国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

北京から西安への遷都計画について考える

2009年01月03日 | 中国
●中国は、イスラエルがアメリカから盗み出した技術を、秘かに安く買っていた。 - 株式日記と経済展望 2009年01月01日

副島隆彦
2008年7月7日の洞爺湖サミットのとき、ブッシュ大統領が福田康夫首相(当時)に耳打ちしたそうです。「中国人は首都の北京を内陸部に移したいそうだ」と。福田首相は何のことだか理解できなかった。私はピンと来ました。北京の共産党の親玉たちは、北朝鮮が自分たちの北京に照準を定めている核ミサイルの危険から逃れるために、昔の洛陽のあたりにまで首都を移すということを本気で考えているはずです。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/bf5954c7aad1012036dc36404034c940





●「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
    平成20年(2008年)7月18日(金曜日)
通巻第2263号  
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 中国が「西安への遷都を考慮中」とブッシュ大統領が耳打ち
  洞爺湖でもたらせたガセに日本政府は踊らなかったが。。。
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ブッシュ大統領が洞爺湖サミットで日米首脳会談中の雑談で福田首相にふと漏らした。
「中国は北京から西安へ遷都を検討している」と。
  軍事上の理由が『週刊新潮』(7月24日号の36p)で飛び交っているが、ミサイル攻撃に弱い事だけが、遷都を検討している理由ではないだろう。
中国共産党の意図はなにか?

(1)五輪テロ対策の二重命令系統の確保
短期的にみるなら、テロ警戒の北京に万一あれば、臨時首都が必要で、ワーストシナリオを用意するのは世界の常識。ましてブッシュ大統領はは2001年9月11日の同時多発テロの時、特別機に乗り込んで数時間行方不明だった。
最高司令官として首都ワシントンでの指揮をチェイニーに部分的に権限を委譲した経過があった。

(2)首都機能の一部を移転し、西部開発の目玉とする
 中期的展望で「開発」という文脈で考えると、重慶、成都、ラサ、ウィグルへの開発テコ入れに比べると西安ははるかに遅れを取った。長安の時代からの、この古都は観光だけで成立しているが、機能の一部を移転すれば、さらに発展が望める。

(3)長期的に言えば、砂漠化でいずれ北京は砂に埋まるから。
北京郊外の万里の長城は都心から一番近い居庸関まで20キロ。日本人観光客が行く八達嶺は、その少し先。そして万里の長城から北80キロのところまで砂漠化が進んでいる。
将来、水枯れによって北京の砂漠化もありうるシナリオであろう。砂漠のオアシス都市だったのに、水瓶の蜜雲湖と官庁湖は干し上がり、運河を緊急に造成し、近郊からは用水路を確保して水を確保しているが、基本的に地下水が枯渇した場所は、いつまでの人間が住めない。

 さて、ブッシュ大統領は、いかなる思惑でこの情報を福田首相に耳打ちしたかは知るよしもないが、福田首相は無反応だった。
軽いジョークと受け取ったのか、安全保障上の理由も地政学的意味も飲み込めなかったのか。
http://www.melma.com/backnumber_45206_4165660/







●「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
   平成20年(2008年) 12月2日(火曜日) 
       通巻第2410号
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BOOK REVIEW
((((((( 今週の書棚 )))))))

