「・15のライフレッスンbyキューブラーロス」カテゴリーからの投稿です。
昨日の自分が今日の自分を無条件に規定しているわけではありません。それに気づ
く事の中に、素晴らしい自由があります。自ら過去に縛られる必要は何処にもない
のです。朝起きて、シャワーを浴び、せっかく昨日の汚れを洗い流したのに、昨日
の感情だけはまだ引きずっているという人が多いですが、それは単なる習慣に過ぎ
ません。
青春時代の活力を懐かしみながらも、ほとんどの人は全く同じ人生を辿り直したい
とは思っていません。若き日の混乱や狼狽ぶりも、ありありと憶えているからです。
中年になると人生の何たるかも多少は分かり、馬鹿げた事をしている時間もなくな
ります。自分が本当はどんな人間か、何が幸福をもたらすのかが見えてきます。若
さは必ずしもいいことばかりではありません。それは無垢な時期であると同時に無
知の時期でもあります。美の時期であると同時に、自意識過剰な苦しい時期でもあ
ります。
ジャックは常に現在という瞬間に生きることのできる人でした。人に会って挨拶を
するとき、彼は相手に全神経を注いでいました。昼食の事(過去の事)、夜のデー
トの事(未来の事)などに心を奪われることがありませんでした。彼は常に、はっ
きりと現在に、相手と共に、相手の為に、そこにいました。彼は、今に生きる人間
の見事な実例でした。現在に生きる方法を知っていた彼には、相手をも現在に生き
させるような力がありました。彼に会った人は、正直に自分自身を見つめたくなり、
質問には心の底から答えたくなってしまいます。彼はこの一瞬を逃す事を何よりも
嫌いました。
彼のような人に会うと、現在という瞬間がいかに過去や未来に奪われているかがよ
く分かります。この瞬間に過去を手放し、現在だけに意識を向けて、現在を十分に
堪能し、自己の人生を真に生きる事以上に素晴らしい経験は考えられなくなります。
配偶者と話をする時は、今夜、大学でする講義の事など考えずに、配偶者との会話
だけに意識を向けたほうがいい。講義の準備はその後すればいい。そうすれば、配
偶者との関係も、講義の成果も、よりよいものになる。一つの瞬間には一つの事だけ
すればよいのです。
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毎朝、日の出とともにまっさらな自分が生まれ、そのまっさらな自分を生きられれば最高
ですよね。そして日の入と共に今日の自分が終わる。毎日、生まれては死んでいく。そう
考えれば、過去に囚われることもなく未来を憂うこともないでしょう。 実践するのは、とて
も難しいとは思いますけど・・・でも、理想ですね。
若き日の出来事・・自意識過剰で自己顕示欲が強かったなあ(笑)恥ずかしくって思い出
したくもない事もあります(笑)躍動感、エネルギー、パワー・・・まさに青春でしたよね。で
もそれはそれとして経験して良かったとも思います。
その場その場に全神経を注ぐ。どんなに些細な事でも、その場に自分をしっかりと対面さ
せる。今の時代、○○しながら何かをするという事がとても多いように思います。効率は良
いかもしれませんが、何かやっつけ仕事のようにも感じますね。デジタル的に割り切ってこ
なしていく。まるでロボットのようです。
先日、対面して大事な話をしているのに、相手がメールの着信に反応して、メール返信し
ながら話を続けました。大事な話をしているのに、電話がかかってきたのならともかく、
メールというのは多少のタイムラグがあっていいものでしょうと、怒りました。
メールしながらお喋りするような同時に二つ以上の事はせず、ひとつひとつの物事に心
を込めて対応することは大切ではないだろうか。一つの瞬間には一つの事だけをすれば
よい。
耳を傾けて音楽を聴く。美味しいものを味わって食べる。美しい景色を楽しむ。ひとつひ
とつをしっかりと味わい感じる。感情もひとつひとつを大事にする。それが、上っ面をなめる
ように生きるのではなく、地に足を付けて生きることへと繋がるのだと思うのです。
まさに、自分の中ではタイムリーな話題です。
過去にとらわれることなく、今 現在生きていることを大切にしていきたいと思っています。
過去の過ち、いろんな失敗などありますが、それは今を生きている自分の過程なのかな。
「いま、ここ」とよく言われていました。
禅の考え方でしょうね。
私も若い頃は自意識過剰だったと思います(笑)。
あのバブルの頃は毎日が楽しくてよかったなぁ、
という懐かしい思いもありますが、
今から思うと無知でした。
若気の至りの失敗を私もたくさんしてきました(笑)。
いま、ここ、がやっぱり大事ですね。
後悔、恥、期待、不安など、
”あなた”にも”私にも”「一切無用」だ、と言い切れます。
でも、実際、そんなこと言っても、
おごれて聞こえたり
とんでもない理想主義に「見えたり」するのでは、
なんて、「不安」になります。
結論は、もちろんそれも不要。
そして自我(エゴ)というものは
人格のほんの一部にしか過ぎない、
と気がついたなら、
自身を恥で裁くことも
他人を罪で裁くこともやめるの事ができるのでしょうね。
暖かい人柄、は本当に暖かいですね。
優しい人柄は、本当にやわらかい。
理屈ではなく。
大きな慈愛を持った人格に成れたら
本当に自由になれる気がします。
そんなことを考える毎日。
おっと、今ですね。
誰にだってありますよね。「若気の至り」
なんて言葉もありますし(笑
大罪を犯した人が牧師さんになったり・・
という人もいます。
>今を生きている自分の過程なのかな。
そうでしょうね。ただ、過去に囚われるのでは
なく、過ぎ去ったことに執着すると、ブレーキ
がかかってしまいます。
終わったこと、過ぎ去ったこととして同じ過ち
はしない・・くらいにしておいて、先へ歩む事
です。
「今」を楽しみながら・・・ね^^
いい言葉ですね~
そうですかあ?慈慧さんも若い頃は若者
だったんですねー(笑
わたしも、大学生~30くらいまでは、
無知でしたよ。自意識過剰だったなあ。
30くらいから「精神世界」に入りだしました。
その辺りからかな。ひとつの転機は。。。
ヴィパッサナー瞑想は、上座部仏教などの観行
瞑想。
まさに「今」に集中する行動瞑想法です。
例えば歩くとき、
右足が地面についた。左足が地面についた。
右足が離れたなど、ひとつひとつの動作に
意識を集中する瞑想です。
頭がこんがらがった時、気になった事(主に
ネガティブ系)が頭から離れなくなった時に、
実践しています。
同じ動作を20分以上続ければ、セロトニン活性
にも繋がり、スッキリ爽やか、気になっている
事も切り離せます^^
後悔、恥、期待、不安>「一切無用」
おごれて聞こえたりとんでもない理想主義に「見えたり」する「不安」も不要。
そうそう、そういう事を気にしてしまう。
人の評価なんか気にしない。わが道を行くとき、
ただ自分の良心に従う。それでいい。そうすれ
ば、わが道を行っても自己中にはなりません。
>大きな慈愛を持った人格に成れたら
>本当に自由になれる気がします。
>そんなことを考える毎日。
ねー、ホントにそうなりたいです。そうなれな
かったとしても、そうなりたいと思い続けて、
毎日毎日毎日、それを思い続けて、願い続けて、
そんな自己マインドコントロールなら、大歓迎^^
行きましょう。生きましょう。活きましょう!!
hug hug(笑