~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記14(牛尾神社~帰路)

2018-06-22 14:19:40 | ・神社・お寺

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記14(牛尾神社~帰路)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。

27日、佐渡金山・北沢浮遊選鉱場跡、塩生湿地の植物探索後、一路、海岸から標高900m付近の天然杉遊歩道コースへ。
昼食後、「トキの森公園」&自然の朱鷺を観察して、旅の最後にちょっとだけ神社へ。

境内社の天満宮 薬師堂と太子堂を合祀。文政9年(1826年)建立の棟札あり。
すごい存在感の天満宮です。

拝殿前の大杉が印象的です。

拝殿 すごい装飾彫刻です。屋根もすごいですね。シャチホコも飾られています。

能舞台

「潟上の天王さん」の奉納能 牛尾神社は出雲大社の流れをくむ由緒ある古社。能舞台も格式と重厚さを備え、佐渡の能舞台
ではほぼ最大。薪能の歴史も佐渡では古いものの一つです。天王祭宵宮では能舞台において薪能を奉納。潟上と吾潟の鬼太鼓
も奉納されます。本祭では、巫女舞、大黒舞。神輿渡御が行われ、鬼太鼓が家々を門付して回ります。さど観光ナビより。

・・・いったい本殿はどうなっているんでしょう。

「潟上の天王さん」の名前で親しまれる古社。792年「出雲大社」より大国主命などを勧請して建立。再建された拝殿には
鯉の泳ぐ姿や順徳上皇の物語絵など精緻な彫刻群が施され、当時の棟梁や名工たちの技術が偲ばれます。拝殿前の樹齢
約1千年の御神木は、子授け・安産の杉として信仰されています。1901年に再建された瓦葺き正面入母屋造り・背面寄棟造り
の能舞台(県の有形民俗文化財)は、定能が盛んであった「国仲四所の御能場」の1つに数えられます。演能の歴史も古く、
室町期の能面「翁面」と「三番叟面」(県の有形文化財)が社宝として保管されており、毎年6月には例祭宵宮薪能が演じられています。さど観光ナビより。

拝殿脇

龍もド迫力です。

鬼瓦もスゴイですね。

15:11撮影 流石に帰りの時間が圧していて駆け足の参拝になってしまいました。

境内は重厚で、ゆっくりとその空気・空間に溶けてみたかったですね。さて大急ぎでフェリー乗り場へ。

両津港付近のシャッター街。

・両津港から10分ほど歩いたところに、古くから栄えてきた「両津夷(えびす)本町商店街」。約1キロにわたって
 100軒近い商店が並ぶが、営業しているのは十数軒。過疎化でシャッター通り化してしまった。
・昭和25年に約12万6千人だった島の人口は年々減り、平成25年4月1日現在で約6万1千人と半数以下になった。
・若者の島離れと高齢化が原因だ。佐渡では進学と就職のため、高校卒業後に約80%の若者が島を離れる。
・さらに毎年、千人程度の島民が亡くなっていく。
・夕暮れの後、両津港近くの住宅街を歩くと、明かりが漏れてこない民家が多いことに戸惑う。
・市の人口のうち65歳以上の割合は昭和25年に6・6%だったが、平成25年4月1日現在で37・7%となっている。
・平均年齢も平成16年に49・38歳だったが、今年2月末現在で52・28歳まで上がった。
・佐渡市は地域再生のため、留学生や観光客の受け入れ、農業の連携先などとして中国との関係を強化する道を模索している。
 産経ニュースより。