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柘植久慶『宴のあとの中国』(PHP研究所)
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 実際に外人部隊で世界の戦場を体験した冒険作家、柘植さんの前の作品では偽札に溢れる中国経済の面妖さを鋭く指摘していたが、こんどの本ではとうとう偽札と本物の人民元をカラー写真で対照してみせてくれる。もっと驚きは「太平天国」の時の通貨の実物を見せてくれたり。
 要するに中国では国乱れるとき通貨も乱れる。
 独自の『軍事学』と『安全保障』を諜報面から解析するユニークな視点は柘植中国学の特徴である。
 さて本書を通読して、さすがに柘植さんだ。西安への遷都計画について触れている。
 中国の密かに勧める国家プロジェクトだ。
 評者(宮崎)も夏頃に書いたが、洞爺湖サミットのおりにブッシュ大統領が福田首相(当時)に「そうは言っても、北京はいずれ。。。。。西安に遷都するから」と囁いた。通訳が聞いたが、なにしろ立ち話、福田首相はまるで反応しなかった。『週刊新潮』にコメントを求められ、小生もなにか解説した記憶がある。大統領の耳打ちにまったく反応しなかった鈍感な宰相は「わたしはあなたとは違うんです」という流行語大賞も辞退したが。。。
 柘植さんによれば西安遷都はいまや噂のレベルではなく、密かに計画案が具体化しつつあるというのだ。
北京の北方80キロの地点まで砂漠化は進んでいるから「いずれ北京は砂に埋まり、上海は沈没する」と拙著では喩えたが、柘植さんは「北京は敦煌化する」と文学的比喩。西安を選ぶ理由は地政学的軍事的発想の先に「水」の問題があり、往時、洛陽からも西安に遷都したのは水の確保だった、と歴史的なバックグラウンドを簡潔に記述している。
 情報盛りだくさん。
http://www.melma.com/backnumber_45206_4308436/





●JJ ◆ae8GJRGMtA氏 発言抜粋集 1

・アジアにおいては中国は完全に分裂しているようです。前述しました広東省の国が「華南共和国」 として存在しています。日本には及ばないものの、その時代の経済大国として君臨しています。 現在の中国は北京を中心としたところで存続。民主主義国家となり共産党は数ある政党のひとつとして没落しています。あとは西部にもう一つ大きく別れていますが、これはほとんど夢の中で出てきていないのでよくわかりません。
http://snow.kakiko.com/korea02/e_select/e0135.html
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/c76b191ab29b53ed90eb0ec8dc342d53



●依存症の独り言: 中国は崩壊後どうなる? 2005/08/26

結論から言うと、漢族は、経済圏ごとの①長江デルタ地域、②珠江デルタ地域、③福建東南地域、④環渤海湾地域に、⑤重慶を中心とする四川省を加えた五つに分裂し、モンゴル族、ウイグル族、チベット族が独立するという形にならざるを得ないのではないか(香港は別と考える)。
http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2005/08/post_2356.html





●華北平原の水不足が引き起こす周辺国との水争い - 国際情勢の分析と予測







http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/a07283d59ee692f387a6eacdce8169b8




●成功したいビジネスマンへ,新!宮前閑話,新!宮前閑話(その3) - 中国遷都 2008/09/16

 週刊新潮7月24日号のTEMPO欄によれば、7月6日の日米首脳会議の席で、ブッシュ大統領が福田首相に、「中国が首都を北京から西安に移すらしい」と洩らしたが、福田首相はその意味がわからず”キョトン”としていたそうである。対北朝鮮問題などで、同盟国日本にツレなくしていることを気にした、ブッシュ大統領のサービスだとか。

 もし本当に首相がキョトンとしたのなら、これは大問題ではないか。今、わが国が最も注目せねばならぬ中国のこと、情報を集め解析することは、政府トップの責任であると考えるからである。

 そもそも、中国は首都を北京から西安に移す必要があるのだろうか。地図を見れば明らかだが、北京は偏ったところにある。

 春秋戦国の時代覇者として「鹿を逐う」戦は中原で展開された。今の北京のあたりは「燕雪十六州」と言われる辺境の地で、北狄(ほくてき)に接する第一線であった。京の都を遠く離れた「坂東の地」にも似ていると言えようか。

 北京が政治の中心になったのは、元(げん)が遼(りょう)をほろぼし、宋(そう)を南に追いやり、ここに夏の都として「大都」を建設してからである。元を滅ぼした明(みん)の首都は金陵(南京)に置かれたが、二代目(注:原文では二代目となっているが、正確には三代目である)の永楽帝の時北京に移った。明に続く清(しん)も北京を首都にした。清の故地が満洲だったからであろう。清に続く中華民国は広州からの北伐ということもあり、南京を首都としたが、中華人民共和国の首都は北京に。

 政府の基盤から首都が北京と南京をいったりきたりしているが、中国人の心中には、かつての都長安「西安」こそ、中国の首都にふさわしいとの思いがあっても、不思議ではなかろう。

