国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

バイカル湖旅行記

2013年07月20日 | ロシア・北方領土
【私のコメント】

最近北京経由でシベリアのイルクーツクに旅行したのでその記録をここに留めておきたい。旅行の目的はバイカル湖の観光と、未踏の地であったバイカル地域の視察である。日本からの直行便がないため、北京で乗り継いだ。往路で乗り継ぎに時間の余裕があったため少し観光した。

北京の空港はオリンピックのため新装されており広大である。空港からは高速鉄道を乗り継いで地下鉄網にアクセス可能。地下鉄は現在も建設ラッシュが続いており、ガイドブックにない新路線がかなり存在した。この新路線の地下鉄十四号線の大瓦●(上が穴で下が缶)駅を降りて南西方向に二十分強歩いた所にあるのが中国人民抗日戦争記念館で、その少し先には1937年の日中軍事衝突の舞台となった盧溝橋が存在する。この二カ所を観光した。

駅を降りて歩くと高速道路の進入路を渡らねばならないが信号もなくかなり危険。要注意である。その後二十分程度商店街を歩いて博物館に到着した。予想通りの反日宣伝のオンパレードである。ただ、敵国の筈の日本軍の写真も少しあった。大東亜共栄圏の正義のために戦った偉大なる帝国陸軍兵士の勇姿を見ることが出来たのは幸せだ。

展示の最後には日中両国の首脳が握手する写真が沢山あった。小平、江沢民などの毛沢東後の指導者と、河野洋平などの日本右翼からは売国奴とされる人々が握手していた。1987年に開館したというこの博物館は南京大虐記念館と同様に、表向きは反日宣伝を行いつつ、実際には旧帝国陸軍統治地域や汪兆銘政府統治地域の中国人対日協力者が、売国奴を装う表向きは左翼的だが実際には大東亜共栄圏の正義を貫こうとする日本人と交流を深める施設であったのだと想像する。



博物館を出て更に南西方向に向かって数分歩くと盧溝橋である。橋の両側にずらりと並んだ獅子の像、橋の両端にある乾隆帝の書いた碑文は実に興味深い。


観光の後は北京の銀座と言われるワンフーチン(王府井)を散策した。凄い人出で大混雑だった。脇道に入ると焼き鳥屋らしき店が並んでいるが、焼いているのは鶏肉ではなく、サソリに似た虫やヒトデなどのゲテモノだった。羊肉の焼き鳥もあった。また、土産物屋の並んだ脇道では毛沢東グッズが豊富だった。

空港に地下鉄と高速鉄道を載り着いて戻り、有料休憩室でシャワーを浴びた後仮眠する。翌朝早朝の飛行機でイルクーツクに移動した。昼間35度前後の酷暑の北京と異なり、イルクーツクは昼でも25度前後で涼しくて快適である。

イルクーツクはバイカル湖から流れ出してエニセイ川に合流するアンガラ川のほとりにある。シベリア鉄道の駅から橋でアンガラ川を渡った所に狭い中心市街地がある。空港は中心市街地の端にあり、片道12ルーブル(約40円)のバスが駅や都心に頻発していて非常に便利である。ホテルのチェックインは午後なのでそれまでに観光せねばならない。

空港からのバスを途中で降りてツーリストインフォメーションに向かい、翌日に予定したバイカル湖観光の移動手段を聞く。バスは公営らしき大型バスの他に20分間隔で頻発する小型バスがあり100ルーブルで行けるとのこと。本当はバイカル湖に浮かぶオルホン島とか、イルクーツク州にあるブリヤートモンゴル人の自治管区の首都であるウスチオルダブリヤートにも行きたかったのだが、日程の関係で断念した。インフォメーションの敷地内にある小さな「街の生活博物館」を観光した後に、デカブリストの乱で流刑になったロシア人貴族の邸宅の博物館を見学した。この邸宅は貴族が罪を許されてモスクワに帰った後は地元の金持ちの承認の屋敷になっていたという。商人の仕事は無論、中国との貿易である。

中国(当時は清)とロシアは17世紀にキャフタ条約とネルチンスク条約を結んで国境を画定する。キャフタはイルクーツクとウランバートルを結ぶ道路上にある国境の町だ。現在は北京からウランバートル・キャフタを経てウランウデでシベリア鉄道に合流する鉄道路線があるが、この鉄道沿いの街道が中国とロシアの間の貿易の大動脈だったのだ。そしてその貿易の最大の目玉商品はどうやら茶葉だった様である。ロシア人が好む紅茶などの茶は寒冷なロシア本土では収穫不可能であり、その多くが中国で収穫/加工された後にキャフタで国境を越えてイルクーツク経由でヨーロッパロシアに運ばれたのだ。

邸宅の博物館の観光を終えた後は、バイカル湖畔の街リストビャンカ行きのバスが出発する長距離バスターミナルの場所に行って乗り場を確認した後、目抜き通りのカールマルクス通りに向かう。

