~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

レッスン15 「最終」のレッスン

2012-12-18 19:44:37 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

いよいよ最終回です。振り返れば、約半年かけて投稿してきました。最後に今まで投稿したレッスンのリンクを

貼っておきます。ご覧いただきありがとうございました^^  

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。

 

死の間際になってはじめて自分の善行に気づく人は少なくありません。自己の長所を知
り、互いの美点を見つけあい、生きている事の奇跡を讃えあうために地上に生まれてき
たのだという事を、わたしたちは思い出す必要があります。 

自分に課せられたレッスンを知ることは、必ずしも容易ではありません。例えば二歳で
亡くなった子どもの事を、慈悲と愛について両親に教えるために生まれてきたのだと理
解するのは、そう簡単なことではありません。げんに自分に与えられている教えを理解
するのが難しいだけではない。そもそも自分がどんなレッスンを学んだらいいのか、そ
れさえ分からないことが多いのです。第一、すべてのレッスンをすべて完璧に学びきる
ことは、まずできないでしょう。人生の何処かには、現世では倒すことのできない竜が
ひそんでいるものです。もしかしたらその人は、死後も必要なレッスンを学んでいるか
もしれません。あるいは、学ぶ機会を与えられたけれども、その人が学ぶことを選ばな
かったのかもしれません。それは誰にも分からないことです。もしかしたら、その人を
見ることによって許しのレッスンを学ぶ機会が与えられていたのは、あなたの方だった
かもしれません。私たちは皆、学ぶと同時に教える存在でもあるのです。 

喪失はあらゆる方法で「何が大切なのか」を、愛はあらゆる方法で「本当の自分とは何
か」を教えてくれています。人間関係は自己への気づきの契機となり、成長への得難い
機会を与えてくれます。恐れ、怒り、罪悪感、忍耐、そして時間でさえ、偉大な教師に
なります。人間はもっとも不遇の時期でも成長を続けています。現世における自己の真
の姿を知ることがいちばん大切なのです。そして成長とともに、最大の恐れである死へ
の恐怖が少なくなっていきます。 

死の床にある人たちが教えてくれた意外なレッスンの一つは、命に関る病気の宣告を受
けたときに人生が終わるのではなく、そのときに人生が本当に始まるのだという事でし
た。死の宣告を受けたときに真の生が始まるのは、死をリアリティとして認めたとき、
同時に生のリアリティを認めざるを得なくなるからです。その人は自分が「まだ生きて
いる」事に気づく。いま自分の人生を生きなければならないこと、いま生きるべき人生
はこれしかない事に気づく。要するに、

死にゆく人たちが教えてくれる最高のレッスンは、
毎日をフルに生きるということなのです。

 今の人生と同じ人生は二度と手にするができません。この人生で果たしてきた役割をも
う一度演じることも、もう一度これまでと同じように人生を経験することも、決してで
きません。あの両親のもとに生まれ、この家族をもち、この子どもに恵まれ、この環境、
この状況のもとに生きてきたように、この世界を経験することは、もう二度とできない
のです。同じ顔ぶれの友人を持つことも、今回の生かぎりです。あの海、あの空、あの
星、あの愛する人を、最期にもう一度だけみたいと願うようになるときまで待つ必要は
ありません。今こそ、それを、しみじみと見て欲しいのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

レッスン0 ライフ・レッスンより エリザベス・キュブラー・ロス著

レッスン1 「ほんものの自己」のレッスン(1)

レッスン1 「ほんものの自己」のレッスン(2)

レッスン2 「愛」のレッスン(1)

レッスン2 「愛」のレッスン(2)

レッスン2 「愛」のレッスン(3)

レッスン2 「愛」のレッスン(4)

レッスン2 「愛」のレッスン(5)

レッスン3 「人間関係」のレッスン(1)

レッスン3 「人間関係」のレッスン(2)

レッスン3 「人間関係」のレッスン(3)

レッスン3 「人間関係」のレッスン(4)

レッスン4 「喪失」のレッスン(1)

レッスン4 「喪失」のレッスン(2)

レッスン5 「力」のレッスン(1)

レッスン5 「力」のレッスン(2)

レッスン5 「力」のレッスン(3)

レッスン6 「罪悪感」のレッスン(1)

レッスン6 「罪悪感」のレッスン(2)

レッスン7 「時間」のレッスン(1)

レッスン7 「時間」のレッスン(2)

レッスン7 「時間」のレッスン(3)

レッスン8 「恐れ」のレッスン(1)

レッスン8 「恐れ」のレッスン(2)

レッスン8 「恐れ」のレッスン(3)

レッスン9 「恐れ」のレッスン(3)

レッスン10 「遊び」のレッスン(1)

レッスン10 「遊び」のレッスン(2)

レッスン10 「遊び」のレッスン(3)

レッスン11 「忍耐」のレッスン(1)

レッスン11 「忍耐」のレッスン(2)

レッスン12 「明け渡し」のレッスン(1)

レッスン12 「明け渡し」のレッスン(2)

レッスン12 「明け渡し」のレッスン(3)

レッスン13 「許し」のレッスン(1)

レッスン13 「許し」のレッスン(2)

レッスン13 「許し」のレッスン(3)

レッスン14 「幸福」のレッスン(1)

レッスン14 「幸福」のレッスン(2)

レッスン14 「幸福」のレッスン(3)


レッスン14 「幸福」のレッスン(3)

2012-12-10 08:50:51 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。

周囲に起こる出来事が、その人にとって最悪であろうと最良であろうと、世界はその人
にレッスンをもたらすような方法で一定の営みを続けています。たとえ物事が悪い方向
に向かっていると思われる時でさえ、世界は人を幸福から遠ざけるものではなく、幸福
に近づけるような働きをしています。この世には神が対処できないような問題や状況は
存在しないのです。

人は矛盾の塊です。常に「もっと」を望みながら、一方では、在るがままの自分を受け
入れ愛そうとしています。自分が霊的な存在でもあることを知っていながら、世俗的な
経験が織り成す現実を受け入れようとしています。苦しむ一方で、苦しみを乗り越えよ
うとしています。喪失を経験しながら、永遠の愛を感じることもあります。人生に慣れ
きっていながら、それが永久に続くものではないことを知っています。その両極性に気
づいたとき、私たちは以前よりも幸福になります。宇宙の中の私たちという部分は常に、
そうは見えないかもしれませんが、見事にバランスを保っているのです。

宇宙のバランスに対処するためには、人生が昇進、結婚、退職、病気の回復といった大
きな節目をめぐって回転しているのではないということを理解しておく必要があります。
人生は大きな節目と節目の間でも回転し、展開しています。むしろ、学ぶ必要のある事
のほとんどは、人生の小さな出来事の中に見い出されるものなのです。

我々は何となく、真の「人生に生きる」瞬間の訪れを心待ちにしています。しかし、ど
んな些細な状況に対しても、際立った力量と思いやりと愛をもって、誠実に対処する事
の中にも幸福は見い出せるのです。人生のいちばん小さな側面や、ごく普通の事の中に
大きなもの、特別なものを見い出すことはできるのです。

