アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

大量生産の時代の終焉

2023-08-13 07:11:58 | 時代のおわりneo

◎日本は良くなりすぎた

(2016-03-16)

 

出口王仁三郎は、大量生産の時代の終わりを予見している。

物に仮託して精神的な価値を求める時代は終わるということ。要するにブランド品を金で手に入れていささかの満足を得る時代は過ぎ去ろうとしているということ。

食事も、今でこそコンビニで腐らないご飯や硬くならないパンなどを売っているが、つい2、30年前までは、食事は作ったらすぐ食べるのが基本で、干しもち、かれいい、ほしいいなどの保存食はあったが、決して日常食ではなかった。

 

「次の時代は寂しくなる」と出口王仁三郎は歎ずるが、その主因は人口の大減少にある。

中国地方に10万都市一つ、関西地方に10万都市一つみたいになるのでは、そもそも大量生産設備、部材原材料の調達と製品の配送のロジスティックスはペイしないから、大量生産はその人口規模では成立しないだろう。また工場のための人員も集まるまい。

日本の人口は、マイナスに転じた。日本は良くなりすぎたと思うのは、心ある日本人だけでなく、訪日外国人もそう思っているかもね。よかれあしかれ、そういう日本にも末路がある。

 

ああ七福神の楽遊び。

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最終戦争以後

2023-08-13 07:09:04 | 古神道の手振りneo

◎隠されていた大本神諭

(2015-11-21)

 

出口ナオ帰幽後に拝読を許された大本神諭(明治四十三年旧四月十五日)の一部。

 

改めて見てみると、この前提となるシチュエーションは、霊界での神と悪魔の最終戦争が完了し、霊界からの落ち武者が現界に影響を与えて、世界が大混乱になって、現世でも世界の立替えが行われんとするところから、再興段階において活躍できる人材のリクルートと、その人たちの活躍の確言である。落ち着いて冥想修行しなさいということ。

 

日本の立替は、大本神諭にあるとおり、三、四月、八、九月。

 

大意:

『2代教祖出口スミ、3代直日は言うに及ばず、出口王仁三郎もよほど骨が折れる。これからは出口王仁三郎がご苦労するが、天命を尽くせば、世界のヒーローとして末代まで名を残すだろう。

 

神と悪魔の最終決戦後、世界は寂しくなるが、堕天使に影響された人間が大本に寄って来る。世界から利己的な人も集まってくる。神の言うことには間違いないので、安心して身魂みがきに努めなさい。そのタイミングになったら、誠の守護神が出てきて、二度目の千年王国再興をサポートする身魂が集まってくるから、大本は忙しくなる。

日本魂(やまとだましい)の誠の者がいないといっても、今では説いて聞かせば分る身魂が、千人に一人は国々所々に隠してあるから、正勝の時には神が憑いて、身魂相応のパフォーマンスをするぞ。

そのタイミングになったら世界全体が百花斉放。艮の金神たる大神の神徳が世界中に輝き渡り、歓こんでキリキリ舞をする身魂と、恐ろしくてキリキリ舞をする身魂とが分かれて来て、世界は上ったり下がったりで、大騒ぎを一旦はするが、太古から仕込んでおいたメカニズムが水も漏らさず働くようにしてあるので、天地が動いても大したことはないけれど、悪の守護神が宿って居る肉体は、誠に気の毒なものである。

この本当にステキな日の本の神国を、外国魂の悪神に勝手放題に汚されて、神は誠に残念だが、タイミングを待ってリベンジするのだから、思い当たる守護神と人民は一日も早く神を知って、元の日本魂に立帰っていて下さい。』

 

 

原文:

『後は二代三代は申すに及ばず、海潮どのが余程骨が折れるから、今の内に十分の覚悟を致して居りて下されよ。是からは何につけても海潮どのが御苦労であれど、此の御用天晴り勤め上げたなれば、三千世界に又と無い結構な御方と致して、末代名を残さして、御礼を申すのであるぞよ。

世界が淋しく成るから、神界の落武者が人民に憑りて、此の大本へ詰かけて来るから、余程身魂を研いて置かんと、耻かしい事が出来いたすぞよ。世界の鼻高も、今度の御用に使ふて欲しいと申して、段々詰めかけて来るぞよ。

