国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

ヒトラーが自滅的な東西二正面作戦を実行したのは、旧プロイセンを滅亡させ南ドイツ中心の国家を作るため?

2006年12月27日 | 欧州
日本は西部戦線の日中戦争が膠着している状態で新たに米英に宣戦布告して東部戦線を開き、二正面作戦という自滅的な戦略を第二次世界大戦で自ら採用した。つまり、真珠湾攻撃は敗北が約束された戦争であったのである。その謎を「ジャパンハンドラーズと国際金融情報」が8月12日付記事に書いたのに続いて、「株式日記と経済展望 」も今日12月25日付記事に書いている。漸く第二次大戦の謎が明らかにされ始めたと見て良いだろう。

第二次世界大戦への日本の参加だけでなく、1956年のスエズ戦争、1960年前後の英仏の植民地の独立ラッシュ、ベトナム戦争、ソ連のアフガン侵攻、冷戦終結とソ連崩壊、そして現在進行形の米国の世界覇権喪失と共産中国の崩壊はいずれも「戦争にわざと負けることで戦争目的を達成する」という戦略を実行したものではないかと私は想像している。このような戦略は本来「敗北=全滅」を意味するユーラシア大陸の戦争ではあり得ないものであり、敗者が滅亡せずに生き長らえることを許されてきた日本の風土に起源するものなのだろう。

ところで、第二次大戦で自滅的な二正面作戦に自ら突入したのは日本だけではない。日本の真珠湾攻撃(1941年12月8日)の前に、1941年6月22日にドイツはソ連への侵攻を開始し、やはり自滅的な二正面作戦に突入しているのである。そしてドイツは敗戦・東西分割によって大きな打撃を受けたが戦後は日本と同様の経済大国・軍事小国として復活し、フランスと組んで欧州を経済的に支配している。このように考えると日本とドイツの第二次世界大戦での行動は非常に似通っており、ドイツもまた「わざと敗北して戦争目的を達成する」ためにソ連侵攻を開始したのではないかと想像する。では、ドイツの戦争目的とはいったい何だったのだろうか?

ドイツ帝国の誕生は明治維新と時期をほぼ同じくする。明治維新が日本の辺境である山口県・鹿児島県などの下級武士によって実行されたのと同様、ドイツ帝国はプロイセンというドイツの東の端の辺境地帯の国家によって成し遂げられた

旧東ドイツや東プロイセンは中世以降のドイツ人の東方移民によってドイツに編入された地域である。17世紀のプロイセン王国の領域は、ホーエンツォレルン家の世襲したブランデンブルク選帝侯国(厳密な意味ではブランデンブルクその他の帝国内の領地は王国には含まれない)とプロイセン公国、そのほか若干の各地に散らばったいくつかの小さな領地を合わせたものだった。これらばらばらの領土は防衛に不利なことはなはだしく、プロイセンを守ることはすなわちこれらをつなぎ合わせるための不断の膨張を意味していた。フリードリヒ・ヴィルヘルム1世「兵隊王」(1688年 - 1740年、在位:1713年 - 1740年) 、フリードリヒ2世「大王」(1712年 - 1786年、在位:1740年 - 1786年) 等の代々の国王は地理的な統合を求めて軍事力を強化し、相続・侵略を繰り返していくことになる。プロイセンは面積や人口と比較して軍事力が大きいことが特徴であった。強大な軍事力を誇るプロイセン主導のドイツ帝国は、やはり強大な軍事力を誇る大日本帝国と似通っている。戦争を収益源とする国際金融資本が大日本帝国と同様の目的で軍事強国プロイセンを育成したのかもしれない。









これに対し、ドイツを滅亡させたヒトラーはドイツ・バイエルン州との国境に面したオーストリアの町ブラウナウ・アム・インの出身であり、1905年にウィーンに移住、1913年にミュンヘンに移住、第一次大戦ではドイツ軍の志願兵としてバイエルン後備第16歩兵連隊に所属する。第一次大戦後は政治活動に参加し1923年のミュンヘン一揆に参加、総統就任後もオーストリア国境に近いバイエルン州ベルヒテスガーデンの別荘を頻繁に訪問するなど、バイエルン・オーストリアの境界地域にルーツを持つ人物である。

