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ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

「長き灰色 (グレイ)の列」〜陸軍士官学校 ウェストポイント

2018-09-17 | アメリカ

予告編でもお伝えした通り、今回ウェストポイントに行ってきました。

ニューヨーク州の田舎にある航空博物館と、州都にあった駆逐艦
「スレーター」に行った勢いで、この際ウェストポイントにも行こう!
と我が家で唯一の免許保持者であるわたしが強く主張し実現したものです。

前にも言ったかと思いますが、日本はもちろんアメリカで
一家を乗せてハンドルを握るのはわたし。

運転が苦にならないタイプなので、代わってくれる人がいればなあ、
と思ったことは
全くありませんが、こういう体制でよかったと思うのは、
自分の行きたいところに人にお願いすることなく行けるということです。

もちろんうちのTOという人は、妻の行動を制限したり咎めたりはせず、
むしろわたしが探し出してくるミリ系観光に喜んで同行してくれるので、
一人の時も家族といる時もわたしの乗る車の行き先はわたしの意のままですが。

そんなわたしの家庭事情はどうでもよろしい。
というわけでこの日、車はニューヨーク州のハドソン川沿い、広大な敷地をもつ
U.S. ミリタリーアカデミー、通称ウェストポイントに向かいました。

ナビの通りにフリーウェイを降りたら、そこはなぜかこんな街。
街全体がゴミゴミしていて薄汚く、看板の半分以上がスペイン語。
どうもヒスパニック系のエリアのようです。

言いたくないけど、移民街というのはどこもどうしてこう、
荒れ放題のシャビーで汚らしい雰囲気になってしまうのでしょうか。

他人の国に来てその経済の恩恵にあずかろうとしているだけの移民は、
そのほとんどが、移民先の国家の文化へのなんの敬意も遠慮もなく、
住んでいるところに自国の貧しさからくる混沌を持ち込む。

もともとの住民は眉をひそめてそこから逃げ出し、より一層
「外国化」が彼らの住み着いた地域を蝕んでいく・・・・。

これはアメリカに限ったことではありません。
わたしは最近、
17年前に2年連続で訪れ、いずれもアパートを借りて
月単位で住んだパリの街が、路上生活をする移民のせいで
目を覆うばかりの惨状になっているのを見て心から悲しく思っています。

日本でもそういう地域がそろそろ出て来ているようですね。


それにしても、軍施設、特に士官学校のある地域というのがこれ?
と違和感を感じながら進んでいくと、ある瞬間から急にそこは
上品な雰囲気の漂う落ち着いた、しかし質実な街並みに変わりました。

そうそう、陸軍士官学校の近隣はこうでなければ、と頷きながらなおも進むと、
「ウェストポイント・ゴルフコース」という案内が山間部の道路に現れました。

地図で見るとわかりますが、ウェストポイントが所有している地域は
総面積64.9 ㎢ で、千代田区、港区、新宿区、渋谷区を足したより広いのです。
その中にはハドソン川や山林を含むとはいえ、これだけ面積があれば
そりゃゴルフコースが一つや二つあっても不思議ではありませんね。

というわけでウェストポイント正門に到着。
エイブラムス・ゲートと名前がついています。

ここに来る手前にそれらしい門があったので、入っていこうとしたら、
そこは陸軍の関係者の住居区か何からしく、警衛ボックスにいた一人の軍人さんが、
すわ!という感じでこちらを睨み据えているので、慌ててバックしました。

その表情から見て、おそらくウェストポイント見学に来た人が皆同じ間違いをして、
車で入って来るのに結構うんざりしているんではないかと思われました(笑)

そこからすぐ先に戦車がある正門を見つけたというわけです。

このゲートの「エイブラムス」というのは、

クレイトン・W・エイブラムス・ジュニア将軍(1914-1974)

の名前から取られています。
エイブラムス将軍は1936年陸士卒業、戦車大隊の指揮官を経て
最終的には陸軍参謀総長を務めた軍人でした。

わざわざ台座に「戦車に登ってはいけません」という注意書き。
いたんだろうなー、過去若気の至りでやらかした士官候補生が(笑)