人口一千万を超える巨大都市北京の繁華街の王府井は道路が人で溢れ歩けないほどだったが、イルクーツクの目抜き通りは驚く程人が少ない。歩道で売っている黒パンを発酵させたロシア名産の飲料クワスのペットボトルとパンを購入して昼食を済ませた。その後更に歩いて公園を経てアンガラ川二出る。川幅は恐らく500m程度か。護岸はきれいに整備され、結婚式を挙げる若い男女が記念写真を撮っていた。川は水量が多く、意外と流れも速い。川の中州の公園は遊園地になっている様だった。


街を歩く人々の95%は欧州系の顔立ちだ。残る5%はアジア系だが、話し言葉は明らかに中国と異なっており、ブリヤートモンゴル人と思われる。残念ながら彼らの身なりはロシア人よりみすぼらしく、収入の少ない者が多いのだと想像される。ここには日本人は一人も見かけない。


その後郷土博物館や歴史博物館を観光、夕方になったのでホテルで一泊する。無線LANが使い放題で便利だった。

朝食の種類は少なめだ。客の大部分はロシア人、中国人が少しいる。チェックアウトして長距離バスターミナルへ向かう。大型バスの切符は売り切れなので小型バスで行く。約1時間でバイカル湖畔に到着。終点の少し手前のバイカル湖博物館前で下車して観光。その後ニコリスカヤ教会まで歩き、近くの日本人墓地を探す。集落を歩く人に道を聞いて廻ってやっとたどり着く。ロシア人墓地の真ん中に立派な石碑があった。黙祷して大東亜共栄圏の正義のために闘いながら捕虜となり酷寒の地で命を落とした多くの日本人兵士達の魂を弔う。


その後更に30分ほど歩いてリストビャンカの中心に辿り着く。湖岸線は日光浴する老若男女で溢れかえっている。湖は広く、対岸の山並みは霞んで見える。湖水はまだ冷たいのだが飛び込むロシア人も多い。500ルーブルの遊覧船があったので1時間ほど乗ってみる。湖の中心に向かうと急に風が冷たくなり毛布を被る。湖岸に戻った後バスでイルクーツクに向かった。


この世界一深い湖の周囲で我々日本人を含む北方モンゴロイドの祖先は暮らし、寒冷地に適応して進化した。私は故郷に戻ってきたとも言えるのだ。また、ロシア人の移住前はこの地の住民の大部分はモンゴル系であった。バイカルとはモンゴル語で「豊かな湖」または「大きな湖」という意味だという。

そして今、この地域はロシアの中枢的地域の東の端と認識されている。バイカル地域の東側のチタ州になると中国の圧力が強まり、アムール州以東に至っては街の市場の売り子はほとんどが中国人になり、街にも中国人観光客が多く見られる。中国と隣接しているが故に巨大な中国の人口の浸透圧に苦しんでいるのだ。この浸透圧に対抗してロシアが領土を守り抜くには、ロシア極東に遷都して巨大都市を建設し、その都市の魅力を高めるほかはないだろう。遷都先は恐らく昨年のAPECの会場になったウラジオストクか、あるいはシベリア鉄道日本延伸後のユジノサハリンスク以外にないだろう。そのような方法でロシア極東に中国に対抗する力をつけることができなければ、近い将来ロシアはシベリアを維持できなくなり、ベーリング海峡からウラル山脈までのシベリア全域は億単位の中国人移民で溢れかえり、中国にとっての新大陸と化することだろう。





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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2013-07-20 21:35:02
シベリア危うし、だな!
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Unknown (ピョートル)
2013-07-20 21:56:02
せっかく、ロシアに来たんだったら、俺の家に寄っていけば良かった、の・に!
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Unknown (糸色 倫)
2013-07-20 22:17:34
お帰りなさいませ、ご主人様!
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Unknown (Unknown)
2013-07-20 23:33:24
ウラジオストクやユジノサハリンスクって、場所的に、ロシアの端っこすぎないですか?

でも、本当にそんなところがロシアの首都になれば、親近感が沸きますけどね。
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Unknown (Unknown)
2013-07-20 23:55:14
でも、ロシアのど真ん中って、クラスノヤルスク辺りだろ?
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Unknown (Unknown)
2013-07-21 00:08:16
羨ましいぞ
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Unknown (Unknown)
2013-07-21 01:11:22
こんなに知識があったら旅も楽しいだろうな。

でも私はもっと気軽に旅したいと思う。
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Unknown (Unknown)
2013-07-21 01:18:29
11歳くらいの美少女希望
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Unknown (Unknown)
2013-07-21 18:44:05
モスクワも結構端にあるよ。
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Unknown (Unknown)
2013-07-22 20:48:52
逆に中国がロシアの管理下になる可能性はないでしょうか?
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