どんなに予防しても訴える人は訴えるので、
いちいち先回りして対処していたらキリがないと思っているのかもしれません。

時間があってサンディエゴの猛烈な暑さが気にならない人は、
写真の人のように水際に腰掛けて、より高くそびえ立って見える
「ミッドウェイ」を眺めるのもなかなかおつなものでしょう。

こういう軍事遺産が普通に観光用に展示されているアメリカという国が、
日本人のわたしからはとても羨ましく見えます。

「V.J デイのキス」の彫像があるコロナド側に向かって歩いて行きます。
ところでわたしは考えたこともなかったので当然チェックもしていませんが、
女性のスカートの下に立つと、どんなことになっているのでしょうか。

この元ネタとなった写真については、以前

V.J-DAYの勝利のキス@タイムズスクエア

というエントリーで詳しくお話ししたことがあります。
そして、対日戦勝利の日を、V.J-DAYということ、また
この巨大な像のことを

”Embracing Peace" Statue

というと書きました。

そのときには知らなかったのですが、今回地図を検索していて、
この像の正式名称は

Unconditional Surrender (sculpture)

ということを知り、軽く驚いたものです。
この像に「無条件降伏」という名前をつけるとは・・・。

そして、これもちょっとした驚きだったのですが、この像、
スワード・ジョンソンという彫刻家の作品で、ジョンソンは
有名になったアイゼンシュタインの写真ではなく、同じ瞬間を
別の角度から撮っていた海軍写真班のヨルゲンセンのカットを
参考にして作っているということでした。

上半身をアップにしてみます。
全長7.6mといいますから、彼のセーラー服の襟の上に人が立ったら
帽子の上辺に手がかけられるような感じでしょうか。

わたしが最初にこれを見たとき、よくこんな大きなものを
オリジナルの写真通りに作れたなと驚いたものですが、
やはりコンピュータ技術がそれを可能にしていました。

ジョンソンはまず等身大のブロンズの像を制作し、
7.6mの発泡スチロールでモックアップ?を作り、
発泡スチロールは5千800万円、アルミニウムを1億円少し、
青銅で作ったものを1億2千300万円で売りました。

ここにあるのは青銅製のものです。

 

しかし全ての人がこの巨大な「キス」を良としたわけではありませんでした。

わざわざ「ミッドウェイ」の前に建てられたということで、
この真似をしてインスタに載せるカップルには喜ばれても、
その品質が隠しようもなく「チープ」で「kitsch」だ、と
審美的な点から槍玉に上がったのです。

ある否定的な意見の人は

「キッチュというのもキッチュに失礼かと・・。
ただ有名な写真をコンピュータで起こして立体的な漫画にしただけ」

キッチュというのはドイツ語です。
お洒落な意味合いを持っていると勘違いしている人もいますが、
決して良い意味ではなく、「まがいもの」とか「悪趣味」「どぎつい」
「俗うけ狙いの安っぽい映画」などで、いい意味など一つもありません。

(そういう渾名の左翼芸能人がいたけど、あの人はわかってたのかな)

「どんな擁護もまるで土産物用の工場から出てきたような品質で全て覆される」

あまりにも大きなものが海軍基地を望む海辺に建っている、
ということが、美的ではない、と考えた人も多かったということでしょう。

 

わたしの最初に見たときの感想は、こんなでかいものを置く場所があるのは
さすがアメリカいう程度でしたが(日本ではお台場のガンダムもすぐ無くなったし)
今回彫刻に作者がつけた題を見て、作者の無神経さにドン引きしました。

さて、ツナパークを海辺に歩いていくと、
「ボブ・ホープ」という文字が目に入りました。

同時に目に飛び込んできたこれらの彫刻群。
まちがいなく、戦地や部隊で慰問演奏を行う
コメディアンで歌手、ボブ・ホープ(1903〜2003)です。

以前、慰問ツァーで「思い出にありがとう(Thanks For The Memory)」
という持ち歌を歌うボブ・ホープを紹介したことがありますが、
生涯でおそらくもっとも多く軍に慰問に行った芸能人でした。

パフォーマンスの内容は漫談と歌。

戦争が始まったとき入隊しようとして、

「入隊するより慰問するのが君の仕事だ」

といわれた、と日本語のWikiにはありますが、英語の方には
そのようなことは全く書かれていないので、要出典です。

むしろ、英語の方には、ホープが戦争を憎むあまり、ときとして
パフォーマンスで軍隊批判をやっちまって、会場は騒然、
ブーイングが乱れ飛ぶことも何度かあったと書かれています。

