「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。
個人の力は、自己の人生を・・・そして周囲の人たちの人生を・・・高潔にし、品
格を持たせるだけの余裕を生み出します。その力は他者が強い人間になることを支
援する力でもあるのです。あなたに強い人間を感じると、私も同じ強さを自分の中
から見出します。あなたの愛を感じると、私も愛で応えずにはいられなくなり、自
分の中に愛を見出します。結局は、あなたを信じれば、私も自分を信じないわけに
はいかなくなるのです。こうして美徳の輪が広がっていきます。他者を信じる事の
中に、私たちは自分自身を信じるだけの信念を見出すのです。
死の床にある人たちは、「もっと」というゲームを卒業しています。何故なら、彼
らには「あした」がないからです。彼らは「きょう」の中に力があり、「きょう」
が全てであることに気がついています。神が与えてくれているのは、あしたにでは
なく、きょう、今このときに、よりよい人生が送れるような世界です。それを受け
入れさえすれば、悪い日はいい日に、不幸な関係は幸福な関係に、「まちがったこ
と」のすべてが正しい事に成りうるのです。
もし、すでに与えられている人や物事に感謝する気持ちがなかったら、これから与
えられる人や物事や力に感謝する事はできるでしょうか?できるはずはありません。
何故なら、「感謝の筋肉」を鍛えた事がなければ感謝をする事ができないからです。
いつまでも「もっと」というゲームをプレーし続けるのです。
「もっと」というゲームはやめて「もう足りている」というゲームを始めましょう。
自分に「これで十分なのか?」と問うのは止めましょう。いずれ最後の日がくれば、
もう足りている事に気づくのですから。できる事なら、最後の日を待つまでもなく、
今日、この場で、その事に気づきたいものです。
毎日を「足りている」と感じる事ができれば、どんなに気分がいい事でしょう。こ
れ以上のものは必要ないという言葉は、品格と力を感じさせる、素晴らしい言葉で
す。今以上のものを必要とせず、他をコントロールする必要性を感じなくなった時、
人生はおのずから真の姿を顕してきます。
人間は内部に大きな力を持っているが、その使い方には無知同然です。真の力は、
真の自己を知り、世界における自己の立場を知ることから生まれます。富や経歴を
蓄積する必要性を感じるのは、自分が本当は誰であったかをすっかり忘れている時
だけです。だから、思い出さなければなりません。全てはうまくいっている、なる
べくしてなっていると知る事から力が生まれるという事を。
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しっかりと自分の道を歩いている人、自分の意見をしっかりと持っている人に接すると
エネルギーやパワーをもらえますよね。そして、正直な人と話をすると、日頃他人と話
さないような事も話ができてしまったりします。信じることのできる人と接することにより、
自分自身をも信じることができるようになる・・というわけですね^^
「感謝の筋肉」を鍛えた事がなければ感謝をする事ができない・・・
いずれ最後の日がくれば、 もう足りている事に気づく・・・
こ れ以上のものは必要ないという言葉は、品格と力を感じさせる・・・
どれもホントにスゴイ言葉です。全ての言葉が心の奥底の鐘を鳴らします。
以上で、「力のレッスン」は、終了。次回からは、「罪悪感のレッスン」です。
欲少なくして足るを知る、ということです。
欲はなくすことはないですが、少なくしておいて、
足りる、満足することを知る、ということですね。
これも普遍的真理ですね。
だから・・うんうん。。と納得してしまいます。。
ここまで来るのに時間がかかりましたが・・(笑)
神様の言葉・・
明日のことは明日が心配します。。
今日の労苦は今日で十分だからです。。
今日を精一杯生きることは
明日に繋がっていますね・・・
正直に・・・自分を見つめてみようと思います。。
人は・・
信じさせてくれる人がいるから信じられるものなのです
まず自分から・・では、難しいのです。。(私の場合)
無理に信じようとすることは辛いことです・・・
信じさせてくれる存在・・
そんな人との出会いは・・・大きな宝物ですね。
力のレッスン・・・
ありがとうございました・・☆☆☆
欲少なくして足るを知る
ホントですね。
まったく同じことを表現しています。真理ですね。
あまりにも短い言葉ですけれど、
真理が濃縮されていますね。
皆、山を登っていくのですけれど、
どの方位から登って行くか、
また、真っ直ぐに頂上を登る事などなく、
降りては登りしていくのでしょうけれど、
いずれは、(気の遠くなる時間がかかるのでしょう
けれど)山の頂上へ辿り着くのでしょうね^^
いいですね~^^
本の中で、キュブラーロス自身は次のように語っています。
「誰もが先生であり、生徒である」
このような素晴らしい本を書いたキュブラーロス自身も
自分を客観的に見つめて、
いろいろなレッスンの中で、「私はこの境地に辿り着い
ていない」と平然と書いているんですよ。
すごいことですよね^^
>明日のことは明日が心配します。。
>今日の労苦は今日で十分だからです。。
いい言葉ですね~♪
「ホンモノ」とか「本源」に接すると、誰もが自分の中の
「本心」を鼓舞されるのでしょう。
この世は、まさに、これらに触れるために
生かされる(行かされる)のでしょうね、きっと^^