幸福を見つけるためには、あるものを学び、あるものを捨てなければなりません。これ
まで身につけてきた方法とは180度違う方法で考えるように頭を訓練しなければなりませ
ん。否定的な思考法を捨てなければなりません。自ら忘れる訓練をしなければなりませ
ん。晴天の爽やかな日に自然の中を歩くときに幸福を感じるというだけでは訓練になり
ません。どんなときでも、とりわけ自分に不利な状況になったときでも、幸福を感じる
ようにする訓練です。

自分の行動パターンを見つけて欲しいのです。どんな行動をとっている時に幸福を感じ
るか、どんな行動が不幸をもたらすのか、自分に問いかけるのです。そして、自分の内
面にも外面にも変化を起こすのです。嫉妬を感じたときに幸福になれるのか?相手を怒
鳴ったり、痛烈に批判したときに幸福になれるのか?感謝をしたときはどうか?親切な
ふりをしたとき、幸福を感じるか?幸福上級コースを学びたいと思ったら、知らない人
に親切にする訓練をしよう。誰にも告げることなく、誰かに慈悲の行いをしよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

「悪い方向に向かっているときでさえ幸福に近づいている」・・・・この言葉を理解するには、

たくさんの経験を積まなければならないでしょう。悪い状態に置かれている、その渦中に

いるときなどに、「この経験が幸せに通じる」とは誰も思えない。感情的には無理でも、

落ちるところまで落ちれば、後は自然に上がるしかないと論理的に解釈することはできる

かもしれませんが・・・。

 

生きている間に起こる出来事は、大なり小なり全て自分自身にとって大切で大事なこと。

ほんのわずかな関わり(それは人だけでなく、自然や地球に対しても)でも真摯に向き合い、

思いやりと愛をもって対応すること。その行動する、対応する過程の中に(思いの中に)、

「幸せ」が見出せるのかもしれませんね。

 

今の時代はそうでもありませんが、高度成長期、団塊の世代、そして私の生きてきたバブル

の時代は競争社会でした。人と比べて、学歴を比べ、勤務先を比べ、家を持ち、車を持ち、

海外旅行をするのがステータスでした。大半の人たちはメディアに躍らせれ、それが「幸福」

だと刷り込まれてきました。これらの思考概念は、非常に粘着質で、取り除くのは容易では

ありません。意識的に都度都度、思考の方向修正を行わないと、いつまで経ってもその思考

から脱出することはできません。いわば、価値観を180℃変えなければならないのです。

 

以上で、「幸福のレッスン」は終了です。

いよいよ、次回で総括まとめ・・最終回です^^


レッスン14 「幸福」のレッスン(2)

2012-12-05 10:37:09 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。 

実は、幸福な人は自己中心主義からいちばん遠いところにいる人です。幸福な人は不幸
な人より親切であり、愛と許しの力をもち、しばしばボランティアなどで他者に奉仕を
しています。不幸な人は利己的な行動に走りやすいですが、幸福な人は自然に利他的な
行動をとるようになります。 

真の幸福は出来事の結果ではなく、状況に左右されるものでもありません。幸福になる
かどうかは、周囲で起こっている事が決めるのではなく、あなたが決める事なのです。 

幸福になるか不幸になるかは、周囲で起こることによって左右されるのではなく、起こ
ることにどう対処するかによって左右されます。起こっていることをどう解釈し、どう
了解し、心にどう取り込むかが、その人の幸福を決定するのです。そして、物事をどう
了解するかは、その人の物事との関わり方によって決まります。物事からレッスンを学
び、物事と自己の真実を想起するバランス点はそこにあります。相手や状況の中の最悪
の側面を見る傾向があるか、最良の側面を見る傾向があるかによって、事態は大きく変
わります。物事を見るときの傾向は、特定の方向に注意を向けようとする習癖は、自ず
から強固なものになっていきます。 

幸福は、幸福な瞬間を経験することからやってきます。その瞬間を引き伸ばしていけば
いいのです。ある日、五分間だけ幸福を感じている自分に気がつく。次は、ふと気がつ
くと、一時間、幸福を感じている。やがて一晩、そしてついには一日中、幸福を感じる
ようになります。 

不幸の最短経路は、物事を比較することにあります。自己と他者を比較している間は、
けっして幸福にはなれません。誰かと比較して惨めになるためには、なんの努力も要り
ません。比較というこの自己破壊的な行為には、しかも、比較する他者さえ必要ではあ
りません。過去または未来の自分と比較するだけで、同じ惨めさを味わえます。ところ
が、幸福は、誰と比較することも無く、自分の過去やありうべき未来に照らし合わせた
りすることもなく、今ここで、ありのままの自分を「これでよし」と感じるところから、
やってくるのです。その人の感情やその人のリアリティは、周囲の事情によってではな
く、その人の思考によって規定されるものなのです。 

幸福は「・・・・たら」とは無関係に、今ここで選び取るものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

相手の気持ちを考えて行動するとき、すでに自分の要求・欲求は無くなっています。但し、

そこには「見返りを期待しない」ことが重要です。「これだけしてあげたのだから」の気持ち

が起きたら、すでに動機が違っています。「与え尽くしの愛」によって、より幸せに近づくの

でしょう。

 

身に降りかかる出来事への対処法・・・例えば、車を運転していて壁にぶつけたとします。

その出来事を「ああ・・・車をぶつけてしまった。何てことをしてしまったんだ。」と思うのか、

「ああ・・・壁で良かった。誰も怪我をしなくて良かった。」と思うのか・・・選択するのは自分

自身です。誰かに何かを言われたとき、その文言を良くとるのか(肯定的に解釈するか、

悪くとるのか(否定的に解釈するか)・・・それもまた選択するのは自分自身です。

 

「隣の芝生はよく見える」・・・幸せ(と思われる人)な人と比較する・・・ラジオを聴いても、

テレビを見ても、新聞を読んでも、比較するような物事は、そこらじゅうにあります。それら

の情報に惑わされてはいけない。そして、昔は良かった、あの頃は輝いていたなどと、

過去の自分と比較してもいけない。「今、ここで、この状態で幸せを感じる心」を育てなけれ

ばいけないのです。


レッスン14 「幸福」のレッスン(1)

2012-11-29 09:06:19 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。 

残り時間がないという事に心の底から気づいたとき、人生の意味に関する何かが変わり
ます。死の淵から脱して寛解期に入った患者が、「残り時間がないと思っていた時の方
が幸福だった」などと言う事は珍しくありません。死ぬまでの日数をあと何日と数える
ようになったとき、私たちは自分の幸福について真剣に考え、幸福を感じるようになり
ます。 

たいがいの人は幸福というものを、ある出来事に対する反応として考えていますが、
際の幸福とは心の状態のことであり、周囲で起こることとはほとんど関係がありません。
宝くじに当ったときの幸福、魅力的な身体になったときの幸福などは長続きせず、それ
は一時的な高揚感で、その時期が過ぎると、たちまち元の幸福あるいは不幸な状態に戻っ
てしまいます。 

幸福は人間の自然な状態なのですが、私たちは不幸な状態に安住するように訓練されて
います。奇妙な事ですが、私たちは幸福に慣れていないのです。せっかく幸福な状態に
あるのに、それを不自然だと感じ、自分はそれに値しないなどと思ってしまう。だから
こそ、私たちは誰かについて、何かの状況について、つい最悪の事を考えてしまいます。
また、だからこそ、幸福な状態をいいことだと感じる訓練や幸福になるための訓練が必
要になるのです。

その訓練の一つは、幸福の探求が人生の目的に不可欠であるという信念を受け入れる
にあります。多くの人がその信念に反発を感じ、それは自己中心的であり、思いやりの
ない態度だなどと言います。人生の目的が幸福になることだという考えに、人はなぜ抵
抗をおぼえるのでしょうか? 

