アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ダンテス・ダイジ、悪魔からの超越を語る

2023-08-09 06:47:06 | ダンテス・ダイジの風光

◎暁の明星が釈迦を導く

 

釈迦成道直前に悪魔が出現することを例にとり、その時何が起きているのかを、ダンテス・ダイジが弟子たちを前に説明している。

 

ダンテス・ダイジが、釈迦成道直前の7日間を題材にして、釈迦はどのように大悟直前に出現するという悪魔を超越したかを語っている。悪魔は形を変え品を変え数回出現し、最後は大悪魔が登場する。最後の成道では、逆転のニュアンスがある。

 

この話は何回かカセットテープで聞いたことがあるが、お恥ずかしいことだが、全容の意味がつかめたのは何十年も経ってからのことだった。自分の出来の悪さを差し置いていえば、こんな高度で込み入った説明を、ダーっと一気に聞いて理解できるだけでももう相当にいい線行っている人なのだろうと思う。

 

『弟子「お浄めっていうのは、ダイジから見たらどういう感じ?」

ダイジ「それは誰がお浄めするかによる。」

 

弟子「お浄めっていうのは、求道者の立場から見れば、自分が修行するんじゃなくて、誰かの傍にいって受けるっていうことでしょ。」

ダイジ「実際は、どんな突っ張った人だってね、必ず誰かの傍について受ける形になるんだ。

独覚ってあるだろ、仏教の概念で。でも、厳密な独覚なんてただの一つも存在しない。」

弟子「釈迦もそう?」

ダイジ「もちろん! それは暁の明星がお浄めをしたといってもいい。釈迦の場合。あるいは、釈迦の場合はね、悟りに至る七日間があったんだ。奴さん、いろんなことやって、苦行して、無想定なんて簡単に入れるぐらいになった。奴さん、達者だからね、自分の瞑想の、禅定家っていうんだけどね、本当に禅定家だ。自分の意識のレベルを自由に持っていく術を体得している。

 

しかしそれでさえ、全然解決にならんということが、いやというほど分かった。だって、意識のレベルを変えたって、そのとき問題ない意識のレベルに入る、無に入る。が、出てきてみろ、相変わらず問題は続く。で、そんなことじゃどうにもならない。それにもう一切のものを付け足しても、どうにもならない。よーし、じゃあ俺はもう、本当に全部が吹っ切れるまでここを動かん、って言って、あの菩提樹の下でさ、座り込んだ。で、こうやって座り込む。そして、一日経ち、二日経つ。そして三日目だ。

 

三日目にね、女房が現れたんだ。ヤソダラって言ったか、女房が言う。『なんて貴方は薄情な人。自分のことしか考えてないのね。私はこんなに愛してるのに、何でそんな突っ張ってるの。馬鹿げたことは止めてよ。』そのヤスダラときたら、抜群の美人だ。(笑い)が、釈迦はそれを見つめる。だって今更どうなることでもない所まで来ちまった。それくらい神経症が高じてきた。そうすると、ラーフラという子供が現れる。『お父ちゃん、一緒に遊ぼうよ。人間は生まれていろんなことをして死んでいくものでしょ。それなのに、なんで、お父ちゃんはそんなバカげたことやってるの?一緒に遊ぼうよ。』

 

…が、何かがおかしい。本当はおかしいものなんか何一つないんだが、釈迦にとっちゃおかしい。何かおかしい。

それで釈迦は言うんだ、ヤソダラとラーフラに向かって。『悪魔よ去れ。』

でも相変わらず、まだ付きまとってる。

 

そして四日目。ヤソダラとラーフラと、一緒に修行してた4人ばかりの弟子が現れる。そして、それから、父が現れる。親父さんの王国、そんなに大きい王国じゃなかった。

常に外敵と戦ってる。今とても危険に瀕している。それで親父さんが言う。『なあ、シッダールタよ。そんなバカげたことを止めて、俺を手伝ってくれ。お前にはその気力もあるし迫力もあるんだ。お前がもし俺を手伝ってくれれば、この国も安泰だし、この国の住民もすべて平和に暮らせるじゃないか。なんでそんな訳の分からないことに一生懸命専念してるんだ?』それで、釈迦は言う。『何かおかしい、やっぱり。』で、『悪魔よ去れ。』が、一向去らない。

 

そして五日目に入る。五日目になると、今度はそれに付け加わるのが、あれが現れた。アングリマーラ、悪魔だ。言うんだ。『あなたは元々、偉大なることを完成するために生まれてきたんだ。あなたがもし今立ち上がれば、転輪聖王となって、世界すべてに完全な平和を与えることができるんだ。

