アンサンブル・ド・ミューズ ニュースレター

レッスンの事、日々の出来事などいろいろと…。

取り留めもなきことなれど…♪

2018-08-28 09:22:09 | Weblog
先週ハンガー・ラックを解体して粗大ゴミ回収に引き取ってもらった。
それをきっかけにして、ちょっとした雑貨の置き場所を変えたり、不用品を処分したりの作業をしている。
中でも多いのは紙物だね。
雑誌やタウン誌の記事で興味のあるものは、そのページを取り外したり切り抜いたりして保存している。
ただこういうものはその後、まぁず見ることはないね。
たぶん一過性の興味なんだろうと思う。
料理のレシピなんかけっこう貯まっているけど、それを活用して料理を作ったことは1度もないもんね
料理、手芸、工芸、絵画、文芸、和服、和の文化、旅行、海外の都市、etc.etc. まぁこぉんなものまで、というくらい、とっておいたもんだねぇぇぇ…。
でもまぁ、その記事を読んだ時点であらましはアタマに入っているだろうから、と脳ミソさまを信じて処分決定。
こんな風に半年か1年ごとに処分している。
布物は、2月と6月に区の古布回収があるから、それを利用させてもらってる。
手芸関係のものとかショップバッグとか、そのうち使うこともあろうと思って取っておいた物も、半年あるいは1年使わなければ処分。
そうやって不定期ではあるけれども身の回りの物を整理していると、いつも思い浮かぶ言葉がある。
起きて半畳寝て一畳
禅の言葉だと思う。
起きているときは自分が座っている畳半畳で十分だし、寝るときは畳一畳で足りる。
道場で修行する雲水さんの場合、日常生活のすべてが修行。
生活の場としての風呂、トイレ、台所、食堂などは共同だし、起きている間はたいてい本堂や教導場や禅道場などのどこかにいるわけだし、個人に必要なスペースなどというものは寝る場所だけ、ということになる。
玄侑宗久師の著作を読むと、寝るときには掛布団のような1枚の布団をふたつに折って、その間に挟まって寝るとある。
玄侑師いわく、柏餅の餡になったような状態、と。
個人に許されるのは、その寝るための一畳と布団や私物を仕舞っておく物入れだけだそうである。
時々思う。
それが究極の理想だよなぁ…って…。
とりあえず狭小だがキッチンとユニットバス付きの1Rっていうのは、ソレに近いんじゃないかと思う。
私は潔癖症ではないが、四角い部屋は四角く掃くタイプ。
自分の居場所は自分の手できちんと掃除が行き届いていないとイラっ とすることがままある。
だから部屋数が多かったり広かったりすると、掃除にかける労力が過大になるからヤダ。
接待とか人を招いてのおもてなしなんて滅多にないことのための広いスペースに常に掃除を行き届かせるって、そんなことに時間をかけるより、その分本を読んでいたい。
そんな滅多にないことは、それは料理屋でやればよい、と思っている。
だからバー・レッスンが出来るスペースがあればそれで十分。 
ま、バー・レッスンが出来るスペースがそのまま寝るスペースになるのだが…


コメント
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