私たちは幸福である事にやましさを感じ、恵まれない人が沢山いるのに自分だけ幸福を
求めることはできないと考えます。臆面もなく「なぜ幸福になる必要があるんだ?」な
どと言う人もいます。

その答えは「あなたは神の尊い子どもだから」という事になります。あなたはこの世の
あらゆる驚異を享受するために生まれてきたのです。そして、あなたが幸福であれば、
苦しんでいる人たちにより多くのものを与える事ができるのです。充足していれば、欲
求や欠如から生まれる行動はしなくなります。与える余裕ができ、自分の時間を、自分
自身を、自分のお金を、自分の幸福を、誰かと分かちあえるようになります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝起きると同時に生まれ、眠りにつく時に死んでいく。毎日毎日が一つの命の欠片の連続

だと思えば、今を真剣に生きられるようになるかもしれません。瞬間瞬間の喜びや感動に

シッカリと浸れるようになるかもしれません。

 

吉田拓郎が唄っていましたね。「祭りのあと」・・・

祭りのあとの淋しさが

いやでもやってくるのなら

祭りのあとの淋しさは

たとえば女でまぎらわし

もう帰ろう、もう帰ってしまおう

寝静まった街を抜けて

一時的な高揚感はホントに長続きしません。躁鬱のように反動がやってきたりします。

ホントに幸福とは心の状態なのですね^^

 

「幸福否定の構造」(笠原敏雄著)」という本があります。この本は、自分にとっては喜び

となるはずの対象や出来事をあえて避けるような行動を取る人がかなりの数に昇るわ

けですが、それはなぜなのであろうか?という切り口から「うれしいこと」の否定が心身

症・精神病の原因となる…30年に及ぶ豊富な臨床経験から、人間の心の奥底に秘め

られた仕組みを理論的に明らかにしようとしています。

私的には、例えば、スケジュール帳の予定が詰まっているとき(檻の中にいる感覚?)に

は忙しくても精神的には安心できるけれど、予定は空白だと(本来は自由気ままなはず)、

不安や焦燥感が襲ってくるような心の状態も、幸福否定の一つではないかと思いますね。

 

まずは、「幸福の探求が人生の目的に不可欠であるという信念を受け入れる事」その

訓練を行うことかもしれませんね。

ウルグアイのムヒカ大統領もリオ会議で次のように述べています。

「幸福は、私たちのもっとも大切なもの。「環境」のために戦うのであれば、人類の幸福こそ

が環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。」 


レッスン13 「許し」のレッスン(3)

2012-11-19 08:59:23 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。 

相手が人間である事を認めさえすれば、自分の内面を見つめる余裕が生まれ、許しが
始まります。内面には怒りがたまっています。だからまず、枕を殴りつける、独りで
大声をあげる、友人に心境を打ち明けるなどして、そのブロックされたエネルギーを
解放してあげる必要があります。怒りの感情を解放すると、怒りの奥に隠れていた悲
しみや憎しみなどが噴出してくる事があります。そのときは、それぞれの感情に浸れ
ばいいのです。その次のステップが難しいのですが、そこを通り抜ける必要がありま
す。それらの感情を手放すというステップです。許しは自分を傷つけた相手の問題で
はありません。相手の事は心配しなくていい。相手が何をしようと、傷ついたのは自
分です。それは相手の問題ではなく自分の問題なのです。だから、相手への否定的な
思いを手放す事の中に自由があります。誰もが対処すべき問題を抱えていますが、そ
れは自分の問題ではありません。自分が問題にすべきなのは、心の平安や幸福を手に
する事なのです。 

我々は毎日、バカな事をした、過ちを犯したと、自分を裁いています。自分を許すた
めに必要なのは、もしあのとき、別の角度から見ていれば自分も別の行動をとってい
ただろうと気づく事です。「いい」と思って、少なくも「仕方が無い」と思ってした
事が過ちだった。考えが足りなかった。だから自分を許さなければならないのです。 

我々は過ちを犯すために、はからずも他者を傷つけるために、ときに自己を見失う為
に、地上に生まれてきました。もし、完全無欠だったら、そもそもこの世に生まれて
くる事はなかったでしょう。もし自分で自分が許せないほどの恐ろしい事をしてしま
ったなら、神にゆだねるのがいちばんよいでしょう。「神さま。まだ自分を許す事が
できません。自分を許す事ができるようになるまで、どうか私を許し、お助けくださ
い」と祈ればよいのです。 

許しは一生に一度の大仕事ではなく、毎日続けていく精神のトレーニングです。それ
は精神的・霊的生活の保守点検作業のようなものです。許す事によって平和が得られ、
愛が維持できます。ただ一つの課題は、再び心を開くことです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これらの文章を読むと、なるほどなと思います・・・。しかし、「相手を許すこと」「自分を許す

こと」は本当に難しいことだと思います。ただ、上記から、その感情を手放すヒントが得られ

ますね。

1.悶々と溜め込んでいる怒りの感情を表に現す。

サンドバックを叩くなど・・・

2.次に顕れる悲しみや憎しみの感情も表に出してやる。

大声で泣く、トイレットペーパーに感情を殴り書きしてトイレに流すなど・・・

3.それらの感情に気が済むまで浸り尽くす。

4.その感情を味わい尽くしたら、切り離す。手放す。

 

4.に関しては、最近、個人的にも体験しているのですが、以前に投稿した「モリー先生との火曜日」

にも、味わい尽くした感情の切り離しの記述部分があって、大いに役に立ちました。

「モリー:うらやましいことはうらやましいさ。だけどね、うらやましいっていう気持ちがやってくる、じっ
くり味わう、そのあとはもうかまわない。今の病気の中で襲ってくる痛みや苦しみを味わいつくした
後に、それに対する感情や体験から自分を切り離せって言ったのを覚えているだろう? 思い切り
が肝心。「ああ、これがうらやみか。なるほど。ではこれでおさらばだ」と言って、さっさと立ち去るわけ。」

 

私たちは、過ちを犯すために生まれてきた・・・なんと心がホッコリする言葉でしょう^^

上記には「許し」は、毎日続けていく精神トレーニング(保守点検作業)と書かれていますが、これは、

「許し」だけではありません。私たちは、気がつくと過去に囚われ、未来の取り越し苦労で心は満杯に

なります。 そんな思いを常に意識的に切り離す、手放すことが「今を生きる」ことになるのでしょう。

 