両手で兵隊さんが掲げ持っているボードには

「THANKS FOR THE MEMORIES  BOB」

と書いてあります。
「メモリー”ズ”」とあるので、彼の持ち歌の題名にかけて、
「思い出をありがとう」とボブにお礼を言っているんですね。

U.S.O. Bob Hope Troupe entertains U.S. soldiers on Bougainville during World War ...HD Stock Footage

座っている進行係?のワック、パイロット、傷病兵。
消防服を着ている人、上半身裸のアフリカ系。

この彫刻の題は

「National Salute to BOB HOPE and The Military」

ボブ・ホープと軍隊に対する国民の敬礼、という感じでしょうか。

サンディエゴ市、ホープの遺族、そして第二次世界大戦の
レイテ湾の生存者である海軍獣医(というのがいたのだなあと驚き)
によって2009年に寄贈されました。

ポケットハンド、片手に杖?
これもホープのいつものスタイルでしょうか。

拍手する兵隊さんの向こうに看護師とキスする水兵が(笑)

ここにくると、観光客は彫刻の間を歩き回り、
兵士たちと好きに写真を撮って楽しみます。

違和感なく馴染んでます。

ボブ・ホープを囲む兵士の数は15人。
傷病兵が多く、ホープは病院に慰問に来たという設定でしょうか。

ご存知のように、彼は「名誉軍人」とされただけでなく、一般人では
けっして与えられない、海軍艦にその名前を付されるという栄誉
USNS『ボブ・ホープ』車両貨物輸送艦T-AKR-300)を与えられています。

ここに来ると見ることができる「ミッドウェイ」の錨。
「ミッドウェイ」艦体は固定されており、この錨が打たれることは永遠にありません。

ツナパークから見るとその巨大さはいや増して見えます。

 

ところで、現在横須賀に係留してある「ロナルド・レーガン」は、
これよりも
全長にして36mも大きな空母であるわけですが、先日、
日本のある国会議員が、
「いずも」の写真を「ロナルド・レーガン」だと
確信を持って説明していて、そのあまりの無知さに驚きました。

艦橋の形からして次元の違うもんだろうっていう・・。

サンディエゴに一度でも来てアメリカの空母群を実際に見たことがあったら、
(この人はジャーナリストとして軍事の『事情通』を任じているので、もちろん
ないはずはない)間違えるはずがないのですが・・・・。

ミリオタ並の知識は要求しないけど、議員がこれは恥ずかしくないですか?

しかもこの人、紹介していたのは「自分で撮った写真」なんですよ。

ロナルド・レーガンがいつでも簡単に写真を撮れるような場所に
係留されていると思い込む時点で、横須賀の米軍基地について
基本的なことすらわかってないってことじゃないか。議員なのに。

 

「ミッドウェイ」をバックに、国旗のはためく下で
パンフルート?の演奏をしている人がいました。
おそらくリュートのために作られたバロックの作品です。

しばらく聴きましたが上手かったのでお金をカバンに入れました。

パフォーマンスもこういう場所では「愛国」を強調すると
受け入れられ易いのかもしれません。

というわけで、「ミッドウェイ」の右舷全景がみえるところまで帰ってきました。

次があるかどうかもわかりませんが、もしサンディエゴに来ることがあれば、
わたしは何度でもこの場所に帰ってくるだろうと思います。
おそらくその度に彼女は新しい顔を見せてくれるに違いありません。

それに、「ミッドウェイ」は、彼女がその生涯のほとんどを過ごした
かつての母港、日本から来た訪問者を心から歓迎してくれそうではありませんか。

 

 

「ミッドウェイ」シリーズ 終わり

 


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9 Comments

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北朝鮮みたいな (Unknown)
2020-04-11 15:38:07
巨大な「戦勝記念日のキス」は、申し訳ないですが、北朝鮮みたいだなと思いました(汗)

