◎仏もむかしは凡夫なり
(2022-05-25)
2022年5月22日のNHK 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、源頼朝以下が鶴岡八幡宮に参集し、義経の愛人にして絶世の美女静御前(石橋静河)の辞世の舞を観覧した。その装束は、水干に、立烏帽子、白鞘巻と男装であって、歌って踊る。それだけでも当時はインプレッションのあるものであったろう。宝塚歌劇団の男役の走り。
仇敵となった鎌倉方の有力武将が居並ぶ前で、義経が彼女と「しづや、しづ」と交わした睦言を披歴して、悲恋を慨嘆したことは、女が恋に死ねることを示す。(しづやしづのおだまき繰り返し、昔を今になすよしもがな
:おだまきの糸を巻き戻すように、義経様が「しづや、しづ」と恋しく呼んでくれた当時に時間を巻き戻したいものだ。)
ところで平清盛の愛人だった祇王。祇王も白拍子だったが、新たな愛人の仏御前に清盛の寵愛を奪われ、憮然としつつ清盛の何回もの呼び出しにすねつつ応じた今様。
仏もむかしは凡夫なり
我らも終(つひ)には仏なり
いづれも仏性具(ぶっしょうぐ)せる身を
へだつるのみこそ、かなしけれ
寵愛のことしか胸中になかった彼女でも、「釈迦ももともと凡夫であって、私たちもついには仏となる」と歌うほどに、これが社会通念だったことに驚かされる。
現代社会もこの程度のことが社会通念となれば、社会のギスギスは大きく変わると思う。平安時代から鎌倉時代初期と言えば、方違え、陰陽道全盛で、霊が病気や異常気象などの現象に作用するなどの軟弱スピリチュアルの時代と見られるが、むしろ現代人より人としてまともだったかもしれない、と思う。