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惨美の境目

2015年11月19日 | 命の生き方
19歳のオーストラリアのモデルのエセナ・オニールさんは、Instagramで50万人以上のフォロワーを誇っていました。水着やドレス姿の写真は絶大な人気があったそうです。You Tubeでも20万人のフォロワーを獲得。そのオニールさんが、これらのSNSを辞めると宣言しました。11月になってからの彼女はInstagramの写真を削除し始め、本音のキャプションに書き換えもし始めたようなのです。SNSの閲覧数や「いいね!」を獲得するために、撮影や編集に何時間もかけていたようですが、そうした日々が「惨めだった」と語り始めたのです。

自分自身を「良く」見せるために、何時間も費やし、スクリーンの中で完璧を目指し、スポンサーまでついていたのは、ある意味で頂点を極めたとも言えるかもしれません。が、Webの中で何十万人の支持を得ても、現実の世界の中で、顔の見える相手と向き合う事のない生活は、彼女にとって惨めだったのだと説明しています。

どんな分野であれ、どんな土俵であれ、そこそこ頂点を極め更に維持することは、努力なしには為し得ません。そして目的をを達するために払う努力は、どんなものであれ、尊敬に値すると私は思います。彼女がSNSの中でフォロワーを獲得するといった目的のために払った努力には、それなりの意味があったのだと思うのです。ただ、人間の追求する「幸せ」とやらは、常にそれを目指して得ようとしている過程の中にしか存在しないモノで、達成してしまった途端、それは色褪せてしまいます。…と言って、苦労して得たモノを即座に手放せるほど、私たちは悟りを開いているわけではありません。Instagramの人気サイトは、その人気を維持することに疲れ果てたようです。

人は究極、自分のためにのみ「生きる」事が、惨めなのだと私は思います。自分軸しか持たない人に取っては、「自分」が全てではあるのですが、自分に終始して得られる幸せは多分希薄です。すぐに更なる「幸せ」に手を伸ばさなければ満たされなくなりますし、と言って自己完結型の人の「幸せ」は、すぐに手の内をすり抜けてこぼれ落ちてしまい、満たされぬ思いを埋めることが出来るわけではありません。彼女が「惨めだ」と表現したのは、そのような「自分探し」なのではないでしょうか。

幸い、彼女はそんなところに自分の幸せがあるのではない事に、早く気づいたわけで、もっとリアルな人間関係の中に、自分の生きる方向を見出そうとしています。キット地に足がついて充実した人生を、ここから歩み始めるのだと想像します。図抜けた「美しさ」は、彼女が幸せになるためにこそ使われるべきなのだと思います。



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