国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

ミアシャイマーとウォルトのイスラエルロビー批判論文の日本語訳part4

2006年03月27日 | イスラエルロビー批判論文の日本語訳

     )マスメディアの操作

イスラエル系圧力団体の物の見方は主流派のマスメディアでも優勢である。「中東専門家の間の討論はイスラエル批判を想像することすら出来ない人々に占拠されている」とジャーナリストのエリック=オルターマンは記している。彼は反射的かつ無制限にイスラエルを支持すると期待できる61人の特別寄稿者(コラムニスト)と解説者を列挙する。逆に、彼はイスラエルを一貫して批判するかあるいはアラブの立場を承認する専門家をたったの5人しか見つけられなかった。新聞は時折イスラエルの政策に挑戦する特集記事を載せるが、意見の均衡は明らかに逆側にある。このような記事を米国国内で主流派のマスメディアが報道することは想像するのも難しい。

ロバート=バートレイはかつて「シャミル、シャロン、ビビ-彼らが求める物は何であれ、自分にとってはとても素晴らしいことだ」と言った。彼の新聞であるウォールストリートジャーナル紙がシカゴサンタイムズ紙やワシントンタイムズ紙などの他の有力紙と同様に定期的にイスラエルを強く支持する論説をのせることは驚きではない。コメンタリー誌、ニューリパブリック誌、ウィークリースタンダード誌のような雑誌もあらゆる機会にイスラエルを擁護する。

編集上の偏向はニューヨークタイムズの様な新聞でも見られる。そこでは時折イスラエルが批判され、パレスチナ人の不平は正当なものだと認めることもある。しかし、それは公平ではない。ニューヨークタイムズ紙の元編集責任者であったマックス=フランケルは回顧録で、自分自身のものの見方が編集上の決定に与える影響を告白している。「私は自分が大胆に主張したよりもずっと遙かにイスラエルに献身的だった。私のイスラエルに関する知識やイスラエルでの友人関係によって強化された状態で、私は中東に関する論説の大部分を書いた。ユダヤ系よりもアラブ系の読者がより理解している様に、私はそれらの論説を親イスラエルの視点から書いた。」

新聞記事はより公平である。それは部分的には、記者が客観的であろうと努力することによる。しかし、イスラエルの現地での行動を知らないと占領地区の事件を取材するのは困難であることも理由だ。好ましくない報道を阻止するために、イスラエル系圧力団体は反イスラエル的と見なすマスコミに対し投書運動や示威運動、不買運動などを組織的に行う。あるCNNの幹部は、自分は時々報道内容に批判的な6000通の電子メールを受け取ると語った。2003年5月には、親イスラエルの「米国での正しい中東報道のための委員会(CAMERA)」は33都市でナショナルパブリックラジオ局の周りで示威運動を組織的に行った。中東報道がよりイスラエルに同情的になるまでナショナルパブリックラジオ局への寄付を差し控えるよう資金寄付者を説得することも試みた。ボストンのナショナルパブリックラジオ局であるWBURはそのおかげで100万ドル以上の寄付金を失ったという。米国議会にいるイスラエルの友人からは、中東報道に関する監視に加えて内部監査を要求する更に深刻な圧力がナショナルパブリックラジオ局に加えられた。

     )単一の方向にしか思考しないシンクタンク

イスラエル側は実際の政策だけでなく公開討論会を方向付けることに重要な役割を果たすシンクタンクも支配している。イスラエル系圧力団体は1985年に自分自身のシンクタンクを作った。マーチン=インディクはその時ワシントン近東研究所を創設した。ワシントン近東研究所はイスラエルとの繋がりをもみ消そうとするが、中東問題について「公平で現実的な」視点を提供すると主張するどころか、イスラエルの政策を推進することに深く関与した人々によって設立され運営されている。

しかしながら、イスラエル系圧力団体の影響力はワシントン近東研究所をはるかに上回る。過去25年間に親イスラエル勢力は国策研究会(AEI)、ブルッキングズ研究所、安全保障政策センター、外交政策研究所、ヘリテージ財団、ハドソン研究所、外交政策分析研究所、安全保障問題ユダヤ研究所(JINSA)で支配的な存在を確立した。これらのシンクタンクは米国のイスラエルへの支援を批判する者は仮に存在するとしてもほんの僅かしか雇用していない。

ブルッキングズ研究所を例に挙げよう。長年に渡ってそこでの中東政策の上級の専門家は、元NSC職員で当然ながら公平であるとの評判のウィリアム=クヴァントだった。現在、ブルッキングズ研究所の中東研究部門は、イスラエル系米国人実業家で熱烈なシオニストであるハイム=サーバンにより資金調達されているサーバンセンターを介して運営されている。このセンターの管理者は至る所に顔を出すマーチン=インディクだ。かつては無党派的な政策研究所であったものが、今や親イスラエルの合唱の一部となっている。