 かつてわが国でも、明治維新に際し天皇の東京遷座があった時、”あれは天子様が一時引越しされたので、又戻って来られる”と言った京都の故老が多かったように。

 が、西安遷都はそのような心情的なものではない。もっと戦略的な意味が含まれていると考えるべきではないか。それは毛沢東の「三線整備構想」につながると考えられるからである。

 私の手許に一冊の本がある。書名は「中国の戦争に日本は絶対にまきこまれる」。著者は平松重雄、徳間書店の刊行である。その帯カバーには「あなたの街にも中国軍がやってくる」といった、オドロオドロした文字が並ぶが、それはさておき内容としては、今日の中国の隆盛の根本が、ウン千万人の餓死者を出しながら核開発を強行した、毛沢東の戦略眼にあるとするもので、「三線整備構想」はその重要な一環だと指摘している。

 その構想では、新中国を沿海地区、平原地区、内陸地区に分け、沿海地区を第一線包頭(内蒙古)蘭州(甘粛省)などの西北地区、重慶(四川省)昆明(雲南省)などの西南地区を第三線、西安・武漢を中心とする地区を第二線とし、第二線第三線の生産基盤、研究教育基盤を強化しようというものである。ただこの構想はフレキシブルなもので、どこに主敵があるかによって変えられる。

 中国海軍の情報蒐集船が「平和憲法のわが国」の沿海を回遊し、潜水艦がヘバリついている位であるから、ミサイルを搭載した米国の潜水艦が、黄海にウヨウヨしていても不思議ではないといった情勢の下で、第二線が政府機関の移転先という意味合いを持ち、「西安遷都」となる可能性は高いのではないか。

 毛沢東の戦略眼は、戦争終結時の旧満洲国に対しても遺憾なく発揮された。その重要性を見抜き、靡下の最精鋭部隊である林彪の野戦軍を急派し、ソ連軍が接収した旧日本軍の武器弾薬を譲りうけ、旧満洲国軍も吸収したりして、内線の立役者とすると同時に、旧満洲国に日本が残した生産設備からの「滋養」で、新中国が育っていったと言えるからである。

 毛沢東は「演義物」なかでも「水滸伝」も愛読し、いろいろ戦略を学んだと言われるが、「水滸伝」には「核」は出て来ない。又、マルクス主義は「解説本」を読んだだけで、共産中国をつくりあげたのだから、毛沢東は戦略家として天成の資質を備えていたのであろう。いち速くチベットの戦略的重要性を見抜き、朝鮮戦争の「ドサクサ」にまぎれて、チベットは中国の領土だと言って軍隊を入れてしまったのも、すぐれた戦略眼だったのであろう。

 わが国にも石原 莞爾と言う戦略眼の持主が居た。彼は中国の東北部こそがわが国の生命線だと考え、関東軍という武力を背景にしてではあるが域内に自治委員会を作り、「中国からの独立」を発議させ、「五族協和・王道楽土」をスローガンに、「満洲国」を作りあげた。こんな引合いを書くと「俺はそんな小物ではないぞ」と泉下の毛沢東に怒られるかもね?

 ところで古代中国の周の国は羌(きょう)族が作った国だが、羌族はチベット族である。毛沢東はそのことをふまえてチベットに攻め入ったのであろうか。

 毛沢東の戦略眼のおかげで、急成長をなしとげた中国が「外洋海軍」を整備し、「太平洋の西半分は中国が管理する」などと発言すると、わが国の生命線であるシーレーンをどう維持できるかという困難な問題を抱えこむことになる。そんな時「やはり毛沢東の戦略眼はすばらしい」など、ノホホンなことですむのであろうか?
http://www.yajima.shibuya.tokyo.jp/ml/contents.asp?id=474




●中国地図







【私のコメント】
ブッシュ大統領が洞爺湖サミットでの日米首脳会談中の雑談で福田首相に「中国は北京から西安へ遷都を検討している」と語ったという。 しかし、私はこの情報の信憑性に疑問を持っている。というのも、中国では黄河流域で水不足が深刻化しているが、西安市はその黄河流域に位置しているからだ。都市住民が水洗トイレ等で膨大な水を消費することを考えれば、黄河流域に新たな大都市を建設することは下流の水不足を悪化させるだけである。私は、中国側がわざと西安遷都という偽情報を流したのではないかと疑っている。

ただ、北京市が近い将来に砂漠に飲み込まれかねない事を考えると、遷都の必要性は十分考えられる。では、中国にとって理想的な遷都先はどこだろうか?