次回より レッスン14 「幸福」のレッスン 最後のレッスンです。


レッスン13 「許し」のレッスン(2)

2012-11-13 08:19:06 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。 

許しとは相手を好き放題にさせておく事ではありません。それは言葉の最良の意味で
の博愛の行為です。自分を傷つけたときの相手はけっして満足な状態ではなかったの
だという事に思い至った瞬間に、許す気持ちが生まれます。相手は過ちを犯したが、
それは相手の本来の状態ではなかった。人間である以上、相手も過ちを犯す。その事
で相手も自分と同じように傷ついています。そこに気づいたとき、許しが生まれます。
結局のところ、人は自分を癒すために許すのです。相手の行為は、ただの行為でしか
ありません。その行為を許すのではありません。人を許すのです。

もう一つの許しの障害になっているのは、報復してやりたいという欲望です。たとえ
報復を遂げたとしても、一時的な満足しか得られません。報復という低次元な行為を
した自分に対しても、後で罪悪感をもつことになります。自分を傷つけた人に自分の
苦痛を思い知らせるためにとった攻撃的な行為が、結局また自分を傷つけます。

許す事は難しい。傷を無視してしまう方がまだ楽だというときもあります。何回も許
したいと思いながら、つい先延ばしにしてしまいます。傷つけられた惨めさが、どう
しても忘れられないのです。その先延ばしの期限がくるのは、こんな気持ちのままで
生きていたくない、いつまでもわだかまりを引きずっていたくないという、自分の本
心に気づくときです。

許せないという気持ちは人を固着させます。傷を抱え込んだままの状態と馴れ合い過
ぎて、大決心をしなければ許す事ができなくなります。人間関係を修復するよりは
手を責めた方が楽になります。相手の過ちだけを見ている間は、自分自身の内面を見
つめる必要がないからです。相手を許したとき、はじめて人生に力が蘇り、傷を乗り
越えて花開く事ができるようになります。傷を抱えたまま生きる事はたえず犠牲者の
立場に留まる事であり、その立場から脱出するには許すという道しかないのです。
かによって自分が永久に傷ついていなければならない理由は何処にもありません。そ
の気づきの中に大きな力が潜んでいるのです。

許しの第一ステップは、相手を再び人間として見るという事にあります。弱気になっ
ているとき、配慮を失ったとき、混乱しているとき、苦しんでいるとき、人間である
相手は過ちを犯します。傷つけた相手は欠陥があり、もろく、孤独で、貧弱で、感情
的にも未成熟な人間であり、いわば、自分と同じような存在なのです。自分もそうで
あるように、相手もまた浮沈を繰り返しながら、魂の旅路の途中にあるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

相手が本来の状態でなかった・・・例えば、傷つける行為が、その本来の状態、「相手の人

=ピュアな魂」として、その魂が身体をまとい、この世での喜怒哀楽の感情の中で起こった

出来事、とすれば解りやすいかもしれません。

しかし、その行為が重大な過ちであった場合(愛する人を殺められたりするような)、その人

を許せるかどうかは、個人的には解りません。長い期間、相当な葛藤を抱くことでしょう。

大変な試練だと思います。


 

報復…目には目を、歯には歯を…宗教戦争や紛争の収まらない地域をみれば、よく分かり

ます。永遠に続いていってしまう。相手を許さない限り、自らの心が解放される事はない。憎

しみは、非常に粘着質で、心がその感情に執着してしまいます。

 

魂の旅路の途中……自分よりも先を行く魂もあれば、遅れてくる魂もある。誰もが真理の山を

右往左往しながら登っていると考えれば、自分自身も、かつては山の裾野から登り始めたわ

けです。山の頂きも全く見えないところから。

自分自身もかつて、上を行く者に迷惑をかけ、足を引っ張ったのかもしれません。今でもそうで

しょう。山道から落ちそうになったときに、手を差し伸べられたかもしれません。「あなたはあなた、

わたしはわたし」ではなく、「あなたもわたしも」前後はあれ、同じ山を登る仲間・・・・そんな側面

からみれば「許し」が、より見えてくるのかもしれません。


レッスン13 「許し」のレッスン(1)

2012-11-05 17:55:47 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。

 

人生をまっとうするためには許す事を学ばなければなりません。許しは苦痛や傷を癒
す方法であると同時に、再び他者と自己とを結びつける方法です。人は誰でも傷つい
た事があります。たとえいわれのない事情によるものであっても、傷つくときは傷つ
きます。そして、私たちはほぼ全員、他人を傷つけたことがあるはずです。問題は傷
つけたり傷ついたりする事よりもむしろ、その経験が忘れられないこと、それを忘れ
ようとしないことの方にあります。傷の痛さはそこにあるのです。私たちは傷を溜め
込みながら生きていますが、その傷を手放す方法は誰からも教わっていません。許し
が必要とされる理由はそこにあります。 

許す人生を選ぶか許さない人生を選ぶかは、その人が決める問題です。誰もがそのい
ずれかを選択することができます。皮肉にも、傷つけた人より傷ついた人にとって重
要な問題であり、傷ついた人が癒されるという意味で、許しは自愛的な行為ともいえ
ます。 

死の床にある人が、それまでは得られなかった心の平安を見い出すのは、死とはとも
あれ手放すことだからです。許しも手放すことであるという意味では、死と同じです。
許さないという事は、昔の傷や怒りにしがみついているという事です。恨みの感情に
栄養を補給して、過去の不幸な部分を生かし続ける事です。許す事ができなければ、
自分自身の奴隷になるしかありません。 

許しには様々な障害があります。中でも大きな障害は、許せば自分を傷つけた行為を
認める事になってしまうのではないかという感情です。しかし許しとは、相手に「私
を傷つけてもいいのよ」ということではありません。許しとは、恨みを抱いていると
不幸な人生を送る事になると気づいて、自分自身のために、受けた傷を手放す事です。
許せないと思っている人は、自分が罰している対象がほかならぬ自分自身である事を
思い出す必要があります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

おそらく、誰もが「人を許す」ことに難儀しているのではないでしょうか。特に身内の事

などは根が深く、なかなか頭の隅にこびりついて、引きずってしまいます。会社など、

毎日顔を合わせる環境でもそうでしょう。仕事の悩みの中で、人間関係を挙げる人も

多いようですね。

 

恨み辛みは、一つのエネルギーになって、変な生きがいになる場合もあります。しかし、

そのエネルギーは、さらに強い自我を形成し、威張り、見栄っ張り、から元気などの

心身のバランスを崩す方向へと働くことでしょう。それは当然、肉体へも影響し、へんな

所に力が入って肩こりが増したり、血圧が上がったり、暴飲暴食になったり・・・・。

 

「許しとは、相手や出来事を容認することではなく、自分自身の為に、受けた傷を手放す

事」

では、どうすれば「許す」ことができるようになるのでしょうか?後述するレッスン(2)、(3)

から学んでいきましょう^^ 


レッスン12 「明け渡し」のレッスン(3)

