東海岸で見たものについての話が全く終わらないうちに
いつの間にか東海岸から西に移動していたのでした。
今回たまたま窓際を息子から取り返したので、外を見ていたら
珍しく全行程全く雲がなく、移り行く地形を写真に撮ることができました。
これがなかなか面白かったので淡々と貼っていきたいと思います。
ちなみにカメラはソニーのデジカメです。
出発便が朝8時台だったため、ローガン空港近くのホテルに一泊しました。
窓から眺める夕焼けが綺麗です。
いくら国内線とはいえ、いつ行っても混んでいるローガン空港なので、
大事をとって2時間前に空港に到着しました。
無事離陸してすぐに撮った写真。
グーグルマップでチェックしたところ、これは「サフォーク・ダウンズ」といって
競馬場なんだそうです。
去年も確かこんな、なんというか思わず背筋がざわざわしてしまうような
上空から見たヨットの群れの写真をあげたかと思います。
この正体は、ここがボストンでも有名なヨットクラブのある「コーブ」で、
半島と砂州で繋がった小さな島との間の海には、それこそ何千も係留してある
個人のヨットなのです。
まだ朝なので帆を張っているヨットは全くいません。
自分のヨットの場所まではおそらくボートで行くのだと思いますが、
よくまあこんなところをよく間違えずにたどり着けるものだと思います。
専門のタクシーのようなボートがいるんでしょうか。
ちなみに、この左側の「マーブルヘッド」を昔ドライブしたことがありますが、
ここにあるすべての家がとんでもない豪邸ばかりで、驚き呆れたものです。
その先に、小さな島がありましたが、なんとプールが見えます。
もしかして大金持ちが私有している島?と思って調べてみたところ、
これは「チルドレンズ・アイランド」といって、ノースショアのYMCAが
子供のためのデイキャンプを運営しているそうです。
元々はキャットアイランドといい、1700年代には天然痘患者の隔離病院が
ありましたが、本土の住民の放火によって全焼しました。
その後独立戦争時には軍艦の停泊地となり、その後は業者に買収されて
リゾート島になったものの、経営が苦しくなったので売却されて、
次は子供のための療養所となりました。
療養所といっても、病気の子供はともかく肢体不自由児までが収容されていたようで、
要はていのいい「いらない子供捨て場」ではなかったのかと思われます。
いずれにしても昔の技術では水の確保に苦労したため、療養所も
1946年には廃止になっていたということだそうです。
今回は前もってHPをチェックしてリコンファームもしておいたので、
ちゃんと食事の出るクラスに乗ることができました。
リコンファームなんて大昔の慣習だと思ってたぜ。
ユナイテッドは、アメリカンやデルタよりはマシなものが出ます。
全行程不思議なくらい雲の見えないフライトでしたが、
こんな可愛らしい雲がなぜか一つだけポツンと浮いていました。
よく見たら何か乗っていそうです。
しばらく行くと・・・、そう、カンザス州あたりでしょうか。
緑が比較的少ない南部の州にかかったころ、こんなものが頻繁に見えだしました。
たくさんある地域があれば、こんな風にたった一つポツンとあるものも。
これは
センターピボット (Center pivot irrigation)
というもので、乾燥地域において行われている灌漑農法なんだそうです。
乾燥地域でも大規模に作物を栽培できるよう、地下水をくみ上げ、肥料を混入した後、
自走式の散水管がまるで時計の針のように回って円形の地域に水をまくのです。
散水器は、一日1~12回程度同じところを通ります。
飛行機からこんなに見えるくらいですから、平均は半径400m、
大きいものは半径1kmにもなるそうで、なるほど、その部分だけに
作物が育っているので「緑の円形」が砂地に出現するわけですね。
まだ設置されたばかりの円形では、まだ緑が薄かったり、全くなかったり。
中には4分の1しか作物が育っていない円形もありますね。
しかしこの灌漑農法、等高線耕作を無視して土壌流出が起こったり、
塩害が発生したりと、問題も大変多いのだそうです。
また、地下水の枯渇や、化学肥料による地下水(飲料水)の汚染が問題となっているとか。
まあ、こういう「砂漠に花を咲かせる」ことも可能にするのも、
その後の「資本家の倫理」で後に引けなくなって突っ走るのも、
さすがにアメリカではスケールがでかいというか(嫌味です)
ほんの小さな砂だまりに見えますが、ピボットが直径800mとしたら
横の長さは6〜7kmはあることになります。
いかにも水の少なそうな平地をしばらく行くと、山脈が横たわる一帯が。
ここはおそらくコロラド州に入るあたりだとおもわれます。
砂地の中にポツンと緑の部分が!