・・・・佐渡は深刻な問題を抱えているのですね。歴史も辿れるし、素晴らしい自然もあり、何とか観光等で、
もっともっと盛り上がってもらいたいですね。

佐渡について
佐渡島は新潟県の日本海沖に浮かぶ、周囲281.5km人口約57000人の大きな離島です。地図で見るとSの字や蝶々の形に
見えるなどインパクトのある形をしているのではないでしょうか。島の中央には広い穀倉地帯の平野が広がり、その北側
には標高1000mを超える大佐渡山脈、南側には果樹栽培が盛んな小佐渡山地があります。 佐渡の作り上げる自然は多様で、
海を見れば砂浜、砂利浜、岩礁、断崖絶壁、山を見れば棚田、果樹園地、深い谷や、急峻な山。多くの渡り鳥がその羽を
休める島であり、トキと共生する生物に優しい島づくりをしています。 佐渡島沖の海流の影響で、新潟県本土に比べ
冬は1,2度高く反対に夏は1,2度涼しい。季節の移ろいがとても丁寧で四季折々の植物、魚、果樹を楽しむことができます。
また鬼太鼓、薪能を始め伝統文化が島民によって守られ、現代でも継承を行っています。
佐渡UIターンサポートセンターより。

16:05両津→18:35新潟フェリーに乗り込み、クタクタ状態で新潟へ。

佐渡でお寿司食べたかったーという事で調べたら直ぐ近くに「廻転寿司 佐渡 弁慶」が^^
でも40分待ちとの事でお隣の「別館・立ち食い」へ。こちらは空いていて直ぐに食べられました^^
ノドグロ、カワハギ肝のせ 美味しゅうございました。感謝感謝。

その後、新潟から東京までkouchaと交代で関越自動車道を南下。0時前には自宅に到着。なかなかパワフルな旅行で
ございました。(終)

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2018.5.25~27「佐渡島」旅行記13(朱鷺トキ)

2018-06-21 07:10:00 | ・鳥・生物

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記13(朱鷺トキ)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。

27日、佐渡金山・北沢浮遊選鉱場跡、塩生湿地の植物探索後、一路、海岸から標高900m付近の天然杉遊歩道コースへ。
昼食後、未だフェリーまで時間があるという事で「トキの森公園」を目指しました。

「トキの森公園」近くの広大な田園地帯で助手席のkouchaが放鳥トキを発見!

二羽でついばんでいましたよ。かなり遠いです。超望遠撮影。トキを見かけても車から降りたりして脅かしては
いけません。

1月~6月の繁殖期には、ペアで巣の中心に行動することが多い。なわばり形成。

トキの羽色の変化
トキは首のあたりの皮膚が黒く、繁殖期が近づくとこの皮膚が厚くなり粉状になって剥がれ落ちます。それを水浴びの後
こすりつけるため、頭から背中にかけて黒くなります。この様な羽色の変化は鳥の中でトキだけです。羽色が黒くなると
繁殖可能を示すとともに、抱卵時の保護色とも考えられています。「トキのたより」より。

その後、「トキの森公園」へ。

トキの野生復帰シンボルマスコット^^

ゲージ越しにて。朱鷺色の羽根がホントに綺麗です。

トキふれあいプラザ
マジックミラー越しにとても近くで観察する事ができます。工夫されていますねー。

それにしても赤いマスクをしているような顔はちょっと怖いですね。

現在、自然界にはおよそ300羽のトキが生息していますが、まだ野生定着というレベルに達していないことから、佐渡市民を
はじめとする多くの皆様に野生のトキを積極的に見せることができる状況にありません。 この施設は、トキが飛翔可能な
大型ケージを整備し、その中により 自然に近い環境を再現することで、飛翔、採餌、巣作り等トキの生態を観察できるように
整備しました。トキの森公園より。

トキの森公園を後に、一社だけ神社へ参拝に行きました。が、その道中、再び、放鳥トキが1羽飛来してきました!
いや~、ついてますなあ。飛来時の朱鷺色の羽根を広げた写真は残念ながら撮ることができませんでしたー。

しばらく観察する事ができました。警戒心が強いですね。放鳥トキ300羽のうち3羽に逢えるなんて。
さすがにkouchaの眼は確かです^^ホントにラッキーでしたよ。次回、佐渡最終投稿で終わりです。

トキ(朱鷺、鴇、Nipponia nippon)
ペリカン目トキ科トキ属に分類される鳥類。 2010年12月上旬の時点で中国・日本・韓国を合わせた個体数は1,814羽。
学名は Nipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)で、しばしば「日本を象徴する鳥」などと呼ばれるが、日本の国鳥は
キジである。新潟県の「県の鳥」、佐渡市と輪島市の「市の鳥」である。

