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「”枢軸”をやっつけろ!」〜空母「タイコンデロガ」

2016-08-17 | 博物館・資料館・テーマパーク

空母「ホーネット」の海軍艦船資料コーナー、「タイコンデロガ」です。
「タイコンデロガ」(TICONDEROGA)とはアメリカ独立戦争の時に
イギリスから植民地軍が戦って取り返した「タイコンデロガ砦」からきています。

ちなみにアメリカ海軍の艦名命名基準によると、正規空母は最近まで
戦場の地名(コーラルシー、ミッドウェーなど海戦も含む)か、
あるいは過去の艦名( ボノム・リシャールなど)だったのですが、
最近は大統領の名前というのが定番になりつつあるみたいですね。

ニミッツ級は、フラッグシップの「ニミッツ」以外はほぼ全部大統領です。

違うのは3番艦の「カール・ヴィンソン」と7番艦の「ジョン・C・ステニス」 
だけですが、二人とも下院議員で、いずれも海軍力の増強に努めた、
という功績を称えられています。

一番新しい10番艦の「ジョージ・H・W・ブッシュ」は、パパブッシュの方ですが、
第2次世界大戦でパイロットであったということから命名されたようです。

大統領であれば誰でもいいというわけではなく、おそらく「バラク・オバマ」
という船ができることはないでしょうし、考えたくもないですが、
たとえ大統領になれてもきっと「ドナルド・トランプ」という艦船はできないでしょう。

どんどん寄り道してしまいますが、ふとそれでは「ボブ・ホープ」、
コメディアンの名前が付けられたというのはなぜだろうと思って調べたところ、
この「ボブ・ホープ」、海軍の管理下にあるものの運用は民間人によって行われている
車両貨物輸送船だったことがわかりました。 

なんかほのぼのするかんじが納得です。

もう一つついでに、このことを調べている時に空母「サラトガ」の項を見ていたら、
不思議なことを知ってしまいました。
「サラトガ」も「タイコンデロガ」同様、独立戦争の戦場から取られた艦名ですが、
第二次世界大戦の時には帝国海軍の潜水艦や特攻機の攻撃を受けつつも
武運強く生き残ったこのフネは

「Sara」「Sister Sara」「Super Sara」
「Sorry Sara」
「Stripe-Stack Sara」「Sara Maru」

といろんな愛称で呼ばれていたというのです。

「ストライプ・スタック」とは縦縞煙突のことで、なんだかこういうの、
艦これの萌え化に通じるものがあるわよねえと微笑ましかったりするのですが。
最後の「Maru」は日本の船につける「丸」なんですよ。

「サラ丸たん」ってとこでしょうか。
なぜ戦争している相手の船の名前風にしたのかは謎。
「ソーリーサラ」もよくわからないですが。



「ホーネット」のハンガーデッキの下、昔は士官たちの居住区やパイロットの控え室、
メスなどがあったところは、その部屋の区切りごとに一つの艦が展示を行っています。
「タイコンデロガ」のコーナーはここから始まる、というプレートがありますが、
実はあまり「タイコンデロガ」の資料は多くありません。

間が持たなかったからか、当時のポスターが貼られています。



いつの発行か知りませんが、第二次世界大戦中の「ライフ」表紙特集。
チャーチル、ルーズベルト、下にはムッソリーニの写真がありますね。



光ってしまって見にくいですが、戦時中のお菓子の宣伝ポスター。
MILKY WAY というチョコレートバーは、いまでもアメリカで売っています。
MARS製菓が1923年に発売したお菓子で、戦時中もこのように
戦地への慰問に送られたようです。

「おいジョー、メアリーおばさんが送ってきたもの見てくれよ」

昔のミルキーウェイは今のバー状のものより小さかったようですね。




「あなたたちなしではあの大仕事を終わらせられないんですよ!」

これはあからさまな戦意高揚ポスター。
沈めた日本の艦船の数だけ、主砲に旭日旗をペイントしているのですが、
これがつまり彼らの言うところの「ビッグジョブ」なんですね。

「前進全力」なんて言葉も見えます。

「この仕事」を終わらせるために、何をして欲しいのかと言いますと、
まあつまり志願して海軍に入るとかそういうことなんですけど、
若い男性でなければそれでは何をしたらいいかというと、



国債を買ってくださいな、ってわけです。
確かチャップリンもアメリカで国債の宣伝してましたね。

「あなたが買えば、我々は飛べる」

だそうですよー。




こちらおなじみハルゼー提督を使った戦意高揚ポスター。
ハルゼーは沖縄での台風の時の判断ミスなど、いろいろやらかしましたが(笑)
何しろ国民からの人気はあったので、このように個人の写真が使われたのです。

「家庭で始める勝利」「あなたの海軍を創造しよう」
「HIT HARD!  HIT OFTEN!  HIT FAST! 」
(激しく!休みなく!そして早く!)

