~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

2016.10 小田原城

2016-10-29 16:30:03 | ・ショートトリップ

2016.10.22 熱海から小田原城へ。

近いのに行ったことが無かったのでした。 

 

小田原城

神奈川県小田原市にあった、戦国時代から江戸時代にかけての日本の城(平山城)で、北条氏の本拠地として有名である。

江戸時代には小田原藩の藩庁があった。築城年1417年(応永24年)。

銅門(あかがねもん)

 

いや~、なんかゴツイ門です。

柱が石垣の形状に合わせてあります。すごいです。

銅門渡櫓内部

写真右の「石落とし」から櫓門に近づいた敵に石や汚物などを落とします。

こちらは壁内部の模型

ビャクシンとはまた一味違って、すごい存在感のある巨樹です。ねじれ方がすごいですねー。

小田原城跡のイヌマキ

関東南部以西の海岸地帯の森林に多く自生する暖温帯林を代表する常緑の高木。市内の神社、寺院境内に古木が多くあります。

小田原城本丸の巨松(おおまつ)

樹高30m 幹周5.3m 樹齢推定400年 立派ですよ。

小田原城

立派なお城ですねー。再建天守の高さでは6番目の大きさのようです。

http://www.d1.dion.ne.jp/~mthouse/page1384.htm

今年の春に平成の大改修(リニューアル)を終えた小田原城天守閣。

駆け足観光で話を聞いてなくて、摩利支天像を撮り損ねました^^;;

天守閣展望デッキより。紅葉しはじめてますね。

天守閣展望デッキより。

天守閣展望デッキより。

小田原城跡のビャクシン

もうちょっとユックリ観光したかったなあ。でも時間がなかったしなあ。また来る機会もあるでしょう。 


2016.10 熱海

2016-10-28 15:27:10 | ・ショートトリップ

2016.10.21~22

恒例の仕事絡みで熱海へ行ってきました。大抵はクルマで行くのですが、翌日、小田原で解散との事で新幹線で行きましたよ。

東京10:26のこだまに乗る予定が、ちょっと早く出たら09:56のこだまに乗れちゃって10:45分には熱海に着いたのでした(笑

で、集合場所まで駅から歩いても20分ということで歩きましたよ。

朝顔は、秋の訪れを告げる花。夜明けに開いて昼にはしぼむ。日本人はこの花に秋の訪れを感じてきた。


ええ~! 朝顔って秋の訪れを告げる花なの?夏かと思ってたけど・・・でも確かに晩夏とか初秋に咲いてるよなあ。

薄暗い石垣に可憐な野菊^^

空地には????? ノイバラの仲間かな。

ハイビスカス 綺麗!

ものすごい水量です。急流なので音もスゴイです。

この川、調べてみたのですが良く解りません。

おそらく↓ではないかと思うのですが・・・。

逢初川(あいぞめがわ) [延長]1,300m [起点]熱海市伊豆山字赤井谷1079番の23地先 [終点]海に至る

伊豆山の方から急こう配を一気に海に向かって流れているようです。

更に海に向かって急こう配を流れていきます。

隣には「伊豆山・走り湯温泉」がありますが、この「走り湯」という命名の由来はそのお湯の勢いにあります。

かつて湧き出た温泉が海に向かって走るように流れていたため「走り湯」と呼ばれるようになったと言われております。

「熱海」の由来も、山から流れ落ちる熱い湯で海が温かいからだそうです。

「伊豆山のバクチノキ)

急流脇にありました。

道路脇、海に近い小屋には、こんな提灯が^^ 缶ビールも使えますねえ^^ 

あっという間に海沿いです。この足湯に入ろうと思ったのですが、熱いのなんの^^;

「水で薄めてお入りください」・・・・・・しかし、蛇口をひねっても水は出ず・・・諦めました。

伊豆山神社参道について。ここから始まっているようですよ。837段!!!