18世紀・19世紀前半まではごくありふれた鳥であった。日本では東北地方や日本海側に多く、太平洋側や九州ではあまり
見られなかったようである。しかし、いずれの国でも乱獲や開発によって19世紀から20世紀にかけて激減し、日本では
2003年に最後の日本産トキ「キン」が死亡したことにより、生き残っているのは中国産の子孫のみとなった。

トキは日本では古くから知られていた。奈良時代の文献には「ツキ」「ツク」などの名で現れており、『日本書紀』
『万葉集』では漢字で「桃花鳥」と記されている。

トキの肉は古くから食用とされ、『本朝食鑑』(1695年)にも美味と記されている。しかし「味はうまいのだが腥
(なまぐさ)い」とあり、決して日常的に食されていたのではなく、冷え症の薬や、産後の滋養としてのものであったと
される。

トキは田畑を踏み荒らす害鳥であった。穢れ意識の影響で肉食が禁じられ鳥獣類が保護されていた江戸時代においても、
あまりにトキが多く困っていたため、お上にトキ駆除の申請を出した地域もあったほどである。

江戸時代までトキは日本国内に広く分布したが、明治に入り、日本で肉食の習慣が広まり、また経済活動の活発化により
軍民問わず羽毛の需要が急増したため、肉や羽根を取る目的で乱獲されるようになった。by wikipedia

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2018.5.25~27「佐渡島」旅行記12(大佐渡石名天然杉遊歩道)

2018-06-21 07:09:05 | ・植物

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記12(大佐渡石名天然杉遊歩道)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。

27日、佐渡金山・北沢浮遊選鉱場跡、塩生湿地の植物探索後、一路、海岸から標高900m付近の天然杉遊歩道コースへ。
相川から真野湾経由両津北上!この天然杉への山道がなかなか狭かったですわ。いや~なかなか盛沢山の最終日です(笑)
午後には、「トキの森公園」も寄りましたよ。

11:30に遊歩道入口着~。

イワカガミはホントにあちこちで私たちの目を楽しませてくれました。

大きな天然杉がたくさん。

「ザゼンソウ」

「キクザキイチゲ」

「カタクリ」

「キクザキイチゲ」と「カタクリ」色合いがいいですねー。

「カタクリ」

「フキノトウ」池の奥は未だ凍っていました。

早春の植物、スプリングエフェメラルがたくさん目を楽しませてくれました。

「象牙杉」 ホントに枝振りが象牙のようです。

ヒメアオキ 赤い実を付けますが、こんな花なんですねー。

「四天王杉」四本の大杉が寄り添っています。迫力ありましたよ。

杉の幹下部のフカフカな場所にもイワカガミくん。

大黒杉

名も無く個性的な天然杉がほかにもたくさん。

ナガハシスミレ

ショウジョウバカマ

う~む・・・顔のようだなあ。。

周遊コースでめぐる石名の天然杉
標高900m付近の天然杉を気軽に楽しめるのが石名天然杉の周遊コースです。遊歩道入口近くまで車で行くことができ、
およそ650mの遊歩道沿いに、公募で命名された「象牙杉」「羽衣杉」などの巨木が枝を伸ばしています。強風と霧にも
まれ奇抜な形となり、材木に適さない杉が伐採されずに残りました。中には樹齢300年を超えるものもあります。
さど観光ナビより。

展望台で昼食。

展望台 ベンチの下にもイワカガミ^^

ヒメイチゲ

小さなイチゲの花なのでヒメイチゲなんでしょうね。可愛かったです。お初かと思ったら2017.7唐松岳で見ていました。つづく~

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2018.5.25~27「佐渡島」旅行記11(外海府海岸・塩生湿地 ウミミドリ)

2018-06-20 14:54:13 | ・植物

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記11(塩生湿地)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。

