ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

原爆追悼碑文とパル博士、そしてオバマ大統領演説

2016-08-06 | 日本のこと

今日のテーマは原子爆弾投下ですので、投稿時間を
8月6日の8時15分にしました。



夏前に訪れた京都護国神社の入り口には「パル博士の碑」が
ここにあると書かれた
案内板があり、それに「社務所にお尋ねください」とあったので、
なにか特別な場所にあるのかと境内にいた権宮司らしき人に聞くと
心持ち申し訳なさそうに、

「そのまま入っていただければ見れますが・・」

じゃあ社務所にお尋ねくださいなんて書かなくてもいいのに、
と思いながら駅の改札のようなゲートに300円投入し、
わたしたちは中に入って行ったわけです。



明治時代からすでにここは全国の招魂社の中核とでもいうべき場所となり、
全国各地の、当時は「鳥取藩」「水戸藩」など藩による招魂社、招魂場が
聖山東山の麓に建立されたので、こういう石段の参道が整備されたのもそのころです。



「昭和の杜」は、澱んだ水と金輪際水を出しそうにない噴水が寂れた雰囲気満点です。 
もう少しデザインをなんとかして欲しかったと思うのはわたしだけ?

国のため いのち捧げし ますらおの いさを忘るな時うつれども



二匹の龍の龍は海軍と陸軍を意味するのかもしれません。
どうやら双龍の口からは噴水稼働時水が出る仕組みだったようです。

今となってはコイン投げの的となり、びっしりと硬貨が乗っています。
おそらくこの5倍くらいの硬貨がこのプールの底には沈んでいるのでしょうが、
底を浚ってそれらが回収されることは今後もないように見えます。





さて、矢印に従って歩いて行くと、パル博士の碑が現れました。

通路に沿った場所で決して大きなスペースではないのですが、
中央にパル博士の写真を嵌め込んだ碑が立ち、それを取り囲む半円形の
壁からなる顕彰碑は、不思議と空間の広がりを感じさせるデザインで、
協賛者の名前、パル博士の来歴とその言葉が刻まれています。



協賛はそうそうたる大企業がずらりと名前を連ねています。

碑はインド独立50周年に際し、日印両国の友好発展を祈念して、
パル博士の法の正義を守った勇気と世界の平和を願った徳を顕彰するため、
博士の愛した京都の地に設立したものである、という説明もあります。

碑の建立は1997年であり、「昭和の参謀」とあだなされた伊藤忠の
瀬島龍三(元陸軍中佐)が発起人の最初に名前を連ねています。



通称東京裁判、極東国際軍事裁判で、インド代表判事として裁判に臨み、
一貫して日本人被告の全員無罪を主張したのがパル判事です。
無罪の根拠はこの裁判の正当性にありました。

裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」

という考えを固持し、判決が下ったあとも、


裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、
罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しない

という考えから、意見書なるものを提出しています。
ここに書かれた文章はその中の一文です。

時が熱狂と偏見をやわらげた暁には
また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には
その時こそ正義の女神はその秤の平衡を保ちながら
過去の賞罰の多くにそのところを変えることを
要求するであろう


これはとりもなおさず、 東京裁判がいずれ時によってその過ちを是正され、
今日の必罰は明日の無罪ともなりうると言っているに他なりません。

パル判事の全員無罪論は、敗戦に打ちひしがれ、さらには
「わたしたちは間違っていた」と連合国からの刷り込みによって信じかけていた
日本人にとって、光明ともなったと言われます。

しかし、パル博士はこれらの意見を親日家の立場から発したのではなく、
あくまでも国際法の専門家として、その信念から述べたに過ぎないのです。
(ちなみに東京裁判の判事で国際法の専門家であったのはパル判事一人だった)

たとえばいわゆるバターン死の行進は明確な残虐行為であったとし、
南京事件も「この物語のすべてを受け入れる事は困難である」としながらも
弁護側が明確に否定しなかったことから、犯罪行為は存在したという考えでした。