走湯温泉湧出口

中はすごい熱気で、メガネはあっという間に曇って何も見えません。源頼朝もつかったという温泉の史跡、走り湯。

走り湯神社

翌22日~~~~

ホテル 窓景

ちょっと曇ってて残念でしたー。

ホテル小窓より 初島

料理も美味しくて・・・

熱海城前より 熱海一望ですね。

熱海城

静岡県熱海市の錦ヶ浦山頂にある観光施設。城郭は歴史的に実在したものではない。

お城型の娯楽ビルみたいな感じですね。中は、トリックアート、江戸体験、浮世絵・春画・・・・。入りませんでしたけど面白いかも。

 

熱海城は海抜120米余、名勝地錦ヶ浦を脚下に控えた天与の要塞地にあり、築城には最適の地とされています。戦国時代の昔、

関東・東海地方に威をふるった小田原北条氏歴代の名将たちも水軍の根拠地として築城を希望しながら果たし得なかったと

伝えられています。熱海城天守閣の建築様式は日本の築城建築が発展の頂点に達した桃山時代、慶長初期の様式にのっとり、

外装5層、内部9階の高層建築で昭和34年に築城されました。同時期に復興・再建されたお城として、小田原城、名古屋城、大阪城など

があります。http://www.atamijyo.com/about より。

6年ぶりに観光お付き合いで秘宝館へ(笑

なんかリニューアルしたような噂を聞いた気がしたんだけど、ほぼ6年前と同じでした(笑

写真は入口付近にあったものです。懐かしいですね~。 


河越山 三芳野院 常楽寺(時宗)~川越市

2016-10-25 08:46:40 | ・神社・お寺

2016.10

時々このお寺の前を通ってたので寄ってみました。鐘楼門が立派だったので以前から気になっていたのでした。

いや~、立派な門ですね。

鐘楼門

山門をくぐり、参道を進んでいくと龍の意匠があしらわれた鐘楼門が待ち構えています。門内左右には仁王像が置かれ

別名「仁王門」とも呼ばれています。ちなみに川越市内で仁王門が見られるのは喜多院と本能寺(菓子屋横丁近く)くらいに

なっています。また、この門は川越城の城将「大道寺政繁」の子孫が寄進し、天明8年(1788/江戸時代中期)に再建されたものです。

なんと!大晦日にはこの鐘楼門2階にある鐘をつく事ができます。http://www.kawagoe-yell.com/sightseeing/jorakuji/ より。

常楽寺

平安時代末~南北朝時代(約200年間)に、武蔵国(関東)で大きな勢力を誇った河越氏の館跡の一角にあるお寺。

この常楽寺は河越館の敷地内にあった持仏堂(その人が信仰し礼拝する仏像を祀っておく建物)から発展したと言われています。

古くは浄興密寺(じょうこうみつじ)と称し密教のお寺でした。それが700年前の鎌倉時代後期に常楽寺に改称され今に至っています。

http://www.kawagoe-yell.com/sightseeing/jorakuji/ より。

う~む・・・これは一体何なのでしょう?? 思い荷物を運ぶ籠???

とても秋らしい陽気でした。


高徳神社(鶴ヶ島市)

2016-10-23 07:27:28 | ・神社・お寺

2016.10

以前から気になっていた高徳神社(鶴ヶ島市)へ。

拝殿

本殿

明治39年(1906年)の神社合祀令が施行される。そして、大正2年(1913年)に、熊野神社、白髭神社、氷川神社2社の計4社が、

太田ヶ谷の富豪となる内野重右衛門翁の境内地寄贈により、合祀され、大田ヶ谷の現在地に統合され、祀られたことに始まる。

優しい木漏れ日の森でした^^


賑やかな空と「武蔵豊岡教会」

2016-10-20 08:40:13 | ・写真

2016.10.19

いや~消滅飛行機雲が派手に空を賑わせていましたよ。

国道16号 狭山付近

日本キリスト教団 武蔵豊岡教会

この教会、16号の拡張工事で曳家工事がされ、後方へ移動しました。

大正から昭和の時代に日本全国で活躍した米国人建築家W.M.ヴォーリズが設計した教会堂が入間市河原町に建っている

日本キリスト教団武蔵豊岡教会の建物です。埼玉県内で唯一のものです。1923(大正12)年に献堂式が行なわれていますから

年でちょうど築90年となり、歴史的にも貴重な文化遺産となっています。国道16号をはさんだ「旧石川組製糸西洋館」と一体的に

建てられたものだそうです。

埼玉県ふじみ野市付近

終日、空は賑わっていましたよ。タイミングが合わず、夕焼けが撮れなかったのが残念無念。。。


結婚式出席

2016-10-19 17:33:23 | ・日常

すごく久しぶりに「結婚式」に出席してきました。

最後に出席したのは2000年くらいだったのかな。1994年には仲人もしました(なんと高校の同級生の結婚式仲人。

結納にも出席しましたよ)。

wikiによると、

人間関係や時代背景の変化とともに仲人を設定する結婚式は減少傾向にあり、さらに平成不況による職場環境の激変

(終身雇用体制の崩壊)を背景に1990年代後半を境として激減し、仲人を立てる結婚式は首都圏では1%だけとなり、

最も多い九州地方でも10.8%に過ぎなくなった(ゼクシィ調査 2004年9月13日発表)。


との事です。こおの調査から更に12年も経過してますから、もう仲人を立てる結婚式はほとんど無いのでしょうね。

 