神の申した事は毛筋の横巾も間違いは無いから、安心して御用を勤めて居りて下されよ。そこに成りたら誠の守護神が出て参りて、今度の二度目の世の初まりの御用を助ける身魂を何程でも引寄せるから、此の大本は眼の廻るほど何彼の事が忙しく成るぞよ。日本魂の誠のものが無いと申しても、今では説いて聞かせば分る身魂が、千人に一人は国々所々に隠してあるから、正勝の時には神が憑りて、身魂相応の御用を致さすぞよ。

そこに成りたら三千世界が一度に開く梅の花。艮の金神国常立尊の神徳が世界中に輝き渡りて、歓こびてキリキリ舞をいたす身魂と、恐ろしくてキリキリ舞を致す身魂とが出来て来て、世界は上り下りで、大騒ぎを一旦は致すなれど、昔からの経綸が水も漏さんやうに致してあるから、天地が動いても別条はないなれど、悪の守護神の宿りて居る肉体は、誠に気の毒なもので在るぞよ。

斯の結構な日の本の神国を、外国魂の悪神に自由自在に汚されて、神は誠に残念なれど、時節を待ちて返報がやしを致すのであるから、心に当る守護神人民は一日も早く改心致して、元の日本魂に立帰りて居りて下されよ。』

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正師なくして悟る人

2023-08-13 06:42:32 | アヴァターラ神のまにまに

すぐにも教師を見いだせぬ者は虚しく一生を過ごすしかない

 

人は正師なくして悟りを得ることはできないが、例外的に正師なくして悟りを得た人間もいる。それが、OSHOバグワン。(ボーディダルマは達磨のこと。達磨は著述を残さなかった。)

 

すぐにも教師を見いだせぬ者は虚しく一生を過ごすしかない。人に仏性があるのは真実だが、教師の助けなくしてはついに会得することはできない。教師の助けなく悟るのは億万にひとりの者 だ。

 

これはボーディダルマからじかに来ているものだと言っていい。これは記録を取っている凡庸な弟子の能力を超えている。いかに学識を積んだ弟子であろうと、このようなことを口にすることはできない―――教師の助けなく悟るのは億万にひとりの者だ。ボーディダルマですら師の助けなくしては光明を得ることができなかった。』

(ボーディダルマ/和尚/めるくまーるP90から引用。ゴシック部分は経文。)

 

ここで、OSHOバグワンは、正師の役割とは確信を与えることであるが、それは、弟子に冒険心がないからだと説明する。さらに

 

『だが、いままでに起こってきたことはそうではなかった――教師の助けなく悟るのは億万にひとりの者だ。

たぶん私はそのひとりの者だ。なぜなら、私の知るかぎりでは、人類の歴史全体を通じて師を持たなかった〈光明〉の人はひとりもいなかったからだ。だがボーディダルマは、自分自身には師がいたにもかかわらず、その事実と可能性を認識していた。そして私は、彼の言明を成就した―――教師の、師の助けなく悟るのは億万にひとりの者だ。

(上掲書P91から引用)

 

ここで達磨自身は、正師のサポートを受けて悟ったにもかかわらず、正師なしで悟る者のいることを指摘したとする。その極めて稀な実例がOSHOバグワンであると自ら明かしている。

 

OSHOバグワンは、無師独悟の体現者としてそれを実現できる要件は冒険心だと明かす。冒険心とは彼のたゆまぬ好奇心と試行錯誤を恐れず進んで行くところ。一生をふいにする危険をも恐れないというのがその冒険心。断じて行えば鬼神もこれを避くので。そうした人には神仏もサポートするのだろうが容易なことではないだろう。

 

そしてOSHOバグワンは、ここで“新しい人間 new man”には冒険心があふれているから正師なしで悟る者が出ると予告している。この点については、悟りのメカニズムを知的に理解し、悟りとは自分と自分の宇宙を棄てることだと納得し、さらにその先に何かがあるだろうと確信できるほどに「生きるエネルギーが横溢している人」なのだろうと思う。新人類なら大体誰でもできるとかそういう類のことではない。

世界は人口激減し、寂しくなることを見ているのだろうか。

 

またOSHOバグワンが、正師なしで悟ったことは、不思議なことだが、この書が出版される以前の生前のダンテス・ダイジが指摘しているところでもある。

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