首都への国民のアクセスのしやすさを考えると、首都は国土の中心に近い場所が望ましい。中国の国土の中心はどこかを考えてみよう。中国の国土は大興安嶺・雲貴線によって東方の低地と西方の山岳地帯に分けられ、秦嶺・淮河線によって北方の乾燥した麦作地帯と南方の湿潤な米作地帯に分けられる。この二本の線が交わる所は地理学的な中国の中心と言える。河南省の南陽市が丁度そこに位置しており、揚子江の支流である漢水の流域であること、漢水の上流側に丹江口ダムがあることから水不足の心配もない。

北京・上海・広州という三大都市から等距離にある内陸都市という観点からは武漢が挙げられる。武漢は三大都市から約1000km離れており、時速250kmの高速鉄道が出来れば4時間で結ばれる。揚子江の水運を利用できるのもメリットだが、洪水、特に三峡ダム決壊時には大打撃を受ける欠点がある。武漢周辺で揚子江流域でない地域というと、揚子江の支流である漢水の流域になる。

これらを合わせると、私の考える理想的な中国の遷都先は、南陽市から武漢市の間の漢水流域となる。新首都がこの地域のどこであれ、北京・上海・広州の三大都市から高速鉄道で四時間程度で移動可能である。

なお、上記の考察は中国が統一を維持した場合の話である。ただ、中国が分裂した場合でも、豊かな沿海地区だけが分離独立して貧しい内陸地区が取り残される場合なら、巨大な内陸国家の首都として南陽市から武漢市の間の漢水流域は理想的であると思われる。JJ予知夢の言う「西部にもう一つ大きく別れた国」がそれに対応するのかもしれない。





【2010年8月17日追記】
●北京は人口爆発?問われる政府の対策 「中国網日本語版(チャイナネット)」2010年8月17日

 地方から北京にやってきた呉宇さんの机の上には3枚の写真が飾られている。左の写真は天安門広場で撮影したもの。まだ幼さを残した呉さんが恥かしそうに笑っている。7年前、大学を卒業して一人で上京し、必死にがんばっていたころの写真だ。いまはもう、ある企業の中間管理職になっている。住まいも、最初は他の人と共同で借りていたが、ローンを組んで3LDKのマンションを購入した。

右の写真は結婚写真。妻は同郷の人で、呉さんより2年遅れて北京にやってきた。ある集まりで知り合ったのである。二人にはまもなく2歳になる子どもがいる。

真ん中の写真は一家全員の写真。自分と妻と子ども、そして呉さんの両親も写っている。すでに定年退職した両親は孫の面倒をみるために、故郷の家を人に貸して北京に出てきた。

7年前、一人で北京にやってきた呉さんであるが、いまは家族5人で暮らしている。呉さん一家の変化は、北京の人口変化の一つの縮図に過ぎない。

「北京都市全体計画(2004-2020年)」は、2020年時点の北京市の総人口を1800万人程度に抑えるとしている。しかし、北京市人民代表大会常務委員会の調査研究によると、2009年末時点の北京市の常住人口は1972万人、そのうち北京市の戸籍人口は1246万人、半年以上居住している流動人口は726.4万人。一家を挙げて北京に引っ越してくる割合が年々高まり、41.2%に達している。

一方、北京市統計局が1月に発表したデータによると、2009年末時点の常住人口は1755万人。しかし第11次5カ年計画が要求する2010年末時点の常住人口抑制目標は1625万人だ。ある専門家は、「人口抑制目標をすでに超過し、北京は人口爆発の危機に突入している」と警鐘を鳴らす。

呉宇さんも北京の人口増加に関する報道は耳にしているが、1625万、1800万、或いは1972万という数字についてはいまいちピンとこない。しかし朝晩の地下鉄のラッシュ、病院での順番待ち、交通渋滞に遭遇すると、こういった数字を思い出し、「どうしてみんな北京にやってくるんだろう」と思うという。