エイブラムスの名誉は、第二次世界大戦の時のヨーロッパ戦線で
パットン将軍を刮目せしめるほどの優れた戦車隊の指揮によるものです。

彼は装甲と攻撃力に優れたドイツ軍の戦車隊を破り、

「バルジの英雄」

と讃えられました。

サンダーボルト、Thunderbolt VII、 M4 A3E8 シャーマン

第二次世界大戦中、エイブラムスが搭乗した最後の戦車だったそうです。

エイブラムス・ゲートから足を踏み入れると、ウェストポイント博物館が
このように威風堂々の佇まいをたたえ現れます。

一般人の見学はオールウェイズ・ウェルカム。
エイブラムス・ゲートは、むしろ広報のために解放されているという感じ。
「本当の」ウェストポイントへの入り口はこの先にあり、そこから先は
一般人は指定の見学バスに乗ってでないと入ることはできません。

しかしここもよく見ると「ビジターセンター」ではなく、

「ビジター・コントロール・センター」

であるのが、観光地ではなく軍の施設であることを物語っています。

ビジターコントロールセンターは入るとすぐロビーになっていて、
そこからは全面ガラス張りの窓を通してハドソン川が臨めます。

窓に近づいて下方を撮影してみました。
こんな小道も舗装して傾斜には階段と手すりをつける至れり尽くせりな感じ。

とにかくアメリカの教育機関の中で最高にお金がかかっているのが
各種士官学校であることは間違いありません。

ハドソン川を眺める窓際には歴史的経緯の説明が設置してあります。

ウェストポイントはかつてイギリス軍に対する防衛の拠点(ポイント)でした。
1780年に、ジョージ・ワシントンがここに設置した要塞が

「フォート・アーノルド」(のちのフォート・クリントン)

です。

そして1778年、完成したもっとも広い要塞、

「フォート・パットナム」(Fort Putnum)

の跡地が、現在の陸軍士官学校となります。

ここには、訪れた人々に陸軍士官学校の歴史と現在を紹介するための
ミュージアムがスクール・ショップと併設されています。

そのミュージアムのエントランスが、これ。

士官学校卒の五人の将軍の候補生時代の肖像が掲げられています。
左から、

ユリシーズ・グラント(1843年卒)

ここにいる人たちは全員元帥位まで昇進した陸士卒の軍人です。

グラントは南北戦争で北軍に勝利をもたらした司令官で、
アメリカ人なら「グラント将軍」を知らない者はいません。

面白いのが、グラントの元々のファーストネームは「ハイラム」なのですが、
陸士に提出するときに間違ってミドルネームがファーストネームで記載され、
本人はそれを気に入ってこちらで通したという話です。

確かに「ユリシーズ」の方がかっこいいよね。

我が日本の西郷従道が、明治政府の太政官記録係に名前を聞き間違えられ、
本名の

「隆興」=「りゅうこう」を「じゅうどう」=「従道」

にされてしまったのを気に入り、
それを本名にしてしまった話を思い出します。

グラントはのちに合衆国大統領となりましたが、政治家としては評価されておらず、
それどころか彼を「史上最低の大統領」に推す人も結構いるようです。

 

ジョン・ジョセフ・パーシング(1886年卒)

もっと正確にそのAKAを加えた名前を書くと、

ジョン・ジョゼフ・“ブラック・ジャック”・パーシング
(John Joseph "Black Jack" Pershing)

ブラック・ジャックとは手塚治虫の漫画の医師のことではなく、
法執行官が持っている棒のことです。

彼は「バッファロー大隊」の起源となった黒人ばかりの部隊を率い、
戦果を挙げていますが、士官学校で教鞭を取ったとき、
あまりにも学生に厳しいので、怖れられ嫌われると同時に、

「ニガー・ジャック」

と黒人部隊の指揮官だったことを揶揄するあだ名で呼ばれていました。
(人種差別が当たり前だった時代ですからこれは致し方なし)

その後、パーシングを取材した記者が、「ニガー」という言葉はあんまりだ、
と考えたのか、一応公的にはそう書くのが憚られたからか、あだ名を勝手に

「ブラック・ジャック」

に変えて報道し、こちらが歴史に残っているというわけです。


ダグラス・マッカーサー(1903年卒)

説明はいりませんね。
マッカーサーが若い時って、こんなにイケメンだったんだー!
とちょっとびっくりしてしまいました。

奇跡の一枚かもしれないと思い、他の写真も調べてみました。
やっぱり男前・・・だけでなく実にノーブルな面持ちの青年ですね。

これなんかもヘアスタイルが今風でいいじゃないですか?