佐渡金山見学、北沢浮遊選鉱場跡の写真撮影後、再び、相川から北上、尖閣湾方面へ。目的は塩生湿地の植物。
弁慶のはさみ岩のちょっと北側、獅子岩付近で良さげな場所をkouchaが選択。

塩沼(えんしょう)もしく塩性湿地、塩性沼沢とは、海岸にある湿地・沼地であり、海に近いため潮汐の影響により、
時間帯により塩水・汽水に冠水するか、または陸地となる地形である。干潟全般よりも波浪の影響を受けにくい場所に
分布しており、通常、塩生植物の繁殖が見られる。by wikipedia

日本海側の潮汐状況は、満潮と干潮の最大水位差がたった20cm程度で、太平洋側の10%前後。という事は、塩生湿地
の塩分濃度はほぼほぼ安定しているのだとしたら、塩生植物にとっては繁殖し易い環境なのかもしれません。

ノイバラ

野原や草原、道端などに生え、森林に出ることはあまり見ない。河川敷など、攪乱(かくらん)の多い場所によく生え、
刈り込まれてもよく萌芽する、雑草的な性格が強い。by wikipedia

磯場に降りていくと元気に囀っている子が・・・

「コチドリ」ちゃんでした。埼玉の沼でも見かけます。埼玉で見かけたのは、いずれも冬だったので眼の周囲の黄色い
アイリングの幅が小さかったようです。この子は黄色いくて可愛いですね。

何採ってるのかなあ。

スナビキソウ
ムラサキ科キダチルリソウ属の多年草。別名、ハマムラサキ。
和名スナビキソウは、「砂引草」の意で、海岸の砂地の中に地下茎を長く伸ばして繁殖することによる。by wikipedia

この左側辺りでkouchaがウミミドリを発見!

kouchaのお目当ての↓ウミミドリ↓、咲いていましたよ^^

ウミミドリ

・さくらそう科ー
・新潟県では佐渡の海岸だけに分布する北方系の植物で、佐渡での分布は全国分布の南限です。
・高さ10cm程の小さな草で、初夏に桃色の星のような花が咲きます。
・磯の潮だまりの湿地にクッション状に群生し、これまた珍しいドロイ、エゾウキヤガラ、シオクグなどと一緒に生えています。
・ウミミドリが生育できる環境を考えてみますと、大変厳しいことが分かります。磯の湿地で、波が直接にはかからない所です。
 波が来なければ磯はすぐに乾燥するので、湿地という条件は案外難しい。
http://www.macro-eng.co.jp/plant/hogo20/hog2004.html様より。

秋になっても紅葉しないことから「海緑」と名付けられているようです。

福島県では、2013年10月、県のレッドデータブックで絶滅危惧1類に指定されている、サクラソウ科の多年草「ウミミドリ」が、
相馬市松川浦の津波被災地で見つかった。松川浦では約50年ぶりの確認だったそうです。

北海道・濤沸湖は、川と海の水が入り混じる汽水湖のため、湿地は塩水にひたされています。そのため、塩性が強くても生育できる
塩生植物のアッケシソウ(サンゴソウ)やシバナ、ウミミドリが見られます。

貴重な植物のようです。見られて良かったです^^

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2018.5.25~27「佐渡島」旅行記10(佐渡金山・北沢浮遊選鉱場跡)

2018-06-17 19:33:27 | ・旅

2018.5.25~27「佐渡島」旅行記10(佐渡金山・北沢浮遊選鉱場跡)

2018.5.25~27 佐渡島へ行ってきました。メインは植物観察。

27日、kouchaが観たいと云うので急きょ、金山へ。そういえば相川にはローソンがありました。ホテルでもコンビニでも
あちこちの販売店でも佐渡の方々は「おもてなし」という言葉がぴったり当てはまるように、とても丁寧に接客してくれます。