2012-10-31 00:23:06 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。

起こることは、何でもかんでも受容せよといっているわけではありません。くだらな
いと思ったテレビ番組に自分を明け渡す必要はない・・・チャンネルを換えればいい。
問題は、幸福を阻害しているものが決定的に克服し難いような状況をどうするかです。
私たちは、その状況が変わらないかぎり絶対に幸福にはなれないと思っていますが、
状況を変えることはできません。いま癌にかかっている人は、この瞬間には癌の無い
状態には戻れません。そんなとき、その状況から教訓を得るための最も強力かつ迅速
な方法が、人生に自分を明け渡してしまう事なのです。その時、癌になったからといっ
て人生が終わったわけではないと気づくことができるのです。恐怖から解放され、落
ち着きを取り戻して、覚悟が生まれ、さらにその変化が病状にもいい影響を与え、治
癒力の促進へと繋がるのです。

「いまのまま」の人生に自分を明け渡す事が、奇跡のように状況を変化させます。明
け渡しとは受容することです。事態の進行に身をゆだねたとき、宇宙は我々に自己の
運命をまっとうするための道具を与えてくれます。

人生には、大波に飲み込まれたときのような、自分ではどうしようもない事態に巻き
込まれるときがあります。受容し、自分を明け渡す必要があるのは、そのような時で
す。明け渡さなければ、悪戦苦闘の末に消耗しきってしまう事になります。

・安心でないとき、それが明け渡すときです。
・行き詰ったとき、それが明け渡すときです。
自分は全てに責任があると感じたとき、それが明け渡すときです。
変えられないことを変えたいと思ったとき、それが明け渡すときです。

最高の瞬間、最大のチャンスは、その実現のために悪戦苦闘していた願望からではな
く、思いがけないところからきたのではないでしょうか?それは、そのとき、その場
所でしか起こり得ないような、幸運な偶然の産物のようにもみえます。しかし、それ
が明け渡しという行為の精妙な作用であり、人生とはそのように展開するものなので
す。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大病は、恐れや恐怖を生み出します。そのため、深刻な病は精神面でも大きな打撃

を与え、うつ状態などを引き起こします。身体的にネガティブスパイラルに巻き込まれ、

状況はどんどん悪い方向へ向かってしまいます。

そのスパイラルから脱出するには、「人生に自分を明け渡す」という全く違った観点から

今の自分を見つめ直すことが必要であるようです。

その開き直りや自己解放が、今日一日を丁寧に生きる事の大切さを訓える事でしょう。

そして今日一日を楽しく有意義に生きようとすれば、そこから「笑い」や直近の「生きがい」

が見えてきます。「笑い」や「生きがい」は、ナチュラルキラー細胞を活性化させ、ガンや

難病の治療効果を高めます。こうして、開き直りを起点にポジティブスパイラルが生まれ

ます。

 

自分は全てに責任があると感じたとき、

変えられないことを変えたいと思ったとき、

それが明け渡す時。

絶体絶命、八方ふさがり・・・・通常では、心身が萎縮してしまう、そんな状態のときに、

肩の力を抜いて、両手を広げて、その状況に身を任す・・・宇宙や大いなる存在を信じて

身を投げ出す・・・そんな恐ろしい事ができるのでしょうか?開き直りだけでは対応しき

れないようにも思います。「信じること」がもっとも力を与えてくれるのでしょうね。

 

「明け渡すこと」は、運命をも変えるかもしれません。宇宙や大いなる存在に身をゆだね

るのですから・・・。しかし、運命が変わり、渇望していた良い方向へ向かったとき、そこ

には以前とは違う思考のあなたがいるかもしれません。

槇原敬之の「僕が一番欲しかったもの」のように^^

 

次回からは、 「許しのレッスン」です。

ps:こうして投稿しているわけですが、自分自身は未だ未だ発展途上なんです。揺らぎ、

迷い、悩み、苦しみ、戸惑い・・・・だから自分自身のためにも勉強なんです。このレッスン

の中でも、「人は先生でも在るが生徒でも在る」というような言葉がでてきたと思います。

この世で生きている間は、ず~っと勉強するんじゃないかなあ。。。自分としては^^


レッスン12 「明け渡し」のレッスン(2)

2012-10-22 17:12:48 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。

自分を明け渡すためには、毎朝、目が覚めたときに「「わたしの意思で」ではなく、
「汝の意思で」といえばいい。そして、こういうのです。「今日、何が起こる事に
なっているのか、私は知りません。今日、自分がする事の計画はあります。でも、そ
の計画は青写真でしかないという現実に対して、私は自分を明け渡します。嬉しい誤
算も、恐ろしい誤算もあるかもしれません。それでも信じます。何が起こっても、そ
れは全て私を一つの方向に導いてくれるものである事を信じます。私の存在、私の魂
を、最善の形で開花させてくれる方向に」

明け渡しと降伏には大きな違いがあります。降伏とは、例えば致命的な病気の診断を
受けたときに、両手をあげて「もうだめだ。これでおしまいだ!」という事です。し
かし、自分を明け渡す事は、いいと思った治療を積極的に選び、もしそれがどうして
も無効だと解ったとき、大いなるものに身をゆだねる道を選ぶ事です。降伏するとき、
我々は自分の人生を否定します。明け渡すとき、我々は在るがままの人生を受け容れ
ます。病気の犠牲者になる事は降伏することです。しかし、どんな状況にあっても、
常に選ぶ事ができると考えるのが明け渡しなのです。状況から逃げ出すのが降伏であ
り、状況のただ中に身を捨てるのが明け渡しです。

ほんの小さなことにさえ無条件に従えない人が大勢います。講演会などでも、講演の
途中で演者に異議を唱える人が必ずいます。演者が述べ終わるまで待ちきれずに異議
を唱えるのは、受け取る事、学ぶ事に自分を明け渡していない証拠です。

世の中には、他人にしゃべらせる事が自分の敗北だと考える人さえいます。相手の話
を聞く事、注意深く聞く事は、相手の見解に多少なりとも自分を明け渡す事です。相
手の見解を取り入れようと、捨て去ろうと、それは自由ですが、いずれにしてもそれ
自分を明け渡した後の話です。

何でも自分の思い通りにしたいという人が増え過ぎたのです。私たちは謙虚であると
いう事、誰かの足元にひれ伏すという事がどんな事なのかを忘れてしまっています。
例えばほんの短時間、ほんの些細な事でさえも、誰かのアイデアや経験を素直に受け
取る事ができなくなっています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝、今日一日どんな事が待ち構えていようとも、全てを受け入れる。良いことも悪いことも。

それら全ての事は、自分の魂の糧になる、成長させる、良い方向へ向かわせているのだ

という強い信念を持つことが、日常生活の中で、自分を明け渡すということなのでしょう。

 

辛い病の最中では、明け渡す事は、とても難しいでしょうね。どのような腹のくくり方で

対処すればよいのでしょうか?いずれ誰もが必ず死を迎える・・・と開き直るのか、魂の永久

不滅を信じるのか(個人的な特異な体験からか?信頼のおける文献等を読み込むか?)・・・。

いずれにしても自分で納得し尽くす哲学を持ち、今から慌てないような心構えを養っておく

ことも大事なのでしょう。

 