     )学問の世界の取り締まり

イスラエル系圧力団体が最も困難を感じていたのは、大学校内での論争の息の根を止めることだ。1990年代にオスロ平和プロセスが進行中であった時、イスラエルに対する批判は穏やかなものだけであった。しかし、オスロの崩壊とシャロンの政権奪取とともにそれはより強いものになり、2002年の春にイスラエル軍がヨルダン川西岸を再占領し、大量の人員を動員して第二次インティファーダを鎮圧した時には非常に騒がしいものになった。

イスラエル系圧力団体は直ちに「大学の敷地を奪還する」ために動いた。イスラエル人の講師を米国の大学に派遣した民主主義の隊商の様な新たな集団が出現した。ユダヤ公共問題評議会やヒレル(訳者注:ユダヤ人の大学生活のための財団法人 http://www.hillel.org)の様な既設の集団が参加した。イスラエルの主張を提示する事を現在追求する多くの団体を調整するために「大学連合の上のイスラエル」という新たな集まりが作られた。最後に、アメリカ・イスラエル公共問題委員会大学の活動家を監視し若い擁護者を訓練するための計画の予算を三倍以上に増やした。それは、「全国的な親イスラエルの試みに大学内で関係する学生の数を莫大な数に増やす」ためだ。

イスラエル系圧力団体は教授が何を書き教えるかも監視している。2002年の9月、マーチン=クレーマーとダニエル=パイプスの二人の情熱的な親イスラエルの新保守主義者は大学観察と言うウェブサイトを立ち上げた。そこでは容疑者である研究者の人物調査書が投稿され、イスラエルに敵対的であると見なせる発言や行動を報告することが学生に推奨された。学者を要注意人物名簿に載せて恫喝するというこの明白な企ては厳しい反応を引き起こし、パイプスとクレーマーは後日その人物調査書を削除した。しかし、ウェブサイトは未だに学生に「反イスラエル」の行動を報告することを勧めている。

イスラエル系圧力団体は、特定の学者や大学にも圧力を加える。コロンビア大学が最も頻繁に標的とされたが、それは最近までエドワード=サイードが教授陣に在籍していたためであることは疑いがない。元学務担当副総長のジョナサン=コールは「傑出した文芸批評家であるエドワード=サイードがパレスチナの人々を支持するあらゆる公的声明が、我々にサイードを糾弾し、制裁又は解雇することを要求する何百もの電子メール、手紙、新聞や雑誌の記事を誘発していると我々は確信する。」と報告した。コロンビア大学が歴史家のラシッド=ハリディをシカゴ大学から招聘した時も同じ事が起きた。それは、数年後にコロンビア大学を辞任するハリディを口説くことをプリンストン大学が考慮した時にも起きた問題であった。

学問の世界を取り締まろうとする努力の古典的な実例が2004年の年末に起きた。デービッド=プロジェクトが、コロンビア大学の中東研究の教授陣は反セム的であり、イスラエルのために立ち上がったユダヤ系の学生を脅迫していると断言するフィルムを制作したのだ。コロンビア大学は叱りつけられたが、告発の調査を任命された教授会の委員は反セム主義の証拠はないことを見いだした。唯一記録に値するであろう事件は、ある教授がある学生の質問に「怒りを持って返答した」ことであった。その委員は、該当する学者達自身が明白な脅迫作戦運動の対象であったことも発見した。

これらの中で最も有害であった点は、おそらく、ユダヤ系の集団が米国議会に教授の発言を監視する機構を設立するよう圧力をかけたことであろう。もし彼らが何とかこの議案を可決させるならば、反イスラエル的な偏向があると判定された大学は連邦政府の資金援助を拒否されていただろう。彼らの努力は失敗に終わったが、討論を支配することの重要性を示す証拠となっている。

数人のユダヤ系慈善家は、大学にイスラエルに友好的な学者の数を増やすために、(およそ130ものユダヤ研究所が既に存在するのに付け加えて)最近イスラエル研究所を設立した。2003年5月、ニューヨーク大学はタウブイスラエル研究センターの設立を発表した。同様の計画はバークレーやブランダイス、エモリーでも設立された。これらの研究所の責任者はその教育的価値を強調するが、実際には大部分はイスラエルの評判をよくすることが狙いである。タウブ財団の代表であるフレッド=ラッファーは、ニューヨーク大学の中東研究で有力であるアラブ的な視点に対抗するのを助けるために財団を設立したことを明らかにしている。

