~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

鴨田八幡神社(川越市)

2017-01-31 08:32:04 | ・神社・お寺

川越のちょっと外れにある「鴨田八幡神社」へ行ってきました。

室町時代(元禄2年/1458)に、太田道灌が河越城の鬼門鎮護のために勧請し、鴨田村の鎮守として祀られています。

鬼門とは、北東(艮=うしとら:丑と寅の間)の方位のことで、陰陽道では、鬼が出入りする方角であるとして、万事に忌むべき方角

としています。確かにこの神社は川越の駅から見て、ちょうど北東に位置しますね。

wikipediaによると、鬼門思想は中国から伝来した考え方であることに間違いはないが、日本の鬼門思想は中国から伝わった思想

とは大きく違った思想になっている。なぜなら風水に鬼門思想はなく、日本独自の陰陽道の中で出来上がった日本独特の思想であると

考えるべきである、との事です。

都市計画においては、鬼門の方角にお寺や神社が置かれてきたようですね。

また、古代、京都からみて鬼門の方角、東北地方にいた朝廷に服属しない民族「蝦夷」への攻撃の理由に用いられたようです。

明治維新後の1872年(明治5年)、政府は陰陽道を迷信として廃止させました。 


高倉日枝神社(鶴ヶ島市)

2017-01-30 09:06:05 | ・神社・お寺

2017.1 いつも近くを通っている高倉日枝神社へ参ってきました。

高倉鎮守の日枝神社は、鶴ヶ島市指定無形文化財「高倉獅子舞」で知られています。

日枝神社の祭神は、大山昨神(おおやまくいのかみ)、ほか四神であり、古くは山王権現といった。日吉神社とも書くが、

当社は日枝である。

滋賀県大津市にある日吉大社は、全国の日吉山王社三千八百余社の総本社で、いずれの日吉(枝)神社も日吉大社からの

勧請といわれる。昔、高倉朝臣が近江国に住んで、同国の日吉の神を信仰していたが当村に勧請し、産土神、守護神としたといわれる。

例祭日は、毎年十一月二、三日で、当日は豊作感謝と疫病退散祈願のため獅子舞が奉納される。この獅子舞は江戸中期から始まり、

外秩父地方の流れをくむもので、曲目は十五曲が残っている。

大山昨神(おおやまくいのかみ)

名前の「くい(くひ)」は杭のことで、大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味し、山の地主神であり、また、農耕(治水)

を司る神とされる。

大山咋神の別名山王(さんのう)は中国天台山の鎮守「地主山王元弼真君」に倣ったものである。

天台宗が興した神道の一派を山王神道と言い、後に天海が山王一実神道と改めた。

太田道灌が江戸城の守護神として川越日吉社から大山咋神を勧請して日枝神社を建てた。江戸時代には徳川家の氏神とされ、

明治以降は皇居の鎮守とされている。

比叡山の麓の日吉大社(滋賀県大津市)が大山咋神を祀る全国の日枝神社の総本社である。by wikipedia

拝殿

拝殿脇より

境内にアトリが居ました。

あまり埼玉では見られない鳥ですが、今年はとても多いようです。


羽根倉浅間神社(志木市)

2017-01-30 08:06:23 | ・神社・お寺

2017.1 敷島神社で近くに浅間神社があるとの情報を得たので行ってみました。

 

羽根倉浅間神社(志木市)

荒川の土手の下にありました。

源頼朝が建久4年(1193)に富士の裾野で巻狩り(富士の巻狩の目的としては、征夷大将軍たる権威を誇示するためや軍事演習などの

目的があったとされる)をした際、夫役の代償として田の年貢が免除されたので、里人はこれを記念して字大野の地に富士浅間社を

祀ったそうです。

羽根倉富士嶽

平成24年にコンクリートで補修

補修前はどんな富士塚だったんでしょうねー。


敷島神社/田子山富士塚(志木市)

2017-01-29 15:20:26 | ・神社・お寺

2017.1 志木市にある敷島神社へ詣でました。

敷島神社

敷島神社は志木市本町の産土の神です。
明治41年田子山富士塚に鎮座していた浅間神社の敷地内に、村山、星野の両稲荷神社と水神社を合祀され、
引又地区(現本町)の鎮守様としての敷島神社が誕生しました。