この日はかなりの西風ですね。日差しは強いですが、この旗のなびき具合だと、肌寒かったのではないかと思います。
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ミリタリー・アプリシエーション (ウェップス)
2020-04-11 20:42:18
 戦地の軍人を慰問するのは芸能人にとって最大の栄誉、というのは日本以外の国では常識です。(かつては我が国もそうでしたが)
 アフガン・イラク戦争中も米国の軍向けTVではそういう場面は始終放送されていました。
 あとどうでもいい情報ですが、赤坂にもあるタンクトップとホットパンツのおねえさんがサービスしてくれるスポーツバー「フーターズ」も、ミリタリーアプリシエーションには熱心です。('ω')ノ
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サマール島沖海戦 (お節介船屋)
2020-04-14 10:12:39
レイテ海戦は大きく4つに分けられています。
シブヤン海海戦、スリガオ海峡海戦、サマール島沖海戦、エンガノ岬沖海戦ですがこのほかに基地航空部隊の神風特別攻撃隊等の作戦もありました。

このサマール島沖海戦は昭和19年10月25日サンベルナルジノ海峡の夜間突破に成功してサマール島沖東方で日の出前から夜間配備から昼間配備への陣形変更途中に敵と遭遇し、全軍突撃が下令、追撃戦となった海戦です。
米第7艦隊所属のスプレーグ部隊は護衛空母3隊の低速18ktの護衛空母16隻と駆逐艦21隻からなり、栗田艦隊が発見したのは北方寄りの1隊でした。
スコールに逃げ込み、駆逐艦が煙幕を展張し、少数機が代わる代わる攻撃、駆逐艦が魚雷発射を繰り返す反撃をされました。
そのため射撃用レーダーがないので再三射撃中止、魚雷回避となり距離が縮みませんでした。

それにしても栗田司令部は全軍突撃の下令のみで作戦指導しないばかりか敵を正規空母、重巡を含むと判断したのか、水雷戦隊の第2水雷戦隊、第10戦隊が主隊援護や敵の南東方向退避遮断等の作戦もせず追従するのみで魚雷攻撃をしなかったのか、戦艦部隊、巡洋艦部隊の射撃能力の低さとともに、我が海軍の水上艦部隊の能力低下には唖然とした海戦となってしまいました。
またこの海戦が起きなければレイテ湾に直行突入となったであろうと言われており、取り止めの一因ともなってしまいました。

この海戦での被害は重巡「熊野」が魚雷で艦首切断、「鈴谷」至近弾で左推進軸故障、航行不能、米空母機30機の攻撃により装填中の魚雷誘爆、大破炎上、味方駆逐艦により処分、「筑摩」魚雷で艦尾大破、機械室浸水、航行不能、自沈、「羽黒」米艦爆の爆弾で2番砲塔損傷、「鳥海」魚雷、爆弾命中で大破、駆逐艦「早霜」の魚雷で自沈と重巡部隊が「利根」を除いて壊滅となってしまいました。
参照光人社外山三郎著「図説太平洋海戦史3」、新人物往来社「太平洋戦争海戦全史」「日本海軍艦艇総覧」
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けちょんけちょん (Unknown)
2020-04-16 19:40:09
評論家に徹すれば、外山先生と同じく、栗田艦隊は本来任務であるレイテ湾突入もせず逃げ帰ったと言い切れますが、そこまでの経過を考えたら、ちょっと酷かなと思います。

旗艦(愛宕)を撃沈され、命からがら大和に移乗。この時代でもすでに広大な海域に展開した海戦を指揮するには、通信が要でしたが、頼みの司令部通信員を失い、大和では司令部と個艦通信員との連携がまずく、小沢艦隊がハルゼー艦隊の引き寄せに成功した電報も、栗田長官には伝わらず終い。その後、武蔵を失ったのがとどめでしょう。これじゃ、普通に判断が下せる状態ではないと思います。

外山先生は、戦ってはいない自衛隊では将官にまで栄進されていますが、戦時中は駆逐艦の航海長までしか経験されていません。今頃、栗田さんにこってりやられてるんじゃないですかね(笑)
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評論家? (お節介船屋)
2020-04-17 16:17:55
>けちょんけちょん
私のコメントに対する評価でしょうか?