ちなみにマッカーサーの陸士での成績はレジェンドともなっていて、
首席で入学し、全学年首席で通し首席で卒業という凄まじいものでした。
彼以上の成績を取った生徒は史上まだ二人しかいないそうです。

元帥になったからといってクラスヘッドばかりではなく、グラントなどは
どちらかというと後ろの方(人数も少なかったけど)だったそうですが。

ところで昭和天皇陛下と並んで撮った写真のあの人って、
本当にこの美青年の成れの果て?

うーむ、時の流れというのは人を変えるものだのう。

マッカーサーの母はいわゆる「ボミング・マザー」で、彼を溺愛し、
小さいときには女の子の格好をさせ、
ウェストポイントに入学したら
息子心配のあまり学校の中にある
(今でもある)ホテルに、
彼の卒業まで住んで彼を監視、じゃなくて見守っていたそうで、
このため、
彼は

「士官学校の歴史で初めて母親と一緒に卒業した」

とからかわれることになったということです。
すごいなこのカーチャン。


ドワイト・デイビッド・アイゼンハワー(1915年卒)

昔「将軍アイク」というテレビドラマがあったそうです。

平時に16年も少佐のままだったパッとしないアイゼンハワーの軍歴は、
第二次世界大戦がはじまり、連合国の最高司令官になったことから、
わずか5年3ヶ月の間に大佐、准将、少将(同じ年に)中将、そして
大将に続いて元帥にまで昇進するという、アメリカ陸軍史上、
空前のスピード昇進記録を打ち立ててこちらもレジェンドとなっています。

その後彼が合衆国大統領になったのもご存知の通り。

ちなみにアイゼンハワーは原爆の使用には絶対反対の立場で、
トルーマンにも強硬に反対を進言していたそうです。


オマール・ネルソン・ブラッドレー(1915年卒)

この人誰だっけ?とわたしが思った唯一の一人。
卒業年がアイゼンハワーと同じで、つまりこのクラスは二人元帥を出しており、

「星が降りかかったクラス」”the class the stars fell on"

とまで言われたそうです。

歩兵出身の彼はヨーロッパ戦線で野戦部隊を率いて「マーケット・ガーデン作戦」
「バルジ作戦」などを戦いました。


さて、エントランスの写真をもう一度見てください。
五人の元帥の上部に、士官学校の帽子が見えますね?

そう、卒業式のこの瞬間の白い帽子を表現しているのです。
そして、肖像の下の

「THE LONG GRAY LINE」

は、ウェストポイント・アカデミーの変わることないグレイの制服に
身を包んだ、過去から現在に連なる卒業生たちの列を表します。

 

というか、この制服、ブルーじゃなくてグレーだったのか・・・。


次回はこのセンターのなかにあった展示についてご紹介します。

 

続く。



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6 Comments(10/1 コメント投稿終了予定)

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全部、プラモになっています。 (うろうろする人)
2018-09-17 22:48:43
エイブラムス、M4A3E8 シャーマン(愛称:イージーエイトだったかな?)、グラント、パーシング、ブラッドレー・・
タミヤ模型のHPのMM関連のページを見て頂ければ全部アメリカ軍の戦車などの名称として見られると思います。その「いわれ」までは「さわり」だけしか知りませんでしたが、耳にしたものばかりです。
前から少々疑問だったのですが、例えば、もし日本の戦車などに「隆盛」とか「源太郎」とか愛称が付いていても「なんだかな~?」ですが、アメリカ人の感覚ではその辺りは如何なのでしょうか?
僕的(大きく出て日本人的)には語意が分からなくても外国語という事も有り、耳にした感じでは(何でも)強そうで「さま」に成っている気がしますが、あちらでも兵器向きな名前?などは、やはり有るのでしょうか?
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いきなりえらい人 (Unknown)
2018-09-18 01:29:57
外来者向けの展示だからだと思うのですが、最初はみんなえらい人ばかりなんですね。

士官学校は、それまで普通の高校生だった子供達を初級士官に育てるところなので、実際の教育では、えらい人の話(教育)よりも、どちらかというと卒業後に自分達が立つ立場に近い人(尉官や精々、佐官)の話をするんじゃないかと思います。