結婚式は、「人前式」でした。神仏の代わりに列席者へ結婚を誓い、証人になってもらうという人前式。いまどきは多いみたい

ですね。その後、披露宴。花嫁さんのお色直しの間に、二人の生まれた頃から今に至る写真を編集したビデオが流れます。

披露宴最後の新郎父の挨拶、新郎の挨拶後のお開き準備の間には、なんと、今日の結婚式~お色直し直後くらいまでの

ビデオが流れます。突貫工事で編集するんですね。出席者もみんな映っています。いや~驚きでした。そういえば、

式が始まる前に端っこの方でpcに向き合って編集している方がいましたよ。

 

料理も美味しくて久しぶりの結婚式で楽しかったです。しかし・・・列席者の中では、自分自身が結構年取ってた方だったなあ・・・(苦笑


狭山市水富地区・根堀用水路

2016-10-14 15:54:10 | ・ショートトリップ
2016.10 狭山市水富地区・根堀用水路です。
 
ときどき、仕事でこの辺りを通るんですけど、水の流れが良い感じなんですよね。
 
学生の頃に遊びに行った下諏訪の友人宅の前が、こんな感じの水路でした。
 
いつでも流れがあるのって、いつも清められている感じがするし、悪いものを
 
流してくれる気がします。
 
 
根堀用水(入間川・笹井ダムより取水し西へ流れる)
 


鳥や蕎麦屋や・・・

2016-10-11 09:02:27 | ・鳥・生物

2016.10.1 またまた浅間神社に参拝に行ってきました。

でも、まだ行きたかった浅間神社、全て回れませんでした。あともう一度行かないとなあ。。。

雨模様を覚悟の上で行きましたが、曇り~小雨で助かりましたよ。

 

番外編です。

人穴浅間神社で群れていました。カシラダカかなあ??ちょっとカシラダカにしては尾が長いような気もするが・・・。

須山浅間神社へ寄った後、須山地区のパンフをもらったので、お蕎麦屋さんへ・・

県道から看板は出ていたものの、こんな狭い所に入っていくのかあと思って行くと・・・満杯の駐車場が・・・。

蕎仙坊 (きょうざんぼう)

13時頃だったので、ちょうど出るお客さんも多く、何とか入れました。

古民家なんですよねー。土間には沢山の靴が・・・。10分ほど待たされて。。

三色蕎麦・・美味しかったですよ。偶然発見したお蕎麦屋さんでしたが大正解でした。

隣のおじさん二人組は、ここが御殿場では一番美味しいんじゃないかなあと話してました。裾野ですけどね(笑 


須山浅間神社(富士山南口下宮)

2016-10-10 09:51:17 | ・神社・お寺

2016.10.1 またまた浅間神社に参拝に行ってきました。

でも、まだ行きたかった浅間神社、全て回れませんでした。あともう一度行かないとなあ。。。

雨模様を覚悟の上で行きましたが、曇り~小雨で助かりましたよ。

 

人穴浅間神社へ行った後、富士山南側へ。十里木を通り、裾野市へ。「富士山南口下宮・須山浅間神社」を尋ねました。

立派な駐車場に止める直前、目の前を黒っぽいシカが横切りましたよ。ビックリ^^

駐車場にはクルマが一台のみ。トイレもあってよく整備できていました。さすが「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部

として世界文化遺産に登録されているだけはありますねー。

駐車場から神社へ歩いていくと・・・道路下に立派な鳥居が・・・。手前は川で、まるで結界が貼られているようでした。

鳥居や参道等を含む境内の全体は、御神木とされたスギを含め一群のスギの巨木(樹齢400~500年以上とされる20本程の巨木)

に覆われていて神聖な雰囲気に包まれています。

拝殿(平成25年(2013)改修)