天保14年(1843)の「明細帳」に浅間神社が田子山富士の山頂に建立されていた板碑を御神体としていた
ことが記されています。

御祭神
木花開耶姫大神(コノハナサクヤヒメノオオカミ)浅間神社
倉稲魂大神 (ウガノミタマノオオカミ)稲荷神社
罔象女大神(ミズハノメノオオカミ)水神社)  http://hosinobiru.com/service.htmより

田子山富士塚

敷島神社の境内にある田子山富士塚は通称「志木のお富士さん」として知られています。田子山はこの一帯の古い地名であり

田子山塚は元々七世紀後半頃の円墳でした。富士塚(富士山のミニチュア)としての築造は、明治5年(1872)のことです。

http://hosinobiru.com/concept.htm より。

 

いや~、こんな神社もあるんですねー。円墳の上に富士塚を築くとは・・・。

ホントにいろんな神社があるものです。


鳥さん

2017-01-28 12:17:42 | ・鳥・生物

2017.1 の鳥さんです。

カシラダカでよいのかなあ?

「アトリ」のようです。ニシメガネザルさん、ご指摘ありがとうございます。

調べたら、今年はアトリが例年に比べてとても多いようです。

(鶴ヶ島の神社境内にて)

ツグミですね。こんな沼地もウロウロするんだなあ。(川越の伊佐沼にて)

コチドリ(川越の伊佐沼にて)

ユリカモメ(川越の伊佐沼にて)

眼が二つある様に見えますねえ。

アカゲラ(さいたま市秋ヶ瀬公園)

コンコンと大きな音がしてたので待ってたら姿を現しました^^


澤井御嶽神社(相模原市)

2017-01-27 16:56:03 | ・神社・お寺

2017.1

軍刀利神社、用竹鷲(わし)神社へ参拝した後、相模原市緑区小渕の藤野神社へ行こうと思ったら、良く道が解らず、

(帰って調べたら判りました)その先の相模原市緑区沢井の「御嶽神社」へ立ち寄りました。

左側の自然石・廿三夜塔 文政七年(1824)の造立。

月待塔(つきまちとう)は、日本の民間信仰。

特定の月齢の夜に集まり、月待行事を行った講中で、供養の記念として造立した塔である。月待信仰塔ともいう。by wikipedia

鳥居をくぐると、真っ直ぐに本殿に登る細~~~い階段がありました。

その階段を蛇行するように綴れ織りの細道。真新しい手すりが付いていましたよ。

澤井御嶽神社

御祭神:日本武尊 

いろいろとググってみましたが、あまり情報がありませんでした。澤井地区の鎮守様であるのでしょうね。

「日本の山間の神社」といった感じでしたよ。太陽光を通して清らかな空気が流れていました。


用竹鷲神社

2017-01-27 15:13:42 | ・神社・お寺

2017.1

軍刀利神社へ参拝した後、通り沿いにある「用竹鷲(わし)神社」へ立ち寄りました。

鷲(わし)神社

山梨県上野原市棡原用竹地区

浅草の「鷲神社」は「おおとり神社」と読ませますね。

山梨県神社庁のhpによると、由緒沿革は、

創建については天文十一年(1542)に石井雅楽之助が勧請したのに始まると云う。甲斐国志には鷲明神棡原、用竹組の惣社、

除地下々畑壱反畝歩(330坪)とある。明治6年村社に列せられてゐる。大正2年3月24日神楽殿を改築し、拝殿建設が許可されて

行4間梁2間半の拝殿を備へるに至つた。

一番左の大杉は樹高40m、推定樹齢300年以上のようです。創建の時に植えられてるとすれば450年近いでしょうか。

拝殿

なんとな~く、全体に右下がりの写真だなあ。

御祭神は 天日鷲命(あめのひわしのかみ)


天日鷲命(あめのひわしのかみ)

『日本書紀』では天の岩戸の一書に「粟の国の忌部の遠祖天日鷲命の作る木綿(ユフ)を用い」とある。

『古語拾遺』によると、天日鷲神は太玉命に従う四柱の神のうちの1柱である。やはり、天照大神が天岩戸に隠れた際に、

穀(カジノキ:楮の一種)・木綿などを植えて白和幣(にきて)を作ったとされる。そのため、天日鷲神は「麻植(おえ)の神」とも呼ばれ、

紡績業・製紙業の神となる。

また天日鷲神は一般にお酉様として知られ、豊漁、商工業繁栄、開運、開拓、殖産の守護神として信仰されている。

忌部神社や鷲神社などに祀られている。by wikipedia

拝殿前には何となく印象的な榊が植えられていました。

榊・・・古来から植物には神が宿り、特に先端がとがった枝先は神が降りるヨリシロとして若松やオガタマノキなど様々な常緑植物が

用いられたが、近年はもっとも身近な植物で枝先が尖っており、神のヨリシロにふさわしいサカキやヒサカキが定着している。

本殿・・・よく見ると紅白に塗られていました。

「用若」の文字が見えます。無造作にお祭りの写真も置かれていました。 

 