確かに私は栗田長官の指揮能力はミッドウェー海戦の第7戦隊司令官での「三隈」「最上」置き去りからその資質に疑問がありますが、今回のコメントはエリス中尉のレイテ島海戦「タフィー3」に関連して サマール島沖海戦の戦史を3冊の参照文献を参考に経過や被害を記述したものであり、疑問は外山氏と同様に記していますが評論したものではありません。

またレイテ海戦全般を記述していませんし、外山氏の記述をそのままコメントしたものでもありません。
Unknownさん記述の通信についても西村中将は栗田艦隊の動勢を通信で逐一把握していたとも外山氏以外の文献にも記述があります。スリガオ海峡からレイテ湾突入が無謀であることは西村中将は分っていながら命令計画とおり突入、ほぼ全滅しました。
連合艦隊司令長官の命令を理解しておれば確かに司令部通信要員が不在でも「大和」通信員の連携が上手くいかなくてもレイテ突入は遂行しなければならなかったと思います。
「武蔵」戦闘能力喪失、避退命令はシブヤン海でありサマール島沖海戦ではありません。

大本営海軍部が捷一号作戦として、また連合艦隊命令は全艦隊あげての決戦であり、他艦隊の遂行に比べ、命令とおり実施しなかった栗田艦隊の動向は色々な意見や評論がありますが悪い評価は決して酷ではない思います。
外山三郎氏がお嫌いのようですが「図説太平洋海戦史」は理解しやすい文献と私は評価します。
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お節介船屋さん (Unknown)
2020-04-17 16:51:40
お気に障ったのなら、謝りますが「我が海軍の水上艦部隊の能力低下には唖然とした海戦となってしまいました」は酷だと思います。

サンベルナルジノ海峡を走ったことがあります。可航幅2,500メートルで普通はあり得ない200度以上の変針点がある航海上の難所です。くもクラス2,250トンでも大変でしたが、栗田艦隊は戦艦、重巡洋艦の大部隊で、しかも夜間(我々は昼間でした)ここを事故なく通過しています。

私も、ここを走る前は戦史の結果だけで「レイテ湾に突入せず逃げ帰った」と思っていましたが、平時に走って見て、栗田艦隊のすさまじい練度を実感しました。結果が出せなかったことは残念ですが「能力低下」とまで言われる程ではないと思っております。
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Unknownさんへ (お節介船屋)
2020-04-19 11:12:56
論点がずれているようですのでもう一度コメントします。
サンベルナルジノ海峡を走った経験の判断から我が海軍の水上艦部隊の能力低下は酷との事ですが、戦史にもサンベルナルジノ海峡を夜間速力20ktで23隻が1千mの間隔ですので32㎞の長蛇の列で昼間でも困難な潮流が最大で8ktもある海峡航行を灯火管制で無事突破できたことは立派であったと思います。

サマール島沖海戦は海峡を抜けてた後、対空警戒の昼間の輪形陣に組み替え途中、「大和」のレーダーで前方50㎞に敵飛行機を発見、20分後「大和」が目視で35㎞東方に数本のマストを発見、飛行甲板が見え、飛行機が発着艦をしているのが見え、始まった追撃戦で合戦図にもあるとおり海域は開けていました。

栗田司令官は戦闘隊形など構わず、突撃用意の「全力即時待機」「130度方向に変換」、「展開方向110度」を下令、「大和」「長門」「金剛」「榛名」発砲、第5、第7戦隊突撃を命じました。

「モリソン戦史」にはトーマス・L・スプレイグ少将率いる護衛空母群の3番隊クリフトン・A・スプレイグ少将の護衛空母6隻、駆逐艦7隻の部隊が一番北のサマール島沖で対潜、対空哨戒していました。
「ファンション・ベイ」のレーダーに敵味方不明の水上目標が写りましたが日本軍とは判断しませんでした。
スタンプ少将指揮の2番隊の哨戒機から日本艦隊発見通報を受けましたがハルゼー部隊と誤認、再度日本艦隊との通報、マストも視認、発砲を受け、東方に逃走、駆逐艦が煙幕を張りながら、全航空機を発艦させる努力を実施しました。
6隻の空母は円陣を組み、7隻の直衛駆逐艦は外円上を扇型で警戒、航空機を発艦、また駆逐艦全艦に魚雷発射を命じました。この発射された10本の魚雷の1本が「熊野」に命中しました。
この間栗田艦隊の戦艦岸は主砲をつるべ撃ちしましたが、米駆逐艦の煙幕やスコールで中断、後で米側の被害を記述しますが主砲での沈没があまりありません。
この辺を射撃能力の低下と記しております。
空襲と駆逐艦魚雷攻撃で「大和」「長門」は真北に避航、魚雷と同行となり、10分敵との距離が空いてしまいました。
その間スタンプ少将の2番隊からも約80機の航空機が攻撃に参加、「鳥海」「筑摩」「鈴谷」が攻撃されました。