一方、ちょっとした日常の生活の中にも、「明け渡し」が応用できますね。上記に書かれて

いるとおり、相手に対して「聞き上手」になる事がそうでしょう。まずは「受け入れる」姿勢

から、お互いの心が寄り添いますし、理解し合える方向へと向かいます。「あなたと話を

していると何でも話してしまう」・・・・・そんな人が時々いますよね。

 

ネットや携帯の普及で、ホントに「待つ」ことをしなくなりました。早急に、せっかちに、物事

を要求する場面がとても増えました。「我慢」や「忍耐」の心構えを忘れ、謙虚な気持ちも

遠のいている気がします。自分で時間の流れをコントロールできるくらいの余裕を養いた

いものですね^^


レッスン12 「明け渡し」のレッスン(1)

2012-10-15 09:02:36 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。

死の間際に限らず、どんな時でも、人は自分を明け渡す事によって、限りない平和を
見い出す事ができます。ところが不幸にも、私たちの多くは明け渡しを恐れています。
屈服すること、諦めることを「負け犬」のしるしだと思っているのです。しかし、
け渡しは負け犬のしるしではありません。全ては大丈夫だ、全てうまくいくという想
念に自分を明け渡す事の中には、慰めと力があります。

病気や喪失の最中に「すべてよし」と思うためには、相当な信仰心を必要とします。
些細な出来事に対してさえ、自分を明け渡すことは難しいからです。人生の大半の事
は自然にうまくいっているものだという事実に気づくまでは、成り行きに任せる事に
は抵抗をおぼえます。しかし、たえず仕事や人間関係や状況の主導権を握っている必
要など、本当はどこにもないのです。人生はなるべくしてなるように展開しているも
のだという事に気づけば、自然に肩の力が抜けてくるのです。

あなたに必要なのは、「助け」ではなく「明け渡し」と「受容」なのです。そして、
私たちが自分を明け渡す事を恐れている相手は、実はこの宇宙の力そのものなのです。

では、どのようにして自分を明け渡せばいいのでしょうか?どうすれば戦いがやめら
れるのでしょうか?綱引きゲームを終わらせるときと同じ・・・手を放せばいいだけ
です。自分が向いている方向に向って手を放せばいい。神を信じ、宇宙を信じること
を学び始めたときに、初めて本当のリラックスが訪れます。

手を放すということは、物事がこうなるべきだとするイメージを捨て去り、宇宙がも
たらしているものを受け容れることです。物事がこうなるべきだなど、本当は解らな
いのだという真理を受け容れる事だといってもいい。死の床にある人たちは人生を振
り返って、その事を学びます。「よくない」状況が結局はよりよい結果につながり、
「いい」と思っていた事が、必ずしも最良ではなかった事に気づきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「自分を明け渡す」という言葉は、スゴイ表現ですよね。明け渡す相手は、大いなる宇宙や

神ということでしょう。

 

よく「病気と闘う」という言葉を聞きますが、最近では「病気と仲良くなる」とか「病気に寄り

添う」という言葉も聞かれるようになりました。

これらの言葉も「明け渡す」序章のような気がします。

 

「屈服する」「諦める」「負ける」は、否定的であり、屈辱的であって自我の心の表現である

ように思いますが、同じような病の中にいて「明け渡す」や「身を任す」は、穏やかであり、

自我の解放であり、祈りに向かう積極的な行動のように思います。

 

「自我の強さ」=「主導権を握る」ということでしょう。これを手放せば、ラクに生きられると

いうことに繋がるのでしょう。

 

敵対する相手を認める。「汝の敵を愛せよ」です。病に対しても、この言葉が応用できる

のですね。

 

私たちは、安定を求めます。そこに心の安寧があると思っています。しかし、時間は流れま

す。物事は全て流動的です。物事がこうなるべきだなど、本当は解らないのだという真理

を受け容れる事・・・・そのとき、本当の安寧が得られるという事なのでしょう。 


レッスン11 「忍耐」のレッスン(2)

2012-10-09 01:21:22 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。

何かを変えようとして変わらなかったら、それは変わらないものだと考えた方がよい
のです。物事のプロセスと展開に対して、信じてみることを心がけた方がよいのです。
人間は事態を変えることが必要だと思い込んでいますが、この世で起こる最も驚異的
な事の大半は、誰の助けも、協力も、干渉もなしに、起こるべくして起っています。
この世界には力があります。見えなくても、気づかなくても、全ての物事は善の方向
に向かって動いていることを信じてほしいのです。それが信仰というものです。耐え
る事は信仰を持つことと同じです。

そんな信仰を持ったとき、経験した事は全て、無駄では無かった事が分かります。
を目前にしている人たちのほとんどは、嫌な経験でさえ愛惜しむようになります。
分に起ったこと全てからレッスンを学んだからです。あなたが経験する事態はことご
とく、苦汁をなめたり、煮え湯を飲まされたりする経験の対象も含めて、その人を新
しく生まれ変わらせる為に生じています。事態の動きがあまりにも速すぎる、あるい
は遅すぎると感じるときは、宇宙に計画があることを思い出して、そのときのタイミ
ングが最良のものだと考えてほしいのです。そうすればリラックスする余裕が生まれ、
命の展開に身を任せることができます。

あなたは自分の健康、仕事、愛、人生について考え、それを変えたいと思っているか
もしれません。でも、考えるべきはそんな事ではなく、あなた自身についてだという
ことを忘れないでください。あなたが変われば、あなたが人生や状況にもたらしてい
る愛、慈悲、ユーモア、忍耐が変わるのです。

宇宙の関心事は、あなたが誰と結婚しているかとか、結婚する相手がいないとかでは
なく、あなたが愛をどう経験しているかという事です。同じように、宇宙はあなたの
健康よりも、健康状態がどうであれ、あなたが人生をどう経験しているかを気にかけ
ています。宇宙は「真のあなた」に関心があるのです。いかなる状況、いかなる時に
あっても、宇宙があなたの人生にもたらすものは、あなたがそうなる事になっている
ような人になるために必要な経験です。真実の鍵は信じることに・・・耐えることに
あります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「全ての物事は善の方向に向かって動いていることを信じてほしい」・・・。いや~、

この文言を受け入れるのは難しいですよね~。直近で見れば、とても良い方向に

向かっているとは思えないし感じられませんよね。

 

以前見たマザーテレサのドキュメンタリー映画の中で、こんなシーンがありました。

難民キャンプ(施設?)をテレサの希望する場所に作るように、国(都市?)に要請した

のですが国(都市?)は、その場所では都合が悪いので、別の広い場所を提供すると

テレサに伝えました。しかし、テレサはその場所でなければならないと断固として譲り

ません。そして、その場所が難民キャンプ(施設?)となるように国(都市?)に抗議す

るのではなく、同志と共に神に祈り続けるのです。結局、国(都市?)は折れてテレサ

の要請を受け入れました。そして、テレサたちは、「神」に感謝したのでした。

 

深く祈り、深く願う物事は、よい方向 に向かう・・・上記のシーンが浮かんだ次第

です。神に要請し、動いた物事を相手にではなく、神に感謝する・・・これらの一連の

流れは、とても強い信仰心からおこるこの世での具現化ということでしょうか。

 