なぜそんなつまらない、ちっぽけな所に座り込んで、何かに頑張ってるんだ。しかも、あてもないというのに。

何をやってるんだ、一体あんたは。あなたは大いなる星の下に生まれたんだ。今より転輪聖王となって、すべての人々の調和を実現したらいいじゃないか。あなたには十分その力がある。

 

そうアングリマーラが言ったときに、すべての、今まで出会った、父、釈迦を生んだと同時に死んだ母、そして子どもであるラーフラ、妻であるヤソダラ、一緒に修行した4人の仲間、それらすべてが現れる。『一体あんたは何を目指してるんだ?』みんな言う。『生まれて死ぬのは人間の定めじゃないか。生まれて、年老い、病気にかかり、死ぬ。それでいいじゃないか。何をあなたはこだわってるんだ。一体何が問題なんだ?』

そしてその間で、やっぱりおかしい。釈迦は一向にピンと来ない。酷いなあ、どうしようもないノイローゼだよ(笑い)。おまけに今度は、サタンというか、デビル、地獄の最高の王者が来てさ、自分の目の前で礼拝するんだ。

 

六日目だ。『あなたほど偉大な者はない。あなたが今立ち上がれば、すべては解決する。

あなたがつまらないことに囚われているおかげで、どうしようもなくなっている。そんなつまらないこと、一体何のあてもないじゃないか。何を頑張ってるんだ?あなたには人々を幸福にする力が十分備わってるんだ。止めろ止めろ。あてもない瞑想して一体何になるんだ。』そしてヤソダラの愛しい姿が現れる。ラーフラの、愛しい可愛い姿が現れる。一緒に求道活動を送った友人たちの、とても好ましい、爽やかな付き合いが現れる。それから父の愛情、父性愛が、じかに伝わってくる。

 

『ああ、俺は、これほどまでして、悟りなんてわけの分からんものを求める必要が一体あるのか?もう、当たり前に、人間らしく、それらに溶け合って、その中を生きればいいじゃないか。何で俺はこんなに頑張ってるんだ?』自分の中で声がする。『もういいじゃないか。もういいじゃないか。』『いや、よくはない!人は死ぬんだ、生まれて生きて死ぬんだ。それだけであっちゃいかん。絶対いかん!』

『いや、いいんだ。いいんだ。それでいいじゃないか。何をそれに付け足すんだ?』

 

そしてまたアングリマーラが礼拝する。『あなたはもう転輪聖王だ。あなたはもう最高の人間だ。あなたが為すことで不可能なことは一つもない。あなたが今立ち上がれば、すべての生命が喜びに燃え上がるんだ。さあ、立ち上がれ、立ち上がれ!立ち上がって下さい!』大魔王アングリマーラは礼拝するんだ。

だが、自分の一番深い所で何かがおかしい。何かが。一切の懐かしいものが自分の前に現れる。その懐かしいものを捨ててまで、なおかつ究極のものを求める意味なんて一体あるのか?それほどまでに愛しいものを捨てて、その先に一体何があると言うんだ?が、その瞬間、何かが、何かが…

『悪魔よ、去れ!!』

 

そしてそれはもう七日目になっていた。その瞬間、初めて分かった。究極を求める、その求めるという心、それだけが迷いだったんだ。そして、釈迦は目を開いて、暁の明星を見る。何一つ問題はなかった。すべては完璧だったんだ。今となっては何もかもが仏だった。何もかもが成仏していた。アングリマーラ、あの大魔王さえ。神だ、何もかもが。山川草木一切成仏っていうのは、そのことだ。そして、釈迦はその中にいる。いつでもそこにいたんだ。いつでもここにいた。

ただ自分の必死な欲望、自分の必死な求め、それのみが迷いだった。いや、それさえも迷いではない。それさえも神だったんだ。分かるかね、宇宙という花が開くという意味。人間の結論なんてみんな、花が開く過程の、その時々にすぎない。そしてそれは常に移り変わる。晴れた日もある、暴風雨の日もある。が、それは、同じ空の違った表情にすぎない。荒れた海もある、とても静かな海もある。でもそれは、同じ海の違った表情に過ぎない。そして君は知るだろう、君が海自身であることを。君が優しさそれ自身であったことを。」』

 

まとめ:

1.悪魔の誘惑は大悟直前に複数回発生。まさか愛しい妻子や両親まで悪魔とは!この辺についてはイエスの大悟直前に出現する悪魔と比較し、釈迦とイエスの自我の成熟ぶりの違いを別の場所で指摘しているシーンもある。釈迦の方がより文明生活を経てきているのだ。

2.大悟の水先案内は、誰か高級神霊ではなかった。暁の明星だった。明星がその役割を果たしたのは、空海とクリシュナムルティもそう。一般に本人の頭頂の口を切るのは2、3柱の高級神霊だと言いながら、この話のような説明をも出しているわけだ。

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