     )巨大な消音器

反セム主義であるという告発、という最も強力な武器についての説明を、イスラエル系圧力団体に関する議論から省くことはできない。イスラエルの行動を批判する者、親イスラエルの集団が米国の中東政策に重大な影響力を持っていること-アメリカ・イスラエル公共問題委員会が祝福する影響力である-を議論する者は誰でも、反セム的と名付けられる十分な機会を持つ。事実、イスラエルの報道機関が米国でのイスラエル系圧力団体の存在に言及しているにもかかわらず、イスラエル系圧力団体が存在するとしか主張しない人間も皆、反セム的であると告発される危険を負う。言い換えれば、イスラエル系圧力団体は最初はその影響力を豪語し、その後でそれに注意を促そうとする人は誰でも攻撃する。これは非常に有効な戦術だ。反セム主義は誰も批判されたくない事柄だ。

欧州人は米国人に比べてより自発的にイスラエルの政策を批判する。それを欧州での反セム主義の復活のせいにする人もいる。2004年の初めに米国の駐EU大使は「我々は1930年代と同じぐらい悪い状況に到達しつつある」と述べた。反セム主義を測定することは複雑な事柄であるが、重要な証拠はそれとは逆の方向を示している。欧州の反セム主義に対する非難が米国で溢れていた2004年の春、米国に基盤を持つ反名誉毀損同盟とピュー調査センターが別々に人々や報道機関に行った世論調査では実際に衰えていることが分かった。対照的に、1930年代には反セム主義は全階級の欧州人に広く広まっていただけでなく、非常に結構なことだと見なされていた。

イスラエル系圧力団体とその友人達はフランスを欧州で最も反セム的な国家として描くことが多い。しかし、2003年にフランスのユダヤ人共同体の代表は「フランスは米国よりも反セム的ではない」と語った。最近のハアレツ紙の記事によれば、フランスの警察は、2005年には反セム主義の事件はほぼ50%減少したと報告している。フランスが欧州の国々の中で最大のイスラム教人口を抱えるにも関わらず、だ。最後に、一人のユダヤ系フランス人がイスラム教の悪党に殺された時、数万人の示威運動者が通りに溢れて反セム主義を糾弾した。ジャック=シラクとドミニク=ドビルパンは共に犠牲者の追悼会に出席して結束を示した。

欧州のイスラム教徒の間に反セム主義が存在することは誰も否定できないし、その一部はイスラエルのパレスチナ人に対する振る舞いやに誘発されているし、一部は素直な人種差別主義者だ。しかし、これは現在の欧州が1930年代の欧州と同様であるかどうかということとは別の事柄であり、ほとんど関連はない。悪性の土着性の反セム主義が欧州に依然として少し存在する(米国でもそうであるように)ことも誰も否定できないが、その人数は少なく、それらの視点は欧州人の大多数から拒絶されている。

単なる断言を越えることを要求されたとき、イスラエルの擁護者は「新たな反セム主義」が存在すると主張する。彼らはそれをイスラエルに対する批判と同一視する。言い換えれば、イスラエルを批判すればあなたは定義上は反セム主義なのだ。英国国教会の宗教会議が最近、パレスチナ人の住宅を取り壊すためにイスラエル人に使われているという理由でキャタピラー社を追放するために投票を行った時、ユダヤ教指導者の代表は「これは英国でのユダヤ教徒とキリスト教徒の関係に最も不都合な反応をもたらすだろう」と苦情を述べた。一方、改革運動の代表であるユダヤ教指導者のトニー=ベイフィールドは「反シオニスト的-反セム主義にほとんど等しい-な態度が草の根に、そして教会の中級幹部にまで出現しているのは明白な問題だ。しかし、英国国教会は単にイスラエル政府の政策に講義しているから有罪なのだ。」と言った。

批判者はイスラエルに対し不公平な基準を持っているとか、イスラエルの生存権に異議を申し立てているという点でも非難される。しかし、それらも捏造された告発だ。西洋のイスラエル批判者がイスラエルの生存権に異議を申し立てる事は滅多にない。彼らはイスラエル人自身も行っているように、イスラエルのパレスチナ人に対する振る舞いに異議を申し立てているのだ。イスラエルが不公正に裁かれているのではない。イスラエルのパレスチナ人に対する取り扱いが非難を顕在化させているのは、それが広く受容された人権の概念や国際法、そして民族自決権の原則に反しているからだ。そして、イスラエルはそれらを根拠とする鋭い批判に直面する世界でほとんど唯一の国である。
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