パル博士がことにはっきりと断罪したのは、日本の戦争犯罪ではなく原爆投下でした。
ニュールンベルグ裁判と東京裁判を同質のものとしたい連合国に対し、

 「(米国の)原爆使用を決定した政策こそがホロコーストに唯一比例する行為」

とし、

米国による原爆投下こそが、国家による非戦闘員の生命財産の無差別破壊として
ナチスによるホロコーストに比せる唯一のものであるとしたのです。


さて、今年、アメリカ合衆国大統領、バラク・フセイン・オバマ2世が、
アメリカの首長として初めて広島を訪れ、言葉を述べました。
次の日には、思わず(きっとあれは筋書きにはなかったと思う)
被爆者の男性を抱き寄せるオバマ大統領の姿が各紙一面を飾りました。

その男性が40年以上を費やし、原子爆弾によって亡くなった12人の米兵捕虜の
名前を探し当てたアマチュア歴史家、森氏であったことものちに話題になり、
日本での世論のほとんどが、この訪問に肯定的であったという結果になっています。


この時のオバマ大統領のスピーチは感動的でありながら戦略的でもありました。


 Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning,
death fell from the sky and the world was changed.
(71年前、雲一つない明るい朝、死が空から降って来て、世界が変わってしまった)

A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated
that mankind possessed the means to destroy itself.
(閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を
手にしたことがはっきりと示されたのだった)

いや、それを落としたのはどこの国の飛行機なのよ、とこの瞬間突っ込む人も

世の中には、特に日本にはたくさんいるでしょう。
もしパル博士が生きてこのスピーチを聞いたら、やはりそう言ったに違いありません。

オバマ大統領に広島訪問については、アメリカ大統領として謝罪をするのではないか、
と、特に

「原爆は戦争を終わらすために必要だった。さもなければもっと多くの人が死んでいた」 

と未だに教えられ信じている多くのアメリカ人をやきもきさせたと思われます。
オバマはなんといっても大統領になった途端、核廃絶を訴え、そのことによって
ノーベル平和賞をもらってしまった人ですから、
あいつならやりかねん、
と心配する?意見も噴出しました。


ところが、オバマ大統領とそのブレーンは、原爆を、

「人類の災厄であった」

と位置づけ、国の枠組みなしで”我々はともに被害者である”としたことで、
すべての問題をクリアしたのではないかとわたしは思いました。
わたしがこのスピーチの内容を知って、まず思ったのは、

「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」

という原爆慰霊碑の言葉でした。
かつてパル博士はこの碑の前に立ち、言葉を訳させたのち、こう言っています。

 「この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。
もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。
それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。
ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、
その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。
落した者が責任の所在を明らかにして
《二度と再びこの過ちは犯さぬ》というならうなずける。 


この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。
その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。
さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、
石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。
アメリカこそ開戦の責任者である。」 (田中正文氏)



パル博士はアメリカが原爆投下=人類最大の罪を犯したことについて
なんら反省も謝罪もないどころか、戦争の罪を日本にのみ負わせようとしていることを
激しく糾弾する考えを終始持ち続けていました。


ところで、オバマ大統領の訪広が決まった時から、

「オバマ大統領はアメリカが原爆を落としたことを謝るべきか」

については、ほとんどの日本人が”その必要はない”といっていた気がします。
日頃自分たちがやったわけでもない歴史的問題で謝れ謝れといわれて
これに閉口しているということも(笑)大いに預かっていたかもしれませんが、
戦後押し付けられた自虐史観抜きにしても、日本人には

「正当化されると不快だが、だからといって別に謝ってもらってもねえ・・・」

と考える傾向が終戦当時からすでにあったようなのです。
パル博士は広島で行われたアジア会議で、並み居る白人代表を前に
こんなことを言っています。

「人種問題、民族問題が未解決である間は、世界連邦は空念仏である。

広島、長崎に投下された原爆の口実は何であったか。日本は投下される何の理由があったか。
当時すでに日本はソ連を通じて降伏の意思表示していたではないか。
それにもかかわらず、この残虐な爆弾を《実験》として広島に投下した。
同じ白人同士のドイツにではなくて日本にである。そこに人種的偏見はなかったか。
しかもこの惨劇については、いまだ彼らの口から懺悔の言葉を聞いていない。
彼らの手はまだ清められていない。こんな状態でどうして彼らと平和を語ることができるか。」