バイエルン州の州都であるミュンヘンはBMWやジーメンスなどの巨大企業の本社を有する。ダイムラー・クライスラー、ポルシェやボッシュなどドイツを代表する世界的な企業の本社がおかれているシュトゥットガルトを擁する西隣のバーデン=ヴュルテンベルク州と共に、現在のドイツで最も繁栄している地域の一つである。また、バイエルンは歴史的に見て決して軍事強国ではなく、その規模も神聖ローマ帝国内部ではオーストリア・プロイセンに次ぐ三番目であり、フランスとオーストリアという超大国に挟まれた中規模国家に過ぎなかった。ナポレオン戦争時にはフランスとオーストリアの間で巧妙に立ち回ってバイエルン公国から王国に国際的地位を向上させている。今年はバイエルン王国200周年の記念すべき年でもであるのだ。

第二次大戦後のバイエルン州は地域政党のキリスト教社会同盟(CSU)が1954年から1957年の間を除き州政権を独占、1962年以降は比例代表制の州議会で常に単独過半数を占めており、2002年の連邦議会選挙ではバイエルン州内で平均得票率は58.6%に達している。CSUは南ドイツのカトリック派がプロイセン等の北ドイツに多いプロテスタントに対抗するために1870年に設立した中央党に発祥しており、カトリック教会と非常に親密である。ドイツの二大政党の一つであるキリスト教民主同盟(CDU)はCSUの姉妹政党だが、フランスの人類学者エマニュエル・トッドの著書「新ヨーロッパ大全」によればCSUがその設立の母胎になっているという。バイエルンの西隣のバーデン=ヴュルテンベルク州はカトリック優位の東部とプロテスタント優位の西部に分かれるが、CDUの勢力の強い保守的な地域である。オーストリア・ポーランドもまた強固なカトリック地域であり、領内に多数のポーランド人を抱えていたプロイセン出身のビスマルク首相が1871-78年に文化闘争と呼ばれるカトリック教会・信徒の弾圧を実行した際には中央党は対立関係にあった。プロイセン地域を含む北ドイツはワイマール共和国時代に社会民主党の勢力が強く、その後は国家社会主義党が優位になるなど、政治的に非常に不安定な経過を辿っている。エマニュエル・トッドはこれを脱宗教化と急速な都市化による北ドイツの有権者の不安定さが原因であると主張している。

第265代ローマ教皇ベネディクト16世(ヨーゼフ・ラッツィンガー、在位:2005年4月19日 - )は1927年にヒトラー誕生の地ブラウナウ・アム・インから数キロメートル離れたドイツ領バイエルン州マルクトル・アム・インで生まれている。第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(カロル・ユゼフ・ヴォイティワ、在位 : 1978年10月16日 - 2005年4月2日)はポーランド出身で、1920年にポーランドのヴァドヴィツェ(1918年以前はオーストリア・ハンガリー帝国領ガリツィアの所属だが、当時のドイツ国境に非常に近い場所)で生まれている。






バイエルン州南東部~オーストリア国境地域の地図。中央やや右寄りでイン川の東のオーストリア領にヒトラーの生まれたBraunau am Innが、中央やや左寄りでイン川の北のドイツ領にベネディクト16世の生まれたMarktlがある。二つの町はわずか数kmの距離にあり、共にイン川に面している。







バイエルン州の地図






上記のような歴史的背景から、ヒトラーの自滅的な対ソ戦開始が合理的選択であるとの仮定の元にその理由を大胆に考察してみよう。日本が朝鮮半島・満州といった不良資産やそれを維持するために必要な巨大な軍隊を一挙にリストラするために自滅的な対米戦争を開始したのと同様に考えると、ヒトラーは旧プロイセン地域を中心とするドイツ北東部のプロテスタント地域、プロイセンの伝統から来る巨大な軍隊組織を一挙にリストラして、バイエルン、あるいは南ドイツを中心とするドイツを作り上げることが目的であったのではないか?もっと簡単に言えば、ドイツからプロイセン的なものを一掃するのが目的だったのではないか?

