◎virtual walkingでイエスの最後のルートを辿る
キリスト教徒でもないので、イエス・キリストが、鞭打たれながら十字架を背負わされ、ゴルゴタの丘まで歩いたヴィア・ドロローサ=苦難の道を、今生で見ることはないと思っていた。酷暑の室内散歩のついでに、ヴィア・ドロローサをyoutube検索してみるとあるわあるわ。https://www.youtube.com/watch?v=UhCBB_hCIeY&t=4s
ヴィア・ドロローサは山を登り山を下りる道であって、ゴルゴタの丘は、今は建物がびっしり建っている区画にあるんですね。本の挿絵やTVで編集されて断片的に見るのと違い、ヴィア・ドロローサのどこを曲がると聖墳墓教会(ゴルゴタの丘)に着くのかがわかる。途中にはイエスに倣って巡礼者が担ぐ大型の木製十字架まで何本か置かれている。
パックツアーなどでリアルでここを観光すれば、ひったくりと物売りに注意しながら、また聖墳墓教会の昇天した祭壇の前では立ち止まれないだろうから、落ち着いて見れやしない。よってyoutubeの聖地巡礼の効用は大。このyoutubeでもイエスが昇天した祭壇の部分が一番再生されているなどとコメントが出る。
出口王仁三郎は、アストラル・トリップで、エルサレムに行き、嘆きの壁を見たりしているのだが、それは、現界のエルサレムでなく、霊界のエルサレムであることを自ら明かしている。その点でもvirtual 動画による聖地巡礼では現界を見れて、画期的でありがたいことだと思う。
敬虔なキリスト教信者は、イエスの一生を順々に観想していくが、その最後のクライマックス直前のシーンがヴィア・ドロローサ~聖墳墓教会。ヴィア・ドロローサでイエスは十字架の重さで三度止まる。
イエスの後に大勢の悲しみ嘆いてやまない女たちの群れがついて行ったが、イエスは彼女らに『エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい。『不妊の女と子を産まなかった胎と、ふくませなかった乳房とは、さいわいだ』と言う日が、いまに来る。』。』と世紀末的世界観を披露している(ルカ-23)。彼はこの段階でも明日にも終末が来ると思っていたのだろう。
また“聖者を殺してしまわない雰囲気”は、そこにはなかったのだ。