この峻烈な言葉と裏腹に、会議にはケロイドの痕も痛々しい、いわゆる
「原爆乙女」が登壇し、


 「わたしたちは、過去7年の間原爆症のために苦しんできましたが、
おそらくこの十字架はなほ長く続くと思われます。
しかし、わたしたちは誰をも恨み、憎んではいません。
ただ、わたしたちの率直な願いは、
再びこんな悲劇が
世界の何処にも起こらないようにということです・・・。」 


と述べたとき、初めて会場は感激の坩堝と化した、と伝えられます。


「過ちは繰り返しませぬから」という文言を厳しく糾弾したパル博士に対し、

「原爆慰霊碑文の『過ち』とは戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している」

とし、この碑文を考案した被爆者でもある雑賀忠義広島大学教授は、

「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。
これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。
『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。
そんなせせこましい立場に立つ時は、過ちを繰返さぬことは不可能になり、
霊前でものをいう資格はない。 」

という趣旨の抗議文を送っています。

今回のオバマ大統領の演説は主語を「我々人類」とすることで
誰も責めず、誰も裁かず、もちろん誰も謝罪せずに、人類の受けた悲劇と
それを繰り返さぬ意志を語り、結果的にすべての人を納得させました。

そもそも原爆を落とすことを決めたわけでもない戦後生まれの大統領に
「悪かった」と言わせることには意味がないし、
こういう場合、謝った相手に「どうぞお手をお上げください」というのが
日本人としてよくあるメンタルではないかという気がします。

何より、原爆乙女たちが「私たちに恨みはないし憎んでもいない」といったからこそ、
感極まったアメリカ代表の一人が彼女らに

「わたしはアメリカ人としてこの原爆に責任を感じています」

とおもわず謝罪するなどということも起こりえたのでしょう。
相手に謝れと拳をあげて泣き叫ぶ、というのは本来日本人のDNAにはないのです。

わたしはよく歴史に善悪はない、ゆえに何に対しても謝罪すべきでない、
といいますが、それはアメリカに対しても変わることはありません。
アメリカが自国の立場として原爆の投下をいかに正当化しようとも、
アメリカ人ならばそれは当たり前かもしれない、と思うのみです



その意味ではオバマ大統領の今回の演説は、まことに日本人の心情に添う、

かつ誠実なオバマ自身の美点を表して余りあるものだったと評価します。

オバマ大統領は原爆のキノコ雲を「人類の矛盾」の象徴としました。
暴力を正当化するのはときとして高い信念であり、先端科学は効率的な殺人を生む。
広島はそれを象徴するものである。
道徳の変革なしには科学の変革もおこなわれるべきではなく、
広島はそのためにも象徴として忘れられるべきではない、と。


パル博士が峻烈に糾弾した「人種差別ゆえの日本への原爆投下」についても
オバマ大統領はこのような形で遠回しにですが言及しています。

「アメリカと日本は同盟関係だけでなく、友好関係を構築しました。
それは私たち人間が戦争を通じて獲得しうるものよりも、
はるかに多くのものを勝ち取ったのです。」

これがアメリカで人種的に虐げられてきたアフリカ系の大統領の口から
述べられたことにこそ、わたしは意味を見い出します。



さて、それではパル博士の碑文に対する非難は日本にとって
「余計なお世話」とでもいうべきものだったでしょうか。

わたしはそうは思いません。


日本人がただ恨みにとどまらず、終戦の早い段階から原子爆弾を
「人類の過ち」としてこれを永遠に絶滅すべきであるという域に達したことを、
わたしは日本人としてむしろ誇りに思うものですが、それも
やはりあの時のアメリカの行為についてこのように言ってくれる、
日本人以外の第三者の言葉があってこそという思いは避けられません。

逆に言うと、これをいうのは日本人であってはいけなかったのです。

だからわたしたち日本人は、

「日本があのとき被支配のアジアの盟主となり

立ち上がったからこそ、アジアは解放されたのだ」

といってくれる
多くの東南アジアの独立国リーダーたちに感謝すべきであり、
その中でも

「日本が戦った『大義』を決して見失うな』

と戦後GHQの支配下で、
我々日本人の心を鼓舞してくれた
ラダビノッド・パル博士への恩義を忘れてはいけないと思うのです。