19世紀半ばのドイツ統一時にはオーストリア中心の統一(大ドイツ主義)にプロイセン中心の統一(小ドイツ主義)が勝利したが、20世紀のドイツではカトリックの南ドイツがプロテスタントのプロイセンに勝利したのではないかと想像する。現在のドイツでバイエルン州と西隣のバーデン=ヴュルテンベルク州が最も繁栄していることはその証拠とも言える。また、先代と今のローマ教皇が共にビスマルクのカトリック教会弾圧の影響を受けた地域の出身であることは、カトリックの絆でポーランドと南ドイツが強い連携関係にあることを想像させる。

上記の私の仮説は確たる証拠もなく、陰謀マニアの妄想に過ぎない可能性が高いだろう。しかし、第一次大戦から現在までのドイツ史を見るとき、国民国家の単位ではなく、バイエルン州の様な自治体レベル、あるいは「西隣のバーデン=ヴュルテンベルク州を含めた南ドイツという地域」のレベル、更には「オーストリアを含めたカトリック地域のドイツ民族」という国境を越えたレベルや、「ポーランド・バイエルン・バチカンの連携」という民族と言語の境も越えた宗教のレベルから見直すことは有意義なのではないだろうか?言語も民族も宗教も同一であるにも関わらず別の国に属するバイエルン州とオーストリアの国境の町ブラウナウで生まれ育ち、国境線の両側で暮らした経験を持つヒトラーは、我々の考える国民国家とは異なる国家像を持っていた可能性がある。



【12月28日追記】
1.ドイツの第二次大戦がカトリック・南ドイツのプロテスタント・プロイセンに対する権力闘争であったとするならば、それは新教と旧教の対立を背景にハプスブルグ家と反ハプスブルグ勢力の間の権力闘争が最大の原因であった1618-1648の30年戦争と類似している。

2.織田信長暗殺から豊臣秀吉の朝鮮出兵と敗北、その後の豊臣家の敗北は、国際金融資本と親密な好戦的・対外侵略的勢力を日本から一掃するために実行されたのかもしれない。信長は放置すると国際金融資本と組んで日本を欧米の植民地にしかねない危険があったため、日本の真の支配階層が明智光秀を使って殺害したのではないだろうか?そして、日本統一後に余剰となった軍隊をリストラするために、秀吉はわざと朝鮮出兵で敗北したのではないだろうか?これは全くの陰謀マニアの妄想だが、信長暗殺や朝鮮出兵の謎は何か裏がありそうな気がする。
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8 コメント

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Unknown (タカダ)
2006-12-27 18:55:43
ちなみに、太平洋戦争敗北の報を聞き、「これで薩長が滅びた」とつぶやいた古老が会津にいたそうです。真相は定かではありません。
Unknown (Unknown)
2006-12-27 23:18:24
岸信介は、それでも諦めきれずに
韓国に執着して利権漁りを止めなかった。

長州=山口県と言うのも何かいわくありげな
怪しげな土地ではないかなぁと。
面白い発想だが (Unknown)
2006-12-28 02:32:53
ヒトラーが国際金融資本によって作り上げられたすると、目的は違い、東欧だけでなく、ロシアにもユダヤ人はたくさん住んでいることが理由では。また、北アフリカ戦線や東地中海で望んだ戦果が得られず、石油の確保がうまくいかないことが大きなな理由といる人もいる。
 本文の論理に従えば、ソ連は典型的なユーラシアの国であり、敗北は滅亡を意味する。結局のところ、第2次世界大戦の結果は、ドイツ側ではなく、連合国側のコントロールによって決まったのではないか。
ただこの論理は、フランスがカトリックの大国であることから、第2次世界大戦をはさんだ独仏関係の変化を論ずるには面白い切り口だと思う。


家康が西欧の植民地化を警戒していたのは、キリスト教布教の本質を見抜いていたことなどから、これは推定できる。
秀吉の朝鮮出兵が、1588年にスペインがイギリスに敗北して制海権を失ったことと何らかの関連があることは最近主張されている。国際金融資本の移動と関連があるかもしれない。