ヒノキの良い香りが漂っていましたよ。

本殿

覆屋内に所在する現在の本殿は1823 年に再建されたものであるが、社伝によると神社の創設は日本神話の時代にまで遡るとされ、

社殿に残る棟札によると遅くとも1524 年には存在していたことが推測できるそうです。

1707 年に発生した宝永噴火によって被災した須山口登山道が、1780 年に本格的な復興を遂げると、富士山よりも東側を中心とする

地域から多くの道者が須山浅間神社に立ち寄るようになりました。しかし、1883 年に御殿場口登山道が拓かれたことなどにより、

須山浅間神社を訪れる道者は次第に減少し、現在に至っている。(東海道線の開通により御殿場登山口の開通や大野原を通る

須山口登山道が旧陸軍の演習場になるなどした)神主さんは年間20人くらいだと^^;

本殿に向かって右側の覆屋

内に所在する古宮神社は、その名称及び17 世紀のものと推定される梁の形状から、須山浅間神社の旧本殿であると推測されています。

覆屋に向かって拝み、中を一生懸命見ようとしていたら、社務所から神主さんが出てきて、「開けましょうか」と^^

ありがたいです。

古宮神社

写真もOKとの事でしたので撮らせて頂きました。

慶長16(1611)年に建立されたものと考えられているようです。

500年前かあ・・・・社叢には、樹齢400~500年以上とされる20本程の杉の巨木があります。同時期に植えられたのでしょうか。


その後、神主さんが、拝殿内も見せて頂けるとのことで・・・ホントにありがたいです。ご親切です。嬉しいです^^

美しい拝殿内です。高揚感を伴いつつも厳かな気持ちに・・・。

ヒノキの香りが充満していましたよ。

拝殿内にあった写真です。

古い時代のかやぶき屋根の拝殿や上部がしめ縄のような鳥居が素晴らしい。

境内は、樹齢400~500年以上とされる杉の巨木に囲まれています。

ハート型

鳥居をくぐって石段を登ってすぐ左にある石灯籠の穴から^^ 本殿は石段より少し左にずれていますが、ここから覗くと真正面になります。

で、なんでハート型なんだ???と調べてみました。

このハート型は、「猪目」と呼ばれ・・・イノシシの目をアレンジしたとの説。

猪や獣の目をモチーフとした由来では、獣の目力で魔除けの意味があるのだそうです。イノシシの目を二つくっ付けてハート型に

したとか、猪の目尻の形に似ているハート型っぽいからとか、ググるといろいろありました。

また、なぜ寺院や仏具の装飾などに猪目模様(ハート型)を使うのか…ハート型はお釈迦様が悟りを開かれた菩提樹の葉の形だと

されている・・・という説もありましたよ。

境内階段上より

景行天皇(110)の時代、日本武尊・蝦夷征伐時に浅間神社を創起。

欽明天皇(552)、蘇我稲目が再興。

いずれにしても古くより、山岳信仰、噴火による浅間大神を祀ってきた。

とても暖かい感じの社務所でした。境内もとても良い空気・空間でした。

右上に映っている丸いヒノキの置物に「健康長寿」を書いていただきました。

このヒノキ、樹齢150年と云われたんですが、帰って年輪を数えてみたら、スゴイ密な年輪で、ホントに150近くありましたよ。

 

いや~、神主さんも親切でしたし、ガイドもしていただいて・・・ホントに感謝感謝^^ 

たくさんたくさん良気を頂きました。ありがとうございました。


人穴浅間神社(人穴富士講遺跡)