こちらも求人ポスターでしょうか。



あなたが”火”(ファイヤー)をくれるなら、
我々は(砲撃=ファイヤーで)奴らを地獄に送る!


いやー、怖いですね。
こういうの見るとやっぱりアメリカ人って闘争的な人種だなと思いますね。
これが日本だと、公の刊行物はせいぜい「撃ちてし止まん」ですからね。
”fire”というのは、銃撃と”火”をかけているわけです。
その下は、


「いざ皆の者、彼らをして射撃し続けせしめよ」

みたいな?



ユーモラスな漫画にに思わずほっこり・・・・しねーよ!

ところでアメリカという国の単純さというか、この「枢軸国」を描くと、
必ず独裁政権だったファシスト党のムッソリーニ、ナチス党のヒットラーに
この、誰かわからない出っ歯で眼鏡のおっさんを絡ませるのですが、
これ、いったい誰?

東條英機のつもりなんだったら、東條は決して「独裁政権の長」
ではなかったし、(そもそも出っ歯じゃないしね)
開戦時真珠湾攻撃の立案・実行を指示したわけでもないのです。

開戦直前の東條は独裁者どころか、首相(兼陸軍大臣)ではあっても、
統帥部の方針に容喙する権限すら持っていなかったのに・・・・。

東條が戦争指導者と呼ぶにふさわしい権限を掌握したのは、
1944年2月10日に参謀総長を兼任して以降なので、いくらなんでも
ヒットラーやムッソリーニと並べるには立場が違いすぎるって気はします。


ここで天皇陛下をいじらなかったのは賢明だったというか、
さすがのアメリカ人も、天皇が日本の戦争指導者であるとは考えなかったようです。

「SET 'EM ON THEIR  AXIS!」

というロゴとともに「枢軸国」の指導者が尻餅をついていますが、
この「AXIS」には 「枢軸国」以外に「運動の軸」という意味があり、

「彼らの”軸”を攻撃せよ!」

で、三人がすってんころりんと転ぶという、おそらく
このアイデアを考えた人は、”誰うま”状態で得意満面だったに違いありません。 



なぜか中国製のタイコンデロガの模型の、しかも箱が飾ってありました。
なぜに。



タイコンデロガのモットーは「自由の守護者」だそうです。

盾の左に IN MARE  IN CAELESTIS とありますが、
どうやらこれはラテン語で「空に、天上に」の意味らしいです。 



オリジナルカップの横にはドーナツ盤のレコードが。
「タイコンデロガ」という曲(多分艦歌)です。
もしかしたらYouTubeに上がっているかと思ったのですが、見つかりませんでした。
タイコンデロガというグループ名のアーティストがいるらしく、
その人たちの曲ならたくさん出てくるんですけどね。



クレア・L・ミラーという人について調べたのですが、何も見つかりませんでした。

パープルハートとは名誉負傷章名誉戦傷章名誉戦死傷章等に訳され、
何を隠そう私も馬から落ちて負傷したときに、婆娑羅大将から授与された
(なにしろ向こうは大将ですから)ことがあります。

受賞の基準は戦闘を含む作戦行動によって死傷したアメリカ合衆国全軍の兵士。
生死不明になった場合にも授与されることがあります。
たとえば、キスカ島沖で日本汽船の鹿野丸に反撃され沈められた
潜水艦「グラニオン」の艦長マナート・L・エーベル以下乗員70名の戦死認定は
なんと2006年でしたが、生死行方不明のまま全員にパープルハート章、
艦長のエーベルには海軍殊勲賞が授与されています。


さて、空母「タイコンデロガ」の就役は1944年2月です。

先ほどの話ではないですが、東條英機が実質的に日本の戦争指導者となったのは
奇しくもこのころからということになっております。

彼女は第二次世界大戦に投入するためにアメリカが造りまくった艦の一つで、
その年の10月からウルシー環礁に進出していました。

ウルシーといえば、前回この「ホーネット博物館」の展示から、
空母「ランドルフ」に突入した特攻隊委員の酸素マスクの話をしたことがあります。

「タイコンデロガ」もここで特攻の突入による損害を受けました。
それについては別項に譲ります。 

続く。