人口と資源環境の協調

夏に入ってから、北京東郊外の通州区に住む王さんは夕食の支度をするときに困らないようにと、午前中に桶に水をためておくようになった。8月初め、通州区のいくつかの居住区は水不足に陥り、毎晩6時から10時までの間、水道の出が悪くなり、水の使用に支障をきたすようになったからだ。不動産管理会社によると、水が最もよく使われる時間帯は給水量がひどく不足するため、水圧が減少するのだという。北京市の水道水を供給する会社によれば、通州区に給水する水量はすでに極限に達している。

水が不足しているのは通州区だけではない。旱魃が11年続いている北京は水不足が深刻な都市である。降水量が少ないだけでなく、人口の速すぎる増加もその原因のひとつだ。北京の1人当たり水資源量は全国平均の10分の1に過ぎない。

北京市政治協商委員会の「人口と資源環境の協調発展」に関する調査研究報告によると、資源輸入型の特大都市である北京は、エネルギーの98%をよその地に頼っている。人口の膨張は水、電気、石炭、ガス、油などの資源の供給逼迫をもたらし、公共サービスや社会管理にも大きな圧力をかけている。

調査によると、北京市の人口が1人増えるごとに、1日の外出量は2.64回増える。六環路内の1日当たりの外出人数は延べ3500万人で、交通の負担は日に日に拡大している。

また、北京で義務教育を受ける外地からやってきた労働者の子どもの数は、2000年には9万人余りであったが、09年には41.8万人に増え、全体の40%を占める。そのうち、公立の学校で学んでいるのは66.9%だ。

都市部と農村部の境界付近の流動人口集中地域では、公共サービスの供給が需要を満たせず、環境衛生や居住条件が悪く、公共施設が立ち遅れ、火事や潜在的な危険が多く、治安問題も深刻である。

人口抑制へ

中国共産党北京市委員会の劉淇書記は7月末、人口の急増と水資源や土地資源の不足という矛盾は北京の発展を制約する最も大きな要素だと述べた。人口の速すぎる増加をいかに抑制するかが、北京が直面している重大な課題である。
http://japanese.china.org.cn/business/txt/2010-08/17/content_20726930.htm






【コメント追記】水資源が不足している北京は大都市建設には不向きである。やはり、近未来に北京から揚子江流域への遷都が行われると予測する。




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5 コメント

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内戦への備えでは? (面白い発想だが)
2009-01-04 01:15:25
>ブッシュ大統領が洞爺湖サミットでの日米首脳会談中の雑談で福田首相に「中国は北京から西安へ遷都を検討している」と語ったという。

2ch用語でいうところの釣りだったでしょうか。関心がないふりをして答えないのが正解でしょう。

>ただ、北京市が近い将来に砂漠に飲み込まれかねない事を考えると、遷都の必要性は十分考えられる。

軍事面での検討はどうでしょうか。対露戦、対米戦といった外国との戦争ではなく、内戦を想定しているとか?西安は戦略上の要衝のひとつで、西へのにらみと南側から攻撃を受けにくい場所です。もっと攻撃を受けにくい場所は四川省ですが、中国軍の軍管区ごとを軍閥として考えると、内戦時に四川省を胡錦涛一派が牛耳れるかはちょっと疑問です。こうした理由から西安が選ばれたとも。

>北朝鮮が自分たちの北京に照準を定めている核ミサイルの危険から逃れるために

北朝鮮の核問題は、中国の政権交代の時期に一致しているため副島氏の意見はおそらく合っている。現在の胡錦涛は金正日政権とやや遠い感じがしています。中国の指導者心理として、軍を半島へ南下させられない理由はこれが原因かもしれません。半島での大混乱が予想されれば、東北三省の都市を首都とすることは考えにくいでしょう。
返信する
遷都は北京崩壊を意味する (名無しの経営者)
2009-01-04 17:29:22
共産支那が、北京から西安へ遷都を検討している、と言う話は、色んなところで見かけます。一つは、北が核を北京に向けているからだと言うものですが、また水不足も良くその理由として挙げられます。