普通に生きていても、失敗したり、挫折したりして、世の中は思い通りにはいかない

事を痛切に感じます。そんな苦い思いや苦しい体験を糧に、その人の受け皿は大きく

なっていきます。そして、今はその状況に甘んじるとしても、いつかは思い描く方向へ

と導くようなダイナミックな大所高所からの観方が身に付くかもしれません。しかし、人

生の終焉においては、そんな自らをコントロールするような思考さえも超えなければな

りません。まな板に乗せられた鯉のように・・・お釈迦様の手の上の悟空のように・・・

 

そのような状況でも、安らぎが得られるような「心作り」を目指したいものです^^


レッスン11 「忍耐」のレッスン(1)

2012-09-28 18:55:30 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

さ~てレッスン再開でございます^^

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。

多くの辛い状況やアルツハイマーのような病気は私たちに、忍耐と理解に関する大き
な教訓をもたらします。依存的な状態になると、至るところに忍耐というレッスンが
待ち受けています。

現代人は不快と共に暮らす事に慣れていません。いますぐ結果と満足を欲しがります。
その場で答えが得られないと不満に感じます。人はもう待つという方法はおろか、待
つという事の意味さえ忘れてしまいました。欲しい時に欲しいものが手に入るのは、
素晴らしいことですが、満足を先に延ばすことのできる能力も大切です。

問題は待たされることの不快に耐えられないという事だけではありません。私たちの
多くは、物事や状況をあるがままの状態で受け入れながら生きるという方法を知らな
のです。

忍耐の要諦は、すべていずれうまくいくものだと悟るところにあります。それを悟っ
た時、はじめてリラックスすることができるのです。心は思うように状況を変えれば
安全がもたらされると信じたがります。心は何かをしなければならないと考えます。
しかし、リアリティは別のところにあります。不屈の忍耐が深い安らぎと癒しをもた
らす事を知れば、ありのままの状況の中でリラックスすることができます。これがリ
アリティです。

忍耐力を養う為の最初のステップは、物事を調整したい、変えたいという欲求を捨て
る事から始まります。それは、たとえそうは思えなくても、あるいはそれが見えなく
ても、物事は理由があってそうなっているのだという事への気づきです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

現代は、非常に速いスピードで時間の活用が行われています。特に携帯やインターネット

の普及で世界中が繋がり、何処に居ても情報が入手できます。

携帯やインターネットの無かった頃を思い出してみてください。

何かを調べようとするならば、本屋さんや図書館に行って調べなければならなかったです

よね。買い物もそうです。いまでは、ポチっとクリックすれば翌日に商品が家まで届きます

が、以前は、お店まで出向いて行って対面販売で購入しました。

人との待ち合わせも、互いに家を出れば連絡をとる方法はなく、アクシデントがあれば相

手を心配しながら、何時間も待ちぼうけなんて事もありました。

そうやって、「調べる」にも長い時間の興味を維持したり、「買い物」にも欲求願望が膨らん

だり、「待ち合わせ」にも想像を巡らせたりなどの多くの時間をかけていました。

現代人は想像力が欠如していると言われますが、それは、このようなロスと思われる空想

や想像や思いを巡らせる時間が無くなってきたのが原因ではないでしょうか?

思い通りに素早く何もかもが手に入る世の中・・・当然、「待つ」ことも減り、「待つ」ことを忘

れつつあります。「切れる」ことが多くなってきているのもその辺りに原因がありそうですね。

 

今ある自分自身ではコントロールできない状況・・・・・介護を受けなければ生きていけない

状態もそうでしょうけれど、この国の状況、家庭や職場での状況など忍耐を要する場面は

あちこちにあります。イライラしたり凹んだりするのは、物事を思い通りにコントロールでき

ないから起こる感情です。「別に命をとられるわけではない」「広大な宇宙の中で何を悩ん

でいるんだ」など、大所高所から物事を眺め、自己客観視できる訓練を積んでいけば、

イライラすることも減り、肩こりも減り、心の底からリラックスすることができるようになるの

ではないでしょうか。

「命をとられる」状況でさえも、リラックスできるようになれば、悟りのゴールです(笑)その

ためには、このキュブラーロスの言葉や、「シルバーバーチの霊訓」などの信頼のおける

真理を訓える言葉にふれるのもいいかもしれません。


レッスン10 「遊び」のレッスン(3)

2012-09-05 06:52:53 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。

私たちは、ひたすら純粋に遊んだ時代の事を思い出す必要があります。面白くて、一
日中でもやっていたいような、本当に好きな事をやらずに、欲求を最大限に抑えて生
きるなど、なんとおぞましい人生なのでしょう。

人生は困難なものだと考え、たえず「向上」する事を望んでいる我々は、悦楽のため
に時間を割く方法を知らないのです。悦楽に偏見をもっている我々は、たまにそれを
経験すると罪悪感を感じてしまいます。長く抑圧してきた「遊びへの欲求」がつかの
間の情事、ドラッグ、過食、ショッピングなどの行動となって、時々噴出します。

我々の多くは、両親から頻繁に「今日は何をしたの?」と聞かれるような家庭で育っ
てきました。子どもはそれに備えて、自分が生産的であり、時間の浪費が無かった事
を証明する、ありとあらゆるデータをリストアップしなければなりません。だから、
大人になっても、遊びのための遊びをしたリストよりは生産的な作業の成果を列挙し
たリストを重視し、それを見ると安心するのです。

自分に遊び時間を与える事ができない人は、実は他人に与えるものが何も無い、貧し
い人です。自分に楽しむ時間を与えなければ、いずれは上司に時間を与えてしまった
事を恨むようになります。家族に与えた時間さえも恨むようになるかもしれません。

自分自身に上質な時間を与えて欲しい。愛する人と過ごす上質な時間が必要だという
事は、誰もが知っています。ところが、自分だけのための、独りで過ごす上質な時間
もまた必要なのです。

子どもの頃の気持ちをほんの少しでも取り戻して、遊びに多少の時間をかけさえした
ら、失った無垢な心の何がしかでも回復する事ができます。身体は年老いても、心は
若い頃のままでいる事ができます。外面の老化は避けることができませんが、遊ぶ事
を止めなければ、内面は若いままでいる事ができるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、息子のおかげで「ウミウシ」と出逢うことができました。磯でウミウシを探している

時間は、文字通り「無我夢中」で楽しんでいます。

 

触ったんですけど、すごく柔らかくて、ふわふわしていて、毎日毎日ウミウシのことを考

ていました。」by koucha

こんな広いところで、こんなちっちゃいのを探すわけですから、宝探しみたいなもんで、

空っぽになって探すという時間もいいんでしょうね。夢中になってね。」by paw

↑以前テレビに出たときに、どなたかの「今日の印象に残った言葉」というサイトで紹介

してもらいました^^

 

たしかに「今日はなにをしたの?」と聞かれて育ちましたね。そして、子どもたちに「今日

はどうだったの?」なんて聞いています。この質問に答えを用意するために潜在的に何が

しかの行動を脅迫的に行って大きくなっていくのかもしれませんね。「な~んにもしてない」

「ずっと、ぼ~っとしてた」でも、本来は良いわけなんですけどね(笑

 

