世の中に、スマホやタブレットが普及して、若い世代には当たり前のツールになっていますが、一方でシニア世代にはまだまだ抵抗感が根強いのも現実です。今より先、社会がどんな風に変化を遂げるかを、知っている人が存在するわけではありません。但し、誰しもが、未来はこうなるだろう…といったそれぞれの予感を抱いてもいます。的中するかどうかもわかりませんが、いずれ各家庭には、パソコンよりタブレットの方が普及するのではないだろうかと思っています。パソコンが廃れてしまうといった事ではありません。パソコンは、更に実務に特化した使い方に威力を発揮していくはずです。家庭では、ただメールのやり取りや、ネットでの調べモノ、写真や動画を楽しむ程度で充分かも知れませんから、パソコンよりスマホやタブレットが向きそうです。
そこで最近、「ITコミュニケーションサロン」と銘打って、SNSの勉強会を計画しました。。これから先に、更にどのような形に発展させていくかは、また模索中です。が、取り敢えずはスマホやタブレットのメディアを持ち込んでいただかず、座学のような形で…という方針で臨みました。シニア世代は、まだまだガラケーを使っておられる方も多く、興味はあるけれどメディアを持っていない…という方も多いだろうと思った事。何より、一体どのようなものかを知りたいだけなのに、無理にそれぞれのサービスに登録していただくことを避けたかった事。などの理由で今回はこのような形をとりました。
このようなSNSは、「情報を発信したい」と思う人だけが利用すれば良いのだし、「情報を受信したい」と思えば閲覧だけにすれば良いわけです。特にこれと言って発信する情報を持ってはいない方々にまで、無理やり情報発信をお勧めするつもりはありません。世の中には、夕食の献立写真を載せたり、ペットの写真を載せたり、子どもの写真を載せたり…の情報があふれています。積極的にそのような情報発信をしたいと思っておられる方々は別として、このような情報に私自身が魅力を感じていませんので、登録を強制したくなかったわけです。ともかく「facebook」や「twitter」等々の言葉に反応した方々は結構おられて、初回の試みとしてはまずまずの状況でした。今後の続け方はこれから模索しようと思います。
最近「SNS疲れ」という言葉が聞かれるようになってきました。情報を発信すること自体に、大きな意義を見出して利用している方よりも、何となく世の中の流れに乗っかって、流行のように取り入れている人が疲れて来たのでしょうか。デンマークの「幸福研究協会」というところがある調査を行いました。facebookユーザー1000人規模を対象に、2つのグループに分け、一方のグループにはfacebookを引き続き使いながら、他方にはfacebookの使用を一旦やめてもらって、1週間後その「幸福度」を尋ねています。結果はfacebookを使い続けたグループに比べ、facebookの使用をやめたグループの方が「幸福感」が強いというものでした。勿論その差は10%程度の数字で、それが有意差なのかどうかは難しいところですが、人生に対して前向きな気持ちを持つ人はfacebookを利用しない人に多く、ネガティブな気持ちを持つ人はfacebook利用者に多い…という結果なのです。
facebookには、たくさんの人がたくさんの事象を発信しています。そこで、他の投稿者の充実ぶりを見れば見るほど、自分は何もできていないといった劣等感が掻き立てられてしまうようです。facebookは、「自分が如何に生活が充実しているか」を競い合うツールだと決めつけるような意見まで見られ、このまま世の中はfacebook離れが起きていくかも知れないとも言われ始めています。
情報発信というのは一体何なのか、改めて問い直す必要を感じます。この頃はニュースにも取り上げられなくなりましたが、一時非常識な行為に走り、その写真をSNSに投稿して、社会的な責任を負わざるを得なくなった例がたくさんありました。彼らは、一体何のために、顔まで特定できるようなやり方で、自らの非常識行為を発信したのでしょうか。多分、本当に世の中に対して訴えたいと思っていることを持ち合わせていない故のような気がします。何も持ち合わせてはいないのに、それでも、世の中からは認められたいと思う気持ちがいびつになった結果でしょうか。
毎日の何気ない生活を楽しむことは、大切な事です。食卓の一皿にも、何気ない家族の横顔にも、私たちは十分な幸せを感じることができますし、それは人生の大きな糧でもあります。…が、同時にそれは、広く世の中に発信すべき値打ちを持ったものとは思い難いのも事実です。友だち同士のローカルなおしゃべりを、広くウェブ上に発信していく習慣はそろそろ止め時なのかも知れません。
ニュージーランドのとある高校の生徒会長を務める生徒が、進行の速いリンパ腫の診断で、3週間の余命宣告を受けました。彼はこの高校で行われた表彰式で登壇し、全校生徒に向かって「誰も人生からは生き残れない。ずっと先の夢では無く、目の前の事に情熱を注ぎ、感謝の気持ちを持って勇敢に取り組もう。」と力強く語りかけたと言います。この場を用意した校長先生すら、そのスピーチの力強さに驚いたと言います。このスピーチの模様はYouTubeで流され、更に同校のFacebookページには、治療に専念中の生徒の様子が伝えられたとか。病など不幸な境遇に直面した人々の発信は、ツイ物見高く視聴を集めてしまうところがありますから、そのようなシチュエーションに酔いたくはないと思います。が、発信すべきメッセージを持った発言は無条件に人の心を揺さぶる事は確かなようで、私たちはそろそろ情報の質に、自らこだわっていく時を迎えているのだと思います。