道遊の割戸

佐渡金銀山の中でも開発初期の採掘地とされる江戸時代の露天掘り跡。巨大な金脈を掘り進むうちに山がV字に割れたような姿
になっています。山頂部の割れ目は、幅約30m、深さ約74mにも達します。道遊脈と呼ばれる脈幅約10mの優良鉱脈を有して
おり、明治以降も割戸の下部で大規模な開発が行われました。さど観光ナビより。

佐渡金山

宗太夫坑(そうだゆうこう)江戸金山絵巻コース「宗太夫坑」(江戸初期に開発された手掘り坑道。地下深く掘り進んだ
坑道跡に、「佐渡金山絵巻」に描かれている採掘作業を忠実に再現)を見学しましたよ。

佐渡金銀山400年の歴史を伝える史跡。江戸金山絵巻(宗太夫坑)コースでは、人形を使って当時の採掘作業を忠実に再現。

明治官営鉱山(道遊坑)コースには、明治期以降の近代化産業遺産群が残ります。さらに「東洋一の選鉱場」「日本初の西洋式
竪坑」などの施設をガイド付きで巡るコースもあり、壮大なスケールに驚かされます。さど観光ナビより。

鉱脈発見!「金銀山大盛」
採掘坑開きのお祝いの様子で、金銀が多く集まった富鉱帯が見つかると、岩盤が少しでも掘りやすくなるよう『やわらぎ』
という祭礼用の舞を舞って前途を祝したそうですよ。

「ムカデ信仰」
ムカデの姿形が鉱脈の形や鉱山の採掘穴に似ていることから鉱山師や鍛冶師に信仰されたようです。
「毘沙門天の百足」より。

確かにムカデのような・・・。

金鉱石とは
金は、白色の石英脈の中で銀黒(ぎんぐろ)帯と呼ばれる黒色の縞の中に賦存します。黒色の縞は、主に輝銀鉱と呼ばれる銀の
鉱物で黄鉄鉱や黄銅鉱を伴います。金はこの縞の中に含まれています。通常よほどの高品位鉱(500g/トン以上)でなければ
肉眼で見ることはできません。鉱石の中で金色に輝く鉱物の殆どは黄鉄鉱か黄銅鉱で、これらの鉱物はすりつぶして粉にすると
黒色となるので、金と区別できます。http://www.sado-kinzan.com/knowledge/より。

江戸時代に41トン、昭和でも22トンも金産出量があったんですねー。

佐渡金山400年の歴史
佐渡金山は、1601年に山師3人により開山されたと伝えられています。1603年には徳川幕府直轄の天領として佐渡奉行所が
置かれ、小判の製造も行われ江戸幕府の財政を支えました。1869(明治2)年に官営佐渡鉱山となり、西洋人技術者を招いて
機械化・近代化が図られました。1889(明治22)年には、宮内省御料局管轄の皇室財産となり、模範鉱山として日本産業の
近代化に貢献しました。その後1896(明治29)年に当時の三菱合資会社に払い下げられ、日本最大の金銀山として拡大発展を
遂げました。平成元年3月(1989年)残念ながら、資源枯渇のため操業を休止し、400年近くに及ぶ長い歴史の幕を閉じました。
http://www.sado-kinzan.comより。

続いて、前日草臥れ果てて寄れなかった北沢浮遊選鉱場跡へ。

この写真は、総源寺前から前日に撮ったもの。タクシーの運転手さんに教えてもらった高台。ちょっと木々が生い茂り
残念。。。。。

県道31号線より

いや~、どこを切り取っても絵になりますね。ホントのラピュタのよう。ライトアップもされるようですよ。


北沢浮遊選鉱場跡

近代遺産の象徴「東洋一の浮遊選鉱場」相川の北沢地区には発電所やシックナーなど鉱山の近代化に貢献した施設群(国の史跡)
が密集しています。もともとは銅の製造過程で行われていた技術であった浮遊選鉱法を金銀の採取に応用し、世界で初めて実用化
に成功したものです。戦時下の大増産計画によって大規模な設備投資がされ、1ヶ月で50,000トン以上の鉱石を処理できること
から「東洋一」とうたわれました。さど観光ナビより。

佐渡奉行所跡

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