好奇心を持ち続けることこそが若さにつながるし、脳も活性化してボケ予防にもなると言

われますよね。下記は以前投稿した関連箇所です。

幾つから始めても無駄な事はない

ボケない100歳 「心」

ボケない100歳 「趣味、習慣、運動」

 

1月は正月で酒が飲めるぞ~ 酒が飲める飲めるぞ~酒が飲めるぞ~ と何にでも託け

て遊ぶのもいいんじゃないでしょうか・笑

 

次回からは「忍耐」のレッスンです。

(旅行記などもあって、ちょっと間が空くかもしれません。あとレッスン11~15ですから2/3

が終わりました^^)


レッスン10 「遊び」のレッスン(2)

2012-08-31 11:11:16 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。

思い出してほしいのです。遊びとは悦楽のためだけに、悦楽をもたらす何かをする
事です。すべての境界を超越した愉楽を経験する事です。我々は性や人種や宗教や
年齢の相違とは全く無関係に、どんな人とでも遊ぶ事ができます。生物としての種
を超えた相手とさえ遊ぶ事ができます。ほとんどの人はペットと遊ぶ事から無上の
喜びを得ています。

遊びとは、外的に表現された内的な喜びの事です。笑い、歌、踊り、水泳、ハイキ
ング、料理、ランニング、ゲームなどなど、やって楽しい事はみんな遊びです。

遊びは身体にもいい影響を与えます。笑いや遊びがストレスを緩和し、エンドルフィ
ンの分泌を促すという事は、多くの研究で証明されています。笑ったり遊んだりし
た後に気分がよくなるのは、どうやらこの自家製の鎮痛剤兼気分高揚剤の作用がある
らしい。遊びによるエンドルフィンが人生にナチュラルハイをもたらしてくれるので
す。

仕事と遊びは必ずしも別の領域に属するものではありません。仕事の中に遊びを見い
だす事もできます。日々の仕事に楽しみを見いだす事ができれば、人生を楽に乗り越
えることもできます。ただ残念なのは、ともすれば目標達成主義に陥り、達成できな
いことに不幸を感じてしまいがちな人が少なくないことです。

仕事の中に遊びを求める人がいる一方で、遊びの中に仕事を見いだそうとする人もい
ます。しかし、それは容易な事ではありません。会社に行かずに、家の中でずっと妻
の傍に居るとしても、傍にながらパソコンに向って仕事をしているのでは、確かに夫
の肉体は傍にいても、夫の精神は傍にいるでしょうか?彼は遊んでいるのではなく、
ただ、環境を変えて仕事をしているだけなのです。

趣味とは、成果を気にすることなく純粋に楽しむためのものです。例えば家具を作る
人が趣味の人が、売るために家具を作れば、それはもう趣味とは言えなくなります。
それは仕事です。その事に気づかず、好きな活動を、純粋に楽しめないようなものに
歪めてしまう人が少なくありません

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

楽しくなければ遊びではありません。楽しいのであれば、そこに笑いをもたらします。

一日一笑、『笑う門には福来る』という諺もあります。。そして、「笑う角」には、「福」と

同時に「病気に打ち克つ活力」もやってきます。

 

しかし、この「遊び」がなかなか曲者です。多数の人たちが「遊び」と思う事が、ある人

にとっては「苦痛」になっていることがあります。例えば、「カラオケ」。好きな人も多いの

でしょうけれど、友だちや会社の付き合いで仕方なくという人もいますよね。お酒の席

があまり好きでない人もいるでしょう。私は、どちらも好きですが(笑)

 

みんなでバーベキューをするのが好きな人もいれば、独りでゆっくりと読書をするのが

好きな人もいるでしょう。みんなでワイワイ旅行に行くのが好きな人もいれば、回りを気に

せずに一人旅するのが好きな人もいるでしょう。

 

ですから、自分は何が好きなのか?何をしているときが楽しいのか?しっかりと認識

して、その時間を確保し、楽しい人生を送ってもらいたいものです。


レッスン10 「遊び」のレッスン(1)

2012-08-24 08:11:15 | ・15のライフレッスンbyキューブラーロス

「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。

 

「遊びが何故人生のレッスンになるのか」という問いに対する答えは、死の床にあ
る人たちの後悔の中に見いだす事ができます。自分の人生を振り返ったとき、彼ら
が一番後悔するのが、「あんなに真面目に生きる事はなかった」という事なのです。

誇りをもって仕事の成果を語る人はいますが、そんな人でも人生の最期には、仕事
の成果以上のものがあったのだという事に気づきます。仕事の成果に匹敵するほど
充実した私生活がなければ虚しい人生になるという事を発見するのです。懸命に労
働しただけでは、本当に生きた事になりません。俗諺にあるように「勉強ばかりで
遊ばない子どもはバカになる」。遊ばない人生も、バランスを欠いた鈍な人生にな
ります。

私たちは生涯愉快に過ごし、遊ぶために地上に生まれてきました。遊びは単に子ど
もの気晴らしではなく、人生の力であり、生命力です。遊びは精神に若さを保ち、
仕事に情熱を与え、人間関係の充実に役立ちます。遊びは元気回復剤であり、回春
剤です。遊ぶ事は人生を最大限に生きる事です。

残念ながら、現実の人生における遊びの優先順位はあまり高くありません。自分と
家族を養わなければならない以上、仕事の優先順位が高くなるのは当然の事ですが、
現在ではそれが高くなり過ぎています。あまりにも多くの人が、たえず生産的であ
り、いつも成功し、常に達成する事に囚われ過ぎています。何かを「する」方法は
知っていても、生き物として「ある」方法を知らないのです。

彼らは、たまの週末に遊びに出かけても、時間を無駄にしているという焦りの感情
から逃れる事ができません。彼らは、家族に豊かさを与えるために働いていると思っ
ています。しかし、家族が求めているのは、実は働いている当人が傍に居る事なの
です。

確かに成功も支配も重要でしょう。しかし、遊びも重要です。人間は生まれながら
にして遊びたい、はめをはずしたい、本能のままに振る舞いたい、ストレスや緊張
を一掃したいという欲求があります。不幸な事に、我々はその欲求を押さえつけ、
自分にそんな欲求があることさえ忘れてしまいました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

バリバリに仕事をしていた頃は、何か常に焦燥感があって、休日でも休んだ気がしな

かったという記憶があります。常に頭の中をハエが飛び回っていて、そのハエを追い

まわしていたような・・・(笑)

 

最近では、仕事をすればするほど、それに比例して遊ぶ時間も多く持つようにになり

ました(笑)そうやってバランスをとっているような・・・^^

 

今日考えても仕方のないことは考えない。仮に明日、仕事上のトラブルに対応しなく

てはならないと分かっていても、それは今日考えない。長く仕事をしていると、そんな

風に考えられるようにもなりました。

これは、「今日を生きる」ことにも繋がりますよね。

 

一度きりの人生、大いに楽しみましょう^^