江田島だったら、佐久間大尉や廣瀬中佐ですね。このミュージアムのような場所でも、候補生向けには、特定の人に関する展示は少ないんじゃないかと思います。
返信する
笹川平和財団提言 (お節介船屋)
2018-09-18 09:11:42
話題が違うのですが
昨日の産経新聞 野口裕之「軍事情勢」に9月10日発表された笹川平和財団からの防衛提言が解説されています。
添付します。
http://www.sankei.com/premium/news/180917/prm1809170004-n1.html
自衛隊の抱える課題や過去現在論議されていた防衛問題の矛盾等が観えると思います。
返信する
Dress Gray (Coral)
2018-09-22 14:46:34
エリス中尉

40数年前にテレビで「灰色の長い線」という映画をみました。以来再放送やDVDで何度も見た映画です。その頃のテレビは白黒で「灰色の・・・」と言われても(笑)

この映画はウエストポイントで50年間教官を務めたマーティ・マーを中心に描かれていますが、学校における学生の様子はそれほど詳しく描かれていないように思います。
そういう意味では「Dress Gray」では4年生の学生を中心に描かれているので学生の先輩、後輩の様子などがよく分かります。特に「名誉の戒律、名誉裁判」は大変興味を惹かれるものででした。懲罰行進や入校間もない1年生はプライベートの些細な出来事で嘘をつき告発されて退校していくシーン、終盤主人公が名誉裁判でぎりぎりに追い込まれながら勝利を勝ち取るシーンは特に記憶に残っています。

原作は小説ですが著者はウエストポイントの卒業生ですから、誇張はあるにしてもフィクションではないように思います。

ウエストポイントはアメリカで一番行ってみたいところのひとつですが、中尉ならアナポリスの方が興味があるように思いますがもう行かれたのでのでしょうか?
それとも、美味しいものは最後にとっておく方ですか(笑)
返信する
みなさま (エリス中尉)
2018-09-24 00:20:00
うろうろする人さん
えー!ということはブラッドレーも戦車愛好家には有名だったのですね。

確かに言われてみると、陸軍元帥の名前はどれも「兵器向き」で強そうですよね。
でも冷静に考えると、「パットン」なんて、あのパットン将軍のイメージがあるから
戦車としても強そうに思えるのであって、語感としては可愛い、という気がします。

日本では人名を武器につけることはしませんが、例えば戦車でも
下の名前でなく、「西郷」「児玉」とかならちょっと強そうでいいかもしれません。

unknownさん
こことは別にウェストポイントには博物館がありますが、そこなどは
偉い人のコーナーばかりです(笑)
入学に際しては必ずこれらをくまなく見学させられるようで、つまり
先人の「グレイの列」に自分も加わるのだ、
ということを叩き込むためにアメリカではどこでも偉い人の話から入るようです。
(沿岸警備隊でも最初にミュージアム見学をしていたのでそう思いました)

日本の場合は、その「先人」が、決して公的には賛美してはいけない
旧軍の軍人なので、あえてあまり触れないことになっているのではないかしら。

お節介船屋さん
リンク先興味深く読ませていただきました。
ありがとうございます。

coralsさん
「灰色の長い線」!
ウェストポイント見学をしてこの展示をもとにブログを書いていなければ
なんのことは全く内容の想像さえつかなかったと思いますが、今ならわかる!
って感じです。そんな映画があったんですか。
調べてみたら、に本題は「長い灰色の線」でした。惜しい。
https://www.youtube.com/watch?v=hsW6828xbFI

トレーラーを見て驚きました。
主演、タイロン・パワー!モーリーン・オハラ!監督、ジョン・フォード!

そして主人公はアイゼンハワーとブラッドレーと同期だったという設定です。
わたしがちょうど見学したところで賞状を渡すシーンがありました。
これはちゃんと観なければ。
教えていただきありがとうございました。

えー、後から思えばワシントンにいるときにその気になるべきだったのですが、
アナポリスが近いことに全く気が付いていませんでした。
くやしー!と地図を見ていて、ここなら行ける、とウェストポイント見学を決めたのです。
まあ、結果的に楽しみを取っておくことになりましたね。
返信する
エリス中尉 (Unknown)
2018-09-24 18:03:21
今よりずっと自衛隊の認知度が低かった1980年代でも、廣瀬中佐と佐久間大尉の写真は堂々と自習室に掲げてありました。

えらい人から学ぶより、初級幹部としてどう身を処すべきかを考えさせる教育方針だったんだろうと思います。
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