米側の被害は「ファンション・ベイ」が20㎝の直撃弾、「ホワイト・ブレーズ」15.5㎝弾、「キクトン・ベイ」至近弾、「カリニン・ベイ」のみ「大和」の46㎝弾の直撃があったが沈没していません。
「ホエール」「サミエル・ロバーツ」撃沈、「金剛」「羽黒」「利根」が「ガンビア・ベイ」撃沈、「筑摩」が「ヒーアマン」撃破、沈没させ得ずでした。
2時間の追撃戦でしたが航空機のひつこい攻撃や謀略電報に災いされたりもありましたが態勢を立て直すため集合命令を出し、サマール島沖海戦が終了しました。

上記のごとく、主砲の命中率の低さ、自軍戦いの把握不備、敵を最後まで正規空母と重巡を含むと判断していたこと、敵艦隊の撃滅を考えていたのに正規空母との判断であればなぜ止めたのか、一番近い「利根」「羽黒」から情報を得なかったのか、水雷部隊をなぜ使用なかったのか、魚雷がなぜ使用していないのか?

これに比べ米艦隊は逃げながらも果敢に航空機を発艦、攻撃、駆逐艦の魚雷発射等、我が部隊と比較して見られてはどうでしょうか?海上航行が優秀でも戦い方が上手くなければ戦闘部隊は能力が低いと判断されるのが通常ではないでしょうか。
参照光人社佐藤和正「海戦辞典」

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おっしゃる通りです (Unknown)
2020-04-19 15:12:25
またもやコメントを頂いたので、お返しします。最初にはっきりさせておきますが、理屈だとあなたのおっしゃる通りで、私が言っているのは気持ちの問題です。

自衛隊は戦ってはいませんが、実戦形式の演習もあります。その中で水上艦に取って一番過酷なのは潜水艦部隊の検閲への協力で、簡単に言うと、潜水艦の標的になります。

自衛隊には足の遅い電池力潜水艦しかないので、潜水艦に最大限の攻撃機会を与えるため、水上艦は「Z」の航跡を走ります。水上艦の航路はすべて潜水艦に伝えられており、潜水艦は短い移動で3回の攻撃が可能になります。

一週間くらい掛けて、このコースを走るのですが、虚実合わせて、2、3時間に一度くらいの潜水艦探知があり、その度に戦闘配置に就きます。一週間の間、2、3時間以上、連続して眠れないと、ちゃんとした判断なんか出来ない状態になります。

潜水艦に愛宕をやられ、空襲で武蔵をやられた栗田部隊はそんな感じだったと思います。一方、米軍は日本軍にやられる可能性はなく、余裕綽々で冷静な判断が出来たと思います。

栗田艦隊は、護衛の空母も航空機もなく、やられっぱなしになることがわかっていて、事実そうなり、あろうことか逃げ帰ってしまった。でも、私は、頑張った栗田艦隊をけちょんけちょんに言う気にはなれません。疲れ切って、やり返すことも出来ず、冷静な判断が出来ない状況が想像つくからです。

航海術で優れていても、戦いに勝てなければ意味ない。理屈だとあなたのおっしゃる通りですが、これは気持ちの問題なので、私にはそうは言えない。そういうことです。
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追記:米航空機の戦い方等 (お節介船屋)
2020-04-19 18:01:23
栗田艦隊は飛行機が増えたように捉えましたがスプレイグ、スタンプ隊の航空機が入れ替わり立ち代わりピストン攻撃を実施したのでした。
魚雷を全て使用し、艦船用爆弾がなくなれば陸上用の瞬発爆弾まで使用、それもなくなると雷撃のように低空突っ込みで機銃掃射での攻撃も実施しました。

また駆逐艦は煙幕展張や魚雷次発はないのですが数回攻撃、18ktしか出ない護衛空母を守りました。

日本海軍は遠距離射撃や雷撃を得意としていたはずですが、魚雷攻撃はせず、合戦図で分かりますが右回りに逃げるスプレイグ隊を外を大きく大きく右回りで攻撃していますが速力差が10kt以上あるのになぜ追いつかないか南東方向から逃げるのを遮断しなかったのか、自軍の戦っている状態を把握していなかったのでした。
c・スプレイグ少将の回想録に「日本軍の攻撃をかわすことに専念していたが、日本癌が逃げていくとの信号員の言葉を信じることが出来なかった。最善の場合でも間もなく泳いでいると予期していた。」とあります。
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