しかし、この時代の日本は兵農がはっきりと分離していないので、軍隊のリストラのためわざと負けたというのは的外れだろう。

Unknown (Unknown)
2006-12-28 17:24:35
山口県というのは、日本の中央部から見たら端っこのほうで、鹿児島県がそうであるように、日本国内での存在感を示そうと思えば、近隣の海外利権とどうしても癒着してしまう。

鹿児島県の場合は、沖縄県という日本国内の利権と関係が深かったけど、山口県の場合は、朝鮮半島という外国の利権と癒着するから、どうしても売国奴的になる。

鹿児島の島津宗家の現在の当主や、現在、島津家と関係が深い明仁天皇ファミリーが、沖縄県と関係が深いのは、その延長線上。島津家と尚家との交流、鹿児島県と沖縄県の文化交流、明仁天皇・秋篠宮家の度重なる沖縄県・鹿児島県への訪問は、そういうことを表している。

しかし、鹿児島の場合は、同じ日本国内同士だから、その癒着は許される。逆に、山口の県の場合は、下関の湾岸利権に代表されるように、外国の朝鮮半島利権だから、売国利権になる。

毛利宗家はさっさと山口関係とは比較的に距離をとって、その利権は、その下級臣下たちが癒着している。安倍や岸もその代表格だろう。

もし、道州制にするなら、山口県や福岡県のような県は、新しく出来る州の辺境地にして、力を大幅に弱体化させるしかない。彼らが政治への影響力を全く行使できないようするべきだ。
「面白い発想だが 」さんへ (princeofwales1941)
2006-12-30 00:41:13
>本文の論理に従えば、ソ連は典型的なユーラシアの国であり、敗北は滅亡を意味する。結局のところ、第2次世界大戦の結果は、ドイツ側ではなく、連合国側のコントロールによって決まったのではないか。

第二次大戦後のドイツは、プロイセンの東の中心であるケーニヒスベルグが消滅し、西の中心であるブランデンブルグもソ連の支配下に入っています。

その一方で、チェコ西部は米軍が占領した地域でありながら東側になり、オーストリア東部はソ連軍が占領した地域でありながら西側になりました。

カトリックドイツを全て西側に残し、プロテスタントドイツの東部とカトリックスラブ全てを東側に入れるという鉄のカーテンの線引きは南ドイツやオーストリアにとって有利なものです。これは無論連合国側が決定したことですが、ヒトラー政権もその決定に関与した可能性はないのかという点が私の疑念(陰謀マニアの妄想?)です。


>この時代の日本は兵農がはっきりと分離していないので、軍隊のリストラのためわざと負けたというのは的外れだろう

兵農の分離が織田・豊臣政権で部分的に起きていたことも重要かと思います。結果論ですが、「戦で一旗揚げる」ことを目指して信長の元に集まった人々は朝鮮出兵と豊臣家滅亡という二つの敗北によって日本からほぼ一掃されました。
princeofwales1941さんへ (Unknown)
2007-01-06 01:29:21
> 第二次大戦後のドイツは、プロイセンの東の中心であるケーニヒスベルグが消滅し、西の中心であるブランデンブルグもソ連の支配下に入っています。

> その一方で、チェコ西部は米軍が占領した地域でありながら東側になり、オーストリア東部はソ連軍が占領した地域でありながら西側になりました。

史実はおっしゃるとおりです。結果的に、この第2次世界大戦の結果がドイツの国家体質の変質をもたらし、独仏同盟の基礎を作ったという分析はおもしろいです。
ただ純粋に軍事的に考えてドイツ側がコントロールできる状況にないということです。むしろ、ドイツ兵が意図的に西部戦線で手を抜いた戦争結果を連合国側が望む結果に補正したと思われる節があります。
ヒトラーの「役割」は少なくとも独ソ開戦まででしょう。

国際金融資本の一部がEUの創設を望んだとすると、今日の独仏連合への流れは、この戦後のドイツの変質から始まっているといえると思います。
これは今後のドイツやフランスの行方にもかかわる重大な問題ではありますが。