小生は、遷都自体不可能だと考えています。と言うのは、北京が都市として成り立つべき産業が政治でありますのでそれがなくなれば、都市として成立しなくなると考えられるからです。

もともと北勢力への備えとして、わざわざ何もなかった土地に北京を作ったわけですから、支那の統治には、あの位置に大都市が在ること自体が必要だったのだと考えられます。

北京に行って驚いたのは、何の産業も無いということでした。品物はそのほとんどが、上海・広東製だったからです。人治政治が、北京の産業なのだと思い至ったのは20年も経ってからのことでした。

北京に聞かなければ何も出来ない。この状態は今も続いています。これが共産党独裁の現実と言うものです。首都移転は、北京という都市を崩壊させることでしょう。その利点は今のところ何も考えられません。

藪氏が言ったと言う話の真意は、恐らく、小生は、現在の北京政府の七転八倒を予告するものであったのだと推測しています。つまり親支派の福田氏に共産支那に関わるとひどい眼に遭うど、という忠告ではなかったかと。
返信する
隠れ中華多極主義者 (ナナ)
2009-01-08 23:27:57
三峡ダム地震崩壊の可能性
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%A1%E3%83%80%E3%83%A0
板橋・石漫灘ダム決壊事故(1975年8月8日)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%A0
山峡ダム考 石井敏
http://www2.obirin.ac.jp/unv/research/sanken/ishii59.pdf


単純な重力式ダムである三渓ダムが、中国得意の政治的駆け引きの結果として手抜き工事を強いられ、形だけ出来たとするならば、この三渓ダムという災厄の固まりは、物理法則に従い、必然的に地滑り決壊すると考えるべきだと思います。

石井敏氏によれば、「三峡プロジェクト」攻防戦の最大のハイライトは1989年の「全国人民代表者会議(略称「人民代」)」であった。この会議に先立って、中国人ジャーナリスト戴晴の編集による『長江 長江――三峡工程論争』が公刊され、それは全人代に多大な影響を及ぼした。全人代では272名の代表の名の下に三峡プロジェクト早期実施に反対する報告書が提出され、その結果、姚依林副首相はダム建設を少なくとも5年間延期することを表明した。ところが、その直後に起きた天安門事件が、「三峡プロジェクト」のその後の展開に重大な影響を及ぼすことになった。戴晴は天安事件直後政府当局に逮捕され、その後10ヶ月にわたって拘留された。そして『長江 長江』は発禁にされた。理由は「騒乱を扇動した」というものであった。こうして、ダム建設批判は封殺されることになった。とのことです。

板橋・石漫灘ダム決壊事故にも直接関わっている小平が、天安門事件の犠牲を出してまで、なぜ三峡ダムプロジェクトを強行したのでしょうか?恐らくそれは、彼が隠れ中華多極主義者だったからなのではないでしょうか。つまり三峡ダムプロジェクトの真相とは、その崩壊を見越しての中華帝国の分裂解体戦略であったということです。

現状でも三峡ダムの崩壊の威力は、中国大陸に大きな衝撃を与えるに十分なものと思われますが、さらに万全を期するための武漢遷都も有り得るのではないでしょうか。
返信する
宣伝別スレご容赦下さい、池袋チャイナタウンに断固としてノーで!m(__)m ((^O^)風顛老人爺)
2009-01-30 06:31:45
拝啓、管理人様

池袋チャイナタウンに断固としてノーであります! (`ヘ´)

閑話休題、別スレ宣伝ご容赦下さい。

軍学者 兵頭二十八氏の講演が来たる3月7日に横浜で行われます!

兵頭二十八氏は 軍事 防衛のみならず歴史及び世界情勢の展開に対して鋭い視点を持たれている人であります。
演目はトヨタ失速後の日本経済等々を初めとする興味深い内容が目白押しであります。

興味がある方は 『 兵頭二十八半公式サイト 』を御覧下さい。


管理人様 勝手にこの場を借りる非礼をお許し下さい。m(__)m

乱文にて 敬具
返信する
Unknown (武士道=公義の心?)
2010-06-01 23:48:40
細かい指摘なのですが、引用箇所の明の2代皇帝は永楽帝(成祖)ではなく、建文帝(恵帝)であると思われます。
返信する

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