黙って静かに佇む・・・村人たちを静かに見守っているような神社でした。


冬の軍刀利神社(上野原)part18-2

2017-01-27 12:36:46 | ・神社・お寺

続きです。

本殿から奥宮へ。

けっこう雪が積もっていましたが、固いので歩き易かったですね。

大桂が見えてきました。

枯れ枝が白く輝いていましたよ。

いや~何度見ても迫力ありますね。

奥宮に着くと、

「おお!良く来たなあ」と軍神らしく、つむじ風が沸き起こり、ビュ~~~っと冷たい風に吹かれました。

その後、し~んと穏やかになって・・・。

奥宮を出るときにも、「また、来いよ」とでも云わんばかりにブワ~っと風が吹きました。

更に、参道階段下では、余計なことを考えていたら、「コラ、境内では神妙にせい!」とばかりに、枯れ枝がアタマに落ちてきた

のでした。う~ん・・・・さすがに軍神。いつも以上にすごいパワーを頂いたのでした^^

相変わらず、直立、天を目指すヒコバエ。すごい生命力を感じさせますねー。

けっこう水量がありました。

龍穴を取り巻く、まさに龍のような流れです。

いや~、初めての冬に訪れましたが、良かった~。

周りの木々も葉を落としていますから、大桂もとてもスッキリと見えました。

良い天気でしたよ。

中央奥は富士山です。この写真は神社を降りてからですが、奥宮付近でも富士山が拝めました。


冬の軍刀利神社(上野原)part18-1

2017-01-26 08:21:52 | ・神社・お寺

2017.1

18回目の参拝。でも初めて1月に詣でました。

第一の鳥居をくぐり、しばらく走れましたが、途中から雪道に。

ギリギリまで行って少し広くなっているところにクルマを止めて歩いて登りました。

社務所の前も屋根も薄らと雪が積もっています。

境内へ向かう階段下。

手水舎脇からホースで水が流れ落ちているのですが・・・

凍ってます。

枯れ枝がまるでイカのようですね^^

跳ね上がった水が金網で凍ってます。

参道階段下の二つ目の鳥居

参道階段上より

軍刀利神社 拝殿

御祭神:日本武尊

永承3年(1049年)5月三国山頭に建立された神社。永徳年間に野火の災いにより現在地に移転。軍神としての信仰が厚く

武田信玄は自画讃水仙奉納。

昔は「軍荼利夜叉明王社」と称していた。明治の神仏分離令で「軍刀利神社」に改称。

古神道と真言密教に通じた修験者によって勧請されたといわれている。

本殿脇の小屋より

本殿

いつ見てもスゴイ迫力です。さらに奥宮へ向かいます。つづく 


勝呂(すぐろ)神社(埼玉県坂戸市)

2017-01-26 08:19:56 | ・神社・お寺

2017.1

坂戸市にある勝呂(すぐろ)神社に立ち寄りました。

ここも土屋神社と同じように古墳の上に神社があります。

青空が綺麗で・・・冬!って感じでしたよ。

勝呂神社

古墳の上に建っているので立体感、高低差があって、とても美しく感じました。

古墳は直径50メートル、高さ4.2メートルのようです。

ご祭神 ・白山比咩命(しろやまひめのみこと)