> 結果論ですが、「戦で一旗揚げる」ことを目指して信長の元に集まった

信長のもとにが微妙ですが、この後に関ヶ原の戦いがあり、大阪城攻防戦や島原の乱まで戦国の雰囲気は出ています。ですので「一掃された」は史実にはないです。

ただ、国際金融資本は17世紀にはスペインからオランダに移ったと思いますが、徳川政権で貿易を許されたのがオランダというのが興味深いです。豊臣政権から徳川政権への移行や島原の乱がこのことと関連しているかもしれません。結局、兵農分離と各大名の武装解除は家光の時代までにゆっくりと行われたというのが史実だと思いますが。



結果から見ると歴史は「わざと」になる (団塊君)
2007-05-19 07:15:48
#実際のところ、天皇はイギリスと話がついていた。しかし米国とはついていなかったのではないか。2.26を契機に軍部に抑えられて親英派の政治ができなかったことが大東亜戦争承認の原因であるという異見は面白い。(勝手につぶれろ、あほ!ということ)ありうる話である。長州に引っ張り出されたどこかの馬の骨(南朝末裔???はたぶんうそで、日本人なら天皇の末裔ではなかろうか。Y遺伝子がつながればいいのなら日本人の半数は天皇直系になりうる。Y遺伝子を解析するとモンゴルは20%?以上チンギスハンの直系である)であるが偉大な明治天皇の子供(!)としてのこれまた偉大な昭和天皇は当然ながら英国王室と同盟を結んでいると考えるべき。皇太子を留学させたのは偶然でない。あるいはすでにキリスト教に洗礼しているかもしれない。(あの腑抜けた顔と行動は「日本のクリスチャン」特有である。神道の存在感情と一神教教義が乖離している。感情と論理が一致しないために行動決定ができないのである。)
#それはさておき、結果から逆算すると全てが陰謀に見える。それが時々真実で時々偶然だから厄介なのだ。
#歴史は過去の痕跡の再解釈作業であるなら、何のためかということがないとどうにも解釈できる。
#時間には現在しか存在せずあるのは過去の痕跡からくみ上げた妄想と未来への期待、どちらも幻影である。しかも他人との「現在の同時性」は存在しない。「現在」は各個人にしかないから、「光速」で通信しても同時性は達成できない。
#どのように解釈しても現在を変える努力とリンクしなければ「妄想」である。
#逆にどのような妄想であろうとも現在を変える努力を伴っていれば「歴史的事実」である。「最後の審判」などどうかんがえても妄想であるが、そこに権力を集中しているのでとてつもない現実となる。(たとえばインカの心臓いけにえ儀式とそんなに変わらない)これが人間の本質なのだ。「歴史の真実性」など実はどうでもよいといえる。
(ネット論議は仮想性が強いゆえにここが混同されやすい。)
結局あなたはどうしたいのか?
江田島軍団動く (パシフィコ)
2007-05-21 00:48:01
イラン攻撃でレギオン(スカルアンドボーンズ)に圧死させられるか、
興味が尽きない夏になりそうだ。これによって歴史は動くだろう。

戦後外交の総決算である。
821 :名無しさん@3周年:2007/05/21(月) 00:38:02 ID:K7G+g6HL
三輪氏のブログにもレインボーマンのことが載ってたよ?
822 :名無しさん@3周年:2007/05/21(月) 00:43:50 ID:7AECp6z4
>>821

これのことかな?   江田島軍団 vs 米海空軍+自衛隊

http://klingon.blog87.fc2.com/blog-entry-219.html
私には、それ以外の判定を下す理由はありませんね。
2007/05/20(日) 18:06 | URL | 三輪耀山 #X.Av9vec[ 編集]
防衛官僚ではなく軍人さんですよ
日本最強の第七機甲師団の師団長だったのが松村劭将軍です。同期に軍
事評論家の志方俊之氏がおられます。2chで江田島軍団が松村将軍に
対して宣戦布告という祭りを見て興味を持ってきました。

著名な地政学者の江田島孔明氏と軍事理論の大家である松村劭の防衛体制への認識の違いは

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