2016-10-09 08:49:51 | ・神社・お寺

2016.10.1 またまた浅間神社に参拝に行ってきました。

でも、まだ行きたかった浅間神社、全て回れませんでした。あともう一度行かないとなあ。。。

雨模様を覚悟の上で行きましたが、曇り~小雨で助かりましたよ。

白糸ノ滝のあと、前回大雨で行けなかった「人穴浅間神社(人穴富士講遺跡)」へ。

人穴浅間神社

正式名は「浅間神社」

富士講信者たちが多数埋葬された墓碑が300以上あるとされ、角行の墓碑の他、食行身禄や村上光清に関する墓碑も多数みられる。

人穴は角行が16世紀から17世紀にかけて修行を行い、浅間大菩薩による啓示を得、また入滅した場だと伝わる。

『吾妻鏡』によると、13世紀には人穴が「浅間大菩薩(浅間大神)の御在所」として神聖視され、富士山信仰に関係する場所であったと

される。

人穴の地は、角行が浄土としたために、富士講信者も聖地とするようになり、参詣や修行が行われた。by パンフ&wikipedia

この奥に「溶岩洞穴人穴」があります。

「溶岩洞穴人穴」 崩壊の恐れがあり、入洞禁止でした。

この溶岩洞穴は、総延長83.3メートル、高さ最高約6メートル。

この溶岩洞穴が「人穴」といわれるのは、そこに籠って修行した人がいたことに由来するとか、太穴が訛ったものだといわれている。

洞穴の中は、天井は扁平で床面は平たん、入口からすぐの所に溶岩柱があり、最奥部は水が溜まっている。また、江戸時代の

はじめ頃~大正年間の石造物が6基祀られている。パンフレットより。 

人穴の碑塔群

人穴浅間神社境内には、富士講の人たちが建立した碑塔が約200基あります。

これらは、各講の先達の供養や大願成就記念として建てられたものです。

碑塔(233基)は東京都が圧倒的に多い(103基)。関東地方は65基。不明65基。

碑塔建立は、17世紀に4基、ほとんどは18世紀中ごろ。19世紀中ごろに最盛期。1964年(昭和39年)以降の建立はない。パンフより。 

長谷川角行(藤原角行)

角行(かくぎょう、天文10年1月15日(1541年2月10日) - 正保3年6月3日(1646年7月15日))は、江戸時代に富士講を

結成した人びとが信仰上の開祖として崇拝した人物。大職冠藤原鎌足の子孫。長崎の武士の左近大輔原久光の子として生まれる。

 

当初修験道の行者であった角行は、常陸国(一説には水戸藤柄町)での修行を終えて陸奥国達谷窟(悪路王伝説で著名)に至り、

その岩窟で修行中に役行者よりお告げを受けて富士山麓の人穴(静岡県富士宮市)に辿り着く。そして、この穴で4寸5分角の

角材の上に爪立ちして一千日間の苦行を実践し、永禄3年(1560年)「角行」という行名を与えられる。

 

その後、角行は富士登拝や水垢離を繰り返しつつ廻国し、修行成果をあげるたびに仙元大日神より「フセギ」や「御身抜」(おみぬき)

という独特の呪符や曼荼羅を授かった。なお、「フセギ」は、特に病気平癒に効力を発揮する呪符であったらしく、江戸で疫病が万延した

際にはこれを数万の人びとに配して救済したという。

 

角行を開祖とする富士講諸派の母体は、教派神道の實行教と扶桑教へとつながっていった。

角行から村上光清に連なる系統(御法家)から、角行直系を称する冨士教が生まれた。

冨士教は毎年、角行が亡くなった6月3日に供養祭を開催しており、2010年6月3日には角行の富士山での修行開始後450年を

記念して「450年記念大祭」を人穴及び人穴浅間神社(人穴富士講遺跡)で開催した。by wikipedia


白糸ノ滝/音止の滝

2016-10-08 08:32:55 | ・旅・山

2016.10.1 またまた浅間神社に参拝に行ってきました。

でも、まだ行きたかった浅間神社、全て回れませんでした。あともう一度行かないとなあ。。。

雨模様を覚悟の上で行きましたが、曇り~小雨で助かりましたよ。

まずは、「白糸ノ滝/音止の滝」へ。

駐車場に止めて滝方向へ向かうと、轟音が聞こえてきます。

 

音止の滝

富士川水系芝川本流の落差約25メートルの名瀑。白糸の滝とともに日本の滝百選の一つ。

音止めの滝の名前の由来は、かつて源頼朝が挙行した富士の巻狩りの際に、曾我祐成・時致兄弟が父の仇である工藤祐経を

討とうとした、その密議をしていたが滝の轟音で話が聞き取れない、そこで神に念じたところ、たちどころに滝の音が止んだという

伝説による。曾我兄弟は見事に本懐を遂げた。by wikipedia


白糸ノ滝とは対照的に豪快でした。もう少し全体の景観が見れるように張り出していればなあと思いましたねえ。もったいない。。。

更に進むと見えてきました。でも滝周辺に靄が出ていて・・・

ツリフネソウがたくさん咲いていました。

白糸ノ滝

幅150mの湾曲した絶壁の全面にかかる白糸ノ滝は、本滝の一部を除いてそのほとんどが富士山の湧水。

年間を通じて水温12℃、毎秒1.5トンの湧水が流れ出ているといわれています。

野菊が綺麗^^

白糸ノ滝、シャッタースピードを変えて、いろいろと撮ってみました。

とても素敵な滝でした。ちょ~っと靄っていたのが残念でしたが、これもまた柔らかい感じで良かったかな。

この後、かなり霧っぽくなってので、見えなくなったかもしれません。一番に寄って良かったかな^^