神社の記録によれば、第十崇神天皇の時代に伝説上の人物と言われる四道将軍の一人 建渟河別命が勝呂神社古墳に葬られている

と伝わっています。寛和二年(九八六年)、古墳の上に北陸鎮護の神として知られる加賀一宮白山比咩神社の御分霊が勧請されました。

その後、武蔵七党の村山党に属した須黒太郎恒高が勝呂に本拠を構え、健保元年(一二一三年)には社殿を再営して勝呂白山権現

としました。明治時代に社号を白山神社と改め、明治四十二年(一九〇九年)に現在の勝呂神社となりましたが、今も「白山さま」として

信仰を集めています。

本殿右脇にある「勝運霊石」

ちょうど、宮司さんとお話しすることができました。この下に石室があるようです。将軍様ならば強そうです。撫でると良いようですよ。

合格祈願にどうぞ^^

また、この場所に土屋神社と同じように大杉が建っていたようなのですが、宮司さんが子どもの頃に雷が落ちて燃えてしまった

そうです。火の粉をまき散らしたような凄まじさだったようです。結局、枯れてしまって、そのまま枯れ木を残しておくのも忍びない

という事で切られたようです。

手前に大杉の痕跡が見らえます。

拝殿前から

とても眺めが良いです。裏で焚き木をしていたので白っぽくなっちゃっています(笑

こちらも偶然立ち寄った神社。しかし、素晴らしい空間と空気でした。冬の青空にとても記憶に残る出会いでした。


日枝神社(千代田区永田町)

2017-01-25 12:15:42 | ・神社・お寺

2017.1半ばの日曜日、四谷で降りてぶらぶらと日枝神社へ詣でてきました。その後、愛宕神社まで歩いたんですけどね。

弁慶濠(江戸城の外濠跡)

近くにボート乗り場があります。日陰は凍っていました。

赤坂見附を歩いて日枝神社へ。

結果、またまた表からではなく裏?から入っちゃいました。どうして神社を訪ねると、いつも表から入れないのかなあ(笑

山王鳥居

稲荷参道を上がっていきました。途中で外国人がポーズとって写真を撮ってましたよ。

神門

裏から入っちゃったので、いったん出て入り直し^^

神符焼納祭

1月15日 10:30から

ちょうど神符焼納祭(正月飾りや古い神札・御守をお焚き上げする神事)が行われていました。

奥が社殿です。

日枝神社

東京都千代田区永田町二丁目にある神社。

江戸三大祭の一つ、山王祭が行われる。旧社格は准勅祭社(東京十社)、官幣大社。

大山咋神(おほやまくひのかみ)を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、

足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀る。

創建の年代は不詳である。

文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を

勧請したのに始まるという。

徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした。

慶長9年(1604年)からの徳川秀忠による江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、庶民が参拝できるようになった。

昭和20年(1945年)の東京大空襲で社殿が焼失し、昭和33年(1958年)に再建された。by wikipedia

炎はまるで生き物のようでした。

山王鳥居と表参道

今度はもう少し人の少ないときにお参りにこようかな^^


愛宕神社(港区)

2017-01-19 18:06:02 | ・神社・お寺

2017.1

ぶらぶらと愛宕神社へ行ってきました。

スマホ片手に歩いていたら、ここに入口があったのでこちらから。よく見たら鳥居じゃないですね(笑

お山の参道を登って行った為に「出世の階段」(由来は講談)上に出てしまったのでした。帰りは出世の階段を下り・・・

もう出世できませんね(笑 神社を探していて裏から入ること、結構あるんですよ。裏通りが好きなんだろうなあ。。。

ですが、写真の羅列は出世の階段下から並べます。

いや~、なかなかスゴイ階段です。

上からです。落っこちたら止まりませんね。

1月半ばの日曜日でしたが、けっこうな人でしたよ。

愛宕神社

山手線内では珍しい自然に形成された山である愛宕山(標高26m)山頂にある。京都の愛宕神社が総本社である。防火・防災に

霊験のある神社として知られる。 1603年(慶長8年)、徳川家康の命により創建。また、徳川家康が信仰した勝軍地蔵菩薩を

勧請し、愛宕神社を創建。by wikipedia

自然地形では愛宕山が23区内で一番高い山だそうすよ。ビルが無かった頃は目だったのでしょうね。

出世階段上の「弁財天社」

たくさんの人がお参りに並んでいました。 

昔この愛宕の地に児盤水(又は小判水)という霊験あらたかな名水が湧き出ていました。承平三年平将門の乱の時、

源経基がこの児盤水で水垢離をとり愛宕様に祈誓をこめ神の加護により乱を鎮めたと云うことが旧記にのっているそうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちょっとググると、

主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)で火のパワーで災厄を焼き切って消滅させてくれる。
弁天社で恋愛運アップ。
出世の石段を一気にのぼって出世運アップ。

という事でとても人気のパワースポットという事になるようです。いつも静かな神社ばかり参っているので人酔いしました(笑


土屋神社(埼玉県坂戸市)