「写真画像の透過処理をしたい」
パソコンのご質問を(ぱぁと2)にまとめています。ご連絡の際は、メール(chiko_419@yahoo.co.jp)をお送りください。
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当ブログとは一切関係はありません。
そこで最近、「ITコミュニケーションサロン」と銘打って、SNSの勉強会を計画しました。。これから先に、更にどのような形に発展させていくかは、また模索中です。が、取り敢えずはスマホやタブレットのメディアを持ち込んでいただかず、座学のような形で…という方針で臨みました。シニア世代は、まだまだガラケーを使っておられる方も多く、興味はあるけれどメディアを持っていない…という方も多いだろうと思った事。何より、一体どのようなものかを知りたいだけなのに、無理にそれぞれのサービスに登録していただくことを避けたかった事。などの理由で今回はこのような形をとりました。
このようなSNSは、「情報を発信したい」と思う人だけが利用すれば良いのだし、「情報を受信したい」と思えば閲覧だけにすれば良いわけです。特にこれと言って発信する情報を持ってはいない方々にまで、無理やり情報発信をお勧めするつもりはありません。世の中には、夕食の献立写真を載せたり、ペットの写真を載せたり、子どもの写真を載せたり…の情報があふれています。積極的にそのような情報発信をしたいと思っておられる方々は別として、このような情報に私自身が魅力を感じていませんので、登録を強制したくなかったわけです。ともかく「facebook」や「twitter」等々の言葉に反応した方々は結構おられて、初回の試みとしてはまずまずの状況でした。今後の続け方はこれから模索しようと思います。
最近「SNS疲れ」という言葉が聞かれるようになってきました。情報を発信すること自体に、大きな意義を見出して利用している方よりも、何となく世の中の流れに乗っかって、流行のように取り入れている人が疲れて来たのでしょうか。デンマークの「幸福研究協会」というところがある調査を行いました。facebookユーザー1000人規模を対象に、2つのグループに分け、一方のグループにはfacebookを引き続き使いながら、他方にはfacebookの使用を一旦やめてもらって、1週間後その「幸福度」を尋ねています。結果はfacebookを使い続けたグループに比べ、facebookの使用をやめたグループの方が「幸福感」が強いというものでした。勿論その差は10%程度の数字で、それが有意差なのかどうかは難しいところですが、人生に対して前向きな気持ちを持つ人はfacebookを利用しない人に多く、ネガティブな気持ちを持つ人はfacebook利用者に多い…という結果なのです。
facebookには、たくさんの人がたくさんの事象を発信しています。そこで、他の投稿者の充実ぶりを見れば見るほど、自分は何もできていないといった劣等感が掻き立てられてしまうようです。facebookは、「自分が如何に生活が充実しているか」を競い合うツールだと決めつけるような意見まで見られ、このまま世の中はfacebook離れが起きていくかも知れないとも言われ始めています。
情報発信というのは一体何なのか、改めて問い直す必要を感じます。この頃はニュースにも取り上げられなくなりましたが、一時非常識な行為に走り、その写真をSNSに投稿して、社会的な責任を負わざるを得なくなった例がたくさんありました。彼らは、一体何のために、顔まで特定できるようなやり方で、自らの非常識行為を発信したのでしょうか。多分、本当に世の中に対して訴えたいと思っていることを持ち合わせていない故のような気がします。何も持ち合わせてはいないのに、それでも、世の中からは認められたいと思う気持ちがいびつになった結果でしょうか。
毎日の何気ない生活を楽しむことは、大切な事です。食卓の一皿にも、何気ない家族の横顔にも、私たちは十分な幸せを感じることができますし、それは人生の大きな糧でもあります。…が、同時にそれは、広く世の中に発信すべき値打ちを持ったものとは思い難いのも事実です。友だち同士のローカルなおしゃべりを、広くウェブ上に発信していく習慣はそろそろ止め時なのかも知れません。
ニュージーランドのとある高校の生徒会長を務める生徒が、進行の速いリンパ腫の診断で、3週間の余命宣告を受けました。彼はこの高校で行われた表彰式で登壇し、全校生徒に向かって「誰も人生からは生き残れない。ずっと先の夢では無く、目の前の事に情熱を注ぎ、感謝の気持ちを持って勇敢に取り組もう。」と力強く語りかけたと言います。この場を用意した校長先生すら、そのスピーチの力強さに驚いたと言います。このスピーチの模様はYouTubeで流され、更に同校のFacebookページには、治療に専念中の生徒の様子が伝えられたとか。病など不幸な境遇に直面した人々の発信は、ツイ物見高く視聴を集めてしまうところがありますから、そのようなシチュエーションに酔いたくはないと思います。が、発信すべきメッセージを持った発言は無条件に人の心を揺さぶる事は確かなようで、私たちはそろそろ情報の質に、自らこだわっていく時を迎えているのだと思います。
「写真画像の透過処理をしたい」
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