ここも人口の灌漑地で、おそらく右上に民家があります。
こんなところに住むって、どんなんだろう・・・。
自家用機の飛行場もあるみたいですが、これでは「隣」が何百キロも先。
砂漠の中にくっきりと浮かび上がる車道。
おそらく、1日走っても他の車と全く出会わないに違いありません。
昔ボストンからサンフランシスコに引っ越すとき、荷物を別送にして
車で大陸横断を計画したことがありますが、改めてこういうのを見ると、
運転する人間が一人で、しかも2歳の子供連れ、車はトヨタカムリでは
とうてい無理ゲーだったとしか思えません。
もちろんモノの本にはコロラド山脈などを避けたルートが紹介されてましたが。
そのとき読んだ本に
「ガソリンは半分まで減ったら必ずすぐに給油すること」
「夕方以降は絶対に走らないこと」
と書いてあって、軽く戦慄したのを思い出しました。
舗装してある道は上空から見るとわかります。
砂漠の真ん中の道ながら、何台かの車が走っているのが見えました。
まあでも、こんなところで夕方ガス欠になったらもう終わりですよね。
きっと日が落ちたら気温は零下になるとおもいます。
なんかすごく無理して水のないところに水を引っ張ってる感じ。
これもきっと地下水をくみ上げているのだと思われ。
そこまでしてどうしてここに農場を、と問い詰めてみたい。
家もないのに飛行場。
これは自然湖。
コロラド州に入って、だんだん緑が増えてきました。
この頃、アメリカの南部は猛烈な暑さに見舞われ、それがニュースになっていましたが、
この辺りでは雪が山脈に残っています。
スキー場で有名なアスペンもコロラド州にあり、冬季オリンピックの行われた
ソルトレークは隣のユタ州のおなじ山脈一帯に位置します。
アメリカのドラマを見ていると、「アスペンでスキー」というのを
決め台詞のようにつかっていることがよくあり、どうやらここは
リッチな冬のレジャーをする場所としてアメリカ人がイメージしていることがわかります。
とっても気持ちの悪い?沿岸線なのですが、これはグランドキャニオンの少し北、
ユタとアリゾナ州の州境にあるパウエル湖から出ている河の支線だと思われます。
グランドキャニオンのような赤いメサなどがあるこの地域に溜まった水は
このようなくにゃくにゃした湖の形を作り上げるのです。
山の麓の湖から流れてくる河が、山の裾野に緑の地帯を作ります。
ヨセミテ国立公園の上空を越え、カリフォルニア州にはいったところ。
手前にあるマクルーア湖から流れるマーセド河に沿って街ができています。
緑の地帯はマーセド、モデスト、ターロックなどの街。
サンフランシスコまであともう一息です。
大変目立つこの真ん中の貯水池ですが、周りにゴミ処理場があるとだけ・・。
地図を見ても名前がなにも付いていません。
サンフランシスコの手前に「メンデンホール・スプリングス」という名前の山脈が横たわります。
この上空を飛んでいて、まるでリボンのような直線が稜線と無関係にあるのに気付きました。
よくよく目を凝らして見ると、それは電線で、つまりこの直線にそって、
峻険な山の中に鉄塔が延々と連なって立っているということなのです。
あらためて人間ってすごいことをするなあと感心する眺めでした。
そして山脈を越えるとお馴染みのこの光景。
この地域には「スラウ(slough)」と呼ばれる場所が多く沼地を意味するのですが、
ちょうどサンフランシスコの東側というのはとことん入り込んだ
深い湾なので、このあたりは海といっても「流れ」というものが全くないのです。
この辺りを走っていると、真っ赤な苔があるのでこれなのかなと思っていたのですが、
今回調べてみると、ここには塩田があるのだそうです。
地図を見るとこういうカラフルな部分に「ソルトポンド」(塩の池)と書いてあります。
このあたりは雨が少ない(夏場は)ので、長年この古来からの方法で塩を作っていますが、
蒸発の過程で、海水の塩分の濃度がだんだんと高くなってくると、
この手前のように緑からだんだん赤くなってくるのだそうです。
藻が発生したりエビが発生するから、という説もあるようですが、
実際はどうなのかわかりません。(というかそれ以上調べませんでした)
いまいるパロアルト、レッドウッドシティの向こうは太平洋に面した海岸がありますが、
その手前に山脈が横たわっており、そこにはいつもいつもいつも(笑)
まるでクリームのような濃い雲がかかっているのです。
この雲こそが、サンフランシスコの海岸沿いを「世界一寒い夏」にしている原因です。
ふと気づくと、向こうに同じ速度で空港に向かって飛ぶ飛行機が。
超混雑空港であるサンフランシスコ空港では、滑走路が平行に三本、
しかもほんの少しの時間差で2機が着陸することはしょっちゅうなのです。
そのことを、わたしはこの空港の対岸?にある、このコヨーテポイントの
「飛行機観測場所」から見ていて知りました。
このコヨーテポイントには、大戦中のごく短い間、商船アカデミーがあって
戦争に駆りだすための民間船に乗り込む船員(でも士官待遇)を養成していました。
このことについて去年の見学を元にまた書きますのでお読みください。(宣伝)
着陸5秒前、滑走路の端。
着陸後、タキシングしている時に撮った「さっき横を飛んでいた飛行機」。(たぶん)
空港のハーツで車をピックアップ。
ロットにはプリウスが停まっていましたが、GPSがなかったので
取り替えてもらったら、マツダのインフィニティでした。
ただし1日のレンタル料は少し高くなりました><
今日からここに1ヶ月滞在します。
例年キッチン付きのホテルに泊まっていましたが、近年パロアルトの物価が高く、
ホテルの宿泊費がとんでもなく高騰してしまったので、
去年、魔が差して安くあげようと変なインド人経営のホテルに泊まったところ、
2日目に火事が起こり、まさに安物買いのなんとかになってしまいました。
今年こそ安心して1ヶ月住まえるリーズナブルな場所を、と探していたところ、
商店街に近く、学校まで10分の住宅街に月貸しのアパートを見つけました。
いまこれを作成しているのは写真の右上の窓の部屋です。
家主は今度もインド人でした(笑)
でも今度のインド人はちゃんとしていると思います。
というかそうであってほしい。そうであるべきだ。そうであればいいな。
まあ、いまのところアパートのファシリティは完璧です。
この夏はここで一ヶ月を過ごすことになります。