2017-01-18 17:11:34 | ・神社・お寺

2017.1

坂戸にある土屋神社に寄ってきました。

当社は七世紀初頭に当地の土豪を埋葬したものと思われる帆立貝式の古墳上に鎮座しており、社名の「土屋」は、古墳内に石室がある

ことによる。石室は本殿真下にあり中に石像がある。社の創建ついては、村人が昔からある古木に囲まれた塚に対して畏敬の念を感じ、

村鎮守として小祠を建てたのに始まると思われるが、そのほかにも、本山派修験山本坊配下大蔵院が当社の別当として、信仰的にも

影響を与えていると考えられる。これは本社の土屋権現社よりも末社浅間社の信仰に端的に表れ、塚上にある社を浅間山に見立てて

盛んに祈祷を行った。http://kamimeguri.web.fc2.com/sakadotutiyajinjya.html より。


拝殿背後の白い巨木・・・・・!!!すごいインパクトです。

本殿と神木スギ

塚上にある社を浅間山に見立てて盛んに祈祷・・・・との事ですから、

富士山ではなく、「浅間山」の信仰の「浅間神社」なのでしょうね。

2004年の浅間山噴火時、火山灰は、東京都内のほぼ全域と神奈川県の川崎、横須賀、厚木市、埼玉県では新座、行田、坂戸市

千葉県でも千葉、佐倉、柏、勝浦市で新たに確認されたそうです。昔から頻繁に浅間山は噴火していますし、この辺りから浅間山も

望めそうなので、信仰対象になっても不思議ではありませんね。ちなみにこの辺りから富士山も綺麗に見えますが^^

いや~白い幹のボコボコの感じが、縄文杉を連想させましたねー。陽が当たっていたから、なおさら白く迫力がありました。

樹齢は千年を超えているようです。

樹高28m、幹囲は8.5mのようです。ちなみに縄文杉は樹高30m、幹周は16.1m。ひょえ~!ってことは、この杉の4本分位

の太さっだっだってこと??

境内の裏側からです。

それにしても、いつも近くを通ってたのですが、こんな古墳の上に建っている神社だとは思いもよりませんでした。

神社は、ほんとに境内に入ってみないと解りませんね。かなりの老木ですが命をつないでいって欲しいです。

 

下記は、鶴ヶ島にあった冨士塚。

かつてはこの小山を富士山に見立てていたのでしょうね。 


柳沢峠ハイク

2017-01-13 16:12:28 | ・旅・山

2017.1.7

何処行くかなーと、とりあえず8時ごろ出発。三連休初日で混んでるだろうと覚悟してたら、高速はどこも渋滞なし。

で、中央道で勝沼まで行って、山梨県甲州市の柳沢峠へ行ってきました。

南アルプスが美しい~。でも雪少ないかな。(この後、どっかり降ったみたいです)

柳沢峠

山梨県甲州市にある峠。標高1472m。国道411号(青梅街道)が通り、同街道の最高地点でもある。明治になり県令の主導によって

民費で道路改修を行うことになるが、大菩薩峠に車道を通すのは困難だったため、1878年(明治11年)現在の柳沢峠経由の道路を

開削した。

峠北側一帯は多摩川の源流域にあたるため、東京都水道局の水源林(東京都水源林)に指定されている。

峠には東京都水道局の管理している「ふれあいのみち」がありました。3.4kmのコースを歩きましたよ。

小川が凍ってました。

凍り方が美しい!

桂の木だと思いますが、とても良い感じ^^

霜柱

ぐんぐん伸びています。

ダケカンバが文字通り輝いていました。綺麗だったー。

ブナの巨木

独り佇んでいました。

3.4km、多少のアップダウンがありますが歩き易く、冬の森を楽しめましたよ。冬の森、けっこう楽しめますね。

柳沢峠より望む富士山

お見事です^^

丹波山渓谷 ナメトロ

クルマを止めて降りてみました。なかなかの迫力でした。

丹波山村の日帰り温泉施設「のめこい湯」

道の駅の駐車場に止めて、橋を渡った対岸にあります。

「のめっこい」は丹波山村の方言で、「つるつる、すべすべ」 という意味だそうですよ。ホントにつるつるの良いお湯でした。

しょっちゅう来たいけど、ちょっと遠いなあ。。。。

 

そうそう、ちょうど丹波山の毎年1月7日に催される、門松をはらう松送りの祭事「お松引き」が行われていました。ちょっと見て

みたかったんだけど、狭い街中で迂回させられて見れませんでした。


帰りは青梅街道をトボトボ帰ってきました。ちょっと混んだけど、なかなか楽しめた一日でした。